2003年03月04日

言葉遊び歌の地域差について教えてください。(生熊雅夫)

私はNHKのアナウンサーをしていました(日本各地で、9箇所)。
最近は違う職種に移りましたが、やはり気になる言葉が出てきました。
皆さんのお知恵を借りたくて投稿しました。
東京で私の子供のころ「アリが10ならミミズは20わたしゃ19で嫁に行く」
という言葉遊びが北九州では「アリが鯛ならいもむしゃ鯨」と言いわたしはびっくりしました。「驚き桃の木、山椒の木、狸にブリキに蓄音機、ぶんぶく茶釜は化けだぬき」これも東京の中でも下町と山の手では言い方が違うのでは?
私の記憶もあいまいかもしれないので、どうかよろしくお願いいたします。
なおNHKの調査で「じゃんけんの言い方の全国調査」は既に行っています。


岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 04日 火曜日 12:15:58)

 「無駄口」と呼ばれるジャンルですね。これを集めたものとしては、まず鈴木棠三『ことば遊び辞典』東京堂が思い出されます。今手元にあるのは旧版ですが、
「蟻が十匹猿五匹」
「蟻が鯛なら芋虫ゃ鯨、百足汽車なら蝿が鳥」(信州)
「蟻が十なら芋虫ゃ二十」(信濃童詞)
「蟻が十なら蚯蚓が二十、蛇が二十五で嫁に行く」(東京)
といったようなのが載せられています。

「驚き桃の木、ブリキの垂木、ぴりりと辛いが山椒の木」(信濃)
とありますね。


整理人岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 05日 水曜日 19:32:46)

 こちらもご覧下さい。

子供の遊びのことば


森川知史 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 05日 水曜日 19:42:26)

あまり品は良くないのですが、

あたりき、車力、猫のけつ、ぶりき

というのを思い出しました。京都市です。


田島照生 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 07日 金曜日 00:52:39)

御参考までに。「驚き桃の木、山椒の木…」などといったような無駄口は、香具師の口上では「笑いを誘う技巧としての啖呵」と位置づけられているようですね。つまり、売り文句とは別の、即興的な「話技」というわけです。以下はその例です。寅さん映画でもお馴染みのものばかりですね。

「…憎まれっ子世に憚る、日光結構東照宮、産(三)で死んだが三島のお仙、お仙ばかりが女じゃないよ、四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立ち小便、驚ろき桃の木山椒の木、ブリキに狸に蓄音機、弱ったことには成田山、ほんに不動の金縛り、捨てる神ありゃ拾わぬ神、月にスッポン提灯じゃ釣りがね(鐘)え、買った買ったさァ買った、カッタコト音がするのは若い夫婦のタンスの管だよ」(室町京之介著『新版 香具師口上集』創拓社,1997。p14-15)


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2003年02月24日

「を問わず」と「にかかわらず」の違いについて(ひかり)


久しぶりにメッセージを出します。

留学生から「〜を問わず」「〜にかかわらず」の意味の違いについて質問をうけ、面食らっています。文型辞典等でみてものっていないし、用例採集したものを見ても同じように思えるし……。ご存知の方教えてください。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 24日 月曜日 20:54:22)

手もとの『教師と学習者のための 日本語文型辞典』(くろしお出版)を見ますと、以下のようにありました。


【にかかわらず】

1 Nにかかわらず

天候、性別、年齢など、異なりを含んで成り立つ名詞を受けて、「その違いに関係なく」「その違いを問題とせずに」という意味を表す。

2 ...にかかわらず〔略〕


【を問わず】

Nを問わず

「それに関係なく」「それを問題にせず」という意味を表す。「昼夜」「男女」など対になった名詞が使われることが多い。次のように「Nはとわず」の形となることもある。

(例)(アルバイトの広告で)販売員募集。性別は問わず。


上記がたたき台になるでしょうか。私には、すぐには両者の違いを明瞭にするアイデアが浮かびませんが。



skid さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 24日 月曜日 23:12:28)

「男女を問わず募集します」とは言っても「男女にかかわらず募集します」というのは何か変ですよね。

「ナンニョニ カカワラズ ココニ イルベカラズ」(和英語林集成)はよくて「男女を問わずここに立ち入るべからず」は……?


「○○を問わず××」は、○○はどちらであってもかまわないから、××します。

「○○にかかわらず××」は、○○がどちらであろうとなかろうと、××します。


なんて感じですけれど、こじつけかもしれません。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 26日 水曜日 03:18:41)

最近聞かなくなりましたが、古紙回収の車が「古新聞、古雑誌、ぼろぎれなどございましたら、多少にかかわらずお声をおかけください」というようなアナウンスをしていたのが耳に残っています。これは「×多少を問わずお声をおかけください」とは言えません。「多少を問わず回収にまいります」ならばOKです。実際に「問う」すなわち「質問する」ことがあるかどうかが関ってくるのでしょう。古新聞を出す側は、「新聞の量が多いか少ないか」は自分のことであって分かっているので、「×多少を問わず回収業者を呼び止める」と表現することはないのでしょう。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 26日 水曜日 12:07:11)

「〜を問わず」は「〜に関して条件の提示をしない」ことを示し、「〜にかかわらず」は「状況のいかんを考慮しない」という違いがあるのではないでしょうか?

つまり「条件」と「状況」という使い方の違いでは?


posted by 岡島昭浩 at 14:38| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年02月20日

きなこ(道浦俊彦)

「きなこ」は漢字で書くと「黄な粉」ですが、もともとは「黄なる粉」だったと辞書に書いてあります。現代ならば「黄の粉」=「きのこ」となっても不思議はないと思うのですが、なぜ「黄『な』粉」なのでしょうか?
他の色(赤、青、白、黒)だと「赤い」「青い」「白い」「黒い」と「形容詞活用」ですよね。この「黄なり」だと「形容動詞的活用」で、「茶、緑、桃色、橙色」などと同じ仲間になってしまうのでしょうか?
そのあたり、ご教示ください!


岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 20日 木曜日 09:08:37)

 複合語には古い言い方が残るから、という説明では不足でしょうか。

 現代語では「粉(こ)」も、複合語(や慣用句)にしか見られませんね。

 無理に現代語で作れば、「きいろごな」ではないでしょうか。「きのこ」ではなく。「黄色い……」を「きの……」という言い方は、私にはピンときませんが、道浦さんは使うのでしょうか。

 ところで、「きのこ」の歌、というのが、スーパーマーケットなどで、「おさかな天国」同様に猛威をふるっているようですが、愚息は黄粉餅を食べるときに、その替え歌で、「黄粉のこの子、元気な子」と歌っております。もちろん本歌は「元気の子」です。


森川知史 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 20日 木曜日 22:53:44)

京都人の私には、「キィな粉」は極めて自然な言い回しに思えます。
「マッカなお鼻」のトナカイさんは…ってのもありますね。


畠中敏彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 20日 木曜日 22:54:44)

私が勤務の関係で宮崎にいたとき、地元の人が「黄色い」ことを「きな」と言っていたことを覚えています(記憶が正しければ)。
「きな」が本来の日本語なのか、方言なのかわかりませんが、これだと「黄な粉」と整合性がありますね。


岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 20日 木曜日 23:58:38)

 九州のうち、どれぐらいの地域を占めているのかは知りませんが、「黄色」(名詞)のことを「きな」と言います。信号は「あか、あお、きな」です。形容詞としては「きない」を使います。ですから、私にとっては「きなこ」は「あかおに・あおおに」と同じ感覚の複合語です。整合性があるわけです。

 ところが、「きな」は、もちろん、形容動詞の連体形「黄な」がもとであり、「きない」はそれを形容詞化したものと言うことになります(「へんない」というのもあります)。

 「きなこ」ということばは、もちろん、「きない」を元にして作られたものではなく、形容動詞の連体形からできているわけです。「縁は異なもの」の「異なもの」と同じで、「異な」という言い方が廃れて、この言い回しと「これは異な事を」というような言い方にしか残っていないと同じように、「きな」を使わない地方でも「きなこ」という言い方があるわけです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 00:58:19)

「形容動詞連体形「な」+形容詞語尾「い」」という語構成はたいへん奇妙な現象と拝見します。
 香川県では「静かな(形容動詞連体形)」に「かった(形容詞〈過去形〉語尾)」をつけて「静かなかった」(静かであった)と申します。類例、「おかしなかった」(おかしかった)。現在形は無理です(「×静かない・おかしない」)。またどの形容動詞についてもこの操作ができるわけではありません。

形容動詞「綺麗な」「静かな」などを過去形にするとき、「綺麗なかった」「静かなかった」という。「綺麗だった」「静かだった」とは言わない。これが形容詞に直接つき、「せわしなかった」という。「忙しかった」の意である。東讃では、「うれしなかった」「涼しなかった」などともいう。「うれしかった」「涼しかった」の意味である。また「あぶなげなかった」といえば、「あぶなそうであった」、「さぶげなかった」は「さぶ〔ママ〕そうであった」の意味である。
(近石泰秋『香川県方言辞典』風間書房)
もっともここにある「せわしなかった」は、「せわしない」(形容詞「せわし」+語尾「ない」)の過去形ではないかと思いますが。

「活用語の連体形+名詞」で、全体として1つの名詞として熟してしまうのも比較的に奇妙な現象と思います。「黄な粉」の語を道浦さんが注意されるのはそのあたりに着目されてのことでしょうか。「ばかな息子」は1語として熟すれば「ばか息子」と「な」がとれる。同様に「重大な問題」は「重大問題」となる。「黄な水仙」は「黄水仙」である。しかるに、そのまま「黄な粉」とはこれいかに?

これも類例を求めれば、「すぐな文字(ひらがなの「し」のこと)」「濃い口(醤油)」「多いめ・早いめ……」「大い君(長女を言った古語。大き君ということと思います)」「いいもん(悪者〔もん〕の反対)」などが思いつきますが、いかがでしょうか。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 01:07:25)

「母じゃ人(ははじゃひと・はわじゃひと)<母である人=お母さん」(名詞+じゃ連体形+人)も同様の例といえるでしょうか。同様に「父じゃ人・兄じゃ人・姉じゃ人」等。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 01:15:51)

動詞ならば「御忌むこと」(御受戒の意。単に「忌むこと」とも)もそうでしょう。「御忌むことは、いと安く授けたてまつるべきを」(源氏物語・手習)『日本国語大辞典』には立項なしですが。


益山 健 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 03:51:52)

黄色と黄について: 私は鹿児島市ですが, 私も母(1929生)も今は
「キーロカ」です。ただ母の若いころには「キーカ」という人が多か
った由。ちなみに「黄色くなった」は 「キオナッタ」だったそうです。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 04:17:02)

小学館国語大辞典(Bookshelf 2)によると、

| 【な】
|  〔格助〕体言を受け、その体言が下の体言の修飾にたつことを示す上代語。
| 同様の連体格助詞に「の」「が」「つ」があるが、「な」はきわめて用法が狭く、
| 上代すでに固定し、「たなごころ」「たなすえ」「まなかい」などのように
| 語構成要素化していた。
とあります。

「の」の意味の「な」が使われている単語には他に、
 あなうら(足の裏)
 たなうら(手の裏)
 まなざし(目の指)
 まなこ(目の子)
 まなじり(目の後)
 みなそこ(水の底)
 みなと(水の戸)
 みなも(水の面)
 みなもと(水の本)
 みなづき(水の月)
等々があります。

広辞苑ではこれらの語の構成を「た‐な‐うら」というようにハイフンで区切って示しています。
(というわけで上の例は「‐な‐」で全文検索して見つけたものの一部です。)

で、きなこの項を見ると
|  きな‐こ【黄粉】
となっていて、広辞苑はこの「な」を格助詞とは見なしていないようです。

確かに「足」「手」「目」「水」に比べると「黄」という語の"基本度"は低いように思います。

因みに私も福岡出身ですが、中学の頃、黄色のチョークのことを「きなのチョーク」と呼ぶ年配の先生がいらっしゃいました。
クラスの皆で口真似をしてからかっていたものです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 12:15:01)

格助詞「の」に相当する「な」と、「黄な粉」「直(す)ぐな文字」などの「な」は、広辞苑にも示唆されているように、時代からいっても区別すべきものと思います。前者は上代以前の語法ですが、後者の「な」は「なる」の変化で、平安時代末期以前にはあまり例がないでしょう。

「歩きたいのよ高輪 灯がゆれてるタワー」(「別れても好きな人」)と歌われる東京都港区の高輪(たかなわ)の「な」は、上代語の「な」を思わせるものがありますが、この場合は、「縄」などとの関連を考えるべきもののようです。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 13:08:15)

 広辞苑の「-な-」で面白いのは、「きなこ」は「きな-こ」なのに、「いなもの」は「い-な-もの」となっているところです(私が常用しているのは第3版―電子ブック初代のデータ)。

 「きなくさい」などの存在を考えると、形容動詞の「きな」からではなく、名詞化した(もしくは形容詞語幹の)「きな」からできたものという筋道も考えられるかも知れません。形容詞「きない」は、日本国語大辞典でみると、関西にもあるようですし。

 しかし、「連体形+名詞」がそのまま複合名詞になることも、できる語形が短い場合には、Yeemarさんの挙例の様に、ありそうなことです。

 〈形容動詞語幹+な〉が、形容詞の語幹となる例については、「徒然ない(とぜんない)」など、「甚し(なし)」との関連で説かれることもありますね。

 福井県の大野市周辺では、形容詞がおおく「〜ない」の形をとる様になっていて(「せわしない」の仲間がたくさんある)、「せわしなくない」のような形がどう出てくるのかに注目した福井大学生の卒論があったのですが、うまく整理がなされておらず、もどかしく思ったことがありました。

 鹿児島の「きいか」「きおなった」ですが、「きおなった」は「きうなった」(「きゆうなった?」)の転でしょうか。イ列の形容詞が少ないのであれですが、「おおきゅうなった」は「おおきおなった」とはいいますでしょうか。いや、「おおきか」は使わずに「ふとか」でしたか。シク活用は「うれしゅうなった」でいいのでしたっけ。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 13:21:34)

「黄な粉」の話のきっかけになったのは、実は「イカナゴ漁」の「いかなご」だったのですが、これも「いか・な・ご」なのでしょうか?取れた手を見ていると「烏賊(イカ)」のように透明で、その子どものようにも見えるのですが。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 14:34:52)

Microsoft Encarta 2002によると、イカナゴは、
 「糸のように細長い小魚」という意味の古語に由来する。
とのことです。
「イカナゴ」をどのように分解するのかは分かりませんでした…。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 15:03:17)

「きなくさい」は、小学館国語大辞典(Bookshelf 2)によると
| 衣(きぬ)臭いの意か
ということです。
他の辞書を見ても「黄臭い」と表記しているものは見当たらないので、
「黄な」とは分けて考えたほうが良さそうです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 15:11:56)

ははあ、「如何子」「如何魚子」という説があるのですね。

イカナコ(如何子)の義で、カマス(梭子魚)と区別がつきにくいためという説がある〔大言海〕。また、イカナルナノコ(如何魚子)の義か〔日本語源=賀茂百樹
(『日本国語大辞典』)
これは「語源説」を紹介するだけの欄で、正しいとも誤りとも分からないのですが、大言海説のとおりであれば「如何な(形容動詞連体形)+子(名詞)」であり、もし「黄な粉」が形容動詞連体形+名詞とみてよければ、その類例ということになりましょう。また、賀茂百樹説のとおりであれば、「如何(いか)・魚(な)・子(ご)」であって、「な」は魚を意味する名詞ということになりましょう。しかし、これらは確証がないので、何ともいえないというのが現状でしょう。

「烏賊な・子」と解すると、あたかも「ピーチな・関係」「ITな・人たち」のような今ふうのことばになってしまいそうです。

また、「た・な・ごころ(手な心)」「み・な・そこ(水な底)」と同様に「烏賊・な・子」と解していいかというと、上代語、つまりは奈良時代語の「な」がこんなところに残っているものだろうかという疑問がわきます。もっとも、近世に松永貞徳が「色々に袋の数やそめつらむ はたけ芥子の花ぞ咲ける」と詠んだそうで(犬子集)、この「な」は何だろうと思います。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 15:15:04)

「「糸のように細長い小魚」という意味の古語」という語源説の出所が知りたいですね。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 15:34:57)

「はたけな芥子」は「はたけなる芥子」ではいけないのでしょうか。「そこな人」と同じような。

 「きなくさい」を「黄色」と関連付けて説いているものはありませんでしたか。「かんこくさい」が「紙」であるように、「きなくさい」も「衣」であるということなのでしょう。「きぬくさい」がもとだとしても「黄な」の牽引はありそうな気がしますが、方言地図の分布を見て、また考えたいと思います。

 少なくとも私にとっては、きな臭い匂いと黄色い色には共感覚があります


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 15:43:00)

「はたけな芥子」が、「はたけなる芥子」であれば、非常によく分かります。これは、『日本国語大辞典』の上代語の格助詞「な」のところに、「まなかひ」などとともに載っていたので、ちょっとうろたえてしまいました。この例文は、別の項目に移動したほうがよさそうですね。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 15:46:43)

> 「「糸のように細長い小魚」という意味の古語」という語源説の出所が知りたいですね。
↓のページの一番最後にそれらしき解説がありました。
「かな」が「縢(糸。糸すじ。)」ということでしょうか。

鹿ノ瀬とイカナゴ


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 16:05:23)

そもそも「黄な粉」の疑問を思い付いたのは、「イカナゴ漁」のニュースを見たからです。「いかなご」は透明で、「イカ(烏賊)の子ども」のように見えるから「イカなる子」→「いかなご」なのかなあなどと思ったことがきっかけですが、さて、「いかなご」は、そうなのでしょうか???


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 23:09:24)

「烏賊の子どものように見える」→「烏賊なる子」と解すると、これは先ほど申しましたように、「ピーチな関係(ピーチなる関係)」「ITな人たち(ITなる人たち)」のような、今ふうのことばと同じ成り立ちになってしまい、昔のことばらしくありません。最近よくありますね、「長距離恋愛な男女」などと、情態性を表さない名詞(ピーチ、IT、長距離恋愛etc)に「な」+「具体名詞」が続く語法が。「烏賊」も情態性を表さない名詞なので、「烏賊な子」は昔は無理だったろうと思われます。

UEJ さんご紹介の「い・かな・ご」説、これは『日本国語大辞典』に載っていませんから、辞典が見落としたということでしょうか。「「い」は強調する場合の接頭語、「かな」は昔の言葉で細い物、糸を意味し、「ご」は魚を意味する」ということですが、これは現代の人が「そうではないか」と推測した語源説なのか、昔の学者が考えた語源説なのか、興味があります。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 24日 月曜日 12:28:18)

妻にこの「きなこ」スレッドの話をしたら、
「黄名粉」と書いている商品があるとのこと。
Googleで検索してみると88件ヒット。
当て字だとは思いますが。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 03日 月曜日 13:07:15)

「平成ことば事情」に「きなこときのこ」アップしました。

平成ことば事情


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 03日 月曜日 15:58:49)

道浦さん
>すみません、参考ページに記入しなかったためか表示されなかったので、何度も書き込んでしまいましたが、同じ物です。すみませんでした。

 「参考ページ」に記入していない場合は、下のURLがそのまま入るようにcgiを書き換えておりますのでご安心ください。
http://ytv.co.jpでは、ytvのトップにも繋がらず、http://www.ytv.co.jp/にしても道浦さんのページにたどり着くのは大変だと思うので、張り替えました。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 03日 月曜日 22:39:33)

「平成ことば事情」を拝読して、道浦さんのご疑問が那辺にあるかが分かってまいりました。道浦さんは、色を表す形容語として

 (a)「〜い」グループ(赤い・青い・白い・黒い)
 (b)「〜の」グループ(緑の・茶色の・桃色の・橙色の……)

の2つのグループを指摘されていますが、古くはこのほか

 (c)「〜なる」グループ

というものもまた存在しました。道浦さんの問いかけ「「黄」だけが特別なのでしょうか?」の答えは「「黄」だけが特別なのではありません」ということになります。

ためしに「源氏物語」を見てみますと、「黄なる生絹(すずし)」(夕顔)などのほか、「薄二藍なる帯」(賢木)、「浅緑なる空」(梅枝)、「山吹なる唐(から)の綺(き)」(若菜下)などが出てきます。これらは(c)グループの形容語といえるでしょう。

後の時代にも、「紅なる生絹」(宇治拾遺物語)、「たけ三四尺計なる童子の、青衣のうへに紫なるをぞき給ひたりける」(古今著聞集)などと出てきます。しかし、さかのぼって「万葉集」などの時代にはまだほとんど出てこないようです。

もっとも、この中ではわけても「黄なる」が非常に多く使われたように見受けられます。これが後世「黄な」と変化して用いられるのはきわめて自然であると考えます。たとえば、近松門左衛門の浄瑠璃「けいせい反魂香」には「口嘴の黄な小雀が家老並みにつらなり」とあります。

ただ、他の「〜なる」もこれと同じように「緑な」「紅な」となったかというと、こちらのほうは「緑の」「紅の」が普通になったのでしょう。「黄な」だけは、使用頻度が多かったために残ったのでしょう。

――と、これは先行研究を調べずに書いたものです。文献として、佐藤武義氏「「黄なり」から「黄色なり」へ」(『東北大学教養部紀要』54 1990.12)および同氏「「黄なり」から「黄色い」へ」(『国語論究』5 1994.12)などがあるようですので、読んでみたいと思います。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 03日 月曜日 22:47:35)

> 「黄な」だけは、使用頻度が多かったために残ったのでしょう。

おや、これではやはり「「黄」だけが特別」ということになってしまいますね。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 04日 火曜日 08:50:43)

岡島様。すみません、いい加減なアドレスを書いてしまって・・・。お手数を掛けました。以後、気をつけます。

Yeemar様。↑上のご説明、大変よくわかりました。そもそもは「黄」が特別ではなかった(スタートラインは、他の色と同じ)が、使用頻度(人気)に差が出たことから、結果として「特別にみえる」ようになったということですね。
また、追記させてもらいます。

NHK放送文化研究所の塩田雄大さんから、佐藤武義著『日本語の語源』(明治書院、2003,1,15)の25ページに載っている「黄粉」についての記述を教えてもらいました。
「『黄粉』は、『不思議なる人』の『る』を脱落させて『不思議な人』となるように、『黄なる粉』の『る』を脱落させて『黄な粉』となったものである。」
とありました。


posted by 岡島昭浩 at 07:51| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年02月19日

納得診療(道浦俊彦)

「インフォームドコンセント」の言い換え語として昨年末に登場した「納得診療」ですが、「臓器移植のドナー(臓器提供者)の家族」に対する「インフォームドコンセント」は、「納得診療」では置きかえられません。これに関しては皆さんどうお考えでしょうか?


管理 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 19日 水曜日 22:13:33)

以下の記事も参照

視聴記録


岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 19日 水曜日 22:23:06)

 国立国語研究所の報告は以下のページから。

 また、以下のページからリンクされている外来語相談窓口には、委員会の議事要旨ものっていますが、上の「視聴記録」のような詳しい話は載っていません。

国立国語研究所外来語委員会


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 20日 木曜日 04:49:00)

1月下旬、国立国語研究所の甲斐所長にインタビューをした際に、「納得診療」という言葉に対する説明を求めたところ「これまでの『説明と同意』は医者の立場からの言葉であった。今回の『納得診療」は、患者の立場からの言葉である。」と「説明」されて、思わず「同意」してしまったのですが、その後よく考えると、上記のような問題点を含んでいるなと考えて、その旨、国語研究所にはメールを送ってはあるのですが、皆様はどうお考えかと思いまして。


岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 20日 木曜日 08:59:01)

 これは、道浦さんに読めと言っているわけではなく、考えるための材料を示したまでです。
 報告書では、

原語の概念を過不足なく言い換えられる語はないが,患者の視点に立って言い換えることが望ましい場合は,「納得診療」が分かりやすい。概念の正確さを期す場合は,「インフォームド・コンセント」を,説明を付与して用いることが望まれる。
とあります。
 「納得診療」に不足を感じるのは、私の場合、「インフォームド」がないことです。説明付与例の
インフォームド・コンセント(医者の十分な説明と患者の同意)。
インフォームド・コンセント(医療行為をめぐる十分な説明と患者の同意)
から「説明」の部分が抜け落ちてしまっています。「説明した上での納得」でないといけないのがややぼやける感じがあります。
 おそらくそうしたことは議論済みで、「納得」は単なる「了解」とは違い、説明されたことを前提としている、ということになったのでしょうが、「あなたには難しいことはわからないでしょうから、医者を信用して、この治療方針で納得して下さい」という言い方も可能かと思いますので、不安が残ります。

 また、「診療」が付け加えられたことによって、「インフォームドコンセント」に芽生えつつあった比喩的な使い方(「税のインフォームドコンセント」などがweb上に見られる)はできなくなります。医療用語に限定されるわけで、それならば、説明付与だけでよいのではないかとも思ったりします。

 「説明上同意」や「説明後同意」で混乱するのは、説明する主体と同意する主体が反対側であること、かといって「説明後得同意」(医者側から。略すと「説得」になってしまう……)・「被説同意」(患者側から)では意味が分かりにくいこと、など適訳は難しいですね。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 20日 木曜日 14:00:10)

かつての国語審議会に、歌人、歌手といった人々が選ばれて話題になったことがありますが、肝心の肉声が外部に伝わってこないことを残念に思いました。「審議会政治」などということばが悪い意味で使われる昨今、審議会の透明度を高めてほしいと思ったことでした。

さて「『外来語』委員会」ですが、作家、翻訳家など多彩な人々が一堂に会しているのですから、その発言内容をつぶさに知ることができる議事録があればと思います。63のカタカナ語に関して、1日2時間×3回=6時間の討議が行われたとして、1語あたり費やされる時間は5.7分、20人の委員がひととおり発言するとして1人あたり20秒足らずという計算になります。これで討議の体をなすかという疑問がわきますが、実際はいかがでしょうか。「インフォームド・コンセント」の言い換え語是か非かといったような白熱した議論が、すべての語にわたり、十分な時間と十分な資料的根拠に支えられて行われているかどうか、知りたく思います。

「臓器提供者へのインフォームド・コンセント」「税のインフォームド・コンセント」などの用例については収集されているのか、そして討議の対象になっているのかといったことなども、外部から分かるようにしてほしいと思います。なんだか新聞の投書欄のような文章になってしまいました。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 00:07:00)

こんな議論をしているはしから、また新たなるカタカナ語が… ^_^;

10年で個人別「テーラーメード医療」を


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 15日 金曜日 19:17:40)

朝日新聞 2003.08.14 東京版 p.5「声」欄に載った北海道伊達市の高校の先生(43歳)の投書「曖昧な造語は 混乱生むだけ」は辛辣なものです。原文をつぎはぎして要旨をまとめると:

――国立国語研による「外来語言い換え」の第2回中間案が6日朝刊で報じられたが、この事業に疑問を禁じ得ない。ユビキタスを「時空自在」、「ノーマライゼーション」を「等生化」などという造語が、どうして「分かりやすい言い換え」なのか。言葉そのものより概念が理解されていないことが問題だ。第1回の「納得診療」(インフォームド・コンセント)などという表現も含め、言葉を造って自己満足に浸っているかのような国立機関の事業。その意義を再考してもらいたい。――

原文は一応手元にメモしておきました。


posted by 岡島昭浩 at 19:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ビール」が「大好物」(道浦俊彦)

「ビール」や「ワイン」「ジュース」「牛乳」といった「飲み物」に対して「好物」という表現を使うことに私は抵抗があるのですが、皆さんはどうでしょうか?また、どうして『好物』は飲み物に使うと違和感があるのでしょうか?(ない方は、この質問には答えられないと思いますが。)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 19日 水曜日 02:39:52)

私も「ビールが好物」「紅茶が好物」等々は違和感があります。

しかし『日本国語大辞典』『広辞苑』等々には「すきな飲食物」とあります。そこで、新潮文庫CD-ROM等のいくつかのデータをみると、「酒が大の好物」(二葉亭四迷)、「コーヒーと煙草は好物で」(阿川弘之)、「好物の酒ではどうじゃ」(芥川龍之介)、「好物の、蕎麦湯で割った焼酎」(三浦哲郎)、「スープのたぐいはすべて好物だから」(阿刀田高)、「好物の葉巻」(加賀乙彦)、「おれも風呂は大好物だ」(子母沢寛)、「好物であるコーヒー」(野坂昭如)、「ことの外それ〔葡萄酒〕が好物で」(野村胡堂)と、いろいろあります。

ただ、飲み物は少数派であるようです。食べ物のほうが飲み物よりも品目が多いということがあるかもしれないと思いますが、いかがでしょうか。

やや似たようなお話を。

われわれが「食べる」物の中には、「食べ物」でないものがあります。「食べる物」必ずしもイコール「食べ物」ではありません。では、その例外は何でしょう。

「薬」ではありません。「薬」は「のむ」ものですから、食べているわけではありません。「スープ」も、英語では‘eat soup’ですが、日本語では飲むものですから違います。

答えは「かき氷」(または「かち割りの氷」)です。かき氷に対して「食べ物」という表現を使うことに私は抵抗があります。「かき氷を食べる」とはいうけれども、「食べ物」とは思われないのです。違和感のない方も、いられますでしょうか。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 19日 水曜日 19:06:03)

ナルホド。Yeemarさんと同じようなことを昨日考えたのです。「食べ物」イコール「食べる物」ではない、に近いのですが。
つまり「食べる物」は「食べ物」ですが、「食べるもの」は「食べ物とは限らない」ということを考えたのです。この場合の「物」は具体的な物質、「もの」は概念を指すという使い分けを、私はします。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 19日 水曜日 19:36:50)

「かき氷」ですが、私はまあ「食べ物」でもいいかなあ、と。
静岡県出身のHアナウンサーによると、静岡県焼津市では「かき氷」は「食べる」ものではなく「飲むもの」だそうです。「氷、飲みに行こう!」と言うそうです!!子どもの頃の話。30年ぐらい前の話です。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 15:37:01)

「かき氷」を「氷水」(こおりすい・こおりみず)という向きもあるようですから、「水」ならば飲むこともOKでしょうか。甲子園の「かち割り」は、これは飲めそうにないですね。

私の語感では、「消化吸収」が可能なものでなければ、「食べ物」とは言えないように思われ、「かき氷」ははじかれてしまいます。おそらく、この語感は人によって異なるのでしょうね。アンケートを取ってみれば面白そうです。

「食べ物」というものが、あらかじめ自然界にあるのではなく、ことばによって作り出されたカテゴリーにすぎないということが、このことを以てしても分かります。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 21日 金曜日 16:06:48)

「かち割」は夏の甲子園では、30分もたたないうちに「飲む」ことが可能な状態になりますよ・・・。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 15日 土曜日 14:36:09)

「平成ことば事情」に[大好物」をアップしました。

平成ことば事情1092「大好物」


posted by 岡島昭浩 at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年02月06日

赤字の消えた看板

「ああ勘違い」の一部ではありますが、看板などの赤い字だけが消えて黒い字が残り、意味が通りにくくなること、また逆の意味になってしまいそうなことはよくあることなので、新しく書きます。

 駐車場で、「利用者以外の通行は○○いただきます」とありました。「遠慮」とはいるのであろうか、と思いました。近づいて見ると、

 








 

 

 

 

 

 

「利用者以外の通行は10円いただきます」
でした。さすが大阪と思ったことでした。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 06日 木曜日 22:32:18)

先ごろ300号を迎えた雑誌「暮しの手帖」に、かつて「食前食後」というカラーページがありました。街で見かけたちょっと面白い看板の紹介、街で拾ったいい話など、写真があるものは写真入りで、ないものは文字だけで。

雑誌「言語生活」の「カメラの散歩」とか、「VOW」の路上観察とかにも通ずる部分がありました。

1970年代の後半だったと思いますが、へんな看板の写真が紹介されていました。「教え子を再び戦場に送り込む 有事立法反対 日教組○○支部」というのがあって(文言はかすかな記憶を元に再構成)、背景に銃を構えた兵士の絵が描かれてます。

先生が生徒を戦場に送り込むとは逆コースの看板だ、というようなコメントが添えられていたようにも記憶します。

もちろん赤字が消えているわけです。今、白字で書いておきましたので、「範囲選択」をすれば答えがわかります。


岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 07日 金曜日 17:04:20)

 消えたのは赤字ではないのですが、類例として。

 小学5年生のころ、北九州市小倉区に住んでいました。多分現在の小倉北区の範囲内だと思うのですが、そこで「温 セ ン」というような文字列を見かけました。変わった書き方だと思ってよくみると、ネオンのようなものでしたが、もとは「温○セン○○」であったらしいことがわかりました。もとが何だったかを見回すと見つかりました。「温泉センター」だったのです。

 悪友と推察したのですが、「泉」の字が壊れてしまった際、修理代がもったいなくて、節電にもなるからと「ター」も壊してしまったのではないかと。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 08日 土曜日 13:00:23)

↑Yeemarさんのは「戦場に教え子を送り込む『な』日教組○○支部」の「な」が消えていたのですね。だれかがいたずらしたのでしょうか?日本語の構造上の否定語が語尾に来るので、それを消せば逆の意味になるわけだ。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 08日 土曜日 15:54:26)

道浦さんへ、いえ、そうではないのです。私は、文の消えた部分を、FONTタグを使って白色で表示しています。道浦さんに分かっていただけなかったとすれば、ほかの方もたぶんお分かりにならなかったと思いますので、説明します。

せりふの部分全体を、マウスの左ボタンを押しながら範囲選択してください。すると、色が反転するので、「有事立法反対」という文字が見えます。一種のいたずらです。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 08日 土曜日 22:39:24)

ちゃんと分かりましたよ。
たぶん、勘違いだっただけではないかと……。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 13日 木曜日 07:31:52)

あ!そういうことだったのか!こんな手品みたいなことができるのですね・・・って、実はパソコン、素人なんですう・・・・。


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2003年02月04日

変身の謎

 『日本語学』の2003年2月号は「ドラマの日本語」。その中の佐竹秀雄「ドラマと流行語」を読んで思ったことです。1972年の流行語「ヘンシーン」について。

  「ヘンシーン」は、ウルトラマンが毎回変身する際のセリフだし、

とあります。同時代を小学生として過ごした人間としては、仮面ライダーだろう、とつっこみたいところで、ウルトラマンは、無言もしくは意味不明の声ともつかない声で変身していたはずだと思った。佐竹氏は「帰ってきたウルトラマン」としているので、ちょっとgoogleで検索してみると、帰ってきたウルトラマンには変身アイテムが存在しない、などと出てきます。どのように変身していたものでしょうか。

榊原昭二『昭和語』朝日文庫にも、「ウルトラマンが」とあります(ただし初代ウルトラマンの1966年)。米川明彦氏『新語と流行語』は「仮面ライダー」としています。『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』は未見です。

もうひとつ。仮面ライダーであるとすれば、「ヘン、シン」となりそうなものですが(2号藤岡弘の記憶)、なぜ「ヘンシーン」と伸びたのか、というのが疑問としてあります。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 04日 火曜日 20:02:53)

ウルトラマンA(エース)
」の主題歌を、「今だ!!」「へんしーん」と歌っていたのは記憶にあります。ウルトラマンA本人が「へんしーん」と叫んでいたかどうかは忘れましたが……。仮面ライダーが始めなのでしょうか。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 04日 火曜日 23:37:43)

ウルトラマンAは変身した姿だから、叫ぶとしたら北斗と南のふたりですよね。
これの第1回を見て興味が失せたような記憶がありますが、久しぶりに「テレビまんが主題歌のあゆみ」(LP5枚組)を見て確かめちゃったりして。
「帰ってきたウルトラマン」は、確かに変身アイテムがなくて本人が変身したいと思ってもできなかったことがありました。
危機に陥ったとき、勝手に変身することになっていたと思います。

『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』には、主人公が「変身」と叫んで仮面ライダーになるところから、と述べています。
しかし、見出しは「ヘンシーン」。
これは、こどもたちがマネをしたときの言い方なのかもしれません。


さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 05日 水曜日 14:25:54)

ご無沙汰しております。
言葉のよろずや・関西支社の峰です
覚えておいでですか?(笑)

>2号藤岡弘の記憶

本郷猛(藤岡弘。)は1号ですね。
復帰したとき、自らを再改造し
スーツの腕に2本のラインが入ったので
誤解されている方は多いですね。

彼は、変身時には何も言わず
サイクロン号で疾走する事により
ベルトの風車を回して
そのエネルギーを利用していました。
再改造後は「ライダー変身!」と叫ぶようになりましたが・・・

初めて「変身!」と叫んだのは
藤岡弘の事故による穴を埋めた
2号ライダー=一文字隼人(佐々木剛)が初めてです。

参考文献:仮面ライダー公式ファンブック

言葉のよろずや・関西支社


さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 05日 水曜日 14:33:27)

蛇足ですが・・・

藤岡弘はタイプミスではありません。
現在の彼の正式な「芸名」です。
・・・って、「モー娘。」のマネ?


岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 05日 水曜日 14:39:47)

 おっしゃるとおり、「ヘン・シン」は、2号一文字隼人の記憶でした。「へん・しん・とー」と「とー」で飛び上がるのでした。「ここ・のつ・とー」とパロっていました。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 05日 水曜日 17:09:48)

同世代の皆様の「ヘンシン」にはまった「ご幼少のみぎわ」を想像するだに、楽しく、微笑ましくなってしまいますね!

米川明彦『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』では、最後のところ「補遺」310ページには、skidさんのいうように書いてありますが、本文217ページに載ってまして、こちらには、「テレビ」の項目に
「仮面ライダー」毎日放送製作・NET(仮面ライダーシリーズの初代。「ヘンシン」ブーム)
という記述になっていて、「ことば」のところの見出しでは「ヘンシーン」になっていて、「→補遺編一九七一年」
となっています。いずれも1971年(昭和46年)の言葉として載っています。
1972年ではなく。思うにドラマが始まったのが1971年で、ブームに火が点いたのは1972年ではないでしょうかね?
毎日放送とNET(日本教育テレビ、今のテレビ朝日)で放送ということは、田中角栄がネットの資本系列のねじれを解消する前、ということですかね。


面独斎 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 06日 木曜日 00:49:46)

「藤岡弘、」ですね。「。」ではなく「、」です。
「我は未だ完成せず」の思いを込めているのだそうです。

藤岡弘オフィシャルサイト


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 06日 木曜日 08:20:08)

「仮面ライダー」が始まったのは1971年の4月です。
番組は見ていなかったのですが、子門真人が主題歌を歌っていて、その歌唱力には惹かれました。
でも、レコードでは藤浩一という人が歌い、ラジオから流れるのもみんなそのレコードなので、がっかりしたものです。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 06日 木曜日 08:32:45)

おっと、また勘違いでした。
藤浩一=子門真人です。
「テレビまんが主題歌のあゆみ」でも確かに子門真人の歌声でした。
しかし、確かに当時違う人が歌っていたものがあったはずです。

ついでに、「帰ってきたウルトラマン」は主演の団次郎が歌っていたんですね。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 10日 月曜日 01:36:07)

たまたま1999年の「朝日新聞」の記事をこちらに出しましたが、藤岡弘さんの名刺には名前の下に「、」がついているそうですね。しかし、芸名も「モーニング娘。」のように記号附きに変えてしまったのでしょうか。オフィシャルページでは必ずしも名前の下すべてには点が打たれていませんね。


面独斎 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 10日 月曜日 19:39:53)

現代用語の基礎知識(編)『20世紀に生まれたことば』(新潮OH!文庫、2000年10月)でもやはり「ヘンシーン」となっています。1972年の項に収録されています(p. 414)。

【ヘンシーン】
「仮面ライダー」(石森章太郎原作、NET系、1971年4月から放映)のクライマックスで、主人公が両手を広げてライダーに変身する場面でいうセリフ。「ライダーキック」「ライダージャンプ」とともに「ヘンシンごっこ」が流行。
「両手を広げて」とはまたイイカゲンな説明ですが、それはさておき、当時の『現代用語の基礎知識』においてすでに「ヘンシーン」であったのか、気になるところではあります。なお、この『20世紀に生まれたことば』は、『ことばの20世紀』(自由国民社、1999年1月)を改題・加筆のうえ文庫化したものであるようです。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 10日 月曜日 23:20:21)

さらに『ことばの20世紀』の元ネタは、「現代用語の基礎知識」1998年版の別冊付録『現代用語20世紀事典』のようです。
索引だけ見ると、元ネタのほうが項目が多くあります。
それで、『現代用語の基礎知識』で最初に載ったであろう1973年版では、「各年別風俗用語の解説」の昭和47年「脱からヘンシーン!の時代へ」に、

  変身!  ウルトラマンに源を発して、ここ数年来子供向けテレビ映画   
  の人気は、改造人間の活躍にとどめをさす。ことに、昭和四十六年四月
  からNET系で始まった「仮面ライダー」(石森章太郎原作)は、その代表
  的存在。人類征服を目ざしてショッカー一味が送りだすさまざまな怪人
  を、主人公が両手を広げて仮面ライダーに「変身!」、これと対決する
  という、昔でいえば忍術使いのパターンだ。印を結ぶ時代がかった仕草
  が、現代風に単純化されているのがミソだろう。近ごろでは、子供ばか
  りでなく若い女の子が、ウィッグをつけたりして「ヘンシーン!」など
  と悦に入っている。

「ヘンシーン」は若い女の子が言っていたのに、いつのまにか仮面ライダーの台詞にされてしまったのですね。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 13日 木曜日 07:53:39)

重松清『トワイライト』(文藝春秋、2002,12,15)の134ページに、タイムカプセルの中から仮面ライダーカードが出てきたシーンが描かれていて、カード番号334番は「オートバイでへんしん」だそうです。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 17日 月曜日 19:03:12)

『月刊言語』2003・3月号の13ページ「斉藤美奈子のピンポンダッシュ」で仮面ライダーを取り上げてきて、その中に出てくる初代仮面ライダーの台詞、『変身』のかけ声は、「へーんしん!」でした。


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2003年02月01日

採点に利用する記号の、国による違いについて(emodoran)

はじめまして。エモドランと申します。早速、質問させていただきたいのですが、

日本語の場合、テストの採点に正解なら○、不正解なら×をつけます。これに対し、欧米では、正解ならチェックマーク(V)をつけるそうです。この違いには、何か理由があるのでしょうか。いろいろ辞書を調べてみたのですが、×を漢字で「罰点」ということしかわかりませんでした。他の掲示板で、漢文訓読のレ点との混同を避けるために、日本では○をつけるようになった、と仰っている方もいらしたのですが、どうも釈然としません。

よろしくお願いいたします。


岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 03日 月曜日 16:53:01)

 ちょっと、ばたばたしておりまして、書き込めませんでした。

 さて、これは言葉の問題を越えていて、私はよくわかりません。×の呼び名のバツ・ペケ・ピンということなら、意識したことがあります。
 また、間違った解答にvの右側を伸ばしたものをつけることもあり(これをピンと呼ぶ)、その点でも、漢文のレ点との混同を避けた、というのは釈然としません。


さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 05日 水曜日 14:30:26)

素人の口出しをお許しください。
〆切の「〆」と何か関わりがあるような気がします。

言葉のよろずや・関西支社


Shuji さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 12日 水曜日 09:42:39)

私の日本語の学生(スペイン人)によると、採点で正解のとき用いるチェック記号「v」は「承認・可」の意味で使われる「visto bueno」の頭文字「V」から来ている、ということです。

スペイン語vistoはver(見る)の過去分詞でラテン語では「vi~sus」ですから、ラ
テン語か俗ラテン語が元になっているかもしれません。因みに英語にはvistaや
viewの形で入っています。また、チェック記号「v」の代わりに斜線を使うこともあるそうです。この斜線は日本では(岡島さんが指摘されている)「ピン」の崩れたものでしょうから「不可」の印ですね。
一方、不正解の場合は日本と同じく×を付けるか、間違い箇所を消す形で一本線を
引くようです。また、〇で囲むと「ここに注意せよ」の意味になります。

日本で「正解・可」の場合に〇を付ける習慣が続いているのは、やはり〇「まる
(まろ)」が昔から「完全なこと」を意味していて、日本人には分かりやすいからではないかと思われます。

(採点の記号については私のところでも話題にしています。↓)

日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい


posted by 岡島昭浩 at 03:51| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年01月29日

「てんぱって」という意味はどんな時に使いますか?(ミミ)

よく「仕事が忙しくて、てんぱってる時は」とか「何てんぱってんだよ」とか言ってますが、どういう時にどういう意味の言葉ですか?私は関西人ですが、関西ではあまり使わない言葉なので教えてください。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 30日 木曜日 03:13:08)

関西ではあまり使わないのですか。
関東でも最近はあまり聞かれなくなっているかな。
もっとも世代によって違うかもしれません。

『現代都会語事典』嵐山光三郎編、講談社、1987年
・テンパってる
  ギリギリのところまできている状態。会議が長びいて、次の打ち合わせ
  時間にくい込み、相手を待たせる限界がきた時に、「すいません、次テ
  ンパってるもんで」というふうに使う。同意語に「リーチかかってる」
  というのがあるが、両方ともマージャン用語から出た言葉で、あがる寸
  前のこと。

まあ、普通はこんなところでしょうか。
行き詰まってギリギリ状態になっているわけだから、よい意味ではありませんね。
最近は「いっぱい、いっぱい」という言い方が多くなったようです。

『こりゃ驚いてしまうまの珍タメ語辞典』日本語倶楽部編、河出書房新社、1994年
・テンパってる
  ○1生意気であること。イキがっていること、偉そうにしていること。
  ○2気合いが入っていること。○1の意味で使われることが多く、東京
  を中心とした中高生の男女が使っている。最近、流行りはじめている。
  【用例】A男「お前、なにテンパってんだよ。目ざわりなんだよな」
      B男「るせぇな、お前にいわれる筋合いねーよ」
  【類義語】イキッてる

これは、やむなくギリギリの状態なのではなく、自分から限界に近づけているという感じでしょうか。

『現代若者コトバ辞典』猪野健治編、日本経済評論社、1988年
・テンパる〔女子大生〕
  怒ること。英語のテンパー(Temper)からきている。

これは聞いたことないなあ。
あ、この本もジャーナリスト専門学校がらみだったんだ。
  


ミミ さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 30日 木曜日 07:24:37)

詳しく教えていただきありがとうございました!


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 30日 木曜日 07:30:07)

関西ですが、私は使いますし周囲で聞きます。世代差がありそうです。
マスコミ業界用語でしょうか?当然、もとは麻雀用語の「テンパイする」から来ていると思いますが。
使い方としては「あいつ、もう仕事いっぱいいっぱいで、テンパッてからなあ」というように「ギブアップの一歩手前」のような状態を指すことがあるように思います。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 22日 月曜日 04:03:22)

Yomiuri On-Line関西「ことばのこばこ」2003.08.11「テンパる」(佐竹秀雄氏)の説明では、

 〔マージャン用語の〕本来の「もう少しで成立する」〔テンパイ(聴牌)する〕という余裕のある状態と、新しい〔用法の〕「切羽詰まって焦る」という不安な状態とでは、全く逆である。不思議な気もするが、意味が「もう少しで成立する」→「あと少しが足りない」→「不完全で焦る」と変化したと考えれば、納得がいくだろう。
私は英語の「temper」(気分, きげん, 気性; 短気, かんしゃく; 落着き=ウェブ版「EXCEED 英和辞典」)あたりと関係があるのかと思っていました。しかしlose one's temperは「度を失う」ではなくして「腹を立てる」のようですからちょっと違いますね。


posted by 岡島昭浩 at 22:55| Comment(0) | TrackBack(2) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年01月28日

若い人のことば(Yeemar)

ちょっと広いくくりのスレッドですが、新しい流行語について、その発祥など、周辺的な話題、関連する話題を書き付けるという目的で作ってみました。

と書いておきながら、以下は、別に発祥云々とは関係ありませんが……

超はなはだしい
「超おもしろい」など、「超+形容詞」は新しい言い方のはずですが、すでに1951年、ほかでもない国語学者吉澤義則が、論文の中で使っています。

 即ち『いとゞし」は「超甚し」の義であつたであらう。「超甚し」の直意から、「甚し」の重なつたところから、「一層」といふ翻意を、「いとゞしく」といふ副詞形の上に生じ、〔下略〕
(『源語釈泉』臨川書店 1973 p.310。文中〈『〉は原文ママ)
これは、古典語の語義説明のための臨時的なことばではありますが、「超はなはだしい」と言っているわけです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 24日 月曜日 02:09:37)

学生が教えてくれたことばです。「すで(素で)」という言い方、3年程前から〔単純計算で2000年から〕使用頻度の高くなったことばとのことですが、知りませんでした。アンテナが鈍いようです。本人によれば、
「素でびっくりしたー!」
「素でムカつくんだけど」
「今日素で寒みー」
「素でベランダで食うの!?素でー!?」
の順で違和感が強くなってゆくそうですが、私にはすべて同等の違和感があります。この語についての考察、議論等をご存じでしたらお教えください。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 24日 月曜日 03:20:23)

昨年、知人から「にぎり」という言葉について尋ねられました。
関西方面の中学生が、高校受験の願書を「にぎり」で出したといったそうです。
『集団語辞典』には「にぎり」でいろいろな意味が出ているけれど、どれにもあてはまらないとのこと。
よくよく考えてみたら、どうも「2ぎり」=「ぎりぎり」のことらしい。
「ギリで」というのは、けっこう耳にしますが、「にぎり」をご存じの方はいらっしゃるでしょうか。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 25日 火曜日 04:26:21)

「素で」という言い方ですが、『現代用語の基礎知識』には2001年版から載っていました。

2001年版
  ▼素で言う 本気で言う。
2002年版
  ▼素(す)で言う よく考えないままに言ってしまう。本音で言う。飾
           らないで言う。

2003年版の用語索引には出ていないので載っていないかと思ったら、ちゃんとありました。

  ▼素(す)で言ってるの? 本気で言っているのか?


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 25日 火曜日 20:53:33)

ありがとうございます。『現代用語の基礎知識』はまず見ておくべきものですが、恥ずかしながら手元に揃っておりません。ご教示いただいた項目を見ると、まず元情報の「3年程前から」というのはかなり良い線を行っているというふうに言えましょうか。また、『現代用語』ではすべて「素で言う」の形になっていますが、元情報では「素でベランダで食う」などというふうに使われるそうですので、ずいぶん自由度が高そうです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 25日 火曜日 21:03:31)

> 「3年程前から」というのはかなり良い線を行っているというふうに言えましょうか。

と書いていて、ふと思いましたが、この「良い線を行っている」という句は、新しそうですね。『日本国語大辞典』には「*小説平家(1965-67)〈花田清輝〉三・四「田舎娘としては、いちおう、いい線をいっていたといわなければならない」が出ています。これよりさかのぼりにくいことばでしょうか。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 26日 水曜日 00:29:13)

「素で○○する」という言い方は、かなり昔からありますよね?
若者たちは流行り出すと何にでも使うような傾向があって、それが気になります。
ニュース番組で見た、自転車乗り入れ禁止のアーケード商店街を高校生たちが堂々と自転車通学しているという取材で、二人乗りで転んだ女子高生が「ていうか、ありえないんだけど」と発していたのには、哀れとしか言いようがない気持ちがしました。

「いい線いってる」の流行は、昭和38年(1963)年のクレージー・キャッツによるものだそうです。
稲垣吉彦・吉沢典男監修『昭和ことば史60年』講談社、1985年
鷹橋信夫著『昭和世相流行語辞典』旺文社、1986年
また、『現代の流行語』(三一書房、1963)には、

  いい線いっている  いまの世の中でいい線を行っている男は、まず植
  木の旦那だろう。日本無責任会長、無責任教教祖様、植木等こそ現代誰
  れからも愛されている男(?)だ──ウヒッヒッヒィ。

と早くも載っていました。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 26日 水曜日 02:41:46)

かなり昔からある「素で○○する」は、「素で貸しては、踏まれる事が、みすみす見えてあるわいの」(歌舞伎。『日本国語大辞典』)などのような「そのままで(単に)○○する」というものですね。これは私は使用語彙でも理解語彙でもなく、辞書の説明を読んで、なるほどと思った次第でした。現代語にまで続く用法でしょうか。

「素」を使って作文しろといわれると、私はまず「あの役者はどんな役でも演技ではなく素でやっているように見せる」というような文が浮かびます。または「相手役がアドリブを利かせたので、俳優は一瞬素に戻ったようだった」などとも。つまり「演技で」の対義表現としてとらえています(この意味のブランチが『日本国語大辞典』にあってもよいように思います)。若者ことばの「素で言ってる」は、「演技ではなく本気で言っている」というようなところから拡張されたものかと思いました。

「いい線」はクレイジー語でしたか。新書本の『現代の流行語』は、たまたま古本で買ったばかりでしたが、有効利用できませんでした。『日本国語大辞典』は「線」を「水準」と解釈しているようですが、「二の線(二枚目)」「三の線」などと関係があるでしょうか。

「かっこいい」が既成の「格好がよい」を拡張するかたちで使われたように、「いい線行ってる」よりも前に「良い線を行く」があったのかどうか、気にかかります。私は上でつい「良い線を行く」と書いて、「はて、こういう言い方があるのだっけ」と不安になったのでした。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 26日 水曜日 03:00:57)

『現代の流行語』で「いい線いっている」の前後を見ますと、「いいからいいから」について

いいからいいから 『おひまなら来てよネ、私淋しいの』、『いいからいいから』というが、ツケにしてくれれば飲みに行くがね――五月みどりさん。
とあって、五月みどりの曲「いいからいいから」(1962年)から出たことが示されています。これは小林信彦『現代〈死語〉ノート』では植木等のことば(1962年)となっていて、私も植木語だろうという認識でした。源流が2つあるようで落ち着きません。

「若くない人のことば」になってしまいました。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 26日 水曜日 11:13:12)

嵐山光三郎編『現代都会語事典』(講談社、1987年)に、

  素に戻る
  本番中タレントが役を演じるのをやめてふだんの自分に戻ってしまうこ
  と。そのときのしゃべりを「素のしゃべり」という。バラエティー番組
  などでは、タレントが素に戻ったときにポロッとしゃべる本音の面白さ
  をねらった企画も多い。

とあります。
たしかに「演技」と「素」の対義表現が現在の流行の源になっていると思いますが、その「素」も元々は「そのままで(単に)○○する」状態をいっているように思います。
それが、ニュートラルな「単純に、素直に」から、積極性がプラスされた「本音で、本気で」になってきたわけですね。
米川明彦著『若者ことば辞典』(東京堂出版、1997年)には、

  す  素
  ○1化粧していない顔。「すっぴん」とも言う。
  ○2真面目な顔や態度。

とあって、○2の会話例は以下のとおり。

  桃子「あーおなかすいた」
  康子「帰りどっか寄ろか?」
  桃子「今やったら牛一頭でも食べられそうや」
  康子「ちょっとそんなことスでゆわんといてんか」

これは、真面目(本気)な様子だけど、ふざけているわけだから、「本気に見える状態」かな。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 26日 水曜日 11:31:25)

話題が錯綜してまいりました。
月刊『言語』1985年1月号の大特集「昭和語小辞典」に、植木等主演の映画『ニッポン無責任時代』について、

  主人公は“気楽な稼業”のサラリーマン平均(たいらひとし)、「いい
  から、いいから」を連発しながら口と頭は使いようとばかりに、調子よ
  く立廻って出世する話。

と書いてありました。
この東宝映画と、五月みどりの「いいからいいから」を主題歌にした大映映画の『江戸へ百七十里』は同じ1962年7月29日の封切りだったそうです。
しかし、「いいからいいから」を1963年の流行語にしている本も多いことから、植木等がテレビ番組でも「いいからいいから」を連発したことによって流行したものだと推測します。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 26日 水曜日 12:03:20)

「素(す)」に関しては、甲南女子大学の島田博司助教授が、たしか2001年に、ゼミの学生の論文をまとめたものを出していらっしゃいます。今(当時)の学生は、「素」でいられることを欲し、「素」の「自分探し」をしている、というようなことでした。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 26日 水曜日 21:20:35)

「素で」を「マジで」に置き換えると分かりやすいですね。
「本気」と書いて「マジ」と読ませたのは、立原あゆみ氏の漫画『本気(マジ)!』からでしょうか。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 27日 木曜日 20:30:12)

skidさん、ご教示ありがとうございます。「素で言う」自体、私は見たことも聞いたこともないのです。ましてその発展形は……

道浦さん、「素」の参考文献ありがとうございます。島田氏は1999年から、レポートの作品集を出されているようですね。興味が湧きます。しかし、きわめて手に入りにくそうですね。

NACSIS Webcat: 個人研究レポート作品集


田島照生 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 27日 木曜日 23:27:56)

「素で」とは関係がないのですが、今週の『週刊新潮』(三月六日号)に、「オトーサンはお手上げ 最新『コギャル語』事情」なる記事があります(p140)。以下のものは、そこに挙がっている会話例です(番号は、私が便宜的につけておいたものです)。

(例1)
「っていうかー、美奈がさー、ガンブーのくせに、これ、カレピから貰ったバッグ、とかこいてんの」
「それ、しょっぱくない? それよか、こないだコクられたって言ってたじゃん。あれ、どーすんの?」
「んービミョーかなー。ちょっとカンチだしねー」
(引用者注:ガンブー=すごいブス、カレピ=彼・付き合っている男性、こく=嘘をつく、しょっぱい=情けない、それよか=それより、コクる=告白する、ビミョー=乗り気ではない、カンチ=自分のことをカッコイイと勘違いしている人)

(例2)
「オニうまだったからガン食いしてー、前の晩、オールだったじゃん? そのままガン寝しちゃったさあ」
(引用者注:オニうま=たいへんおいしい、ガン食い=たくさん食うこと、オール=オールナイトで遊ぶこと・徹夜をすること、ガン寝=ぐっすり眠ること)

ちなみに、(例2)の語尾「さあ」は、「沖縄風」を意識したものだそうです。「ガレッジセール」の影響によるものなのでしょうか。ちなみに私は、(例2)の意は辛うじてわかりましたが、(例1)はわかりませんでした。


田島照生 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 27日 木曜日 23:43:03)

武田徹著『若者はなぜ「繋がり」たがるのか』(PHP研究所,2002.1.30)より。

たしかに暗号化は著しく、東京の女子高生のあいだでは言葉のあいだに「りしゃご」を入れる妙なテクニックまで出現。これにより、目の前にいるおばさんを「おりばしゃごさん」と呼び、相手に気づかせないで仲間内で悪口を存分にいえるようになるらしい。なぜ「りしゃご」の音がえらばれたかはまったく不明―。(p80)

この箇所は一九九五年に書かれたものですが、現在でもこれと似たような表現はあるのでしょうか。


岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 28日 金曜日 00:08:24)

 下のスレッドのやつの変形ですね。

ばびぶべぼ遊び


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 03日 月曜日 14:34:02)

『週刊新潮』の「最新『コギャル語』事情」って、ほとんど“最新”じゃないですね。
たとえば、『若者ことば辞典』(東京堂出版、1997年)には、「がんぶ、こくる、かんち、おにうま、オール」が載っています。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 19日 水曜日 12:53:44)

最初の話題に戻ってしまうのですが、「超甚だし」に驚嘆して『源語釈泉』を入手しました。
しかし、本文の最後は297頁で、310頁はありません。
臨川書店の本は活字を組み直したものでしょうか。
296〜297頁には“「いとど」補説”があるものの、「超甚だし」はなし。
ところが、“いとゞ(し)形容詞 附「いとゞ」及び「ひとしほ」”の項を見たら、

  意義は「超甚だし」である。「超」は超満員・超弩級などの「超」の意
  である。

と、74〜75頁に3箇所ありました。
奥付は昭和25年7月で、出版社は誠和書院です。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 19日 水曜日 21:47:56)

私の見たのは正確には『増補 源語釈泉』でありました。書名が不正確で失礼しました。「誠和書院昭和25年刊とその後の続稿4篇昭和26年刊をあわせて複製したもの」ということです。

「超甚し」の語は、それに収録された「再び「いとゞ」に就いて」という論文中に出てくるものです。

skidさんの言われる“いとゞ(し)形容詞 附「いとゞ」及び「ひとしほ」”の当該個所は、『増補』では p.74になっています(おそらくオリジナルと同じページだと思います)。しかし、これを私は見落としていました。こちらのほうが早いですね。

意義は「超甚し」である。「超」は超満員・超弩級などの「超」の意である。
が正確な引用のはずです。

この『源語釈泉』には錯簡があります、増補版では監修者が

 なお、旧版では二九頁・三一頁・三三ページのそれぞれの第一行目が相互に錯簡している。その点は生前の先生が特に気にしておられたので、今回は正しい順序にあらためた。(あとがきp.6)
と書かれていますが、当該個所を見てみると、さっぱり直っていません。もとのままです。なにゆえこのような不思議な錯簡が起こったのか、鉛活字の時代はさもやありけんと思うのですが、これでは先生(吉澤義則)も浮かばれますまい。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 19日 水曜日 21:53:15)

正誤 ×三三ページのそれぞれの ○三三頁のそれぞれの


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 21日 金曜日 14:51:56)

先日、今年で29歳になる人から「オタク」はもう死語だと言われました。
私が疑問を呈すると、その理由は若者が使わなくなっていると思うから、とか。
本当に使われなくなったのか、若者が使わなければ死語なのか、疑問は増すばかりです。
「若い人のことば」というのは、「使う」ものと「使わない」ものの両方が対象となりますよね。

道浦さんの「平成ことば事情」に「しょってる」が取り上げられていたので、その手の辞典を見ました。
加藤主税『世紀末死語事典』中央公論社、1997年
死語老語研究会『老語の不安と死語硬直』勁文社、1990年
この2冊に載っていて、後者の用例は、
「ねぇ、サリーちゃん。この服いかしてるでしょ」「よしこちゃんたら、しょってるう」
に加え、それっぽいカットもあります。
よしこちゃんは、そんなキャラクターでしょうか。
副主題歌で「かわいいサリーは人気者♪」と本人が歌うと、弟のカブが「ちぇっ、しょってらあ」と言ってましたよね。
著作権の関係で、そのままは出せなかったのかもしれません。
アニメ放送の当時でも、「しょってる」なんて言う子供は、私のまわりにはいませんでした。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 21日 金曜日 18:17:03)

「しょってる」で思い出すのは、トニー谷・宮城まり子の「さいざんす・マンボ」です。

しよつてゐるわね この人、ちょいと
そんなボーイはアイ・ドン・ライク
とあります。1953年8月の発売ということです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 21日 金曜日 18:20:17)

『日本国語大辞典』を見ると1930年までさかのぼるのですね。上限は比較的容易に分かりますが、下限となると基準が見定めにくいですね。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 25日 金曜日 02:01:38)

うちになぜか「女性セブン」2003.07.10があるので不審に思っていたら、p.62に、「正しい日本語(!?)現在進行形 バリ意味不明 若者コトバ今昔 あなたも昔、使ってた流行語のいま」という記事が載っていました。これを読むために買ったまま忘れていたのでした。

この見開きの記事では、今と昔の若者ことばが「短縮型、英語型」「新語型」「意味転用型」「流行型」の4種に分類されています(どう違うのか?)。

椙山女学園大の加藤主税氏のコメントとともにそれらが列挙されています。主なところを書き写そうとしたら、ほとんど全文掲載になってしまいそうなので、出てきたことばだけ抜き書きします。詳細は大宅壮一文庫等で見ていただくとして……

〈短縮型、英語型〉
ゴチコン、あけおめ、ことよろ、一体{いったい}、イタメル、ビニる、ニーヨン、リーマン、マンキツ、ヒャッキン、オナチュウ、カリパク、リスケ、チョマー、キボンヌ、ドタる、キャッチする、ビバ
●20代―イノヘッド、MK5、チェキ、パない、チョベリバ・チョベリグ
●30代―アイミティー、レスカ、ゴーハイ、ファジー
●40代―態度がL{エル}、ヤンエグ、胸キュン、ナウい、フィーバー
●50代―アサップ、エッチ

〈新語型〉
バリ3{サン}、パカパカ、コード君、ハケメン、ゴチメン、プルンパ、海ねずみしばく、ハゲしばく、プレステ、ヤックン
●20代―ガンカワ、ゴンカワ、冬彦さん
●30代―メッシー君、アッシー君、ミツグ君、タンマ、さっぱりピーマン、オバタリアン
●40代―どっちらけ、ほの字、マブい、許してちょんまげ
●50代―みーちゃんはーちゃん、ボインちゃん

〈意味転用型〉
着拒、トランス、解雇、コカれる、しょっぱい、ビミョー、みはり
●20代―アッチィー
●30代―鼻血ブー
●40代―どろんする

〈流行型〉
ファイナルアンサー、キャムる、ピー
●20代―ポアする、だっちゅーの、ごめんくさ〜い
●30代―うれP{ピー}、いただきマンモス、ごちそうサマンサ、ぶっとびー、めちゃんこ
●40代―ちょめちょめ、ほにゃらら、ビックリクリクリクリックリ、ピーナッツ
●50代―ばっかじゃなかろか・さいざんす、がちょ〜ん、〜ちっち

多少加工して、「語彙索引の検索」にも入れておきましょうか。


角田圭子 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 30日 水曜日 15:46:41)

素 のこと。
若い人のことばでなく、古い使い方のほうですが、能で面をつけないで演ずるのを「素面」というのですよね。
これは現代の使い方と通ずるところがあるようでおもしろい。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 31日 木曜日 07:53:52)

角田さん、「素面」は「すめん」ですか?「しらふ」ですか?


角田圭子 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 31日 木曜日 09:48:14)

すめん です。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 07日 木曜日 09:12:57)

大学生が書いた文章から拾ったことばで、私の知らなかったことばから。流行語とは限らないようです。

いもる 神戸でも一部の「ナウい」若者にしか通用しない語彙。気がなえる。へたれる。「明日親知らず抜かなあかんねん。ばりいもるわー」(注、ばり=たいへん。めっちゃ。)〔この項の説明、ほぼ原文のまま〕
ウンザリーノ 「うんざり」をイタリア語風にいったことば。「おそらく生徒はウンザリーノでしょう」
きょどる 挙動不審の行動をとる。「自転車のチェーンが外れてきょどった」
テニサー テニスサークル。「テニサーっていうとちゃらいイメージがあるけど」
はつ【初】 はじめて。副詞的に用いる。「この旅初車にひかれた」
ヒッキー ひきこもり。「ヒッキー道を全開で突っ走っております」
メッセ 携帯メールなどのメッセージ交換。「いつもの友達と、ずっとメッセをやっていた」

このほか、「ひよる」というのがあって、「TOEIC受けた。試験会場は東大。ひよった」と使われていますが、意味不明。緊張した? 「日和見をする」(「賛成から反対にひよった」)というようなのとはまた違うようです。ウェブを見ると、音楽の世界では「ひよった音」などという言い方もよく使われていて、これも意味不明。「小諸の駅舎の2階のひよった「喫茶店」」と書かれた掲示板もありました(今のところこちらに)。どういう意味でしょうか。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 07日 木曜日 10:03:51)

下記リンクのほぼ真ん中(わずかに上?)に「ひよる:ひるむ。精神状態が弱い」。
とあります。「とまあ、若者用語辞典を見てたらハマッてしまった。」とあるので、
典拠があるのでしょう。なんでしょうね。『現代用語の基礎知識』の1コーナー?

最近のこと


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 07日 木曜日 10:10:57)

下記リンクだと「・ピヨる:気絶する」というのがありました。何か、関係があるか。
それにしても語源を知りたいことです。

若者用語・使ってる?辞典


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 07日 木曜日 10:50:45)

ありがとうございます。例によって調査不足でした。「試験会場は東大。ひるんだ」なら意味は通じます。「若者用語辞典を見てたらハマッてしまった」というこの記述は2003年4月のことですね。

「若者用語・使ってる?辞典」は壮観ですが、用例や登録年月日がわからないのが残念です。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 07日 木曜日 10:54:51)

> 登録年月日がわからないのが

これはすべてに入っています。用例や使用地域などがわからないのが残念です。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 07日 木曜日 11:01:26)

いや、こちらの編集でみた場合は登録年月日は入っているが、こちらの編集でみた場合は登録年月日が入っていないのです。


masakim さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 08日 金曜日 06:12:08)

「流行辞苑」の 1998年6月のところに次のように出ています。

ひよる
ひよわになること。参ること。
「きのう、めちゃぶさい子ちゃんから逆ナンされて、マジひよったよ」
(マキリン/氷河期人/仙台出身/渋谷住人/吉祥寺エリア)
●俺たちにとっちゃあ、当然、戦線から離脱することを意味した。古い古い古代語----日和見主義からきている。誰もがひよってしまった「永遠の戦後」を、マキリンたちは退屈に遊んでいるのかもしれない。 

流行辞苑


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 08日 金曜日 11:16:27)

「流行辞苑」、ご教示いただき、ありがとうございます。属性(出身・生活場所?)
まで記載されるんですね。丁寧。

「ひよる」語源説(?)二つですね。
 1)「ひ弱」から
 2)「日和見主義」から
40才代以上の人なら2)を推すかもしれませんが、はたして現代の若い人の
用語・用法に直結するかどうか。一種の流行語のようなものだったわけで、
接する機会は少ないように思います(もちろん、絶無とはいいません)。
1)の方かな。

※『流行辞苑』のホームページ(トップ・ページ)、お茶目ですね。↓

東京出版サービスセンター


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 08日 金曜日 12:35:22)

どうも既視感があり、あらためて「発言検索」してみますと、私は過去に下記のような一覧表を投稿していました。せっかく投稿して参照しないのではしょうがありません。

語彙索引の検索」にアップロードしておきたいと思います。

「今月の流行語予報」索引


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 17日 日曜日 10:06:17)

変な話題かもしれませんが、「コギャル」の語源は「子ギャル」というよりはむしろ「高校生ギャル」の略から、という説を知りました。Webでは「高校生ギャル→コギャル」説を記したページがいくつもあります。

その中で、最も微に入り細にわたって書いてあったのは「コギャル語&ギャル語辞典」でした。

コギャル 快楽主義的な女子高生。*ディスコ用語の「高ギャル」(「高校生ギャル」の略)、ファッション用語の「子ギャル(「女の子ギャル」の略)・小ギャル(「小さなギャル」の略)」、風俗用語の「ブルセラ女子高生(ブルマー&セーラー服の中古衣料販売店に使用済みショーツを売りに来たり、同店制作のビデオに出演したりする女子高生)」の3つが融合して1993年に生まれ、1994年には「茶髪・ミニスカ制服・ルーズ」というコギャルスタイルの女子高生を指すようになった。本来はファッション用語だが、「パンツ売りの少女」、「エンコー(援助交際)」という悪いイメージがつきまとう。
つまり、このページでは「高ギャル」「子ギャル」等の混ざり合いだと説かれています。

親ディレクトリを見ると、女子高校生自身のサークルの人が書いた文章と思われますが(?)、年代が詳しく入っていることといい、何か参考文献があるのではないかと推測されます。

その文献は、あるいはこちらのページに挙げてある『別冊宝島391 超コギャル読本』(宝島社)、『女子高生研究所 ルーズソックス』(ぶんか社)、『民族』(河出書房新社)のいずれかかもしれないとも思いますが、よくわかりません。

手もとの『現代用語の基礎知識1995・1996』CD-ROM版を見たところでは、「コギャル」は立項されていますが、語源については触れていません。米川明彦氏『若者ことば辞典』などにも触れられていてよさそうなものなのに「コギャル」のことは書いてありません。

「コギャル」の語源は「高校生ギャル」などだと説く文献について、ご存じの方がいられましたら、ご教示いただければさいわいです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 15日 日曜日 03:28:28)

半端ない
流行していることばのようですね。

学生の文章にこうありました(2人の例)。

・まさにレッチリここにあり的なアルバムですなー。最近宣伝率マジ半端なかったし、あれだけでも買おうとそそられるよかなり!!
・いちいち外食してるとバンパない〔ママ〕金額になってます。
「半端でない」の「で」が抜けている。一語化している。誤記ではないようだ、と思っていたら、NHK「爆笑オンエアバトル」(2004.02.14 0:15放送)で漫才の「トータルテンボス」(コンビは静岡県出身)が
〔髪の毛を切った女性に言うせりふとして〕「はんぱねえ似合ってる」
〔料理を作ってもらい〕「はんぱねえうまい」「はんぱねえ美味」
と連発していました。「すごいおもしろい」と同じく終止連体形の副詞用法になっています。

先ほど(2004.02.15 01:51〜)NHK「RIP SLYME SUMMER MADNESS '03」なるものを見るともなく見ていたら、舞台で歌う男性が「2階席も半端なく盛り上がってうんぬん」(不確か)と言っていたので、「おや、また『半端ない』だ」と気づきました。

今年爆発的に広まったことばでしょうか(このあたり、民放のバラエティ番組などを見ない私には見当がつきません)。'02年「ビミョー」、'03年「へぇー」と来て'04年は「半端ない」の年でしょうか。

もちろん、発祥はもっと古いのでしょう。「半端ない 2002」などのキーワードでサイトをざっと検索してみると、まず掲示板「2ちゃんねる」(言語学関係のスレッド?)で、2002.09.23 18:46に

とりあえず、「半端じゃない」を「半端ない」と言うのはやめて欲しいと思う。
とあります。ずいぶん早い指摘のようです。と思ったら、2001.05.25発行のメールマガジン
デザートのボリュームも半端ないから気合いいれていけっての!
と出てきます。2000.11.11のグルメに関する日記では
ステーキには付け合わせで,温野菜,ポテト,などを選択できるが,いもの大きさは半端ないので,温野菜を選ぶのが無難なようだ.
とあります。どんどん古くなる。1999.06.09の日記
巷では13GBが4万円くらいで売ってて驚いた。しかしバックアップが半端ないぞ!
とあったようですが、現在では「Not Found」です(キャッシュで確認)。少なくとも5年さかのぼりました。

ネットの文章ですから、これらが「半端でない」などの誤記でないかどうかということが確かめられません。目下のところ、発祥時期は不明(しかし5年以上さかのぼるかもしれない)、一挙に広まり始めたのは最近、もしかすると今年に入ってから、ということではないかと思いますが、いかがでしょうか。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 15日 日曜日 03:34:35)

「RIP SLYME SUMMER MADNESS '03」というからには、2003年夏の公演なのでしょうね。RIP SLYMEと会場にいた何千人のファンは「半端ない」が分かったのでしょうね。


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 15日 日曜日 10:14:29)

とりあえず自己申告の日付に頼りますが:
>おはいおふとどきにっき 92年7月7日
>こっちでは雨が降るときは必ず雷が鳴ります。それも半端なくでっかいの。
>耳がはりさけんばかりの音で落ちます。
なお、同じ日記の93年7月23日分にも
>彼の日本語は半端なくうまかった。
とあるので、単発的な誤記ではなさそうです。

daterange:2450000-2451545 "半端なく" OR "半端ない"


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 15日 日曜日 13:16:24)

ありがとうございます。一挙に10年以上昔にさかのぼりました。「daterange」という指定は知りませんでしたが、一種の「裏わざ」のようですね。これは知っておいて活用しなければならないと思いました。

あるサイトに検索フォームがあったため、1990〜1998年を検索してみたところ、上記にご引用のページと、もうひとつ「最近面白かったこと」というサイトがあって、

しかも、ギブスをするほどの半端ない捻挫であるにもかかわらず。
とありました。日付はなかったものの、Netscapeで「有効期限」を見たところ「1996年10月21日」とのことでした。

この「有効期限」がGoogleによって参照されているものと思い、1996年からこちらを1年ずつ調べてみると、

 1996  1
 1997  2(上記オハイオ日記のうち「93年9月13日」「93年7月23日」
 1998  10
 1999  24
 2000  100
 2001  222
 2002  670
 2003 2,790
 2004 6,070(1月1日〜2月15日まで。〜12月31日までにすると6,190であるのは日付の狂ったものがあるためか)

という結果になりました。折れ線グラフにしてみると明白ですが、2001〜2002年あたりから頭をもたげてきて、2003年には線がぐぐっと上向いています。2004年はまだふた月目であるのに6000件あるということは、やはり「半端ない」は今年に入って爆発的増加」という印象を裏づけるように、数字からは思われます。この解釈は検索結果を正しく解釈しているでしょうか。作成されるホームページの総数が爆発的に増えているだけのことかもしれません。

私がたまたま見つけたオプションつきGoogle検索サイトが信頼できるかどうかという問題もあります。とりあえずリンクは控えておきます。


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 16日 月曜日 10:16:55)

>この解釈は検索結果を正しく解釈しているでしょうか。

検索結果には、ウェブ上のデータ一般に当てはまる性質のほか、Google側の要因やサーバ上のファイルの側の
要因という確実に知りえない要因が絡んでいるため、通時的解釈はなかなか難しいと思います。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 16日 月曜日 11:26:25)

ちょっと、数字を出す意味は小さかったかもしれませんね。

上の私の発言、読み返してみると、私がどういう順序で何をしたのか、意味不明の部分もあります。日本語の文章として不備で、気分が悪いので、蛇足ながらまとめておきます。

「Googleの検索機能に「daterange」があることを教えていただいた。ウェブページの作成された年月日(「有効期限」と書いたのはまちがい。「変更の日付」)を指定して検索する機能のようだ。ただ、検索書式がむずかしい。ところが、ある私設サイトに、空欄に年月日を記入して送信ボタンを押せばGoogleのこの機能が使えるような仕組みがある。これを利用して、作成年ごとの「半端ない」のページ件数を調べてみた。その結果、こうなった。もっとも、数字の解釈は不安だ。なお、利用した私設サイトの仕組みが信頼できるかどうか分からないので、そこへのリンクは控える」と書きたかったのです。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 17日 火曜日 01:32:20)

対立する、ないし元の形式の「半端 (で|では|じゃ) ない」がどのように現れるかを見ることで、補える部分があるかもしれませんね。もちろん、後藤さんの御指摘は、この場合でも効いてきますけれど。また、ネット上に文章を発表する人々という属性の問題もあるでしょうか。


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 17日 火曜日 18:36:54)

>利用した私設サイトの仕組みが信頼できるかどうか分からない
ユリウス日は(コンピュータにとっては)簡単な計算式で求められますから、スクリプトを書く際に
よっぽどの勘違いをしていない限りは大丈夫だろうと思います。ときどきどうみても変な検索結果が返ってくることが
ありますが、それは主としてGoogleの側の要因によると考えられます。

以下、ご参考まで。
1990 daterange:2447893-2448257
1991 daterange:2448258-2448622
1992 daterange:2448623-2448988
1993 daterange:2448989-2449353
1994 daterange:2449354-2449718
1995 daterange:2449719-2440083
1996 daterange:2450084-2450449
1997 daterange:2450450-2450814
1998 daterange:2450815-2451179
1999 daterange:2451180-2451544
2000 daterange:2451545-2451910
2001 daterange:2451911-2452275
2002 daterange:2452276-2452640
2003 daterange:2452641-2453005
2004 daterange:2453006-2453371


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 17日 火曜日 21:44:19)

佐藤さんのご示唆をうけて、「半端でない」「半端でなく」の数も出してみました(下参照)。結果として何が分かるか、ちょっと判断できません。何も言えないようでもあります。数字上、今年に入って「半端ない」系が「半端でない」系を凌駕している(?!)ということにはなっています。

日本最初のホームページは1992.09.30だそうなので、とりあえず1992年から検索してみました。そのころのHTMLファイルは少ないとしても、TXTファイルなどが検出される可能性はあると思いました。

ところが、1992年の「"半端でなく" OR "半端でない"」の「1件」は、内容を見ると「2001年1月30日」の投稿記事であり、数字の信頼性にはやはり疑問があるようです。

また、私の利用した検索サイトでは、daterangeに示される数字が後藤さんのお示しのものと微妙に違ってました。たとえば1995年1月1日〜12月31日は「daterange:2449719-2450084」と示されています。

ちなみに「面白い・面白く」を同様の方法で検索すると、件数は多いけれども、折れ線グラフにすれば「半端ない・半端なく」の増え方とほぼ同じようです。

〔以下数値(タブにより区切る)〕
年 半端でない 半端ない 面白い
1992 1 0 181
1993 1 0 129
1994 0 0 153
1995 0 0 401
1996 2 1 3240
1997 15 2 10700
1998 53 10 28600
1999 106 24 50700
2000 219 100 73500
2001 444 222 119000
2002 817 670 188000
2003 3860 2790 469000
2004 4190 6070 1040000


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 17日 火曜日 22:42:15)

>また、私の利用した検索サイトでは、daterangeに示される数字が後藤さんのお示しのものと
>微妙に違ってました。たとえば1995年1月1日〜12月31日は「daterange:2449719-2450084」と示されています。
>1995 daterange:2449719-2440083
すみません、右側の数字の万の位は転記ミスで5が正しいです。1995年は平年ですから、2449719に365を
足した数字が翌1996年1月1日のユリウス日になります。つまり、
1995 daterange:2449719-2450083
が正しいはずです。(時刻も考えればユリウス日に小数点以下の端数をつけることもあるようなので、
端数処理の関係でずれるのかなあ?)

>数字上、今年に入って「半端ない」系が「半端でない」系を凌駕している(?!)ということにはなっています。
これは面白い観察だと思います。(なお、「ハンパ」とカタカナ表記の例もみられます)。

ハンパなく傷んだ髪までツルツルに」


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 17日 火曜日 23:18:58)

>数字上、今年に入って「半端ない」系が「半端でない」系を凌駕している(?!)ということにはなっています。

ありがとうございました。たしかに面白いですね。「ネット上に文章を発表する人々という属性」もさることながら、年を追うごとに若年層がネットを利用しだした、ということもあるでしょうか。年ごとのネット利用者年齢構成図(?)でもあると面白いのですが、これはかなり難しい調査になるか……


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 18日 水曜日 11:45:53)

サイトによっては利用者層に年齢の偏りがあるでしょうから、対象サイトをを限定すると傾向をはっきり
とらえることもできるかもしれません。サイトを限定すると内容を確認するのにてごろな件数にもなりますし。
どのサイトがいいかはなかなか決めづらいでしょうが、ちょっと試しに見てみると:
site:hatena.ne.jp daterange:2453006-2453371 "半端なく" OR "半端ない" 102
site:hatena.ne.jp daterange:2453006-2453371 "半端でなく" OR "半端でない" 41

site:hatena.ne.jp daterange:2453006-2453371 "はんぱなく" OR "はんぱない" 18
site:hatena.ne.jp daterange:2453006-2453371 "はんぱでなく" OR "はんぱでない" 1

site:hatena.ne.jp daterange:2453006-2453371 "ハンパなく" OR "ハンパない" 91
site:hatena.ne.jp daterange:2453006-2453371 "ハンパでなく" OR "ハンパでない" 6

「半端ではない」「半端じゃない」なども含めると「半端ない」が他を凌駕しているとは言えないようですが、
おもしろい結果には違いありません。


NISHIO さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 18日 水曜日 12:11:20)

>年ごとのネット利用者年齢構成図(?)でもあると面白いのですが

総務省の情報通信統計データベースに、インターネット利用動向調査結果が公表されています。文化より産業の観点ですが、性別・世代別の利用者数推移などは何かの参考になるかもしれません。

個人・世帯の情報化 情報通信利用動向


NISHIO さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 19日 木曜日 02:22:49)

別の場所で "半端ない" を話のタネにしていたのを思い出しました。

From: "NISHIO"
Newsgroups: fj.rec.tv.cm
Sent: Tuesday, December 02, 2003 12:26 AM
Subject: Re: シャンプー

> > 最近シャンプーのコマーシャルで
> >
> > 「半端ない痛み方をした髪」
> >
> > と言う表現が出てきましたが、髪の毛というのはもしかして、18.2とか129と
> > かいう痛み方をして、時たま、20だとか、512だとかの「半端ない痛み方」を
> > するという意味なのでしょうか?
>
> CMは「カラーリングやパーマで半端なく傷んだ髪まで」「超ツルツル」と言ってますね。
> # 半端ない髪→超ツルツル頭…。
>
> goo辞書(三省堂デイリー新語辞典)によれば「若者言葉」だそうです。知らなかった。
> http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C8%BE%C3%BC%A4%CA%A4%A4&kind=ej&mode=0&jn.x=32&jn.y=14
>
> 2003年12月1日現在、googleヒット件数。
>  "半端なく" ――― 7,030件
>  "ハンパなく" ―― 3,660件
>  "半端無く" ―――― 652件
>  "ハンパ無く" ――― 246件
>  "半端ない" ――― 4,500件
>  "ハンパない" ―― 3,650件
>  "半端無い" ――― 1,230件
>  "ハンパ無い" ――― 392件
>  "半端ねぇ" ―――― 338件
>  "半端ねえ" ―――― 139件
>  "ハンパねぇ" ――― 374件
>  "ハンパねえ" ――― 88件
>
> この程度では「半端なく多い」とはいえないでしょうが、今後増えそうでしょうか。

たしかFT資生堂のシャンプーのCMだったと思います。違和感大あり。


skid さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 19日 木曜日 11:26:14)

三省堂『デイリー新語辞典』(2000年7月)には、まだ「半端ない」の項目がありませんでした。


masakim さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 20日 金曜日 05:06:15)

goo辞書の「デイリー 新語辞典」には次のように出ています。

はんぱない 【半端ない】
(形)
若者語で,半端じゃない。中途半端ではなく,むしろ突き抜けて甚だしい様子を表す。ハンパないとも。「この曲,―・いっすよ」

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%CF%A4%F3%A4%D1%A4%CA%A4%A4&kind=&mode=0&jn.x=28&jn.y=11


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 20日 金曜日 11:26:04)

ネット版の「デイリー新語辞典」は随時更新でしょうか。随時更新といえば小学館『日本大百科全書』(JapanKnowledge)や三省堂『スーパー大辞林』(Web Dictionary)などがあるものの、有料会員制なのが残念です。「デイリー新語辞典」で、無料で新しいことばがわかるならばありがたく思います。

それにしても「半端ない」まで載っているとは。先日、同年代の研究者と用談中に「半端ない」を使うかと聞くと、「おそらく使わないと思うが、聞いてわかる、手元の現代語の音声資料にもあり、文字化するときに『ハンパない』と私は書いている」とのこと。「半端ない」を初めて聞いたのはいつか?と聞くと、それは記憶にないそうです。記憶にないほど前からということのようです。私の新語に関する感度がいかににぶいということが分かります。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 20日 金曜日 11:35:03)

「デイリー新語辞典」は「毎月200語程度追加」ですね。

ではいつ追加されたかということですが、古くとも、skidさんの示された2000年7月よりこちらということしか、外部からは知りようがないのでしょうね。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 25日 水曜日 01:32:34)

「半端ない」は省略されて「パーない」とも使われているのではないでしょうか?


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 25日 水曜日 05:19:06)

えっ、それは驚きました。「半端ない」が登場して、「ぱーない」の形になるまで気づかなかったとは反省しきりです。

とりあえず「Google」で「"パーない"」で調べてみると約306件。そのうち「スカパーない」というのが多かったためそれを除くと約79件でした。少数だったので全部見てみると、「100パー(セント)ない」「120パーない」というものが大部分で、結局「半端ない」の省略形と思われる物はありませんでした。「ぱーない」「ぱあない」も収穫なしです。


hiroy さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 25日 水曜日 06:32:36)

「"ぱぁない"」で検索してみたところ、1件ヒットしました。
これは違うでしょうか。

> 断然平山あや!!!!!!ぱぁないッ!!!

世界一可愛いと思う女性芸能人はだれ?


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 25日 水曜日 09:42:41)

>・パない:半端無い。ぱなぁーっ!!と早く言う

若者用語・使ってる?辞典


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 25日 水曜日 09:46:24)

現代若者ことば考
http://www001.upp.so-net.ne.jp/ketoba/wakamonokotobakou.html
に採集済みであったようです。
>『週刊ポスト』2000年2月11日号pp.186-189から引用
><例文>渋谷センター街にて。女子大生の会話。
>A子「昨日マルキュー前でェ、パない感じのアッシュ系のイケメンにナンパされちゃって〜……」

Google: "パない" OR "パなく"


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 25日 水曜日 13:59:33)

ちょっと順序が逆ですが、廊下の棚の奥から『現代用語の基礎知識2003』を引っぱり出してきたところ、

はんぱない はんぱじゃない。すごい。(p.1178)
と載っていました。まずは書物の記載がどうかを踏まえて書き込むべきところ、失礼しました。「ぱあない」「ぱない」等は載っていませんでした。

『現代用語の基礎知識2004』はまだ買っていません。場所をとる本なので、買おうかどうか迷います。私が主に参照するのは社会風俗、若者ことばといったページなので、図書館でそこだけコピーして、何年分かをデータベース化してしまうという手もありそうです。CD-ROMも何年分かは入手していますが、どうも使いにくいようです。


太田 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 28日 日曜日 12:55:37)

このスレッドにふさわしいか不明ですが。先日高校生の女の子の二人組が人ごみの中で自転車をこいでました。そのうちひとりが「チャリンチャリンと(自転車のベルを)ならそうかな」と周りに聞こえる独り言のようにいってました。そしてもちろんその声を聞いた私も含めあたりの人は自転車に道をゆずりました。恐らくその子にはベルを鳴らす事がマイナスのイメージを伴う行為だから行動にためらいがあったのだと思います。けど私(まだ28歳で若者のつもりですが)にするとそのような発言することの方がよほど失礼、恥などマイナスのイメージがあります。
発言することの重みの差がそこにはあるように思います。そしてこの差が若者言葉の基本となるものではと考えます。なんだが発言する場を間違えた気もしますが、皆さんのご意見をお待ちしています。


新会議室に続く

posted by 岡島昭浩 at 23:03| Comment(0) | TrackBack(1) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

僕とおれとわたしとどうちがうんでしょうか。(キル(韓国からです))

今度僕とおれとわたしとどうちがうかについて論文をじゅんびしていますが、どんなほんを読めばいいかどうもわからなくて、ここにはいりました。なんとなくはわかりますが、はっきりすっきりしないので。。。おしえてください。
論文とか本をおしえていただけますか。インターネットではどこにはいればよろしいでしょうか。
にほんのみなさんはどちらをたくさん使っていますか。知りたくて、知りたくて。
お願いします。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 28日 火曜日 22:04:09)

日本人が、実際にはどういうときに「ぼく・おれ・わたし」を使っているかについての論文というのは、知りませんが、もしあれば、私も読んでみたいと思います。

最も基本的な解説書ということでしたら、森田良行『基礎日本語2』(角川書店)の中に「わたし・わたくし・ぼく・おれ」などのごく簡単な使い分け方が載っています。また、複数の「わたしたち」についてはやや詳しく説明しています。『基礎日本語辞典』という名前でも出ています。

国文学論文目録データベース」で「一人称」「僕」などのキーワードで調べてみましたが、あまりこれといったものが出てきませんでした。

私(30代、男)は、偉い人の前では「わたくし・わたし」。先輩などの前や、仕事で人前に出るときは「わたし」で、ときどきうっかり「ぼく」と言います。プライベートでは「ぼく・わたし」がまぜこぜ(このあたり曖昧)、年下の友人の前では「ぼく」。独り言を言うときは「おれ」(「何をやってるんだ、おれは」)。仮に友人とけんかしたら「おれ」と言うかもしれません。私の場合は、あまり標準的ではないと思います。


森川知史 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 28日 火曜日 22:32:16)

一言。
大人が「ぼく」を使うときは、プライベートだけとは限らないことに注意して下さい。特定の職種-議員、医者、弁護士、大学教授等々が必ずしもプライベートとは限らない場面で使うことがあります。
元々、「ぼく」「きみ」「〜君」という表現が明治の書生ことばから始まった特権的な意味合いを含んでいたことの名残でしょうか。今でも、日本の国会では議長が「内閣総理大臣〜君」と指名しています。


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 28日 火曜日 23:22:01)

桜井隆「おれ」と「ぼく」
現代日本語研究会編 2002 『男性のことば・職場編』ひつじ書房. pp.121-132.

ひつじ書房の新刊の紹介


キル さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 29日 水曜日 00:16:23)

ありがとうございます。
でも「おれ」と「ぼく」は経済的な状況とか性格とか地位とか、教育をどのくらい受けた人とかによって違ってくるという人もいらっしゃるようですが、どうでしょうか。たとえば村上春樹氏のような人はぜったい僕のイメージだと言ってましたが、それはどうしてでしょうか。
それから、同じ作品を翻訳するとしたら、主人公を「おれ」にするか「ぼく」にするかによってぜんぜん違う感じになってしまうというそうです。何となくはわかるような気もしないのではないですが、とてもあいまいなので難しいです。
それから「おれ」と「ぼく」ということばはいつから使いはじめたのでしょうか。

外国人の私にはには少し理解しがたく思われました。ぜひ教えてください。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 30日 木曜日 07:34:28)

「おれ」の方が乱暴な感じ。「ぼく」のほうが優しい・丁寧な感じ。
同じ人でも状況によって使い分けることがあります。
「おれ」は普段着のタンクトップ、「ぼく」はよそ行き、といっても礼服まではいかない感じ、といったところでしょうか。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 29日 水曜日 22:53:05)

この1週間ほどの「朝日新聞」の文章に、〈自分は大人になっても「ぼく」を使っているが、人から「ぼく」は大人になってから使うものではないと言われ、……〉といったようなエッセーが載っていたと記憶します。

ところが、新聞記事データベースで「僕」「ぼく」「ボク」「大人」などいろいろなキーワードで検索してもそれらしいものが出てきません。気づいたときに保存しておかなかったことを後悔しています。記事は気づいたら破って取っておくべきですね。

もし、上のような記事についてご記憶の方がいられましたらお教えください。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 31日 金曜日 02:34:14)

2週間分の朝日新聞(朝刊・夕刊)をひっくり返してみましたが、気付きませんでした。
貴乃花が引退の夕刊(20日)、曙は「オレ」、若乃花は「ぼく」、貴乃花は「私」と自称した話が載りました。
それとは関係ないですよね。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 31日 金曜日 04:45:24)

skidさんへ、新聞をひっくり返していただいたとは、たいへん恐縮です。私の勘違いだったとしたら、申し開きができませんね。しかし、この1週間は、とくに雑誌も買わず、妙なエッセー集も買わず、心当たりは新聞だけです。しかしデータベースにもないのですから心もとない話です。曙・若乃花・貴乃花の記事は記憶にありますが、それではありません。どうやら、私のモヤモヤをお裾分けしてしまったようなことになりました。


畠中敏彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 31日 金曜日 21:40:42)

本題から多少 反れますが、「僕」について。
常時、「僕」を使っているのは、大橋巨泉と永六輔。
道浦さんが言われるとおり普段着・礼服論に私も同感ですが、この2人は普段着であろうと礼服であろうと「僕」を使っているようです。
蛇足ながら巨泉氏は、著書や新聞等で「ボク」となぜかカタカナを使っています。なにか意図があるのでしょうか。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 03日 月曜日 17:25:34)

意図的に「僕」「ボク」を使う人は、いても不思議はないですね。
永六輔、おおは死去せん・・・失礼、大橋巨泉の両氏は、共に既存の「権力」「概念」に対して「不服従」の姿勢を「生き方」として来た方ですから(表現方法は、2人は違いますが)、その姿勢を表わす言葉としての「ボク」は、「相手によって使い分けはしないよ。ボクはボクなんだ」という意思表示ではないでしょうか。
また「ボク」とカタカナにする方が、より親しみを感じさせることができるかと。
今読んでいる、金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波所連2003・1・28)がそのあたりの関連について記しているようです。(余談ですが、この本、なぜか最後に「白紙」」が6ページくらいついているのですが、メモ用紙?乱丁?)


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 04日 火曜日 01:18:08)

↑(岩波所連)は(岩波書店)です。ゴメンナサイ


キル さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 04日 火曜日 13:08:03)

「僕」ということばは老人になってからも使うことができますか。子どもの場合も「俺」ということばを使っているのを聞いたことがありますが。。。家族の影響もあるでしょうね。
もし小説の中で主人公が独白するとき、「僕は...」というときと、「俺は...」というときと、「私は。。。」というときと、読者としてはどんなイメージが浮かんでくるでしょうか。
もし小説の中の主人公が百姓だとしたら?教授だとしたら?セールスマンだとしたら?中年の労働者だとしたら?年寄りの労働者だとしたら?地主だとしたら?小作人だとしたら?偉い殿様だとしたら?
あるいは子ども、大学生、などなど。。。あなただったらどのことばをおつかいなさるでしょうか。
もしある人が私と話すとき、「俺」といったとしたら、あの人は私に親近感を持ってお話になったのだと推察し得るでしょうか。


岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 04日 火曜日 13:26:56)

キルさん
「論文を準備」ということであれば、道浦さんご紹介の金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』は、是非、手に入れて読んでください。御疑問がずいぶん解消されるのではないかと思います。

ヴァーチャル日本語 役割語の謎 


キル さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 04日 火曜日 13:37:41)

ご紹介していただいてありがとうございます。
是非、手に入れて読んでみます。
いいホームが見つかってうれしいです。これからもいろいろこのページを通じて勉強させていただきたいと思います。よろしくお願いします。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 04日 火曜日 22:55:48)

「俺」か「僕」か「私」かは、ある程度は年齢や職業や話す相手などによっても違ってくると思いますが、どれを使うかは個人の好みでけっこう異なるのではないでしょうか。
もちろん、それは現代のはなしで、時代が違えばその傾向も違ってくるはずです。
貴乃花の場合は、最初は「ぼく」だったのが横綱になるあたりから「私」が増えて、ある場面では「おれ」も使っていたそうです。
私は親しい友人と話しているときでも、「オレ」は特にふざけた言い方をするときでなければ使いません。
Yeemarさんほど丁寧な言葉遣いではないにもかかわらず。
話相手が「オレ」と言ったら、相手にもよりますけれど、親近感というより普段からぞんざいな感じなんだろうな、と推測します。
それほど気になるわけではありませんが……。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 12日 水曜日 18:44:25)

中公新書ラクレの『新日本語の現場』(橋本五郎監修、読売新聞日本語企画班、2003)に“照れるがゆえの「オレ」”という項目があります。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 12日 水曜日 18:53:44)

うちの5歳の息子は、普段は自分のことを「かずくん」と呼んでいるのに、「オレがオレが」と普段から口にしている「ちょっと元気な男の子」と遊ぶ時には、つられて「オレ」と言います。「オレ」と言うと、振る舞いまでちょっと乱暴な感じになるのが、見ていておもしろいです。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 12日 水曜日 20:31:23)

  上記の金水著書では、人格によってオレとボクを使い分ける主人公が登場する漫画として、手塚治虫『三つ目が通る』の他に、『遊戯王』(「遊技王」は誤変換)『名探偵コナン』を挙げています。

 二重人格ものの小説ではどうかと思ったのですが、例えば、筒井康隆『俺の血は他人の血』はずっと「俺」ですし、『男たちのかいた絵』の「二人でお茶を」もずっと「俺」です。しかし、「二人でお茶を」を原作にした映画「男たちのかいた絵」(トヨエツ主演)では、気の弱い杉夫がボク、気の荒い松夫がオレであったようです。

 ノベライズした『写真小説 男たちのかいた絵』(文 花田秀次郎 徳間書店1996.4.30)を見ると、地の文でも使い分けています。

脚本は神代辰巳・本調有香・伊藤秀裕であるようです。

なお、本の帯には「僕は、おれは、誰だ?」とあります。「1996年5月より全国ロードショー」ともありますが、私は国語学会が東京(青山)であった時の日曜の夜に時間があいてしまい、この映画のことを思い出し新宿でみたと思います。たしか土曜日には断筆中の筒井康隆朗読会があったのでした。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 12日 水曜日 20:50:03)

小松左京「男を探せ」(新潮文庫『春の軍隊』など)では、二重人格的に「おれ」と「あたし」が登場します。似た話はいくつかありますね。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 04日 火曜日 15:02:29)

 堀晃「最後の接触」(『太陽風交点』所収)では、「私」と「おれ」に分かれます。知性のあるのが「私」、ないのが「おれ」です。

 そういえば、十年ほど前にパソコン通信のPCVANのオリエントというところで話題になったことがあるのですが、歌謡曲に於いて、男性が主体である場合には「おれ・おまえ」「ぼく・きみ」であり、女性が主体である場合には「わたし・あなた」であるのが普通だ、という指摘がありました。男性歌手が女性の立場で歌っているのだと明示することができるのは、この違いがあるからのようです(「−の」等の女性的言い回しもありますが)。
松本隆作詞の太田裕美「木綿のハンカチーフ」「さらばシベリヤ鉄道」で、男女掛け合いがわかるのも同様です。

例外は少なく、海援隊の「贈る言葉」が、男性主体でありながら「わたしほど、あなたのことを、深く愛した奴はいない」というのがあります。

 「わたし」だけ出てくるのでは「時には娼婦の様に」、「あなた」だけ出てくるものでは、井上陽水「心もよう」が、男性主体の歌であるようです。

男性が歌っていますが、男女どちらでもよいものとしては、財津和夫「切手のない贈り物」があります。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 04日 火曜日 17:12:58)

むかし、ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』という小説を読んだことがありますが、医学の力で知能が急に高くなって、また後退してゆく青年の話です。邦訳(小尾芙佐)では知能の高下にあわせて「ぼく」「私」が使い分けられていたと記憶します。

岡田奈々「青春の坂道」(松本隆作詞)では、「淋しくなると訪ねる 坂道の古本屋 立ち読みをするに逢える気がして」で始まり、先のほうでは「青春は長い坂を登るようです だれかの強い腕にしがみつきたいの」とあるので(文字遣いは不確かです)、さあ男性が主体だろうか女性だろうか、と迷うのですが、これは勝ち気な女の子が相手の男性を「君」と言っているのであろうと思います。

岡本真夜、真名杏樹作詞「TOMORROW」は「見る者すべてに おびえないで/明日は来るよ のために」。これは女性が友人の女性を「君」と言っているのでしょうか。岡本真夜さんはほかにも「一年ぶりだね を待つエアポート/両手いっぱいの荷物 振りながら」(そのままの君でいて)とあったりして、「君」の愛用者でしょうか。

グループ「Every Little Thing」のボーカルは持田香織さんで女性ですが、「Face the change」(Mitsuru Igarashi作詞)では「いつか笑顔が/に届くように…」とあります。「黒いベロアのワンピース/欲しくておねだりよくしたね/「お前が着ても似合わない」と/ひやかすばかりで…」とあるからには女性が主体なのでしょう。「NECESSARY」(Mitsuru Igarashi作詞)では「相変わらずに〔ママ〕/歩幅 合わせちゃうなんて/今日も やっぱり/君は 素敵でした」とあるからには女性が主体でしょうが、「世界で一番/今 を愛してる」と「君」が使われています。

広末涼子「明日へ」は、「「またね」と手を振るが小さくなってゆく/信号が青に変わる 私も歩き出す」ですが、作詞・岡本真夜とありますから、上記を合わせ見て納得したことでした。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 04日 火曜日 17:14:56)

正誤 ×見る者すべてに ○見るものすべてに


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 04日 火曜日 19:15:11)

女性主体の「君」も、けっこうあるようですね。

昔のlogを見ていたら、「有楽町であいましょう」も男性からの「わたし・あなた」でありました。また、松本隆・太田裕美の男女掛け合いには「赤いハイヒール」もありました。
で、私のまとめを見てみると、

【俺・おまえ】
【僕・きみ】
【僕・あなた】
【私・あなた】
 以上はごく多数。以下ちょっと変ったやつ。男女関係でないのもあります。

【俺・君】
西城秀樹「ジャガー」阿久悠
吉川団十郎「ああ宮城県」
石橋正次「歩道橋」丹古晴巳
【俺・あなた】
森進一「冬の旅」阿久悠
【私・おまえ】おまえは2例とも動物。
ピーター「夜と朝の間に」なかにし礼
内藤洋子「白馬のルンナ」松山善三
【私・きみ】文語調
平野愛子「君待てども」東辰三
【わ・きみ/あなた】
水原弘「君こそわが命」(川内康範)

男性の「僕・あなた」は結構あるようでしたが、陽水の「心もよう」は自称も「わたし」でありました。


田島照生 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 05日 水曜日 22:43:25)

いまや神格化した感のある森田童子ですが、彼女の歌も「たとえばぼくが死んだら」でしたね。
「森恒夫と〈ぼく〉の失敗」(大塚英志著『「彼女たち」の連合赤軍』所収。角川文庫,2001)で大塚氏は、「〈ぼく〉の輪郭は、それを自己像とする世代から紡ぎ出され定型化したのでさえなく、最初からパロディないしは擬態としてのみ上の年代によって定型化されてしまっていた」(p130)と書いており、〈ぼく〉をフェミニズムにおける「私」のあり方と区別しています。そして、この〈ぼく〉が「吉田拓郎や井上陽水らのフォークソングの中の〈ぼく〉」から「七十九年の村上春樹の〈ぼく〉」へと連なっていくその過程を読み解いています。つまり、大塚氏の論考は「僕」のパロディとしての側面に注目しているといえるので、なかなか興味ふかいです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 13日 木曜日 01:40:24)

ディック・ミネの「ダイナ」(三根徳一〔ディック・ミネ〕訳詞、1934)は

ダイナ の恋人……おー よ……に囁き……の瞳……が胸 ふるえる のダイナ
とあり、【わ・われ・わたし/きみ】という賑やかな例です。

賑やかといえば、菅原都々子「憧れは馬車に乗って」(清水みのる作詞、1951)は

やさし愛の調べ よ共に歌お/あなた あなたの私
であって、【わたし/きみ・あなた】の例。

文語と口語のまぜこぜソングでは、呼称にも混乱が生じるのでしょう。霧島昇・高峰三枝子がかけあいで歌う「純情二重奏」(西条八十作詞、1939)では、高峰のパートで

わたしも 孤児{みなしご}の
とあり、【わたし/きみ】の例。同様の例、二葉あき子「夜のプラットホーム」(奥野椰子夫作詞、1947)。

久保幸江・楠木繁夫のかけあい「トンコ節」(西条八十作詞、1951)は男が女に対し「きみ・おまえ」、女が男に「わたし/あなた」。

コロムビア・ローズ「娘十九はまだ純情よ」(西条八十作詞、1952)は女が相手のことを「きみ・あなた」。

【ぼく/きみ】の歌の古い例は? 藤山一郎「僕の青春{はる}」(佐伯孝夫作詞、1933)あたりはどうでしょうか(「の青春 の青春 躍る胸」)。笠置シヅ子が「も 愉快な東京ブギウギ」と歌っているのは女性の【ぼく/きみ】の古い例でしょうか。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 13日 木曜日 01:48:14)

昔の歌では、一人称・二人称をあまり使わなかったらしいことは、中野洋氏等の調査にあり、また、今は事情がかわり、使用語彙の上位は「君」とか「あなた」とかである、ということをホームページに書いたことがありますので、ついでにリンクをさせていただきます。

歌謡曲の「君」と「夢」


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 13日 木曜日 20:44:46)

 おおYeemarさん、調査報告有り難うございます。

 男女掛け合い、という程ではなく、男の「ぼく/きみ」の中に女の「わたし」の引用があるもので、小田和正作詞作曲の「さよなら」がありました。そういえばこの歌は、いいたいことはわかるがわかりにくい歌詞がありました。
  僕のかわりに君が今日は誰かの胸に眠るかもしれない
で、いいたいのは「僕のかわりに誰か」のはずですが、「僕のかわりに君が」のように聞こえ、普段は「僕」が誰かの胸に眠っているように聞こえるというものでした。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 21日 日曜日 22:16:27)

藤田宜永『ラブ・ソングの記号学』角川文庫1985.8.10
に「“ボク”と“オレ”の関係」と題した章があり、歌謡曲における両者についてちょっとした考察がしてあります。

藤田宜永『ラブ・ソングの記号学』アマゾン


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 12日 日曜日 01:10:46)

「俺と君」の歌を補います。

ラッツ&スター Tシャツに口紅 松本隆作詞

以下は、歌本より。
新川二郎 君は俺の命 永井ひろし作詞
石原裕次郎 夜霧の慕情 大高ひさを作詞
バーブ佐竹 心のしずく 利根常昭作詞
(平凡ソング歌のヤングヤングパレード1967.5)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 12日 日曜日 01:54:33)

上で

> 「純情二重奏」(西条八十作詞、1939)では、高峰のパートで/君もわたしも 孤児{みなしご}の/とあり、

と書いたのは間違いで、この部分(2番歌詞)は霧島昇が歌うのです。よって男が女にということになります。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 13日 月曜日 00:56:51)

【僕・おまえ】
真木不二夫 泪の夜汽車 板倉文雄作詞 (恋仲)
(『のど自慢 演芸十八番集』昭和28.2.10)


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 30日 火曜日 10:03:38)

丸谷才一「ラの研究」(『青い雨傘』文春文庫p22-36)によれば、沢木耕太郎『ワシの研究』というのがあるらしく、

沢木さんはまづ、スポーツ新聞的紋切り型の典型として、江夏豊さんのコメントではかならず一人称単数が「ワシ」となるといふことをあげる。


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2003年01月25日

「車がスタックする」のスタックって?(もっちー)


雪道やぬかるんだ道で、車が動かなくなってしまうことがあります。

そんなとき「スタックしちゃった」と言いますが、これはどこから来たのでしょう。

英語のstackは積み重ねるという意味で、渋滞で待っている状態を指すことがあるようですが、それとはちょっと違いますよね。



skid さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 26日 日曜日 00:00:18)

そのスタックは stuck で、動詞の stick の過去・過去分詞形ですね。

今、辞書を見て初めて知りました。



もっちー さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 26日 日曜日 02:11:50)

なるほど!!

ちゃんとした英語だったんですね!

安心しました。


posted by 岡島昭浩 at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年01月08日

誤用(かと思われるもの)の用例集

 上記のようなものが欲しいですね。昔の月刊文法に誤用すれすれとかいう特集があったかと思いますが。

 今回、そう思ったきっかけは、見知らぬ人からのメールでした。

>本当に厚手がましいお願いですが、どうか宜しく御願い致します。

「厚かましい」と「差し出がましい」など(と「厚手」)とが、コンタミネーションを起こした言い方かと思いますが、web上でも何件かヒットしました。

このメールを呉れたのは、大学4年生で、神奈川県でずっと育った人であるということでした。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 12日 日曜日 00:31:52)

 『月刊文法』昭和44.9(1巻12号)の「特集 現代作家の文法的誤りを突く」の中の「誤りすれすれ!」でした。

 西田直敏「井伏鱒二・武田泰淳」で、「なんとなし、お前を憎らしくなってくる」を「なんとなく」の誤りであろうとしていますが、これはありそうですね。「なんとなしに」が多いのでしょうが。

webで例えば「なんとなしわかる」を検索するとヒットします。

私の言葉では、「なんかなし」です。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 14日 火曜日 01:23:21)

次の例は、「つい言ってしまう!」でも、誤植でもないと思われますので、こちらのスレッドが最も適切かと思います。

素人っぽさを売り物にしている彼女たちにしても、おニャン子組を横にすると、なんていおうか、プロフェッショナブル〔ママ〕の威厳のようなものが漂い始めるのである。
(林真理子『チャンネルの5番』〔1987年発表〕講談社 1988.02.22 p.208)
おもしろい勘違いで、貴重な用例と言えば言えますが、先のページを読む意欲をいちじるしくそがれることもまた事実です。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 14日 火曜日 01:27:19)

次の例は、「つい言ってしまう!」でも、誤植でもないと思われますので、こちらのスレッドが最も適切かと思います。

素人っぽさを売り物にしている彼女たちにしても、おニャン子組を横にすると、なんていおうか、プロフェッショナブル〔ママ〕の威厳のようなものが漂い始めるのである。
(林真理子『チャンネルの5番』〔1987年発表〕講談社 1988.02.22 p.208)
おもしろい勘違いで、貴重な用例と言えば言えますが、先のページを読む意欲をいちじるしくそがれることもまた事実です。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 14日 火曜日 02:00:49)

「誤用すれすれ」ということで申しますと、明治書院の雑誌『日本語学』2002.12に載っていた「日本語力現状レポート」(川本信幹氏報告)には大いに自信を失いました。「日本語能力測定試験」(2001年、2002年)の問題がいくつか挙がっていましたが、私にはろくに正解できないのです。たとえば

問A 表現上問題がないのはどれか。
1 二日間続いた大雨の後の強風で、稲が皆倒れてしまった。
2 エースピッチャーは、二日間の休養の後の登板で大活躍した。
3 二年後に再訪して、変わり果てた人々の暮らしぶりに驚いた。
4 その事件を起こしたのは、信頼していた会社の重役だった。
というのがありました。私は、これは「修飾関係があいまいな文を指摘する問題だろう」と思い、次のように考えました……。

1は「二日間続いた」のは大雨か強風かはっきりしない。4も同様で、信頼していたのは会社か重役かはっきりしない。その点2は大丈夫そうだが、あえていえば「二日間の」が「休養」にかかるのか「登板」にかかるのかあいまいだと言えないこともない(テストというものは、こういうあやふやな選択肢がまぎれこんでいるものだ)。そもそも、「〜の〜の〜の」と「の」が続きすぎで、文意があいまいになっている。その点、3は、そういった修飾・被修飾の関係にあいまいさがない(「人々の変わり果てた暮らしぶり」のほうがベターではある)。すると正解は3だ。

実際の正解は2だそうです。なんでも3は「二年後に再訪」が重言なのだそうで、「二年後に訪問して」で十分とのこと。しかし、「二年後に訪問して」では、その訪問が再訪なのか、3度目の訪問なのか、分からないではありませんか?(ちなみに1は「二日続いた大雨」か「二日間の大雨」にすべしとのこと。「二日間続いた」と言ってはいけないのでしょうか?)

かような次第で、さっぱり正解できませんでした。もともと、試験で正解することはあまり得意ではありませんが、これにより、自分の日本語力が低いという結果を突きつけられると、釈然としません。レポートでは、「高校生も社会人も言語感覚いまだし」と見出しで指弾していますが、その「いまだし」の中に自分も入るのかと思うとユウウツであります。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 21日 火曜日 02:16:53)

「ほんまにうちだけやで、こんなに親切なとこ。朝日の支局なんかに行ってみい。剣もほろろに追い返されるでぇ」
 とS氏。
(林真理子『チャンネルの5番』〔1987年発表〕講談社 1988.02.22 p.102)
剣の刃が無情にもぼろぼろとこぼれるという感じでしょうか(「けん」「ほろろ」は雉の鳴き声という)。この著者の語彙、用字はおもしろいですが、本書は文庫化されている由、上記のような部分が改められているかどうか興味がわきます。


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 21日 火曜日 03:28:09)

「剣もほろろ」は他にもかなりの用例がある模様です。

有島武郎 『惜みなく愛は奪う』 新潮文庫大正の文豪所収
スタンダール 小林正訳『赤と黒』 新潮文庫の100冊所収
林不忘 『丹下左膳』 新潮文庫の絶版100冊所収(以下三項同じ)
尾崎士郎 『人生劇場 風雲篇』
『同 夢現篇』
野村胡堂 『珠玉百選 銭形平次捕物控』(四)および (七)

中上健次 文春ウェブ文庫版 『岬』二〇〇一年七月二十日 第三版
〈底本〉文春文庫 昭和五十三年十二月二十五日刊

大岡昇平 中公文庫e版 『堺港攘夷始末』 (2例)2001年6月22日発行
(『堺港攘夷始末』一九八九年一二月 中央公論社刊 中公文庫『堺港攘夷始末』一九九二年六月刊)

深田祐介 文春ウェブ文庫版  『炎熱商人(下)』二〇〇二年二月二十日 第一版(単行本昭和五十七年五月文藝春秋刊)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 21日 火曜日 08:02:31)

語彙索引の検索」では国広哲弥『日本語誤用・慣用小辞典』(講談社現代新書)に「けんもほろろ」があるとのことでした。見てみますと「けんもほろほろ」という語形が、「週刊読売」1988.10.23で報告され、また、「SOPHIA」で使用されているとありました。さらに「ケンもボロクソ」が「週刊読売」1988.12.18にあることも記されていました。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 21日 火曜日 08:11:01)

漱石にもありました。

「いや御話しにもならん位で、妻が何か聞くと丸で剣もほろゝの挨拶だそうで……」
(「吾輩は猫である」『漱石全集 第一巻』p.145)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 21日 火曜日 08:25:47)

いささか蚤取り眼で。

「あら、『ゆきゆきて、神軍』見てないのォ。天皇の戦争責任をひたすら追求する男よ。そうよ、あなたは芸能界に対する奥崎謙三になりなさいよ。そしてひとつひとつ責任追求するの」
(林真理子『チャンネルの5番』〔1987年発表〕講談社 1988.02.22 p.185)
「追究・追及」が「追求」と書かれることが多いような気がしますが、「追求」は「追究・追及・追求」の包括概念でしょうか。


面独斎 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 23日 日曜日 02:40:54)

「すべからく」を「すべて」の意で使うことが、もはや誤用と呼べぬくらいに蔓延しているようですが――

新しいものをまったく受け入れないで、すべからく排除するようになる段階に、人間はその一生においていずれ達せざるを得ないようである。悲しいことではあるが。
(真田信治『方言は絶滅するのか』PHP新書、2001年、p. 99)
これもやはりその例と思われますが、どうでしょうか。私ならば「ことごとく」とするところです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 23日 日曜日 03:38:47)

私も例を拾っていましたが、もはや正用法かもしれませんね。発表の機会もありませんので、いくつかをこの際ご覧に入れます。

そんな想いや脅えに責め苛まれて彼は自分がとうにこの世ならぬ妖異の存在になり果てていることにも気づかない。そして兄妹弟{きょうだい}の三人目である雅司も妖異の存在がすべからくそうであるように時空を越えて今現在にたどりついたところだ。
(筒井康隆「邪眼鳥」『新潮』1997.02 p.55)

〔……〕森〔毅〕はインドの大工の話が好きだ。老職人の大工はその名人芸をだれに伝えることもなく消えていく。もったいないといわれてこう答えたという。神様がもしこの技術が世に必要であると思われるなら、いずれだれかに託してさせるでしょうよと――。
すべからくそうじゃないかと思うよ。子どもや孫にいい世の中を残してもしゃあないと思うね。
(「AERA」1999.10.25 p.64)

 余談になるが、イモ人間とはバンドマン言葉で、イナカモノの省略である。ただしこの場合のイナカモノは、地方の在住者、出身者を意味するものではない。たとえ都会生まれでも、けじめのない人、野暮ったい人、気がきかない人、礼儀を知らない人、ハレンチな人は、すべからくイモ人間の部類に属する。
〔ジェームス三木・ヤバイ伝第一〇九章〕(「週刊新潮」2001.03.15 p.113)

 だってついこの間まで世紀末さわぎだったのですから、夕立が上がるようにはいかないでしょうね。政治もそうなら天災人災、事件、事故、すべからくつながっていますわけで、暦で区切ったのはわれわれ人間の身勝手ですものね。
〔時実新子・川柳クラブ〕(「週刊文春」2001.03.15 p.93)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 16日 土曜日 02:51:22)

別スレッドで守沢良さんが「足もとをすくう」等の言い方について誤用か否かを問題にされています。いささかコメントをいたします。

足元をすくう
まず、「足元」に「足の下部」の意味があることから(『日本国語大辞典』)、論理的には許されると思います。『日本国語大辞典』に見出しはありませんが、手近の例では、正岡子規「寒山落木」に〈足元をすくふて行くや月の汐〉(1892〔明治25〕)というのがあり、語の歴史も短くないようです。「朝日新聞」1996.12.13 p.4には、畑山美和子氏の〈「ふーん。男性も傷つきやすいんだ」と、足元をすくわれた気がした。〉という文章が載っています。「足をすくう」は、〈相手のすきをついて、卑劣なやり方で失敗させる。〉という『大辞林』の語釈に従えば、卑劣な人のやることなのでしょうか。

不覚をとる
南北朝頃の『曽我物語』に用例があり、歴史は長いようです。「不覚をとる」の「とる」はどういうことか、突き詰めて考えると分からなくなりますが、「後れをとる」などと同じく、「ある行動の仕方をする。」(『日本国語大辞典』の八−4)の意味に含めることができるのではないでしょうか。

しのぎ合う
これは面白い例だと思います。原文をじかに縮刷版で見たいと思いました。私も「競り合う」「競い合う」などのほうが適切と思います。「しのび会う恋を つつむ夜霧よ」などという歌が書き手の頭にあったのでしようか。

〜しませんでした
現代口語で否定丁寧形の過去形が成立するまでには、「〜しませんかった」(若松賤子)、「〜しませなんだ」「〜しませんだった」「〜しませんでした」などの言い方が試みられ、結局最後のものが競争を勝ち抜いたと理解しています。〈「美しかったです」が認められるのなら、「〜しなかったです」もアリの気がする〉とのことですが、現実にそう考える人が「〜しなかったです」を用い、この語形も一定の勢力を持っています。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 16日 土曜日 02:55:59)

> 足元をすくふて行くや月の汐

これは、足元の砂をすくって行くのか、月夜の潮よ、ということでしょうから、用例としてはまずいかもしれませんね。したがって、古い例はちょっと不明です。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 16日 土曜日 03:00:12)

> これは、足元の砂をすくって行くのか、月夜の潮よ

「足元の砂をすくって行くよ、この月夜の潮。」とすべきでしょうね。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 16日 土曜日 09:25:51)

 検索してみると、司馬遼太郎『国盗り物語』「道三桜」で「凌ぎあう」が出てきて、「これは」と思ったのですが、「ともに〈風雪を凌ぎ〉あってきた」ですね、これは。

 将軍|宣下(せんげ)には、手続の日数が要る。その朝廷に対する交渉には、この方面に面識の多い細川藤孝が主としてあたり、和田惟政と光秀がそれをたすけた。いずれも永禄八年、奈良一乗院から義昭を脱走せしめて以来、風雪をともに凌(しの)ぎあってきた同志であった。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 17日 日曜日 09:43:15)

 「あしもとをすくう」の用例は、たまたま昭和30年代前半の用例ばかり。

井上梅次・西島大和「嵐を呼ぶ男」昭和三十二年 日活作品(シナリオ大系)

ようし、わかった。余り大きな顔をして歩くなよ。その内足許をすくわれるぜ

以下は、新潮文庫の絶版CD-ROMより。
石川達三『人間の壁』

その二つの組織内の勢力が、互いに相手の欠点を補うかたちで生かされて行く時はよいが、相手の足元をすくうかたちで現われてくる時には、日教組の勢力は二分される。

石川達三『人間の壁』
津田山東小学校のPTAの役員たちは、思いあがった要求をもち出して、そのためにかえって教師たちに足元をすくわれ、大したこともなく引きあげて行ったが、県全体のPTAの動きは、そんな手ぬるいものではなかった。

川口松太郎『新吾十番勝負』

と、飛び込んで足元をすくった。


守沢良 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 18日 月曜日 01:54:23)

 こちらのスレッドがございましたね。以前のぞいたことがありましたが、失念しておりました。お手数をおかけいたしました。
 いろいろとご教示ありがとうございました。
「足元をすくう」は、こんなに古くから実例があるのでは、誤用と決めつけることはできないんでしょうね。「足をすくう」「足元をすくう」の両方アリというのは、なんか気持ちが悪い気もしますが……。
 バタバタの日々が始まって、ゆっくり読み書きする気持ちのゆとりがありません。取り急ぎ御礼まで。
 しばらく前に同様のコメントを送ったつもりになっていたので、もしかするとダブってしまうかも……。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 15日 水曜日 22:05:48)

上の「しのぎ合う」について、記事の前段を確認したのを転記しておきます。

 一方の鈴木〔桂治〕は堂々とした試合内容。成長を強く印象付けた。世界への代表切符は逃したが、「王者」対「挑戦者」だった2人の立場は、並んだと見ていい。2人がしのぎ合うことは、日本柔道界に大きなプラスだ。〔山下泰裕の目〕(「朝日新聞」2003.04.08 p.16)


新会議室に続く

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すざまじい(道浦俊彦)


「ものすごい」ことを「すさまじい」と言いますが、これの「さ」を濁って「すざまじい」という人がいますが、これは方言なのでしょうか?Google検索では「すさまじい」が11万2000件、「すざまじい」は1460件でした。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 08日 水曜日 12:52:51)

 方言的な要素があるのかどうか存じませんが、いろんなところで目にし、みみにしますね。


 ふるくは「すさまし」だったので、どんどんと濁音が勢力を伸ばしているのです。


 しかし、「ずざまじい」には、しばらくはならないでしょう。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 08日 水曜日 16:15:24)

濁点が入った方が「すさまじさ」の程度が上がるように感じます。

1月6日のTBS「ニュース23」でコメンテーターの岸井成格さんが使っていました。毎日新聞の方だと思います。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 09日 木曜日 11:47:57)

「すざまじい」について「語彙索引の検索」を使わせていただいたところ、見坊豪紀『日本語の用例採集法』に載っていることが分かりました。同書を参照しましたら、「すざまじい」が『言苑』に「載っていない」ということだけが書いてあったのでした。見坊氏『現代日本語用例全集』には載っているでしょう。残念なことに手元にありません。同氏の『三省堂国語辞典』には「すさましい」「すざましい」「すざまじい」の語形が報告されています。さすがは見坊先生です。


「すさまじい」のようにやたらに濁音化する例をほかに思い出そうとしているのですが、出てきません。ちなみに、「〜じい」と濁る形容詞は、古来

いみじ/同じ/犬じ・馬じ・時じ・我じ……(これらは万葉語)/らうらうじ
などがあります。現代の「むつまじい」は「むつまし」が濁ったようですが、「むずまじい」にはなっていません。「ひもじい」は「ひ文字い」ですから語構成がちょっと違います。



skid さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 09日 木曜日 12:54:12)

『現代日本語用例全集』に「すさまじい」の項目はありませんね。


「あとすさり/あとすざり/えとずさり」

「あとしさり/あとしざり/えとじさり」

なんてのはいかがでしょう。

松井栄一著『国語辞典にない言葉』『続・国語辞典にない言葉』に取り上げられています。



skid さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 09日 木曜日 15:01:21)

「えとずさり」「えとじさり」の「え」は、入力ミスでした。

「あとずさり」「あとじさり」です。



UEJ さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 11日 土曜日 04:29:50)

広辞苑から濁音化した形容詞をいくつか拾い出してみました。


 あわただし・い(アワテルと同源。古くは清音)

 いぶかし・い(上代はイフカシと清音)

 おびただし・い(近世初期頃までオビタタシと清音)

 かがやかし・い(光り輝いてまばゆい意。近世前期まで清音)

 かぐわし・い(「香細(くわ)し」の意)

 まぎらわし・い(古くはマキラワシ)

 もの‐ぐさ・い(古くは清音)


「かぐわしい」や「ものぐさい」は連濁とも呼べるかもしれません。

(「ものぐさい」の本当の語構成は知りませんが)


「すざまじい」とはまた違いますが、

「あわだたしい」「おびだたしい」と言ってしまうことはありそうです。

Googleで「あわだたし」は約188件、「おびだたし」は約64件。


前者に関しては「泡立たし(約15件)」「泡だたし(約6件)」という表記まであり。

「泡立つ」→「皿洗い・洗濯」→「忙しい」という連想が働いているという話を

どこかで読んだ記憶があるのですが、どこでだったか思い出せません。

音はあっているのですが「泡ただし(約12件)」、まさかと思ったけど「泡正し」も1件だけあり。


後者は「帯立たし」は無かったけど「帯だたし(1件)」。

こちらも音はあっている「帯ただし(約25件)」のパターンもあり。

さすがに「帯正し」はありませんでした。


これらは「腹立たしい」「苛立たしい」との混同だと思いますが、

「腹ただし(約3,120件!)」「いらただし(約413件)」も多いです。


話が逸れてしまいました。

単純な濁音化とは呼べないかもしれませんが、こんなものもあり。


 かんばし・い(カグハシの転)

 こうばし・い(カグハシの音便)

 とぼし・い(トモシの転)


下は逆パターン。


 しかつめ‐らし・い(シカツベラシから変化した語)


以下はどちらが先なのか…。


 むずかし・い(ムツカシイとも)

 さみしい→さびしい


CD-ROM版広辞苑で「古くは清音」で全文検索すると形容詞以外にもいろいろ見つかりますが、

「古くは濁音」の検索結果は0でした。



skid さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 11日 土曜日 02:45:30)

形容詞ではないのてすが、松井栄一著『出逢った日本語・50万語』に『和英語林集成(第三版)』と現在との異なる言い方を掲載したもののうち、漢語の清濁に関するものがけっこうあります。

また、松井先生は『東京成徳大学研究紀要』(1994年)で、明治期の漢語の清濁について書いていらっしゃいます。

それらをみると、どうも清濁のあいまいさは伝統的な感じがします。



NISHIO さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 16日 日曜日 03:38:46)

UEJ さん:

>以下はどちらが先なのか…。

>

> むずかし・い(ムツカシイとも)


『ことばに関する問答集―総集編』に、

古くは「むつかし」、江戸語で「むずかし」が発生云々とあります。


東西方言の違いに基づいているという解釈もある由。

備讃方言圏で生まれ育った私はずっと「むつかしい」を使っていたので、パソコンの仮名漢字変換で当初「難しい」が変換できずイライラしました。

いつの間にか、MS-IME2002では「むつかしい」と「むずかしい」の両方が使えるようになっています。MS-IME97の辞書は「むつかしい」がなかったような覚えがあります。


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2003年01月06日

どうよ(道浦俊彦)


最近、「どう?」という意味とはちょっと違う「どうよ?」という言葉を耳にします。女優の田中麗奈がヨーグルトのコマーシャルでも使っていますが、相手に「どう」と聞きながらも、かなり強く同意を求めている言い方ではないでしょうか?

ネット上では否定的な議題に対して同意を求める時によく使われているそうです。たとえば、「田中麗奈ってどうよ?」と言う場合は、田中麗奈を良く思っていない人が、問いかけとして使うそうです。

ちょっと話は変わりますが、漫才の「今いくよくるよ」さんが、「どやさ」という言葉を使います。これは京都弁的ニュアンスはあるものの、やはり同じような臭いを感じますが・・・どうよ?



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 06日 月曜日 13:15:08)

 「どうなのよ」と「の」で纏めた形ならば落ち着くのですが。


 (と言っても共通語的な場合のことで、私の言葉では「どげんね」で、疑問の場合には、「ね」の前に下がり目がなく、「どう思う?」というような場合には、「ね」の前で下がります。)



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 12日 日曜日 08:04:42)

『毎日新聞』(東京本社版)毎週日曜日連載の小矢野哲夫氏「ことばの取扱説明(トリセツ)」2002.11.17に「どうよ?」のタイトルで考察があります。


新聞掲載の時点で「主に若い男性が使う」。今後女性に広がるでしょうか?「「何(だ)よ」「だれ(だ)よ」「どこ(だ)よ」など、多く相手をとがめるニュアンスを伴い」、「しかし、「どうよ」にはとがめる気持ちは少なく」とあります。


ネット上で否定的なことへの同意を求める使い方があるとすれば、この「何だよ」「だれだよ」のニュアンスが生きているのだろうかと思います。


私にとって「初聞き」に近い例は次の例でした。

最近調子どうよっつったら、ああ大丈夫とかいって、それで終わりになっちゃうのが、
(2001.09.15 NHK教育「真剣10代しゃべり場」〔男・17歳・千葉県〕)
これは否定的なニュアンスは感じられません。


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チョウ側とまち側(道浦俊彦)

滋賀県豊郷町(チョウ)の小学校校舎保存を巡って、町長を中心とした校舎建て替えを推進する「町側」と、校舎保存を訴える「住民グループ」が対立しています。この「町側」を「チョウがわ」と読むのか、「まちがわ」と読むのか、揺れています。私は、「トヨサトチョウ」という「行政機関」と言う意味で言っているのだから「チョウがわ」と読むべきだと思っていますが、「それでは耳で聞いてわかりにくい」という意見もあります。
皆さんは、どうお感じになりますか?
同じ事は「村」でも起きると思います。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 06日 月曜日 15:01:55)

 「ちょう」の独立性の問題ですね。「―チョウ」のように後ろに来るだけなのか、前でも使えるか、というような。

 「町役場」という言い方(「――町役場」ではなく)はあまりしないのでしょうが、いうとしたらマチヤクバになりそう。チョウはちょっと独立しては使いにくいと言うのが私の感覚です。ただ、私は行政単位を「マチ」と呼ぶ県に育ったもので、その範囲内での感覚です。

 「わがちょう」は言いそうですね。「ちょうの方針」、言うかもしれません。


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うれしいでした(道浦俊彦)

嬉しい時に「うれしいです」と言うのは(一部に賛否はあるものの)よく耳にしますが、その過去形は「うれしかった」ですよね。でも三重出身の叔母と祖母は「うれしいでした」と言うのですが、これは方言なのでしょうか?「です」を過去形にすると「でした」なので、そこからの類推なのでしょうか?


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 06日 月曜日 12:10:12)

GOOGLE検索で「うれしいでした」373件ヒットしました。鹿児島の人も使っているようです。「うれしいでした、三重」では1件。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 06日 月曜日 15:03:52)

 鹿児島の「うれしいでした」は、「からいも共通語」として有名ですね。

 「うれしかったです」と書いた児童の作文を、先生が「うれしいでした」と訂正した、という話を読んだ記憶があります。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 06日 月曜日 19:01:22)

そう言われてみれば私もどこかで読んだような気がしてきました。「からいも共通語」というのは、「薩摩の人が、ハイパー・コレクト(でしたっけ?)してしまった共通語」ということでしょうか?


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 06日 月曜日 19:24:57)

 新方言辞典稿(1996)では、「あついでした」が伊豆、「ないでした」が鹿児島と記述が別れていますが、書物の方はいかがでしょう。

新方言辞典稿


畠中敏彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 06日 月曜日 23:21:20)

「からいも共通語」について。
鹿児島においては、1)標準語でしゃべっていても、イントネーションは地元のものであったり、2)標準語のつもりでも、鹿児島弁が混ざっている場合に、やや皮肉をこめてこの言葉を使います。
なお、地元鹿児島では、「かいも普通語」と言うのが一般的です。
(ちなみに、私は幼児から22歳まで鹿児島市に住んでいました)


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 08日 水曜日 01:04:20)

「からいも標準語」「からいも普通語」とも呼ばれているようですね。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 08日 水曜日 04:23:45)

なるほど、鹿児島ではサツマイモと言わずカライモと呼ぶんですね。
福岡出身の私の言葉はさしずめ「がめ煮共通語」といったところでしょうか(筑前煮では無く)。
関東出身で関西弁を話す人ならば「おでん関西弁」?(ちょっと苦しいですが)


posted by 岡島昭浩 at 11:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年12月27日

辞書に関する本(skid)

松井栄一著『出逢った日本語・50万語──辞書作り三代の軌跡』小学館
武藤康史著『国語辞典の名語釈』三省堂
倉島節尚著『辞書と日本語──国語辞典を解剖する』光文社新書
この3点は奇しくも同じ2002年12月20日発行ですが、今までにも辞書に関する本がいくつかあります。
過去のものも含め、それに関連して気付いたことなどを書きこんでいただけると嬉しいかぎりです。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 16日 木曜日 15:11:32)

 私は、人名索引が好きなのですが、惣郷正明氏は、人名索引よりも書名索引を優先させているような気がします。『古書散歩』(朝日)にはありました。

『辞書漫歩』(朝日)は、辞書名索引のみ。『辞書風物誌』(朝日)、『日本語開化物語』『辞書とことば』、こつう豆本には索引なし。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 17日 金曜日 07:27:25)

少し前ですが、
金武伸弥著「『広辞苑』は信頼できるか〜国語辞典100項目チェックランキング」(講談社2000、7)。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 18日 土曜日 00:07:37)

「『広辞苑』は信頼できるか」が出たとき、ちょっとあざとい書名だなあと思いました。
でも、いろんなチェック項目で比較するのはいいことですね。
私は耳慣れた言葉など100余りの項目で、国語辞典の見出しの有無を比較し続けてかれこれ10年ほどたちました。
新語・略語・俗語が割合に多かったので、やはり『三省堂国語辞典』は大きな辞典に匹敵するぐらい掲載されています。
また、同じ三省堂の『デイリーコンサイス国語辞典』も健闘しているようです。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 18日 土曜日 00:28:19)

ろくに読まないくせに、つい買ってしまった本。
『辞書という本を「読む」技術』木村哲也著、研究社出版、2001年
『英語力を上げる辞書120%活用術』住出勝則著、研究社、2002年
『英語辞書力を鍛える』磐崎弘貞著、DHC、2002年
……英語は苦手で「積ん読」ばかり。


田島照生 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 18日 土曜日 02:00:25)

「広辞苑」に関するもの(但し、『「広辞苑」は信頼できるか』は除く)。

『「広辞苑」物語』新村猛著,藝術生活社(1970)
『広辞苑を読む』柳瀬尚紀著,文春新書(1999)
『ことばの道草』岩波書店辞典編集部編,岩波新書(1999)
『広辞苑の嘘』谷沢永一・渡部昇一著,光文社(2001)…これはいわゆるトンデモ本です。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 19日 日曜日 06:16:15)

『広辞苑の嘘』はたしかに・・・。谷沢先生らしいというか。イチャモンぽい漢字でしたね。
『「広辞苑」は信頼できるか』は、おそらく出版社側が付けたタイトルでしょう。
今度、著者の金武さんに聞いてみます。

石山茂利夫著『今様こくご辞書』(読売新聞社・1998)当時、読売新聞日曜版に連載されていたものをまとめたものです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 19日 日曜日 23:03:42)

こちらのスレッドの趣旨が、よく呑み込めなかったのですが、辞書に関するあらゆる書物を集めてみようということでしょうか。すると、ずいぶんな数になりそうですが。

目につきにくい本としては、杉本つとむ監修『国語辞書を読む』(開拓社言語文化叢書、1982)などはいかがでしょう。岡島さんの「日本語関係新書」には入っていませんでした。出て早々に絶版になったと聞きます。

体裁は新書ですが、「序にかえて」によれば、

本書に収めた諸論考は、<昭和五十三年度早稲田大学国語国文学専攻科>で、わたし〔杉本氏〕から国語学の講義を受講した学生諸君のリポートである。
とあり、おやおや、ユニークな編集方針だと思いました。執筆者5人はいずれも女子学生。優秀な男子学生がいなかったということでしょうか。目次は
I 『広辞苑』の検討
II 辞書における差別意識
III オノマトペの具体的検討
IV 三種の辞書の比較
V 望ましい国語辞書
VI 辞書編集の根本的態度
VII 国語辞書の条件
とあります。VIとVIIは杉本氏の執筆です。

全体として強い論調。IIではとくに『新明解国語辞典』を中心に女性や被差別部落などに関する項目について検討がなされています。後年、「三省堂「新明解国語辞典」を手直し/女性や老人の項/偏見・差別の指摘受け」と「朝日新聞」に載ったのが1984.11.30のこと。あるいは本書は『新明解』批判の嚆矢となったか。

俵万智さんは「読売新聞」1989.07.09「いまどきの国語辞書」で

 学生時代に杉本つとむ先生監修の『国語辞典〔ママ〕を読む』(開拓社)を読んでショックを受けました。その本はいろいろな辞書の記述を比較し、辞書批判しているものなのですが、それまで辞書に書いてあることは100%正しいと思っていましたからね。それからです、複数の辞書を引くようになったのは。
と述べています。〔ママ〕としてあるのは手もとのテキストデータでそうなっているということで、元になった切り抜きはどこかに行ってしまいました。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 20日 月曜日 00:12:22)

「集めてみよう」でもかまわないのですが、辞書に関する本にかこつけて扱っている言葉やエピソードを話題にしようという目論見です。
「日本語本レビュー」などと重なる部分もあるとは思います。

『国語辞書を読む』は、新書版より若干大きいですね。
この本は『国語辞書を批判する』(桜楓社、1979年)の焼き直しでした。

  一、辞書における差別意識について
  二、『広辞苑』に関する批判的検討
  三、国語辞典におけるオノマトペの具体的検討
  四、三つの国語辞書を比較して
  五、辞書批判
  六、辞典編集の根本的態度を批判する

批判といえば、小原三次編著『本邦六大、中堅『漢和字典』をこきおろす』(モノグラム社、1972年)という非売品がありました。
口絵写真にいろいろな康煕字典が載っていて、コレクションの参考にしたものです。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 20日 月曜日 00:47:10)

トンデモ本の『広辞苑の嘘』で槍玉にあげられた、NHKの創作ドラマ「プロジェクトX」は確かにひどかった。
夕刊フジに博文館新社の社長が前身の『辞苑』が無視されていたと抗議した記事があったけれど、その程度のものではなかったのです。
ところが、NHK出版の単行本では大幅に書き改められています。
たぶん広辞苑のときのビデオは出せないでしょうね。
そのうちYeemarさんにダビングして差し上げます。


道浦俊彦「 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 20日 月曜日 01:14:03)

あの時の「プロジェクトX」は確かに・・・。でもそれと同じような取材を過去にしたことがある私としてはあんまりコメントできません・・・。まあ、あちらはドラマだし、相当脚色が。単行本では書き直されているのですか。見てみます。


田島照生 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 20日 月曜日 01:49:27)

『広辞苑の嘘』は、「百科項目批判」ひいては「岩波書店批判」のための本ですからね。わざわざ「広辞苑」の名前を出す必要はないかと。

そういえば、広辞苑を取り上げた「プロジェクトX」はヴィデオ化されていませんね。批判が相次いだ「あさま山荘」は、なぜかヴィデオ化されていますが。

『診断・国語辞典』鈴木喬雄著,日本評論社(1985)は、石山茂利夫さんもその著作で紹介しています。抽象論であるがゆえに内容が散漫な部分もありますが、「信託」の語釈の問題とか採録すべき用例の問題とか、興味ふかい文章も多く収めています。

『大漢和辞典と我が九十年』鎌田正著,大修館書店(2001)は自伝的要素の濃い作品。「諸橋轍次博士の生涯」の鎌田版みたようなものです。内容は面白いのですが、ところどころに挟み込まれるコラムの題名がなぜか「閑話休題」。最近よくあるパタンです。

『国語辞典にない言葉』松井栄一著,南雲堂(1983)は有名ですね(続編もありますが)。『日国』の第二版で取り上げられた用例が満載です。私がとくに興味をもったのは、132頁〜146頁にかけて紹介されている「名詞の動詞化」(何と呼べばよいのでしょうか)です。「前のめり」→「前のめる」、「どわすれ」→「度忘れる」、「さかなで」→「逆撫でる」など。

つぎの用例は、別のところにも挙げたことがあるものですが、まだ採録されていません。

(1)わしづかみ→わしづかむ(鷲掴みにする)
「不意に、脳に食い込むような眩暈する力に全身を鷲掴(原文は正字)まれ、映写機の逆回転のように、飛沫の弾ける海面を無重力状態で跳ね出た。」(青山真治『Helpless』,2002『新潮四月号』所収)

(2)ものごい→ものごう(物乞いをする)
「中国の経済特区・深圳の目抜き通りには、早朝から深夜まで物乞う子どもたちが大勢たむろしている。」(日垣隆『敢闘言』文春文庫,2002。408p)


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 20日 月曜日 00:12:16)

「天下り」(名詞)と「天下る」(動詞)」はどうでしょう?名詞が先のような気がしますが。また「うなぎのぼる」は?ちょっとそれますが。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 20日 月曜日 04:38:33)

skidさんへ、「プロジェクトX」ダビングお気遣いいただきありがとうございます。しかし「広辞苑」の回は、私もばっちり録画しておりますので、どうぞご放念くださいませ。

「プロジェクトX」は、「その仕事は山田さんが責任者となった」と言えばすむところを、「その時だった。必死の形相で駆け込んできた男がいた。『おれにやらせてくれ』。山田だった」というように、何事によらず修辞に凝る方針であるようなので、おのずとフィクションをはらむ素地があると思われます。

「プロジェクトX的ものの言い方」についてはジェームス三木氏が「週刊新潮」のエッセーで書いていたと記憶します。「風呂に入った。水だった。冷たかった。風邪を引いた」と短く切って言うのがコツだそうです。

道浦さんへ、「あまくだる」は、古く万葉集に「瑞穂の国を 天下り 知らしめしける」とある、これは動詞でしょうね。「天ざかる」「天照る」「天行く」などと同様ではないでしょうか。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 20日 月曜日 20:30:31)

勘違いをしておりまして、失礼しました。
「プロジェクトX」を見逃したと言っていたのは、新聞協会にいる友人だったのかな。
『広辞苑』について、編者や出版社などの関係者自身が書いたものはいくつかあるのですが、『辞苑』についてはどこにも見あたらないのが昭和23年に好文社から再刊されたこと。
博文館が版権を売り渡したらしいのですが、都合の悪いことは社史などに残らないものです。
とくに博文館の関係者は未だにうるさいそうで、取材などは必ず記事の検閲が入るとか。

『大漢和辞典』を作るため、諸橋轍次は「遠人村舎」に籠もって仕事をしたというように書いている本があったりしますが、原田種成著『漢文のすゝめ』には諸橋轍次がいかに原稿を書かず、遠人村舎にも行ったことがないと書かれています。
また、高田宏著『言葉の海へ』は有名ですが、『言海』の校正は初校と再校の2回だったと「ことばのうみのおくがき」に書いてあるのに、校正を4回したように書いてあります。
事実を正確に伝えるのはなかなか難しいものですね。 


かねこっち さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 20日 月曜日 21:32:55)

『辞書は生きている 国語辞典の最前線』倉島節尚著、ほるぷ出版(1995)が
出ていないようです。
おそらくみなさん先刻ご承知なのでしょう。
国語辞典一般についての言及もありますが、大辞林完成までを編纂の責任者自らが
記した「プロジェクトX」かもしれません。
ただ、小生にとっては知らぬことばかりでしたので、たいへん面白く読めました。
とくに、ふだん使っている大辞林初版の印刷が活版であったことなどは意外でした。
(なるほど、よく見ると罫線がくっついていません)

高田宏著『言葉の海へ』のお話がでましたので・・・
小生が所持しております『言葉の海へ』は、昭和57年12月10日の7刷ですが、
45ページのお終いの行に「大槻玄沢、名は茂資、宝暦七年(一七五七)今の(略)」、
とありまして、「茂資」に『しげたか』のルビがあります。
ところが、広辞苑、大辞林などでは『しげかた』となっております。
どちらかが間違っているのか、それとも二説あるのか。
些末なことですが、気になったので投稿いたしました。


岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 21日 火曜日 00:38:32)

 大漢和の話からの流れですが、「小学上級以上」という伝記物、岡本文良『ことばの海へ雲にのって―大漢和辞典をつくった諸橋轍次と鈴木一平―』PHP研究所1982、というのがあります。
 昭和57.11.24 が第一刷ということで、私が見ているのは、昭和58.5.31の第五刷です。昭和五十七年十月の「あとがき」の後に、「『あとがき』をもう一度」という文があり、昭和57.12.8の諸橋轍次逝去のことが書いてあります。これは、いつの刷りからはいっているものでしょうか。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 21日 火曜日 01:44:47)

うちのは第1刷なので当然ありません。
日付からすると第2刷から入っていそうですね。
当時、PHPF研究所の仕事もしていたから見坊豪紀著『ことばの遊び学』(1980年)の初校を手伝った思い出があります。

やっぱりこのテーマは「ことば会議室」じゃなくて「あれこれ会議室」にするべきでした。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 30日 木曜日 07:38:48)

skidさま「『広辞苑』は信頼できるか」の書名は、やはり編集者側(講談社)がつけたということです。著者の金武氏に確認しました。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 29日 水曜日 21:32:22)

ありがとうございます。
本を売るために編集者も懸命なのですね。
著者としても、読者に強くアピールして買ってもらえるにこしたことはないものでしょう。
松井栄一先生の『国語辞典にない言葉』(南雲堂、1983年)も本当は副題の「言葉探しの旅の途上で」としたかったそうですが、編集者の意向で内容とは少し違ってしまったとか。
なお、この本の1刷はかなり誤植がありますので要注意です。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 17日 月曜日 17:42:33)

 skidさんもすでにお読みと思いますが、倉島長正『日本語一〇〇年の鼓動』小学館2003.3.20 を頂きました。

 上で、skidさんがお書きの、好文館についても167頁に記述がありました。

博文館社長大橋進一はGHQから追放の身となり、同社は好文館・博友社・文友館三社に分割されていたが、『辞苑』はその好文館が受け継いで版元となっていた。昭和二四年にはこの三社は合併して博友社に変わっていた


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 17日 月曜日 18:02:18)

 この本、なぜか、松井栄一氏のふりがなが「しげかず」ではなく、「ひでかず」になっています。p16.p87


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 18日 火曜日 23:46:31)

ルビの件、担当の編集者は落ち込んでいらっしゃるようです。
著者も気付かなかったのは残念なことでした。
松井栄一先生の本には校正担当者がいたけれど、この本には載っていませんね。
なお、『『広辞苑』は信頼できるか』では「えいいち」でした。
また、松井栄一先生と高校が同窓だった岡橋隼夫氏の『こちら日本語校正室』(光文社文庫)では、見坊豪紀に「ごうき」と振ってありました。
人名に限らず、けっこう思い込みってあるものです。
ちなみに、倉島氏の本の口絵写真にある『言海』と『大辞典』(5冊と書いてあるが写っているのは3冊)は拙宅の本を撮影したものです。


NISHIO さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 19日 水曜日 03:26:07)

かなり古いのですが、私が辞書に興味を持つきっかけになった本。

玉川選書『辞書をつくる』(見坊豪紀著,玉川大学出版部,1976/11/20 第1刷)
玉川選書『辞書と日本語』(見坊豪紀著,玉川大学出版部,1977/11/20 第1刷)
ちくまぶっくす15『ことばのくずかご』(見坊豪紀著,筑摩書房,1979/8/23 初版第1刷)

最後のは月刊誌『言語生活』の同名コラムの抜粋版。この雑誌を1974年末から1988年の休刊まで購読していました。


posted by 岡島昭浩 at 21:51| Comment(1) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年12月26日

質問なのですが・・・(きり)

 卒論で畳語形(主に名詞)をとりあげています。そこで、畳語関連の資料があまりみつかっていません。もしもどなたかご存じでしたら教えてください。
 それから、Web Catでの検索結果であげられた、熊谷忠三郎氏の『畳語の研究』は、年代的に少し古い文献で、聞き慣れない畳語表現が多々記載されているのですが、現代で使われている畳語表現に絞り込むにはどのような方法が有効でしょうか。複数の国語辞典を使い、記載されているものをチェックしてみたのですが、それだけでは弱い気がします。
 また、(時どき・時々・ときどき・・・といった表記法別の頻度・使い分け・違いを調べるのに)表記法のデータを収集したい場合、どうすればよいのでしょう。よい方法があれば教えてください。
 


skid さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 26日 木曜日 20:28:23)

何もよい方法を知らないのですが、私も畳語の表記については興味があります。
といっても、「時どき」のように漢字と仮名を交ぜて書くことが流行っているのが納得しかねる単純な理由からです。

それはそうと、メッセージのタイトルは内容が分かるようにしていただけると幸いです。
教えてくださいとか、質問ですとかが増えたら区別がつきませんので。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 27日 金曜日 04:55:01)

私はいつも「ひにち」と書く時に少しだけ迷います。
「日々」とすると間違いなく「ひび」と読まれてしまうだろうし、「日日」でも半分くらいの確率で「ひび」だろう、
なんて思いつつ、いつも「日にち」と書いています。
「ときどき」は「時々」と書いても「じじ」と読まれる心配は少ないので「時々」を使います。

以下は、ちょっと話の内容が逸れるかもしれませんが、CD-ROM版広辞苑(第5版)で発見したことです。

「々」で後方一致もしくは部分一致で検索すると、畳語が沢山見つかります。
「ときどき」は項としては「時時」とされていますが、インデックスとして「時々」が入っているようで、
「々」による検索で引っかかります。
もちろん検索結果には【孑孑(ぼうふら)】とか【湯湯婆(ゆたんぽ)】とか畳語ではない単語もも含まれます。
【後藤藤四郎(ごとうとうしろう)】とか【速記記号(そっききごう)】も見受けられますが、
「後藤々四郎」とか「速記々号」と書く人はいないでしょうから、自動的にインデックス生成しているものと思われます。
【冷え冷え(ひえびえ)】とか【突っ突く(つっつく)】とか、間に平仮名が含まれるものもちゃんと見つかりますが、
漢字が繰り返されないとダメなようです。【偶・適・会(たまたま)】とか【てかてか】はダメ。
漢字だけを抽出して、繰り返しがあったら「々」を入れたインデックスを作る、ということのようです。

因みに他の繰り返し記号の検索結果(部分一致)です。
「ヽ」検索結果無し
「ヾ」検索結果無し
「ゝ」検索結果1件→【学問のすゝめ】
「ゞ」検索結果無し
「〃」検索結果無し
「仝」検索結果2件→【盧仝】【仝(⇒同)】
「々」検索結果1449件


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 27日 金曜日 10:45:51)

私は「「猫々」は言えないのか」という文章をホームページに書いたことがありますが、これはあたかもUEJさんが言われるように「々」の字を利用して資料を検索しました。

つまり、「漢字」のあとに「々」がつく文字列です。漢字はJISコードでいえば[亜-龠]の間にあたるので、
 [亜-龠]々
とすれば、「我々」「時々」だけでなく「朝々」「穴々」「教室々々」などが拾われるわけです。この「[亜-龠]々」という書き方は、いわゆる正規表現というやつで、検索機能のついたエディタ(「秀丸」など)で使うことができます。ただし「我我」「時時」「日にち」などは検索されないことになります。このあたり、もう少し工夫することもできそうです。

現代語で、しかも名詞の畳語についての研究は、案外少ないように思われますが、実際どうなのでしょう。最近の論文をデータベースで検索してみますと、

三浦秀松「畳語の構造―畳語名詞の意味と派生について」(「表現研究」68 1998.10)

などいくつかがありますね。私は不勉強で読んでおりませんでした。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 27日 金曜日 13:16:33)

正規表現もいろいろバリエーションがあって秀丸で使われているものは
その中でも比較的単純なものなので「我我」「時時」を秀丸で検索するのは難しいかもしれません。
MS Wordで「ワイルドカードを使用する」チェックを入れて
 [亜-龠]{2,}
とするとうまくいきますよ。

「日にち」については、そもそもこれは畳語なのか、という議論があるかもしれません。


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 27日 金曜日 16:52:52)

>[亜-龠]{2,}
は任意の漢字2文字の連続の検索です。同一漢字の連続のための検索式は
([亜-熙])\1  第2水準漢字まで
([亜-ャ])\1  Windowsシステム外字を考慮する場合
となります。
Wordでもこれが使えることは初めて知りました。エディターでの検索なら
個人的なお勧めはK2Editorです。

K2 Software's Page


UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 28日 土曜日 04:51:23)

後藤さん、ありがとうございます。
ちゃんと実験もせずにいい加減なことを書いてしまって申し訳有りません m(_"_)m

また話は逸れますが「regular expression」に対する「正規表現」という訳語は適切なものなのだろうかとたまに疑問に思います。
数学用語に「正規行列」とか「正規関数」とかあるので、これに引っ張られたか?
「regular」に「規則(regulation)の」という意味があれば「規則表現」とでもするとしっくりくるのですが、
いろいろと辞書を見ても「regular」がそういう意味で使われることはあまり無さそうです。
むしろこの場合、「rule expression」とすべきか。

「regular expression」と命名した人の意図を聞いてみたいものです。


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 30日 月曜日 10:34:41)

「正規表現」は正則集合を表す式ということのようです。

JScript   正規表現の由来


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 30日 月曜日 10:53:54)

「正規表現」を検索しているうちに下のサイトがあることに気がつきました。
この方も秀丸を利用しているようですが、秀丸の正規表現はJRE32.dllを利用しているので、少し制限されています。K2EditorはPerl5互換の正規表現なのでもっと使いでがあるところがお勧めです。
([ぁ-ん][ぁ-ん])\1
([ぁ-ん][ぁ-ん][ぁ-ん])\1
など、いろいろ工夫できます。

国語の先生のための正規表現


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 30日 月曜日 18:59:54)

畳語にかぎらず、くふうすれば部首を同じくする単語の連続(これは、学問的にはあまり意味がなさそうですが)も探せそうですね。

私はもう少し迂遠な方法で電子テキストから用例を集めたことがあり(こちらこちら)、また書籍等から気がついたときに拾っているのですが。

ちなみに、目下最長の「同じ部首の連続のことば」は、人に教えていただいた「薔薇茉莉花茶」(6字!)であります。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 30日 月曜日 19:02:41)

> 部首を同じくする単語の連続

部首を同じくする漢字の連続する単語、です。


きり さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 30日 月曜日 23:56:15)

ここ数日PCをはなれていたので、みなさんからのコメントをチェックすることができていませんでした。申し訳ありません。
みなさん、たくさんのアドバイスありがとうございました。
早速参考にさせていただきます。


posted by 岡島昭浩 at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年12月21日

教えてください(ご苦労様)(toshi712)

ご苦労様、とか、ご苦労様でした,と言うと見下す言葉になるのですか、敬う言葉にはならないのですか、目上の人に、なんと言えばよいのですか


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 22日 日曜日 01:48:18)

下記のような戯文を書いたことがありますので、ご参考までにご紹介いたします。

目上、目下を問わず、今の会社社会では「お疲れさま」というのがスタンダードになっているような気がしますが、いかがでしょうか。学生が教師に言ったりもするようです。学生も疲れているのでしょうか(アルバイト先から輸入したことばではないかと思いますが)。

ご苦労さま


skid さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 22日 日曜日 11:42:43)

私もふだん「お疲れさまです」「お疲れさまでした」と言っているのですが、『新明解国語辞典』第五版には、

  仕事に打ち込んでいる人や仕事を終えて帰る人にかけるねぎらいの
  言葉。〔一般に目上の人には用いない〕

と載っているから困ります。
「ご苦労」のほうには何も書いていないのに。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 22日 日曜日 16:44:11)

第4版までは「お疲れ」が立項されていませんね。第5版でとつじょ、そのようになってしまっています。

『類語大辞典』(講談社)では0508z00「御疲れ様」は

人の苦労をねぎらう言葉。「〜でした」◇目下にはもちろん、目上でも少し上の人ぐらいなら使える
とあって、『新明解』に反論する形です。対して0508z01「御苦労様」は
目下の人の労をねぎらう言葉。「〜。明日もよろしくね」◇目上に対してはつかわない。
とあって、類語の用法が区別されています。以上は大橋勝男氏のご執筆ということのようです。

いっぽう、4007z01にも「御疲れ様」があり、こちらは

同輩や目下の疲れをねぎらう言葉。「〜でした。ゆっくりお休みください」◇「ご苦労さま」「お疲れさま」ともに、「でした」「でございました」などをつけ、丁寧な言い方として、同輩・目下に限らず用いられる。
とあり、ややニュアンスが違います。「お疲れさま」だけでは目上に使えないが、「お疲れさまでした」とすれば目上に使うことができ、また、「ご苦労様でした」も目上に使ってよいとみているようです。その4007z00「御苦労様」は
目下の者の骨折りをねぎらう言葉。「〜。もう帰っていいよ」
とあります。これらは藤家洋昭氏のご執筆ということのようです。

『明鏡国語辞典』には、「お疲れさま」は立項されていなくて、「ご苦労さま」の項に

▽目上の人に対しては「お疲れ様」を使うほうが自然。
と言明しています。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 30日 水曜日 15:19:11)

佐竹秀雄氏のコラムに、近年は「目上にご苦労さまと言うのは失礼だ」と考える人が減り、三割もいない」とあります。これはNHK放送文化研究所の調査(1988)を指すと思われます。

ところで、これは「減った結果なのか」という根本的な問題があります。

辞書の記述は、「目上の人に使うのは失礼」という注記を添えるものが近年多くなってきました。『三省堂』『岩波』『新選』などは、以前の版にはなかったのが、今では注記されています。『集英社』『明鏡』など最近の辞書にはもちろん注記されています。『広辞苑』『日本国語大辞典』『新明解』などは、何か考えるところがあるのか無注記です。

「『ご苦労』は昔は殿さまが使ったことばだから失礼だ」という説、これは俗説である疑いが濃くなりました。単にテレビの時代劇で言っているから、というのが根拠ではないでしょうか。近世の作品(私が見たのは浄瑠璃だけですが)では、家老が殿に「ご苦労千万」、塩冶判官の妻・顔世が高師直(夫の上役)に「ご苦労ながら」と言っています。

岩手出身の宮沢賢治は、「風の又三郎」の中で、北海道から来た転校生の父親が先生をねぎらうことばとして「ご苦労さま」を使っています。

全国的には、北海道・青森・秋田・岩手といった職場では「ご苦労さま」を目上にも抵抗なく使っている気配です。ちょっとこれ、本格的に調べる必要があるのではないかと思い、目下、全国の職場に電話調査を計画中であります。(うちはBBフォンにしたため、このようなことが可能になりました。今は、連休中ということでやめていますが。)

お気づきのことがございましたら、ご教示いただければ幸いです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 12日 水曜日 14:18:29)

戦後、文部省が中学1年用に作成した『あたらしい憲法のはなし』に次のようにあります。

 こんどの戦争で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして国の仕事をした人々は、国民ぜんたいがえらんだものでなかったので、国民の考えとはなれて、とうとう戦争になったからです。こで、これからさき国を治めてゆくについて、二度とこのようなことのないように、……〔本文総ルビ〕(『あたらしい憲法のはなし』童話屋 2001.02.26 p.28)
昭和天皇大葬のとき、名古屋市の74歳の男性が「心からご苦労様でした」と見送った話は拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』p.76で触れました。また、中曽根首相が「陛下、本当にご苦労さまでした」と言った話はこちらで触れました。天皇に関して「ご苦労」を使うことはしばしばありそう。

この『あたらしい憲法のはなし』は、1947年8月に発行、1952年3月まで使われた。10年以上前に、あるラーメン屋さんがそのまま復刻して出版したものを買ったことがありますが、今、見当たりません。上記童話屋版は、新たに写植により本文をつくったもの。「本書の一部には、現行の制度とは異なる表記や、現在では不適当と思える表現があるが、終戦直後に執筆されたもので、当時の文部省のあり方を知る上で資料的な意味があるとの判断から、そのままとした」とありますが、どのていど正確かは分かりません。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 16日 火曜日 21:39:10)

奥山益朗『日本語は乱れているか』昭和四四年一〇月一〇日 東京堂出版、p18-19に、

映画・演劇・テレビ関係はどうかというと、これは夜になっていても「おはようございます」とあいさつするし、別れるときはどういうものか「お疲れさま」という。あの「お疲れさま」の起源はどういうところにあるのか知らないが、(中略)若いカメラマンや技師に「お疲れさま」といわれて、驚いたことがある。
 もし「お疲れさま」というなら、上の人が下の人にいうことばとしてふさわしいので、下から上は「ありがとうございました」であるべきだろう。
(中略)
「ご苦労さま」も同様、おかしなことばで、これは軍隊(陸軍)でよく使われた。上の者が下の者に「ご苦労」ということもあるし、下の者から「ご苦労さま」といわれることもしばしばあった。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 16日 火曜日 22:14:08)

上記の私の発言

> 目下、全国の職場に電話調査を計画中であります。

これは自衛隊の全国の地方連絡部(すべての都道府県、北海道は4カ所)に電話したのです(2003.05)。結果は内輪で発表しました。一部は拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』で紹介しました。

その時の資料をもとにまとめますと――

上官に対して「ご苦労さまです」「ご苦労さまでした」というあいさつをすると答えた人が少なからずおり、また、地域的にも偏りがみられました。

上官に対し「ご苦労さまです」など「ご苦労」を使う地方は、北海道・北東北・北陸・四国・九州などに多く、近畿・東海・南東北などにはありません。

北海道のうち、函館地連では、「自分は『お疲れさま』を使うが、同僚は上司・部下区別なく『ご苦労さま』を使う」との回答を得ました(回答者男性、年齢不明、函館出身)。また、帯広地連では、「自分はご苦労さまを使わないと教育を受けたが、職場の人は『ご苦労さま』『お疲れさま』を使う」との回答を得ました(回答者男性、44歳、九州出身)。

中央から離れた地域で「ご苦労さま」が目上にも抵抗なく使われているように見受けられます。しかし、東京・神奈川などでも「ご苦労さま」が使われています。

東京地連では、上司に「お疲れさまでした」と言うことはあるものの、それは内容により、「出張の時は『お疲れさま』、小一時間程度の仕事であれば『ご苦労さま』と言う」との回答を得ました(回答者男性、39歳、北九州出身)。ただし、この回答者はかつて北海道に10年勤務、その後静岡・東京で勤務したとのことで、北海道などの職場での習慣が残っているのではないかとも考えられます。また、神奈川地連の回答者(男性、31歳、東京出身)は、「上官には『ご苦労さまです』と言う」と回答した上で、「区別は本当はあるんでしょうが……」と自身なさそうにつけ加えました(故に、「南関東で上官に『ご苦労さま』と言う習慣がある」とは即断できないわけです)。

北陸の福井地連では、「上官に対して用務の時は『ご苦労さまでした』、仕事が終わったときは『お疲れさまです』と使い分けがある」との回答を得ました(回答者男性、44歳、石川出身)。

上官に「ご苦労さまです」と言うのが「自衛隊の習慣である」と述べた回答者もありました。新潟地連の男性(年齢不明、県内下越出身)は、「自衛隊では『ご苦労さま』と言う習慣である」と述べました。香川地連の男性(32歳、大阪出身)や、大分地連の男性(49歳、県内出身)も、やはり同様の回答をしています(このあたり、奥山益朗氏の「これは軍隊(陸軍)でよく使われた」との記述との関連性が注目されます)。

逆の回答もあります。鳥取地連の男性(34歳、米子出身)は、「自衛隊では『ご苦労さま』は目上が目下に言うことばだ」と述べ、舞鶴の教育隊では「目上に『ご苦労さま』と言ってはならないと厳しくしつけている」とつけ加えました。また、福井地連の男性(前出)は、NTTの人が来て「お疲れさま」「ご苦労さま」の使い分けについて教育したことがあったと述べました(これは「目上に『ご苦労さま』を使ってはならない」という趣旨の教育であったものと思われます)。大阪地連の男性(51歳、兵庫県出身)は、「ご苦労さま」は「目上に使うことばではないと思う」と回答しました。

自衛隊内で「ご苦労さま」を使うことは、必ずしも組織としての習慣ではなく、かりに習慣であるとしても、ある地域に限定された習慣、換言すれば方言的な要素が含まれているのではないかと考えられます。「方言的」というのは、たとえば、旧陸軍の習慣が地域的に強く残っているというような可能性も含めてのことです。

上記の結果は、いずれ他の論考の一部などに使う場合があるかもしれませんが、現時点で判明した事実ということで書き込みます。


Shuji さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 17日 水曜日 10:10:43)

たとえば、会議の初めに進行係が「皆さん、本日はお忙しいところ、ご苦労さまです」と挨拶する場合、この「ご苦労さまです」は「お疲れさまです」には置き換えられないような気がします。これから仕事が始まる場合などは、当然まだ疲れていないわけですから「お疲れさまです」は使いにくいと思います。
また、歩いて数歩の隣家の人が回覧版を持ってきた時にかけるねぎらいの言葉でも、「お疲れさまです」では寧ろ皮肉になり、やはり「ご苦労さまです」ではないでしょうか。
目上目下に使える云々以前に、「ご苦労さま」と「お疲れさま」は意味が違うのではないかと、私は感じています。
Shuji


豊島正之 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 26日 金曜日 00:28:33)

>上官に「ご苦労さまです」と言うのが「自衛隊の習慣である」と述べた回答者もありました。

野間宏「真空地帯」に、二等兵が上官に「ごくろうさん」を連発する場面があったと
記憶します。

「軍隊内務令」(軍令陸第16号、昭和18(1943)年8月11日、陸軍大臣東條英機発)は、
上官などに対する敬礼・敬称・敬語の用法を規定していますが、「ごくろうさん」
は見えないようです。(初版は「軍隊内務令」陸達第百九十七号、明治21(1888)年
陸軍大臣伯爵大山巖発)。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 26日 金曜日 22:45:10)

軍隊の例を含めて、「ご苦労」に関する例を2つ拾いました。

昭和14年の軍歌「ほんとにほんとに御苦労ね」(作詞・野村俊夫)では、〈楊柳芽をふくクリークで/泥にまみれた軍服を/洗う姿の夢をみた/お国の為とは言いながら/ほんとにほんとに御苦労ね〉とあります(表記は現代の歌集による)。これは、兵士に対しその妻が「ご苦労」と言うわけですが、現代ならば「何を偉そうに」と怒る夫がいるかもしれません。

公の仕事をしている人に対して「ご苦労さま」を使う例。森谷司郎監督の映画「海峡」(1982年東宝)では、青函トンネル開通を実現した高倉健と、昔命を救われた吉永小百合とが、終幕近くで次のような会話をします。
 吉永「ようやくお仕事が――おめでとうございます」
 高倉「ありがとう」
 吉永「本当に、長い間ご苦労さまでございました」(頭を下げる)
高倉健は目上と考えられます。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 31日 水曜日 11:57:33)

武田寧信・中澤信三著『軍用支那語大全』帝国書院(昭和18年)には5箇所出ていました。
日本語の文例だけを抜き書きします。

●先発隊の宿営準備(村長に対し宿営の交渉)
 「村長は何処に住んでゐるか」「村長に会ひたい」「貴方が村長さんですか」「私はお願ひがあつて来ました」「今日我々の部隊がこの土地で宿営するのです」「私はその準備に来ました」「よろしく頼みます」
 「さうですか、御苦労さまです」「どのくらゐの人数ですか」

●作業(屋外作業)
 「おい、苦力、その二人の苦力来て手伝へ」「よし此処に置け」「御苦労々々々」「暫く休め」

●受付(文書送達人との問答)
 「公文書を持つてきました」
 「御苦労さん」
 「こゝに受領印を下さい」

●外出(伝令)
 「ちよつと伺ひます、司令部は何処でせうか」
 「貴方の仰有るのは日本の司令部ですか」
 「いや、支那の警備司令部です」
 「ほら、旗が立つてゐるでせう、あの白い建物が司令部です」
 「判りました、有難う」「これは警備司令部ですか」「御苦労さん、私は伝令に来たのだ」
△歩哨が立つてゐたら「辛苦辛苦」(御苦労さん)と挨拶すべきである。
 「受付は何処ですか」「もし\/、誰もゐないのか、私は公文書を届けに来た」
 「やあ、これは御苦労さま」

日本軍は2回が「御苦労さん」、1回が「御苦労々々々」。
中国人は2回とも「御苦労さま」。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 31日 水曜日 12:42:16)

私の感覚を書いたつもりでいたのですが、まだ書いていなかったようです。

単に話し相手が目上・目下、ということではなく、苦労を掛けるのが誰か、という要素も絡む気がします。

目下の人、たとえば学生さんに、書類に印が欲しいからと呼び出されて印を押して、「ご苦労様です」「お疲れさまです」と言われたとすると、がっくりすると思います。(ここは感謝の意を表して欲しい)

しかし、公用などで遅くまで仕事をしている様子を見られて、「ご苦労様です」「お疲れさまです」と、学生さんに言われたとしても、自然に受け入れると思います。

苦労を与えるのが、より上方から来ているから許容されるのであろうと思っております。

私も、人に声を掛ける時には、苦労を掛けるのが自分である場合には、「ご苦労さまです」とは言わないようにしているつもりです。自分も一緒に働いて疲れた場合には「お疲れさまでした」を使いますが。


masa さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 29日 日曜日 06:09:05)

私は現在の言葉に関して、余り過去にとらわれるのは如何なものかと考えています。
「昔はこうだったから、今もそう」
という論理は言葉を考える時には慎重であるべきです。

もし、違ってれば申し訳ありませんが、便宜上断定します。
それは、例えば「ありがとう」は本来「有り難き幸せ」だと思います。
現在の挨拶では「有る事難し」(滅多に無い)としか言われていませんが、
果たして現在「途中で省略するな」と批判する人がいるでしょうか。

言葉には様々な変遷があります。
だから、昔の文献では肯定していたとか、軍隊では使われていたなどのご意見は、参考にならないと考えます。
一番大事なのはコミュニケーション上、大多数の人がどう感じるか、
どう使っているかなのではないでしょうか。

さて私の意見です。
前述されているような「回覧板の受け取り時」や「自分が苦労をかけたとき」は
別として、やはり目上の人に使うべきではないと思います。

回覧板の例は気づかされたようで興味深いですが、上下関係が希薄という点で
特殊とも考えられます。

自分が苦労をかけたときは当たり前としか感じません。そんな人いるのかな?といった感想です。

あと、軍隊等ですが、軍人などの「公務員」の方はおそらく特殊なのだと思っています。
例えば役所で住民票を受け取ったときに担当者は
「ご苦労様です」
と言うケースが多いです。
私はその時気分を害したので色々と考えてみましたが結論は
「公務員は頭を下げずに飯を食ってる」
です。
全ての公務員の職種を網羅して思考したわけではありませんが、
私の思いつく限り公務員は「ありがとう」と言う必要がありません。
もちろん職務上のみで、職場の人間関係上などでは言うこともあるでしょう。
しかし、外部の人間に対し「ありがとう」と言う必要は無いのです。
第一、「外部の人間」を「顧客」という表現が出来ないんですから。
役所で住民票を発行した時
「ありがとうございます」が使えるでしょうか?
おかしいですよね。
だから私は公務員を「頭を下げずに飯を食ってる」人種と考えるようになりました。
仕事上、公務員と接することが多いですが、他にも違和感を感じるケースがありました。

反対も考えました。
公務員"以外"の人たちは「頭を下げないと飯が食えない」のかと。
驚いたことに私には頭を下げずに生活が出来る、公務員以外の職業が
全く思いつきませんでした。現在も。

新卒から定年までなら40年前後。しかも回りも同じ人種。
そんな公務員は特殊な人であると結論付けさせていただきます。
よって、多少上下関係の感覚が、公務員以外の大多数の頭を下げないと
飯が食えない人たちと違うので言葉の文化も違うのではないでしょうか。

あと、地方の問題は意外でした。
私は関西ですが、目上の人に「ご苦労様」を使う事はありません。
絶対のタブーです。しかも初歩的な。
しかし、目上の人に使っても問題が無い地方で、
「お疲れ様」と言い換えても問題は無いのですよね。

ではやはり「お疲れ様」を使うべきで、
「ご苦労様は」目下の人に対してのみ言える、というのが
「現在」の日本の文化ではないでしょうか。

皆様のご意見が頂けると至極嬉しいと存じます。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 29日 日曜日 10:30:24)

masaさんへ、私は

「目上の人には『お疲れさま』を。同輩目下には『ご苦労さま』を使いましょう」

という標語ふう(?)の考え方が昔からのものなのか、そうでなければ、いつごろから、どういういきさつでできたかに興味をもっています。とりわけ、この掲示板でこのルールに合わないいろいろな例を拝見し、また私も書き込むなかで、興味は増してきました。

自衛隊での例などを出していますが、これはべつに、「自衛隊で『ご苦労さま』を目上に使っているから、われわれもどんな時でも気兼ねなく『ご苦労さま』を目上に使ってよいのだ」と主張するためではありません。そうではなく、現状が上の標語のように図式的に割り切れるものではないことを示す一例として挙げたのです。(軍隊の話はその関連でご紹介いただいたもので、『軍隊で目上に使っていたから、われわれも目上に使ってよい』という話ではありません。)

「お疲れさま」「ご苦労さま」の使い分けは、目上目下というような単純なものではなさそうだとの私の認識は強まるばかりです。目下の人から「お疲れさま」と言われてがっくりする例については岡島さんがに述べていられます。私の授業を受けている学生も、教室を出ながら、教える側の私に「お疲れさまー」と言うことがあって、強い違和感を覚えます(この話は書いたつもりで書いていませんでした)。おそらく、masaさんが私の立場でも同様にお感じになることと思います。

目上には「召し上がる」「ご覧になる」、同輩目下には「食べる」「見る」というような敬語法の場合は、純粋に文法的なもの(英語で言えば一・二人称はeat、三人称はeatsとなるようなきまり)ですが、「お疲れさま」「ご苦労さま」の区別はそのような文法的なものではなかったと考えます。しかし、いまの趨勢として、文法的な区別に向かっているようだという感じは受けます。

では、そういう流れを加速しているものは何か? ここからは想像ですが、私は「ビジネス敬語」のせいではないかと思います。どの集団にも特有のことばづかいが生まれるものですが、会社でも、電話口で「どちらさまでしょうか」と聞くときに「お名前のほうちょうだいできますか」とか「失礼ですが……(と黙る)」とかいうような特有のことば遣いがあります。ビジネスの場で「目上には『お疲れさま』」というルールが発生し、ビジネス以外の場にも及んできたのではないか、と。

われわれはどういうことば遣いをすべきか、という「べき論」を述べるつもりはありません。現状がどうであるかを正確に把握できれば、私としては満足です。そして、その現状はどのようにもたらされたのかが分かれば、もっと満足です。「『ご苦労さま』は主君が家臣に使ったことばであるから、今も目上には使わないのだ」という説明が誤りであることは、少なくとも分かりました。

現状について、役所の担当者が「ご苦労さま」ということが多いというご指摘は興味深く思います。福岡県M市の市民課に勤務されるある方からも、「住民票などを取りにきた市民や業者に『ご苦労さま』と言う職員がいて、とても気になっていた」との証言をいただきました。もしかすると、これも全国調査の価値があるかもしれません。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 29日 日曜日 12:01:38)

masaさん、ようこそ。
ご意見、ありがとうございます。

>私は現在の言葉に関して、余り過去にとらわれるのは如何なものかと考えています。
これは、おっしゃる通りだと思います。

ただ、このスレッドで昔の話が出てきたのは、
>「昔はこうだったから、今もそう」
>という論理
ではなく、
「昔はああだったのに、今はこうなってしまった」
という(咎める場合の)一般的な見方に対する検証のためでありました。

この部分にありますように、「近年は「目上にご苦労さまと言うのは失礼だ」と考える人が減り、三割もいない」の「減り」への疑問でした。少なくとも、「昔は十割の人がそう感じていた」というわけではない、ということを示すためのものでした。

>私は関西ですが、目上の人に「ご苦労様」を使う事はありません。
>絶対のタブーです。しかも初歩的な。
ということについて、お教えいただきたいのですが、これをタブーである、とお感じになったのは、どのようにして獲得なさったことなのでしょうか。
幼い頃から自然と身に付いたことなのか、それとも社会人として暮らして行く内に自然と身に付いたのか、あるいは誰かに教えられたことなのか、このあたりの内省が出来るのであれば、お教え願いたいと存じます。
また、現在、どの年齢層にあるのかもお教えいただければ幸いです。

公務員批判については、あまりこの会議室での話題にならないと思いますが、たとえば図書館で本を借りたり返したりするときに、バーコードのある面を揃えて提出すると、「ありがとうございます」と言ってくれる係の人には何人もお目に掛かります。
また、「顧客」であるはずの人に向かって頭を下げることをしない、と批判される人として、医師があげられることもよくありますね。

Yeemarさんが既に書かれたことと重なる部分もありますが、書いたままアップロードします。


masa さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 29日 日曜日 16:31:16)

引用文献の無い私的な経験則に基づくのみの、
稚拙な書き込みに早速のレスポンスをありがとうございます。

岡島昭浩様へ

>「昔はああだったのに、今はこうなってしまった」
>という(咎める場合の)一般的な見方に対する検証のためでありました。
失礼致しました。
全くおっしゃるとおりですが、掲示板全体を通して私のような感じ方の方が
多いのではと思います。

>幼い頃から自然と身に付いたことなのか、それとも社会人として暮らして行く内に自然と身に付いたのか、あるいは誰かに教えられたことなのか
幼い頃から身に付いた物ではありませんし、
社会人として暮らしていく上で自然に身に付いたかというと、
少しニュアンスが違います。
「自然に」身に付いたのではありません。
うろ覚えでは有りますが「いつ」「どこで」「誰に」教えてもらったのか、
はたまた、強制及び矯正されたのか思い出すことが出来ます。
言葉を習得していく上では極めて珍しいケースかと、今思いました。
最初はやはり、疑問に思ったことを思い出します。
私は「最初の就職先で」「入社まもなく」「上司に」教えられました。

>また、現在、どの年齢層にあるのかもお教えいただければ幸いです。
私は現在30歳代前半です。女性なら後厄になるのでしょうか。
ただ、職場内での環境も職務上関係する外部の人たちも、
40歳を超えたような年令の方が大半の環境でした。
しかし、現在も過去も、同年代の人たちと本件に関して考え方が違うと感じたことはありません。

>公務員批判については、あまりこの会議室での話題にならないと思いますが、
私の文面がそのようなニュアンスを含んでいたことに謝罪いたします。
しかし、断じて批判ではないのです。
私自身がこの事に気づいたときから、
人を分析する時には本当に重要なファクターではないかと思っているのです。
誰かがこの事に関しての研究をなされていないかとも思っているくらいです。
私は日本語が本当に好きなのですが、心理学も好きなものでついつい、
この方面から考えてしまいました。
正直なところ、「公務員」と書かずに「公務員の方」と書くかどうか悩みました。
結局、読みやすさと私の指の健康を考えて省略したのがアダとなりました。
批判から生まれるものは少ないと思います。
重ねてお詫びいたします。

Yeemar様へ

まだまだ考えが及ばず、個人的な感想のみですが、
「ビジネス敬語」という音感が私には抵抗無く滲みこんできます。
想像の域を出ませんが、
電話や郵便の使われ方を鑑みると、
仕事上のコミュニケーションが
日本全体でなされているコミュニケーションに占める割合は大変多いような気がします。
なので「ビジネス敬語」が日本の言語文化に確固たる地位を確立していても
おかしくないのでしょう。

とすれば、私が違和感を感じる言葉の一つである
「奇妙な過去形」も浸透してしまうのでしょうか。
「奇妙な過去形」とは例えば、レジでお金を受け取った店員が、
「1万円からのお預かりでよろしかったでしょうか」
や、商品の確認時に
「こちらの商品でよろしかったでしょうか」
という風な表現です。
今までは「1万円からのお預かりでよろしいでしょうか」や、
「こちらの商品でよろしいでしょうか」でした。
とあるニュースキャスターがブラウン管で違和感を訴えていたのがもう、
1年以上前になると思います。
既にこのHPの他の掲示板に取り上げられていればお詫びいたします。

「言葉の変遷」と「自己の美的感覚」の狭間に悩まされることが多くなりました。
だから面白いんですけどね。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 01日 月曜日 00:13:01)

この会議室での話の傾向として、歴史的な方向に行きやすい、ということはあると思います。しかし、いつも、昔からこうだから今もこうあるべきだ、という思いは毛頭なく、いつ現代のようになったのか、いつから現在思うのと同じように思われるようになったのか、という視点であるつもりです。
この会議室に来て間もない人にとっては、昔のことばかり調べて、と思ってしまうようですが、言葉とがめをする人は「昔からこうだから」というのを論拠にすることが多いので、本当に昔はそうだったのか、昔というのはいつごろなのか、ということを考えたいと思っています。(言葉とがめをする人の「昔」は、おおむねその人が言葉を覚えた頃だろうか、と推察していますが)

おおよその年齢と覚え方をお尋ねしたのは、自然に習得されたのだとしたらおいくつぐらいの方だろうと思ったからです。お教え下さって有り難うございます。

今、「目上にごくろうさまを使うな」という注意書きのものとして、手許で目についたものとして、昭和46.5.10の内山みち子『ことばのエチケット』明治書院(ビジネスマンことばシリーズ7)があります。

「ごくろうさま」というコトバがあります。ひと仕事すんだときや、骨折り・疲れなどをやさしくねぎらい、いたわるコトバです。そして、これは対等の者か、それ以下に向かって使うコトバですから、学校で校長先生から用務員のおじさんに向かってなら使えますが、用務員さんから校長先生には使えません。(p17-18)
というのですが、これは「「すみません」と「ごくろうさん」のつかいわけ」という節の中の一部です。最初は「すみません」と「ありがとう」を使い分けるべきとの話から始まるのですが、それに加えて「ごくろうさん」が出てくるものです。

自然に(教わったのではなく)、いつでも「ご苦労様」は目上の人には使えない、という人がいたのか、それとも、感謝の意を示すときに「ご苦労様」を目上の人に使うのに違和感を感じる、ということから出発して、いつでも使ったら駄目、という風になったのか、と考えております。

「ビジネス敬語」の枠内と別の所にいるのが、公務員であり医者であり、また教員であり、ということではないでしょうか。

「奇妙な過去形」については、下のスレッドですね。

名古屋で聴いた完了態?


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 01日 月曜日 20:56:46)

上の方で書いた、奥山益朗氏の後の著書の中に、詳しく書いてありました。『日本人と敬語』(東京堂出版 S47.3.25)。「ご苦労さま」p227-231、「続・ご苦労さま」p232-236。ガードマンが「ご苦労さま」ということに関して、

いまのガードマンの訓練は、大体自衛隊の流儀だと聞いているが、そうなると「ご苦労さま」はもとの陸軍から自衛隊に伝わった言葉なのかもしれない。

『言語生活』(S46.10)の「耳」欄を引用して、
文章の感じからすると、大阪の岡さんは、若いBGのようである。目上の人に「ご苦労さま」ということが失礼だという感じは、すでに四十歳代以上のものだろうか。(中略)「相手の労をねぎらう」という感覚は、主として上から下、あるいは同位の者の間で行われるもので、下の者が上の者をねぎらうということはあり得なかったのである。(中略)それは感謝とか恐縮の表現をとるべきものである。
 従って、朝日新聞(昭和四十六年十月十五日付)に掲載された左の記事はおかしい。見出しに「ご苦労さまでした両陛下」とある。(中略)もっとも、ハード・スケジュールで、全く「ご苦労さま」と申し上げたい気持ちというのはよくわかるのである。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 01日 月曜日 22:40:40)

奥山益朗氏がすでに自衛隊の習慣について指摘されていたのですね。知らずにいたのは迂濶でした。知っていれば、拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』の自衛隊の話の所でも触れたかったと思います。

ガードマンも「ご苦労さま」を使うとのことですが、警察官もそのようです。
ある方から、

私は以前、警察におりましたが、そこでは皆、「ご苦労様」でした。
例え相手が警視総監であっても、「お疲れさま」とは絶対言いません。
これは多分、全国どこでも一緒だと思います。
との証言をいただきました。この方は「お役目ご苦労さま」とは言うが「お役目お疲れさま」とは言わない、お上から授かった役目に対して「疲れる」は不適当だ、「ご苦労」ならば、お役目を果たしている事に対する感謝の意となる、という主旨の考察もしてくださいました。

読売新聞の校閲の方からも、何人かの方の証言を教えていただきました。元警察官は、「警察学校時代からご苦労さまを使っていた」。元電話交換手の方は、「社長に『お疲れさま』と言ったところ、『交換手ごときがお疲れさまとはなんだ、ご苦労さまと言え』と叱られて釈然としなかった」等々。

ところで、奥山氏はすでに1970年代の初めに「目上の人に『ご苦労さま』ということが失礼だという感じ」を書いている由ですが、今よく言われるように「代わりに『お疲れさま』というべし」ということではないようですね。おそらく奥山氏は「ご苦労さま」にしろ「お疲れさま」にしろ、労をねぎらうことそのものを不適当と述べているものと思います(詳しくはきちんと読んでみます)。

奥山氏の触れる「言語生活」の記事は、おそらく下記の引用の3と思いますが、ここでも「耳」欄の担当者は「目上をねぎらうものではない」との考えを示しています。「主君が使ったことはだから目上にダメ」という説は怪しいとしても、「ねぎらうことばだから目上にダメ」は説得力があり、かつまた、そのような考え方は昔からあったに違いないと思います。それにしては「ご苦労さま」を目上に使った例が昔にしばしばあるのはどう説明をつければよいかということになります。

天皇に対し「ご苦労さま」をいう例は、私は大葬の礼のときの例を拾いましたが、かつて中曽根首相も使って物議をかもしました。昭和46年の「朝日新聞」でも使っていたのは初めて知りました。このような例をしばしば目にすると、目上に対してであっても、公的なことがらについてであれぱ「ご苦労さま」は使えたのではないかと、やはり思われるのです。(会議、回覧板なども含む)

なお、下記の「言語生活」の例では、1・2では「ご苦労さま」と言われた側は不愉快に思っていません。1ではむしろ「遊びに行くのに『ご苦労さま』と労をねぎらわれてくすぐったい」と感じています。一方、4のような場合には、相手が目上でも目下でも「ご苦労さま」は失礼であろうと思います。

(以下、『言語生活の耳』より引用)


▼地下鉄の出札口でキップを買ったら、「ありがとうございます。ご苦労さまでした{8字傍点}。」公休日で映画でも見に行こうとしていたA君は少しくすぐったい思い。(1953 p.29)


▼混線? 本音!!
 統一地方選挙花やかなある日、一候補者の宣伝カーのマイク。
「みなさん、毎日のお勤めご苦労さんでございます。若き世代の代表○○がごあいさつに参りました。みなさんご苦労さんでございます。ご苦労さんです。ご苦労さんの○○がごあいさつに……」

秋田県仙北郡 遠藤純さん)(1971 p.293)

▼私の知人が葬式にかけつけ「ご苦労さん」といわれたとかで憤慨して帰ってきました。この人には「ご苦労さん」ということばは、目下に用いるもので、目上の人にはいうものではないとの概念があるとか……。いあわせたもう一人の人が「そうでもないぜ。本社の女の子が出張所の目上の人にでも、電話で『ご苦労さまでございます』と言っているから」と言うと、「『でございます』をつけても決してニュアンスは変わらない」と言います。この問答どんなものでしょうか?
(大阪市 岡敦子さん)
「ご苦労さま」は、労をねぎらうことばなので、目上に使うとおかしな感じになるのだと思います。(1971 p.297)


▼御礼の言い方
 駅前で、アフリカの飢えを救えという例の募金を何人かの若者がやっていた。ひとりの女性がお金を入れると、募金箱を持って立っていた青年のひとりが「どうもすみません」、もうひとりが何と「ごくろうさんでした」。「ありがとうございます」が無難な言い方なのだろうが、御礼の言い方もなかなか難しい。

(東京都府中市 富沢徹さん)(1985 p.468)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 15日 月曜日 17:38:59)

泉鏡花文庫「鏡花花鏡」によれば、泉鏡花「飛花落葉 御苦労でした」という作品があるようです。『春宵読本』明治42年文泉堂刊に収録とのこと。

3人で東京の向島百花園を訪れ、夜になって出ようとすると、主人が小腰をかがめて

「お靜に入らつしやい、あり難うございます。」いと丁寧に挨拶す。〔ルビ略〕
この「おしずかに」というあいさつは、今、東北などに残っていますね。

それはともかく、自分ともう1人は「ハイ」とだけ答えて出たが、「春葉さん」だけはいんぎんにあいさつを返した。

「御苦勞樣でした。」と、蓋し一ばし〔ママ〕會釋をしたつもりなり。此言に困れば、主人が門に彳みたるを大に勞ひたるものゝ如し。同人所以を解せず、意地わるくこれを問ふ、春葉さん大にじれて「分つてるよ。」〔ルビ略〕
つまり、春葉さんは「ご苦労さま」と言ったが、主人としてはただ門の前に立っていただけだから、「私が何かねぎらわれるようなことをいたしましたっけ」と意地悪く問い返した、春葉さんはじれってくなって「分かってるよ」と、がぜんていねいさを失った――という話でしょう。

ここでは、「ご苦労さま」に「いんぎんでていねい」な語感がなければ、話が成立しません。


かねこっち さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 16日 火曜日 14:24:26)

六代目三遊亭圓生の芝居噺「淀五郎」。
淀五郎が歌舞伎の中村仲蔵を訪ねる場面。
楽屋へ入る淀五郎が「おはよう存じます」といった後、圓生師の説明が

 俳優のほうは、初めて会うと夜でもなんでも、おはようございます。
 われわれのほうは、来たときに、ご苦労様、帰るときにもご苦労様と申します。

と続きます。
この場面の前には、芝居の世界も噺家の間でも楽屋の席次にやかましい決まりがある
と述べるくだりがあります。(1976年12月28日東横劇場のライブ録音)

「われわれのほう」とは寄席の楽屋の芸人同士の挨拶のことでしょう。
三遊亭圓生は明治33年生まれ、大正9年には真打ちとなっています。
礼儀作法などについてとくにきびしい師であったとはよく知られたことです。
「寄席育ち」などの著書もあるくらいですから、噺家の世界では「ご苦労様」が
ふつうの挨拶として長く行われていたことは確かではないでしょうか。


masakim さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 18日 木曜日 07:23:50)

三遊亭 円丈「プロ仕様噺家前座マニュアル」に次のようにありますので、現在も使われているようです。

楽屋の挨拶と礼儀
 前座は先輩、師匠方は楽屋入りや、高座に上がる時、下りた時、帰る時、1人につき最低計4回は挨拶をする。挨拶する機械と思うべし。まずキチンとした挨拶が、出来ないと「今度の前座は与太郎だ!」となってしまう。
先輩、師匠の楽屋入りの時全て
    ・・「おはようございます」
師匠方が高座に上がる時
    ・・・「お願いいたします」または 「ご苦労様でございます!」
師匠方が高座を降りてきた時
    ・・「お疲れ様でございました」
師匠方が帰る時
   ・・ 「お疲れ様でございました」

三流亭まどべの楽屋レポ−壁の花は見た−でも師匠に「ご苦労様!」と挨拶しています。

 出囃子とともに高座へ上がっていかれる圓窓師匠を袖に立って送り出す一門のみなさん。「ご苦労様!」「ご苦労様!」「ご苦労様!」と、ドスのきいた声。声。声。
ひえーーーーっ! 「組」のおっさんの集まりかと思っちゃうよぉ。怖いぃ! 圓窓師匠は、まさに組の親分。怖いよぉ。しくしく。いいえ、私は壁の花。石っころと同じでございます。しくしくしく。

三遊亭 円丈「プロ仕様噺家前座マニュアル」


posted by 岡島昭浩 at 21:23| Comment(0) | TrackBack(1) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする