2002年12月09日

『明鏡国語辞典』を使ってみる(Yeemar)


『明鏡国語辞典』(大修館書店)が刊行されました。さっそく、楽しく読んだり、使ったりしています。


これまでの辞典と違ったどのような特色があるか、だんだんに見つけてゆこうと思います。


初めに疑問を書くのは気が引けますが、「二酸化炭素」が立項されていません。「一酸化炭素」はあるのに。遺漏と思われます。「炭酸ガス」はありますが、空見出しとしてでも「二酸化炭素」が立っていなければ、「炭酸ガス」にたどり着けません。


他の辞書『集英社(2)』『新潮現代(2)』『三省堂(5)』『岩波(5)』には立項されており、『新明解(5)』は「二酸化」があって用例に「―炭素〔=炭酸ガス〕」とあります。これで炭酸ガスを参照することができます。


※「辞書にないことば」のスレッドに投稿しようと思いましたが、どうも錯雑していて、新しい書き込みができないようです。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 09日 月曜日 05:06:31)

二酸化炭素探偵ではないのですが、関連してもう1件。


「尿素」の項に、「工業的にはアンモニアと二酸化酸素から合成され」とあります。「平凡社世界大百科事典」(CD-ROM版)で見ると、「二酸化炭素」となっています。「二酸化酸素」は、ふつうに考えても、どうも誤植らしく思われます。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 09日 月曜日 05:56:11)

「塩基」の項目に、塩基の例として「水酸化ナトリウム・水酸化アンモニウム・苛性{かせい}ソーダなど。」とありますが、苛性ソーダというのは、まさに水酸化ナトリウムそのものですから、重言ではないでしょうか。



田島照生 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 09日 月曜日 17:16:42)

私も買いました。「看護師」、「逆ぎれ」、「オンデマンド出版」、「化学物質過敏症」、「BBS」などといった新語から、「パソドブレ」、「デリンジャー現象」、「音義説」、「クロソイド」、「ドルメン」、「自己資本比率」などといった百科的項目まで、かなり幅ひろく採録していました。


Yeemarさんが指摘された「二酸化炭素」は、やはり遺漏なのでしょう。「万遺漏なきを期す」とはいかなかったようで…。


まだ意味論的な語義説明には目を通していないので、とりあえずどうでもよい事柄から。


・「ご」(語)の項の用例。「七万語」。ちゃっかり宣伝しています。


・「さき」(先)の項の例文に次のような例文があり、ちょっと笑えました。

「辞書づくりは先の長い(=長い年月を要する)仕事だ」


・「エロチック」の項には、こんな説明が。

「『エロ』と略すと、より肉欲的な意味合いを帯びる。」

…なるほど。


以下は『朝日新聞(夕刊)』(平成十四年十一月一日付)から引用。


『明鏡』の編集は、88年に始まった。明鏡とは「澄みきった鏡、転じて公明正大のたとえ」。名前の候補は約30あったが、「21世紀の、今の日本語を正しく映していく鏡としたい」と決めた。採録する言葉選びに約2年。北原さん(北原保雄さん―引用者)と4人の編集委員らが百回以上の会議で、99年ごろまで各項目の執筆作業と校正を重ねた。00年ごろから10月半ばの印刷直前まで、収録語の検討や校正は進められた。



skid さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 10日 火曜日 23:23:11)

新聞記事があったことを知らず、書店で見つけて驚いたのですけれど、うちの『朝日新聞(夕刊)』(平成十四年十一月一日付)には載っていませんでした。

版数が違うからでしょうか。

同じ都内でも、松井栄一先生が載ったときの写真が、カラーになっているのといないのとがありました。


『明鏡』はページ数の割に収録語数が7万と少な目なので、そのぶん情報量が多いと思ったのですけれど、活字が大きいぶん字詰や行数は少な目だから、たいして違わないのかもしれません。

ちなみに、ほとんどの辞典と同様に「たんすのこやし」は載っていませんでした。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 11日 水曜日 00:17:46)

 「たんすのこやし」ですか、なるほど。

手元の用例では、石川英輔『大江戸エネルギー事情』講談社文庫1993(元1990)

 人が織機の前に座って足で縦糸を動かし、横糸を一本ずつ手で通しながら織っていた時代の布は、大変な貫重品だった。〈たんすのこやし〉などという言葉のある時代に住むわれわれには、その貴重さがとうてい想像できないほどである。


ですが、もうちょっと古そうです。


たまたま下のサイトを見つけましたが、ここにも載っていません。

相原コージ先生に捧ぐ慣用句辞典



田島照生 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 11日 水曜日 02:16:28)

なぜでしょう。もしや「大阪版」の文化欄にのみ載ったとか?


現在、大修館書店のホームページには、新聞記事に載った井上ひさしさんのコメントの一部が掲載されています。ここでも確かに「十一月一日」となっています。


『朝日新聞』は、十一月の中旬ころにも『明鏡』の広告を掲載していました(かなり大きな広告です)。それ以前に、『日本経済新聞』(日付は失念しました)は、第一面の出版社別の広告に『明鏡』を載せていました。他紙は存じません。

大修館書店のトップページ



skid さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 12日 木曜日 08:52:01)

11月24日の朝日新聞(朝刊)に大きめの広告があって、そこにも井上ひさし氏のコメントが「朝日新聞十一月一日付」と載っていました。

社会面だったら記事の差し替えはしょっちゅうあるようですが、文化欄はどうなのでしょう。

たとえば、発売日がずれこんでしまったために記事を変えたとか。

井上ひさし氏といえば、11月19日の『類語大辞典』では広告の半分が井上氏の写真でした。

珍しく書名に「講談社」が入っていないこの辞典、角川書店の『類語国語辞典』みたいに縮刷版を出してくれないと使いにくそうです。


『類語大辞典』は何ヶ月か前から他の広告と一緒に予告が入り、内容見本も送ってもらったので分かっていました。

22日に神保町へ行った折、書店で『明鏡』を知った次第です。

以前は、大修館書店から新刊案内が届くこともあったのですが、近々直接行って内容見本があったらもらってくるつもり。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 16日 月曜日 20:53:48)

「うきぐも【浮き雲】」「うきな【浮き名】」などに「公用文では「浮雲」。」とか「公用文では「浮名」。」とか書いてあるので、「これは何だろう?」と疑問に思いました。「浮雲・浮名」などを例示している公用文の規定があるのでしょうか。


「浮き輪」は「公用文では……」の注記がないため、公用文でも「浮き輪」でしょうか。


公用文の書き方の規定は、各省庁や各自治体で独自のものを作っているようですが、その直接の根拠となる通達なり通知なり申合せなりがどういうものであるのか、私は存じません。とりあえず茨城県の「公用文における漢字使用等について」には「昭和56年10月1日 事務次官等会議申合せ」として次のようにあります。

複合の語〔略〕のうち,活用のない語であつて読み間違えるおそれのない語については,内閣官房及び文化庁からの通知の定めるところにより,「送り仮名の付け方」の本文の通則6の「許容」を適用して送り仮名を省くものとする。
の例として「受皿・売場・買物・掛金」などがあります。しかし、「浮雲・浮名」などはありません。



skid さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 16日 月曜日 22:30:54)

文化庁(文化部国語課)編集の『公用文の書き表し方の基準(資料集)』(第一法規出版)を見ますと、「文部省公用文送り仮名用例集」に浮雲・浮名が載っています。

そのほか、浮足・浮草・浮袋・浮世がありますが、浮輪はありません。

浮袋でよいなら浮輪でもOKだと思うのですけれど、こういうのってとにかく例示されたものだけが認められてしまい、載せられていないものはダメと解釈されてしまいがちですね。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 16日 月曜日 23:03:23)

すると文化庁の資料集によったのでしょうかね。ただ、『明鏡』では「浮き足」は「公用文では……」の注記がなく、「浮世」は「新聞では、慣用の固定として「浮世」と書く。」とあります。どうも注記の基準がはっきりしませんね。


ただ、「公用文では……」という注記は、「『取り扱い』か『取扱い』か?」などでよく悩む人がいるので、よりどころを求めたい人にとっては親切な試みだと思います。

 [公用文]浮雲

というような簡潔な表示にしてはいかがかと思いますが。



skid さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 16日 木曜日 05:40:20)

この前の朝日新聞の広告では、井上ひさし氏のコメントに「大阪版」と付け加えられていました。

また、開封し忘れていたダイレクト・メールなどを見たら、TESクラブという大修館書店を主とする割引特価販売の案内に「2002.11.1.朝日新聞より」として井上氏のコメントだけ転載してありました。

そして、内容見本も同封されています。

このTESクラブはホームページもあって、誰でも会員になれるようです。

『大漢語林』なんか6割引ですよ。



田島照生 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 17日 金曜日 03:08:51)

実を申さば、私もTESクラブ会員です。本を注文すると、自動的に会員に登録されます。年に二度、カタログが届きます。

今春は、明治書院とジョイントして、『新釈漢文大系』既刊本を約五十万円で販売しています。「在庫本特別販売目録」でも良書が見つかります。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 07日 金曜日 01:42:25)

『明鏡国語辞典』「みいだす【見出す】の項に「語構成は「見-出いだす」。これを「見い出す」のように書くのは誤り。」とあるのは親切なことです。手近のいくつかの辞典をみてもこのことは書いてありませんでした。


私は「見出だす」と書きます。「出づ」に対して「出だす」ですから、これでよいのではないかと思います。「送り仮名の付け方」の通則2を適用するわけです。ただ、現代語として「いでる」がないのが不安です。「送り仮名の付け方」は文語は視野に入っているのかいないのか。


「見出だしがたい」と書いた私の文章を見て、人が「見出しがたい」とすべきではないか、ワープロでもそう出てくる、と言いました。しかし、それでは「みだし」と読まれてしまうおそれをもちます。「(新聞の)見出し」ということばもありますし。


手近の辞書では、『三省堂国語辞典』が「見出だす」を採用。『新明解国語辞典』は「見出(だ)す」とします。私は目下は断然『三省堂国語辞典』派です。(しかし過去に書いたものは必ずしもそうなっていないかもしれません。)


××××氏の『×××における××××』という研究書のp.159には「適切な口語訳を見い出しがたい。」とあります。これは『明鏡国語辞典』のいう誤用例。



skid さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 07日 金曜日 12:35:10)

「出で立ち」というのがありますね。

私は「見出す」派なんですけれど、確かに「みだし」と紛らわしいという意識はあります。

「みだす」と読み間違う人もいるでしょう。

でも、事によると「見出だす」も「みでだす」なんて読み間違えている人がいるかもしれません。

「見いだす」が一番いいんじゃないかと思うんですけど。



skid さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 07日 金曜日 12:58:53)

「出で湯」も忘れちゃいけない。

「出光石油」を「でびかる」と読んでいた笑い話がありましたっけ。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 08日 土曜日 13:02:36)

九州の「出水」も、九州以外の人は普通「デミズ」と読んでしまいますよね、「イヅミ」ではなく。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 08日 土曜日 16:22:01)

鹿児島県出水市は振りがなも「いずみ」と表記するようですね。おそらく人々の頭には「出づ」との関連性はもはや意識されていなくて、それで「でみず」と読んだりするのでしょう。そもそも、「泉」自体、語源は「出づ水」なのでしょうが、「稲妻」を「いなずま」と書く伝で「いずみ」になってしまったものと思います。


「いでゆ」は、「温泉」の熟字訓として使われることも多いように思います。「出水」とどちらが多いのでしょう。近江俊郎の「湯の町エレジー」には「風のたよりに聞く君は 温泉(いでゆ)の町の人の妻」だったと思いますが、今、ホームページを検索すると、いろいろな表記があり、どれが真実の歌詞かわかりません。


『明鏡国語辞典』からちょっと離れてしまいました。


ついでに、『明鏡』といえば「明鏡止水」という四字熟語を連想しますが、これは宇野宗佑首相が無念の辞任のときに、無理に威厳を作りながら漏らしたせりふでもあります。そこで、この国語辞典を開くとき、私はいつも元首相の顔が浮かぶのです。

出水市ホームページ



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 08日 土曜日 16:25:45)

上のコメントは意味不明な部分がありました。


誤 「出水」とどちらが多いのでしょう。

正 「出湯」とどちらが多いのでしょう。



岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 08日 土曜日 18:44:33)

 話題はそれ続けますが、出水の北、水俣にある温泉地は湯鶴温泉と書き、「ゆのつる」と読んでいます。しかし旧式の書き方は「湯出温泉」であり、この表記から考えると「ゆのづる」であったのかもしれません。


 明鏡止水、私も宇野首相を思い出します。たしか「め↓いきょーし↑す↓い」というようなアクセントで言っていたような気がします。新明解では「政治家が使う」といった注記がしてあったと思います。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 08日 土曜日 21:35:08)

うちにある「NHK THE NEWS 1989」というビデオ(1989年12月に放送された「ニュースハイライト」〔1年を振り返る番組〕を収録したもの)を見てみました。宇野総理は「明鏡止水の心境でございます」と言っていますが、アクセントはやや不安定なものの、おそらくは平板のつもりで「メーキョー・シスイ」と言っているように聞こえます。


新明解では初版以来「不明朗のうわさが有る高官などが、世間に対して弁明する時などによく使われる」ですか。すると、宇野総理以前から弁明用語であったふしもあるのですね。いつごろからの話なのでしょう。



岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 08日 土曜日 22:14:58)

 Yeemarさん、ビデオでのご確認、有り難うございます。


 宇野発言は私の頭の中で変わってしまったようです。「明鏡止水の心境であります」だと思っていました。別の人のと混同しているのかもしれません。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 08日 土曜日 23:22:43)

Yeemarさん、「出水」を最初は「イズミ」と書いて、ちょっと考えて「イヅミ」と書きました。調べませんでした。「イズミ」だと「イズ+ミ」だと「出ず水」になると思って、「出ないとまずいな」と「イヅミ」に直したのでした。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 12日 水曜日 07:38:08)

ハヽアどうやらこのことらしいですね。

明鏡止水=昭9

「帝人事件」の「帝人」すなわち「帝国人絹会社」は金融恐慌の震源地となった鈴木商店の子会社で、台湾銀行は鈴木商店に対する債券の担保として帝人株二十二万株を所有していた。この株の取引をめぐって昭和九年四月、帝人、台湾銀行幹部、つづいて中島久万吉商相、鳩山一郎文相らが起訴された。その際、鳩山が貴族院での答弁中に使ったのが「明鏡止水」で、鳩山は無実の身を証明する意味で使ったものである。結局「帝人事件」は昭和十二年十月、「空中楼閣」であったとして全員無罪となったが、これは斎藤内閣の倒閣を目的とした事件であった。
(奥山益朗『現代流行語辞典』東京堂出版、1974)
戦前に鳩山一郎が用いたころから弁明用語であったということでしょう。『新明解』の主幹もこのあたりのことが頭にあったのでしょう。



面独斎 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 19日 水曜日 04:10:19)

「明鏡止水」は、現代用語の基礎知識(編)『20世紀に生まれたことば』(新潮OH!文庫、2000)の1934(昭和9)年の項にも載っていますが、説明がちょっと違っています。

【明鏡止水】
 樺太工業汚職事件で起訴された文部大臣鳩山一郎は、2月28日、貴族院での答弁で、「明鏡止水」(曇りない鏡と静かな水のように邪念のないこと)の心境と言って、無実を証明する意味で使ってから流行した。
「帝人事件」ではなく「樺太工業汚職事件」となっています。はたして事実はどうなのでしょう。なお、この「明鏡止水」の直前の項目として「帝人事件」も収録されています。



skid さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 19日 水曜日 17:41:37)

樺太工業汚職事件は、帝人事件の衆議院本会議中に暴露されたものです。

『東京朝日新聞』昭和9年2月16日に「鳩山文相俎上に上り/政友同士討の大醜態/岡本氏の暴露演説/衆院挙げて騒然」の見出しで、リードには、


  この動議に対し岡本氏は質問に名をかつて登壇するやその言論は遂に

  樺太工業会社に関する鳩山文相と自身との内面暴露にまで及んで泥試

  合の火ぶたを切つたので各派とも今更に驚き、(後略)


とあります。

正確なところは知りませんが、帝人事件を株売買にからむ政界の綱紀粛正事件とみれば、鳩山一郎もその事件の関係者となるのでしょう。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 15日 土曜日 18:34:00)

>××××氏の『×××における××××』という研究書のp.159には「適切な口語訳を見い出しがたい。」とあります。


飯間浩明 程度副詞「いと」はなぜしきりに用いられるか―「源氏物語」「枕草子」を対象に― 『国語学 研究と資料』26

という、意欲的な論文のp6に引用してある文献ですね。




Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 16日 日曜日 02:00:44)

――汗顔の至りでございます。


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2002年11月29日

わた菓子か?綿あめか?(道浦俊彦)


夜店の屋台などで子供の頃に食べた、割り箸の先にザラメから作った綿のような甘い、白やらピンクやらの食べ物を、皆さんは、「わた菓子」と言いますか?それとも「綿あめ」と呼びますか?

私は「わた菓子」派なのですが。どうも西日本は「わた菓子」が優勢、東日本は「綿あめ」が優勢な気がするのですが、どうなんでしょうか?年代にも関係しているのでしょうか?



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 29日 金曜日 21:53:34)

私も、西日本―綿菓子、東日本―綿飴のように感じていましたが、根據はありません。

自分の言葉―綿菓子、後で覚えた言葉―綿飴、であるのは確かです。



UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 30日 土曜日 01:13:16)

ちょっと気になったのですが、道浦さんが「わた菓子」のワタはひらがなで、

「綿あめ」のワタは漢字で書かれていることには何か意味があるのでしょうか?


「電気飴」という呼び方もあるようですね。

小学館国語大辞典では「わたがし」「わたあめ」どちらで引いても

「電気飴」を見よ、とされていてちょっとびっくり。

地方や年代によっては「電気飴」派もいるのでしょうか?



かねこっち さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 01日 日曜日 13:31:56)

関東在住、昭和31年生まれですが子供の頃食べたのは「わたあめ」でした。

綿菓子も綿飴も、cotton candy の訳語ということなんでしょうか。


検索していましたら、綿菓子の発明者がニューオリンズの人であるというページがありました。

ニューオリンズの著名人



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 01日 日曜日 16:47:00)

UEJさんの疑問、「わた菓子」「綿あめ」の使い分けは、私の親しんだ表記、ということで。

GOOGLEで調べたところ、

「綿菓子」1万5400件、

「綿がし」 105件

「わた菓子」 1140件

「わたがし」 3380件

で、一方は、

「わたあめ」 8100件

「綿あめ」 2180件

「綿飴」 3180件

「わた飴」 664件

でした。(11月29日調べ)

あまり意識せずに全部使っています。ゴメンナサイ。


「綿菓子」は江戸時代には輸入されていたのでしょうか?明治以降ですかね、やっぱり。その時にはどう訳したのか?かねこっちさんんのように、cotton candyのキャンディだと「飴」ですかね。


日国大の用例は、「綿飴」は向田邦子、「綿菓子」は、林芙美子と安部公房。向田は東京生まれで各地転々、林は下関生まれの尾道育ち、安部は東京生まれの満州育ち。なんと林も向田も、鹿児島の山下小学校というところに2、3年在籍していたという共通点が分りました。偶然でしょうが。

あと、沢my等貞子も「綿飴」でした。

しゃないで

60人ほどに聞いたのですが、やはり西日本出身者は「綿菓子」、東は「綿あめ」のようです。ただ、関西でも「綿あめ」しか使わない人もいて、両親や祖父母の関係なのかどうか。

岡山市出身の人は「綿菓子」で、「岡山市内ではなく、津山や新見の人が『綿飴』と言っていて、それを聞くと『田舎モンやなあ』と思った」という証言もありました。(津山、新見の人、ゴメンナサイ・・・。)




かねこっち さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 01日 日曜日 17:18:59)

inventor cotton candy で検索すると、発明者はニューオリンズではなくナッシュビルの方のようですね。

日本によくある元祖と本舗の争いのように起源に諸説あるということでしょうか。

上記の記述が正しければ日本への渡来ははやくても明治後半となるようです。

英語にも不案内なのですが、candyは「飴」より言葉の指す意味が大きいようですね。

綿菓子のほうが訳語として適切なのでしょうか。


綿菓子=綿飴ですが、水菓子は水飴とは別物であるのが、ちょっと面白いと思いました。


It was invented in 1897 by William Morrison and John >C. Wharton, candymakers from Nashville, Tennessee.

下記ページより。

The Invention of Cotton Candy



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 01日 日曜日 17:37:51)

「菓子」が示す範疇と「飴」の示す範疇が一部重なっているものの、まったく重なっているわけではないということでしょう。

昔は「菓子」には「果物」も含んでいたと。また「飴」は、「西洋菓子」の代名詞だったのではないでしょうか?



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 01日 日曜日 17:40:51)

同じくザラメ(砂糖)を原料とした、屋台の菓子で、関西には「ジャリン子・チエ」でおなじみの「カルメラ焼き」というのもあります。形態は違うけど、材料は同じ。作り方も似たようなものでしょう。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 01日 日曜日 18:07:17)

 カルメ焼きは東でしょうか。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 01日 日曜日 19:15:08)

私は「カルメ焼き」は知りませんでした。GOOGLE検索、

カルメ焼き=1740件

カルメ焼= 241件

カルメラ焼き=180件

カルメラ焼= 33件


語源は「キャラメル」と同じでしょうね?



かねこっち さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 01日 日曜日 20:31:13)

カルメ焼き、カルメ焼、軽目焼など表記はいろいろでしょうが、関東では

「かるめやき」じゃないでしょうか。


根拠はありませんが「電気飴」というのは綿飴、綿菓子よりも新しいのではないのでしょうか。

新しい、珍しいものに「電気」をつけた一種の商品名のような気がします。


子供の頃の漫才(たぶんコロンビアトップライト)のネタの中に「綿飴屋のおやじ」というのがあって、右手でかき回すように綿飴をかきとりながら、片足を上げ下げするギャグがありました。

綿飴の「回転の動力」が「人力」であったのでしょう。


あ、あと余計な話ですが、綿飴は素人でも作れますが、カルメ焼は難しいんですよね。




道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 01日 日曜日 21:00:06)

そうですか、むずかしいんですか。かねこっちさん、お詳しいですね。

「電気」を付けたものがはやったのは、大正時代くらいでしょうかね。例の「電気ブラン」などもありますね。

昨日、ひょんなことから、近畿日本鉄道のホームページを見ていたら、近鉄は創業当時からSLではなく「電車」だったんですね。明治時代に創業なのに。(もうすぐ創業100年かな。)これは驚きました。電気の歴史は思っていたより長そうです。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 01日 日曜日 21:04:47)

「電気飴」、知りませんでした。GOOGLEで14件ヒット!

「週刊新潮」の表紙の絵で知られた故・谷内六郎さんの作品に「電気飴」というのを見つけました。また香具師の口上としても出てきますね。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 01日 日曜日 22:51:30)

 さだまさしは「木根川橋」という歌の中で、もんじゃ焼きのコツはカルメ焼きを冷やすよりも易しかった、と歌っていました。




岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 02日 月曜日 00:31:31)

 ちなみに、さだまさしは、「ほおづき」でも「かかし」でも「わたがし」と歌っている九州人ですが、木根川橋は東京方面が舞台ですよね。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 02日 月曜日 00:50:49)

おお、さだまさし!「ほおづき」「案山子」で「わたがし」でしたか。ありがとう御座います。「木根川橋」、そんな曲もありましたね。

最近、さだまさしとかかぐや姫とか風とか、イルカとか、あのあたりの局が妙に懐かしく、CDを買ったりしています。

さだまさしの曲で「キョウチクトウの花は、赤い花」というような歌詞の曲が合ったと思うのですが、ご存知ないでしょうか?



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 02日 月曜日 01:35:01)

 それは「女郎花」ですね。ほおづきと同じくグレープの曲でした。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 02日 月曜日 02:33:46)

「おみなえし」!ありがとうございました。探してみます。夏から思い出せずに苦しんでいたのです。



かねこっち さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 02日 月曜日 20:43:58)

つい最近出た講談社「類語大辞典」には

【綿菓子】の項目の次に、独立した項目で


 【綿飴】「綿菓子」のより一般的な言い方。


とあります。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 03日 火曜日 10:47:19)

かねこっちさん、ありがとうございます。目の前にありながら、まだ「引き方」が分らずにほったらかしにしていました、「類語辞典」。この項は宮岡良成さんという方が執筆なさってますね。「綿飴」が「綿菓子」よりも「より一般的」という判断で。でもそれなら、「綿飴」のほうに意味を書いたらよさそうなものですね。いかがでしょう?



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 03日 火曜日 11:24:43)

宮岡さんは『新明解国語辞典・第五版』のアクセントの部分の「インフォーマント」的な役割を果たされた1957年、東京は小金井市生まれの方のようです。(あ、「東京は」と使ってしまった。)



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 29日 日曜日 01:17:32)

 見坊豪紀『ことばさまざまな出会い』では、東京の小学生の作文にある「綿菓子」が辞書にないことばとして取り上げられています(1960年代)。

 また、見坊豪紀『ことばの遊び学』に見える、スポンジケーキと綿菓子の関係も気になり、『言語生活』1963-10「ことばのくずかご」にあたったところ、コットンケーキを、「スポンケーキ」また「つむぎ飴」と呼んだらしく、よくわかりません。江戸時代の綿飴は何を指すのでしょう。

平成ことば事情969「綿菓子と綿あめ」


posted by 岡島昭浩 at 19:55| Comment(2) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年11月21日

自治体合併による新地名(Yeemar)

カタカナ地名での話題と重なる部分もありますが、分岐しました。

さいたま市が設置する行政区「見沼区」が「ダサい」と不人気で、名前を変えなければ危害を加えるとの脅迫状が届いた(2002.11.16 asahi.com)、住民は「東区」にしてほしいと陳情、さいたま市議会でも「大宮東区」との修正案が出たが(2002.11.19 TBS「筑紫哲也ニュース23」)、臨時市議会で20日未明、区名案を盛り込んだ区設置に関する条例案が可決された(2002.11.20 asahi.com他)。

「見沼」という区名は土地の「見沼田んぼ」に由来するそうなので、熊本県あさぎり町(朝霧が発生するからという)などの命名法よりは根拠がありそうです。

「ダサい」という反応はやや理解しがたく思います。おそらく土地の人は「見沼田んぼ」をよく知っているため、「見沼」イコール「田んぼ」イコール「ダサい」、という思考経路をたどっているのではないでしょうか。つまりは田んぼがダサいと言っているのでしょう。しかし、よそ者である私から見ると、べつに「見沼区」がダサいとは思われぬのです。

「〜沼」が「どろどろ」の感じがするという意見が「ニュース23」での住民の声にあったと記憶します。しかし、静岡県の「沼津」も、神奈川県の「鵠沼」も、どろどろでダサい感じはしません。

「みぬま」は万葉集にもあります。「大君は神にしませば水鳥のすだく水沼(みぬま)を都となしつ」。これは「都」に「水沼」が対置されているので、まあ「水鳥のすだく水沼」は都から遠く離れた田舎ということになるわけで、前段までの私の意見に反して「みぬま」がダサいことの証明にもなってしまいそうです。しかし、万葉にもある格調高い日本語であるということはいえそうです。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 22日 金曜日 07:50:29)

市町村合併ばやりの昨今、地名問題は、もっと取り上げるべき問題のようですね。
地名の「人格権」(人じゃないけど。法人格権とでもいいましょうか)も考えないと。地名には歴史がくっついてきていたはずですからね。


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2002年11月15日

他人のそら似―同音同綴異義語―(Yeemar)


発音が同じで、文字も同じの語同士を、「同音同綴(どうおんどうてい)異義語」と申します。國廣哲彌『意味論の方法』(大修館書店)に見える語。


たとえば、英語のport〈港〉とport〈ポートワイン〉は発音も綴りも同じなので、同音同綴異義語。kind〈種類〉とkind〈親切な〉もそうでしょう。


こういう類は、英語では簡単に発見できますが、日本語ではなかなか見つかりません。


「皮」と「川」はアクセントは同じですが、漢字が違うために、日本語では同音同綴とはいえません。逆に「上手(じょうず)」と「上手(かみて)」は字は同じですが発音が違います。


夜空の「星」と相撲の「星」は同音同綴という気もしますが、しかし、これは夜空の星が丸く、相撲の星も丸いところから、比喩的に転用されたものと思います。こういうものは、むしろ「多義語」と言ったほうがいいでしょう。犯人を指す「ホシ」は、夜空の「星」からかなり意味が離れているのでまさに「異義語」かもしれませんが、語源的にはおそらく、犯人の目印か何かに星印をつけたところから来ているのでしょう。もしそうだとすれば、完全に意味的な関連性がないとまではいえないわけです。また、ふつうは「ホシ」とカナ書きされるため、むしろ「異綴」になってしまうという嫌いもあります。


意味的に似ても似つかない、しかし見てくれは同じという、いわば「他人のそら似」のことばを、必要あっていろいろ考えていました。


とりあえず、「月齢」(月の満ち欠けの度合い)と「月齢」(赤ん坊が生まれてからどれぐらいたつかを月を単位に表した長さ)という例が思いつきました。しかし「齢」は〈時の長さ〉という点で共通しているので、今ひとつという感じです。


それから、「重文」(山田文法の用語で、複数の文が対等の資格で結合したもの)と「重文」(重要文化財)というのを思いつきました。さらに、「国体」(天皇を中心とする神国日本の姿)と「国体」(国民体育大会)というのもありますね。これらは、一方が略語である場合です。


ここでネタ切れとなってしまいました。ほかに、このような「他人のそら似語」をご存じありませんでしょうか。



UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 15日 金曜日 05:28:59)

英語の辞書では語源が同じにも関わらずport〈港〉とport〈ポートワイン〉、

kind〈種類〉とkind〈親切な〉を別項として挙げているのに、

日本語の辞書の場合は月齢、重文、国体とも同じ項目にひっくるめられてしまいますね。

別の言葉とする基準が全然違うのでしょうか。


動詞ではこういう例は沢山あるような気がします。

「壁にかける」「胡椒をかける」「電話をかける」の「かける」は

違う単語といってもよいくらい意味が異なるけれども同じ項

(広辞苑では「掛ける・懸ける」)として挙げられています。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 15日 金曜日 12:44:52)

2つのport、kindともに語源は同じなのですね。Portの例は、國廣哲彌氏も「究極的にはラテン語の‘portus’〈港〉に遡る」と説明しています。Kindは、『スタンダード英語語源辞典』によれば古英語(8〜11世紀頃)では「種類」のほうは「cynd(e), 古形gecynd(e)」、「親切な」のほうは「gecynde」で〈「種類」を参照せよ〉というマークがあります(つまりは同語源であることを示すのでしょう)。


「壁にかける」「電話をかける」などの「かける」も、くしくもこの國廣氏の本で考察されています。同氏いわく、「関連のある諸用法を連続するように並べてみると,その全体は,何かをある対象物目がけて移動させ,その結果対象物と接触し,その何かは対象物に支えられることになる,あるいはさらにその先まで移動することもある,という行程を示す」とのことです。


また、森田良行『基礎日本語』によれば、「かかる」は「それ自体では不安定な状態にある事物が(安定するように)他の事物を支えとして関係してくる。そのような状態にもっていくことは「かける」。」と分析されています。さらに「不安定な状態にあるもの(A)と、そのAが安定するようAの支えとなるもの(B)とが必要条件。Aはよりかかる側であり、Bに身をあずけ、Bなくしては安定しない状態のもの。一方、BはAによりかかられる側」とされます。


とすれば、それぞれの「かける」は、たとえば英語の動詞のgetやcomeなどのように、「用法の広いひとつの語」とみなすことができるようにも思うのです。


いっぽう、2つの「重文」「国体」などは、成立過程がまったく異なるので、あたかも「他人のそら似」という比喩が使えると思うのです。


こういうことは、「重要文化財」→「重文」というような省略語でもないと、日本語には容易に起こりえない現象なのでしょうか。


「三本(さんぽん)」というのを思いつきました。ひとつは野球の「三塁・本塁」ということで、「三本間で挟まれた」などと使うと思います。もうひとつは、「3つの書物」ということで、たとえばある古典の写本が3つ存在するとき、それらを見比べることを「三本対照」といいます。これは「さんぼん」ではなく「さんぽん」でしょう。『三本対照 宇治拾遺物語』などと書名に使います。しかし、あまりに特殊な例のようです。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 15日 金曜日 13:14:04)

2つのport, kindも結局は同語源であるとすると、英語でも、「成り立ちの違う語同士が、たまたま発音・綴りの上で同じになる」ことは少ないのかもしれません。start〈始める〉とSTART〈戦略兵器削減交渉〉などはそれにあたりますが、この場合も一方が略語ですね。




UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 15日 金曜日 14:10:55)

> とすれば、それぞれの「かける」は、たとえば英語の動詞のgetやcomeなどのように、

>「用法の広いひとつの語」とみなすことができるようにも思うのです。


なるほど、確かにそうですね。


> 英語でも、「成り立ちの違う語同士が、たまたま発音・綴りの上で同じになる」

> ことは少ないのかもしれません。


野球のbatとコウモリのbatなどは語源も違うと思います。

日本語よりは例を挙げるのはたやすいと思います。

というか日本語の場合は漢字表記も同じという条件によって

随分制限が厳しくなってますね。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 15日 金曜日 15:00:44)

略語では、ありますね。大学名の福大(福島大が区と福岡大学と福井大学)山大(山形大学、山口大学、山梨大学)とか。もっとも山梨大学は「梨大」、山口大学は「口大」でしたっけ?別のスレッドになってしまいますね。

地名で別の場所というのは?大阪の福島と福島県の福島とか。


日本語表記は漢字で表意文字だから、表音文字のアルファベットより、同じ文字で違う意味を避ける傾向が強いのではないでしょうか。表音文字じゃあ、避けようにも避けられませんからね。

ひらがなにしてしまえば、おと(ひょうき)だけいっしょで、いみがちがうものは、いっぱいあることになりまう。あたりまえか。



UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 15日 金曜日 16:02:23)

広辞苑を眺めていると、同じ漢字同じ読みの単語は基本的に一つの項目にしてしまうようです。

例外は、

a) 地名や人名。括弧付きで(地名)などとつけて別項とする。

 例:【山川】という項目とは別に【山川(姓氏)】という項目がある。

b) 一方の単語で使われない漢字表記が別の単語では使われる。

 例:【空手】(=手に何も持たないこと)とは別に【空手・唐手】(=拳法の一種)が、

   【人手】(=他人の手、他人のたすけ)とは別に【海星・人手】(ヒトデ綱の棘皮動物の総称)が、

   それぞれ別項として挙げてある。


これら以外に、同一項目にされているものの中にも、


【大意】

(1) 大体の意義

(2) 大きな意思


【大気】

(1) 度量の広いこと

(2) 地球を取り巻いている気体の総体。


というような、本来は違う単語として生まれたけれども複数の意味を持つ同一漢字によって

たまたま同じ綴りになったと思われる単語が結構見受けられます。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 15日 金曜日 21:45:25)

道浦さんがホームページで挙げていられた(こちら)「brake」「break」は、英語の「同音異綴異義語」の例ですね。


私は『岩波国語辞典』で、語釈が(1)(2)と分かれているものを初めから見て行き、異義語と思われるものを拾っていったのですが、途中で挫折してしまいました。


「空手」「人手」は、人々の意識の中では異義語になっているかもしれませんね。度量が広いほうの「大気」は知りませんでした。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 16日 土曜日 13:13:25)

「本屋」(書店)と、「本屋」(母屋)とは、由来来歴の違うことばが同音同字になったのでしょう。


「新人」(ニューフェース)と「新人」(クロマニョン人)とはどうでしょう。両方とも「あたらしいひと」には変わりないので単なる多義語の範囲でしょうか。しかし、後者は「原人」「旧人」などともに学術用語としてあらたに造語されたものと思います。


「国交」(国と国との交わり)と「国交」(国土交通)というのも最近できました。これは「重文」「国体」とおなじく略語由来グループです。



かねこっち さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 16日 土曜日 14:41:05)

かしゅう【加州】

(1)加賀国の別名。

(2)アメリカ合衆国のカリフォルニア州。


というのがありますね。

金沢に加州銀行がりました。(現在はどうでしょう)



UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 16日 土曜日 15:26:26)

これは広辞苑でも別項になっていました。

【日中】(日のある間)

【日中】(日本と中国)

成り立ちから言えば「重文」のケースとあまり変わらないような気がしますが、

項目が分けられている理由には両者のアクセントが違うことがあるのかもしれません。



UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 16日 土曜日 15:31:23)

これは広辞苑でも別項になっていました。

【日中】(日のある間)

【日中】(日本と中国)

成り立ちから言えば「重文」のケースとあまり変わらないような気がしますが、

項目が分けられている理由には両者のアクセントが違うことがあるのかもしれません。



UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 16日 土曜日 15:36:12)

申し訳ないです、投稿ダブってしまいました。

このメッセージも含めて削除して頂ければ幸いです。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 18日 月曜日 14:36:52)

「日中」で思い出しましたが、以前、寄席の中継で桂米朝師匠が


「ちかごろ、新聞の一面に私の名が大きゅう載っとりますのや。『米朝』『米朝』いうてな。ある時は『米朝、ついに決裂か』やて、えらい驚きましたわ」


というような意味のことを語っていました(大阪弁はでたらめ)。米朝枠組み合意のあった1994年ごろのことではないかと思います。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 18日 月曜日 15:40:35)

 「米朝南北会談」あるいは「米朝南北対談」というのもあって、米朝が鶴屋南北の怪談をやるのか、はたまた米朝と南北が対談するのか、と思っていたことでした。いや、違いますね。「米朝会談」「南北会談」だったですね。


 「中国(ちゅうこく)」には、「中期国債」と「中学校国語教員(養成課程|免許)」の意味がありそうです。


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2002年11月11日

馬から落馬

 この手のスレッドは立っていなかったようなので。

 徳島に行きましたら、「竹ちくわ」というのが土産としてあちこちで売っていましたし、観光パンフにも載っていました。

諸刃のやいば(ことばをめぐるひとりごとYeemarさん)


田島照生 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 11日 月曜日 20:58:05)

「諸刃のやいば」の例をひとつ。

そういうむずかしさの谷間みたいなところに日本の現状というのはあると思いますから、そういうところでの思想というようなものがつくられていかなくちゃならない。それは諸刃のやいばになっていくわけですし、ある意味では非常に危険を伴って、自己に対するやいばという形になるかもしれませんしね。
(吉本隆明談。『ことばの宇宙』1967年6月号―『改訂新版 共同幻想論』所収)

ほかに思いついた有名な重言の例。
「違和感を感ずる」「炎天下のもと」「コラム欄」「古来から」「いちばん最後」「期待して待つ」「あらかじめ予約する」「なれそめの初め」「思いがけないハプニング」「ハングル文字」「引き続き続行する」

…こういった重ねことばは、どこまでが「慣用」で、どこからが「誤用」と見なされるのでしょうか?

そういえば、「二度繰り返す」という既に定着したような表現さえ誤用だと言ってはばからない人もいます。国広哲弥さんは、『日本語誤用・慣用小辞典〔続〕』(講談社)で、「二度」は「同一の動作が結果として二度行なわれること」を意味する「結果副詞」だから、「二度繰り返す」は誤用ではないと主張しておられました。私は、この「二度」は単なる「強調」の意かと考えておりました。


通りすがりです さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 12日 火曜日 09:25:04)

たまに覗きにくる素人ですが、「二度繰り返す」は「三度繰り返す」
と言うことも有りですから、正しいように感じました。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 16日 土曜日 14:53:06)

リンクしてくださり、ありがとうございます。
その後みつけた「重言」を、当該ページに追記しておきました。お気づきの点ご教示いただけましたら幸いです。

諸刃のやいば(追記)


田島照生 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 16日 土曜日 22:06:41)

そう言えば「文選読み」って、ある意味で「重言」ですよね。

たとえば『千字文』の、「天地のあめつちは玄黄とくろく、きなり」。


畠中敏彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 17日 日曜日 22:51:50)

「違和感を感じる」「残像が残る」をよく耳にし、また、私も使います。
この二度繰り返しは、誤用ではないと思いますが、皆さまのご意見は?


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 18日 月曜日 10:28:15)

 漢語は切り離しにくいので、重言のようなものになりやすいですね。「違和を感じる」「像が残る」では足りないし、「違和感がある」「残像がある」でも言い足りない気がします。

 文選読みの場合には、部分的に重なるのではなく、まるまる繰り返すわけですが、これも漢語と和語のはざまに起きるものですね。

 「出典もと」「毎号ごとに」という言い方はけっこうあるのですね。昨日から今日にかけて、ともに活字で目にしたものですが、googleで検索するとたくさんあるようでした。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 18日 月曜日 22:44:14)

宣長、玉勝間巻七に曰く、

    三九 朝鮮の人のことば
 同じ人のかたりけるは、今朝鮮の国人の語、いやしき者は、訓と字音とをつらねていひ、よろしき者は、字音にていふ、たとへばいやしきものは、刀をはんどう、火をふるはあといふ、はんは刀の訓、とうは其字音也、ふるは火の訓、はあは其字音也、そをよろしき者は、刀をとう、火をはあといふ、よろづの言、みな此でう也とかたりき、此人は、いにし天明三年に、かの国人の、石見国にたゞよひきたりけるに、しば/\逢て、語る言を聞る也といへり、訓といふは、かの国の言、字音は、漢字のかの国の音也、

「同じ人」は小篠御野


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 19日 火曜日 23:29:26)

警報が発報

非常時はインターホンを
15秒以上押して下さい
警備会社に警報が発報します
(2002.11.19 日本橋箱崎町のビルのエスカレーターでの所見)
「発報」は『広辞苑』『日本国語大辞典』には見えない語です。「警報」を発するから「発報」というわけで、重言を承知で造語したものとみえます。二字漢語を使っていうならば、「警備会社に警報が発信されます」ではいかが。「警報が発令」は無理でしょうね。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 20日 水曜日 22:16:38)

エスカレーターではありません。エレベーターです。
洗濯機を「冷蔵庫」というような間違いですね。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 22日 金曜日 07:54:26)

後輩のMアナウンサーが「”一番最初”は重複していますよね?」と聞いてきました。良いのかなあと思いましたが、彼女は「一番はじめは」と直していました。まあ、これでも重なっていると言えば重なっているのでしょうが。強調表現の一種として「今現在」などもありますが。しょうがないのかなあ。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 22日 金曜日 15:47:05)

「一番はじめは一の宮、二は日光東照宮」でしたっけ。お手玉の文句にあったと記憶します。

「今現在」は重なっているわけではなく、この「現在」は「昨日現在」「10月現在」「今現在」というふうに、「……の時点で」の意味を表すものではないでしょうか?


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 22日 金曜日 17:30:33)

そう言っていただくと喜ぶアナウンサーが、1名以上おります。


かねこっち さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 22日 金曜日 20:33:52)

大流行、チゲ鍋ってのはどうでしょ


畠中敏彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 22日 金曜日 23:01:25)

「今の現状では・・・」も気になると言えば気になります。


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 23日 土曜日 00:21:58)

「大波が怒濤のように/ごとく」は、ウェブでたまに見かけるのですが、
個人サイトばかりでなく、朝日新聞サイトにもあるのですね。
ほかに「猿がましらのごとく」とか「気圧計は天気のバロメータ」なんかが
あるとおもしろいのですが。

米国開拓と原生林


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 23日 土曜日 10:07:25)

3つ上↑かねこっちさんの「チゲ鍋」ですが、理解を促すために、「外国語」プラス「その内容を含むおおまかな分野」という形で見出し的に出すことは、ままあるのではないでしょうか。「チゲという名の、そういう種類の鍋(料理)」という意味での「チゲ鍋」という表記。
同じく韓国語(朝鮮語)の、「ハングル」は、「ハングルという種類の文字」なので「ハングル語」というのは「間違い」と言えますが、まま「ハングル文字」というのは出てきますし、許容されています。「ハングル」だけではわかりにくいので。「重複、即、ダメ」ということでもないようですねぇ。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 23日 土曜日 12:45:50)

 「仮名」を「仮名文字」ということもありますが、「な」がもともと「文字」の意味です。意味が分からなくなってしまった場合に、〈治療〉が行われることがあるわけです。


田島照生 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 23日 土曜日 13:20:58)

岡島さんと似た例ですが、こちらは漢語。「文字」の「文」だけで「文字」の意ですね。「甲骨文」とか「金文」とかいった言葉では、「文」が「文字」の意を表しています。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 06日 金曜日 22:20:50)

4つ前の後藤さんのコメント、「目は人間のまなこなり」というのもありましたっけ。

「水槽の中に鉄の玉を入れたところ、急に、もぐったり沈んだりし始めた。なぜでしょう」というクイズは、多湖輝『頭の体操』か何かにあったような気がします。

その「もぐったり沈んだり」と似た例を。

10年以上前のNHK教育の番組「ETV8・シリーズ授業」は、今の「課外授業・ようこそ先輩」の先祖ともいうべき番組で、各界の著名人が、母校で講義をするというものです(現在のものよりもよっぽど難解)。

1988.11.30に放送された「言語の森を探ってみる」の講師に立った西江雅之氏(言語学者)は、

〔タとダの違いは〕声帯というのがあって、その声帯をね、閉じるかしめるか。それだけのね、違いがあるだけで、まったく同じ音なんです。
必要あって、古いビデオを見ていましたら出てきたせりふです。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 10日 火曜日 13:40:07)

「潜ったり沈んだり」は「頭の体操」にありましたね!私も覚えています。


かねこっち さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 16日 月曜日 09:20:50)

フローリングの床、フロアリングの床というのをよく耳にします。
検索でもけっこうひっかかりますが、いかがでしょう。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 08日 土曜日 15:28:01)

2003.03.08 深夜のNHK「爆笑オンエアバトル」で、「アンタッチャブル」というコンビが、次のような不動産屋のコントを演じていました。

店員「えー、じゃあ間取りとか……」
客「……は、あのー、間取りはね、1DKで7、8万ぐらいだね」
店員「7、8万1DK……やっぱトイレとキッチンは別のほうがいいですか」
客「当たりめえだろうよ。キッチンに台所見たことねえよお前」
コントはそのまま進んでしまいましたが、脈絡から考えて、「キッチンにトイレ」と言おうとして間違えたものと思います。

なお「……は、あのー」の部分は、[wa ano:] と発音します。


畠中敏彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 08日 土曜日 19:06:36)

私の育った鹿児島では、方言で大工をデッドン、粘土をカマツッ(窯土?)と呼んでいましたが、「だいくデッドン」、「ねんどカマツッ」と重複して使う人もおりました。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 10日 月曜日 11:04:38)

3月8日の「爆笑オンエアーバトル」見ましたが、「キッチンと台所」、聞き逃したまま笑っていました・・・・。Yeemarさん、冷静ですね・・・・。
私は「死体と死骸の違い」について書こうと思っていたので、「アルファルファ」というグループの「その獅子舞、ネコの死体を咥えていたよ」という台詞に、ビクンきました。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 15日 火曜日 20:10:20)

 スポーツi-ESPNというCS放送局の、加藤じろうというアナウンサーは、二塁打を打った選手が滑り込まずに立った状態で二塁に到達したときに「スタンディングダブルツーベース」と言います。

 これはスタンダブルかな、と思っていたのですが、本来は「スタンディング・ダブル」のようです。すなわちダブルが二塁打の意味であり、それにツーベースを付けるのは、重言なわけです。


いらかおる さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 23日 水曜日 16:28:15)

「兄弟姉妹」を「キョーダイ・シマイ」と読んだら、
年配の方から「キョーダイ」は「あに・おとうと」だけでなく
「姉妹」も含んでいるので重複表現だ、と言われました。
男女を別々に言う場合は「ケーテーシマイ」だというのです。
法律用語には残っているようですが、
「キョーダイ・シマイ」ではダメなのでしょうか。
「キョーダイシマイ」と1語にするのはアクセント上もおかしいとは思いますが。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 23日 水曜日 21:47:27)

「きょうだい」は口語となり、あねいもうとも含めた意味になってしまったけれども、「けいてい」はそうならず字義通りの意味に使える、というお考えなのでしょうね、その年配の方は。
その人は法律関係、ということはないのでしょうかね。法律関係の用語は、定義して使っていることが多いので、口頭の言語とは違っていることもありますから、それをもとに口頭の言語を批判されても困ることもあります。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 29日 火曜日 01:33:20)

> 「水槽の中に鉄の玉を入れたところ、急に、もぐったり沈んだりし始めた。なぜでしょう」というクイズは、多湖輝『頭の体操』か何かにあったような気がします。

これは『頭の体操 第2集』(1967)でした。

ある男が池に石を投げ込んだ。ところが、その石は、水にはいったとたん、もぐったり、沈んだりしはじめたという。水の深さは十分にあり、その石は、べつに軽石でもなかったとすると、こんなことがありうるか。
(p.87)


いらかおる さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 28日 木曜日 16:49:37)

ことしは冷夏だったにもかかわらず、「炎天下の中」というコメントが、たびたびテレビから聞こえてきました。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 31日 日曜日 20:06:36)

このところの「遅れてきた残暑」は、けっこう暑いですよ。


いらかおる さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 03日 水曜日 16:25:41)

「あぐら(胡座)をかいて座る」も重複ですね。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 03日 水曜日 18:31:27)

「日日(ひにち)」。既出?

 ついでに『日国』を引いたら、「日日毎日(ひにちまいにち)」「日日記(ひにっき)」なんて言葉もあるんですね。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 03日 水曜日 18:31:27)

「日日(ひにち)」。既出?

 ついでに『日国』を引いたら、「日日毎日(ひにちまいにち)」「日日記(ひにっき)」なんて言葉もあるんですね。


いらかおる さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 10日 水曜日 17:21:01)

ブリジストン工場の大火災、「真っ赤な炎を上げて炎上」していたそうです。
音で聞くと意外と違和感がないものですね。


いらかおる さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 17日 水曜日 15:05:17)

「毎正時ごとに・・・」はどうですか。


NISHIO さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 19日 水曜日 04:13:05)

なんとなく気になることば。

「まず最初に」「まず初めに」
「各○○ごとに…」
「縁談話」「怪談話」
「射程距離」
「製造メーカー」
「排気ガス」
「過去ログ」
「トリコロールカラー」
「えんどう豆」
「シェリー酒」「ラム酒」 …これらは「チゲ鍋」「ホーコー鍋」の伝でしょうか。

法規制による変な法人名。
「シティバンク銀行」
「アイワイバンク銀行」
「イーバンク銀行」

銀行法(昭和五十六年六月一日法律第五十九号)
|(商号)
|第六条 銀行は、その商号中に銀行という文字を使用しなければならない。

冗談で言うことば。
「頭痛が痛い」
「危険が危ない」
「疲労が疲れた」


hiroy さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 20日 木曜日 09:25:01)

地名に関して、どこまでを固有名詞として扱うか迷う場合があります。

例えば「メキシコシティ」ですが、「シティ」を含めて固有名詞だと思う
のですが、「メキシコシティ市」という表現には違和感があります。

また、英語の話になってしまいますが、"Mt. Fujisan"や"Tamagawa River"
といった表記にも違和感を覚えます。ネットで調べてみると、多数派は
"Mt. Fuji"や"Tama River"のようですが(私もこちらの方がしっくりきます)。
しかしながら、例えば山梨県にある日川の場合、"Hi River"ではなんか調子
狂ってしまいます。


NISHIO さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 21日 金曜日 04:38:21)

自然地名や施設名の案内標識のローマ字標識については議論の分かれるところですね。

以前どこかで(たぶんネット上で)読んだ話ですが、「広島西飛行場」行きのバスのローマ字表記が「Nishi Hikojo」になっているとか何とか。
『外国人のための表示なら「Nishi Airport」のほうが良いのではないか』、
『いや、車内アナウンスが「にしひこーじょー」ならそれに合わせたほうが分かりやすい』等々。
「West Airport」という主張があったかどうかは記憶にありません。

「Mt. Fuji」はそのまま世界的に通用すると思いますが、「Mt. Yari」はどうか…。外国人に突然「まうんとヤリ」と言われたら、日本人のほうが理解できないかもしれません

「XXXkawa Riv.」「XXXX-dori Ave.」の類は、建設省の時代に基本的なルールを決めたか変えたかの話を聞いたことがあります。最近の話題では、沖縄県内の道路案内標識ローマ字表示基準の制定(改定?)が記憶に残っています。

道路案内標識ローマ字表示基準(案)


NISHIO さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 21日 金曜日 05:03:50)

業界関係者としては気になることば。

"ローカルLAN"  LAN: Local Area Network
"広域LAN" (別の意味で変)
"ADSL回線"   ADSL: Asynchronous Digital Subscriber Line
"ISDN網"    ISDN: Integrated Services Digital Network
"IT技術"    IT: Information Technology
"IC回路"    IC: Integrated Circuit
"IPプロトコル" IP: Internet Protocol
"POPプロトコル" POP: Post Office Protocol
  …「xxxPプロトコル」の類は多数あり
"DRAMメモリ"  DRAM: Dynamic Random Access Memory
"SIMMメモリ"  SIMM: Single Inline Memory Module
  …「xxxMメモリ」の類は多数あり
"インターネット網"
"ハイテク技術"

もちろん業界人は正しく表現しますが、ついうっかり…が無きにしも非ず。


hiroy さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 21日 金曜日 05:36:33)

日本人・外国人双方に分かりやすい表記にするための判断は匙加減が難
しいですけれども、NISHIOさんに紹介していただいた沖縄総合事務局・
沖縄県の基準案を見てなるほどと思うと共に、このような明確な基準作
りが行われているということを知り、溜飲が下がりました。今まで場当
たり的に名付けてるんじゃないか?と思われることが多々ありましたの
で。。全国的にこのような基準作りを進めていって欲しいものです。

このような基準とその趣旨が一般の人にもっと広く知れ渡れば、
「Heiwakinen Memorial Park? なんかヘンだな...」と思う人は少なく
なるのではないかと思います。

しかし「沖縄こどもの国」の英語名改正案は「Okinawa-kodomo-no-kuni
Zoo」なのですね。日本語名だけ見ても"Zoo"であること(少なくとも
施設内に"Zoo"を含むこと)は分からないですが、逆に英語名を見ると分
かる、という逆転現象が面白いです。

ところで新横浜には、「セントラルアベニュー」(Central Ave.)という
通りと「新横浜中央通り」(Shinyokohama Chuo-dori)という通りがあり、
お互い交差しているのですが、何とも違和感があります。何とかならな
かったのでしょうか。。


hiroy さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 21日 金曜日 05:58:05)

> 業界関係者としては気になることば。

私も挙げようと思っていましたが、先を越されてしまいました(^^;。
それでは専門用語もありますが、その他いくつか挙げてみます。

"HTML言語" HTML: HyperText Markup Language
"XML言語" XML: eXtensible Markup Language
"SQL言語" SQL: Structured Query Language
※「xxxL言語」の類は多数あり。

"VPNネットワーク" VPN: Virtual Private Network
"BNF記法" BNF: Backus Naur Form (バッカス・ナウア記法)
"RPCコール"or"RPC呼び出し" RPC: Remote Procedure Call (遠隔手続き呼び出し)
"CORBAアーキテクチャ" CORBA: Common Object Request Broker Architecture

"CCD素子" CCD: Charge Coupled Devices (電荷結合素子)
"FETトランジスタ" Field-Effect Transistor (電界効果トランジスタ)
"LCDディスプレイ" LCD: Liquid Crystal Display (液晶ディスプレイ)

他にも英語表記ですが、
"NEC Corporation" NEC: Nippon Electronics Company
なんてのもあります。これは"NEC"で固有名詞だからセーフ?


hiroy さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 21日 金曜日 06:02:50)

"NDA契約" NDA: Non-Disclosure Agreement (秘密保持契約)
も時々目にしますね。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 21日 金曜日 07:42:52)

>hiroy さんからのコメント

>地名に関して、どこまでを固有名詞として扱うか迷う場合があります。
>例えば「メキシコシティ」ですが、「シティ」を含めて固有名詞だと思う>のですが、「メキシコシティ市」という表現には違和感があります。

これは私も以前気になったのですが、「現地語・現地音主義」によると、「メキシコ・シティ」は、現地語(スペイン語)ではなく英語なので、外来語表記(日本語)にしているとのことでした。スペイン語なら「シウダー・デル・メヒコ」とかなんとかなるんでしょうね。だから、英語が現地語であるアメリカで行われた例のオリンピックは「ソルトレークシティ」オリンピックでした。「ソルトレーク市」ではなく。でも「メキシコ市オリンピック」ではなく「メキシコ・オリンピック」だったんですよねえ。「市」は省くのですかね。「東京都オリンピック」でもなかったし、「シドニー市オリンピック」でもなかったから。


hiroy さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 21日 金曜日 15:49:48)

道浦さんのページ(ことばの話463)、拝見しました。

『新聞用語集』(1996.10 日本新聞協会編)では「メキシコ市」となって
いるんですね。新聞各紙は現在でも「メキシコ市」なのでしょうか?

しかし。。
「理由として考えられるのは、ともにスペイン語圏ですから、本来の現地
の言葉での都市名に「シティー」という英語の言葉が入っていないのでは
ないか?つまり、例えば「メキシコ・シティー」だと、「シウダー・デル・
メヒコ」というように、英語の「シティー」に当たるスペイン語の
「シウダー」(Ciudad)が使われているからではないか?という結論が
出ました。」
とのことなのですが、ならば何故「シウダー・デル・メヒコ」や「メヒコ市」
ではなくて「メキシコ市」と英語+日本語になったのか。。もうその当時は
英語の「メキシコ」が広まっていて、今さら「メヒコ」にはできない、との
ことだったのかもしれませんが、ならば「メキシコシティ」でもいいような。。

ソルトレイクシティ、カンザスシティ、ラピッドシティ、オイルシティ、
オクラホマシティ、等々、米国の「〜City」は新聞でも「〜市」とは
ならないんですね。よかった。。
地名に関してはそれだけでスレッドができる位、いろいろあります。

ところで、私が「馬から落馬」的だと思ったのは、「メキシコ市」では
なく「メキシコシティ市」という表現でした。固有名詞としてではなく
行政区を示したい場合は、こうならざるを得ない?でもちょっとヘンだ
なぁ、と。。でも「メキシコ市」となると、行政区は「メキシコ市市」??
四日市市があるのなら、これもまたOKでしょうか?

ちなみにメキシコですが、もともとコルテスがアステカ王国の都を破壊
して建設された都市が「メヒコ」(Mexico: 先住民の信仰した軍神の名前
に由来)で、そのメヒコを中心とする国を、後から英語で「メキシコ共和
国」と呼ぶようになったようです。で、国名と首都を区別するために
その後首都が「メキシコシティ」と呼ばれるようになった、とのことで
す。ならば「メキシコ五輪」は本来の意味では正しいのかも知れません。
(参考文献:『世界地名ルーツ辞典』牧英夫著、創拓社)

p.s.
私は道浦さんのサイトでここの会議室の存在を知りました(^_^)。
「平成ことば事情」、面白いですネ! 最近読み始めたのですが量がすごい
ので、時間が空いた時や気分転換したい時に、少しずつ読んでます。

ことばの話463「ソルトレーク五輪」


hiroy さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 21日 金曜日 15:55:36)

Oops!! 何故か同じ内容で2回投稿されてしまいました。
資源の無駄使いですね。。すみません。

#この掲示板、削除はできないんですよね?

(管理者岡島が削除いたしました。)


益山 健 さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 21日 金曜日 16:34:02)

「ソルトレークシティ」や「オクラホマシティ」は「シティ」をふくめて市のなまえです。したがって「市」をつけるときには「オクラホマシティ市」とすべきだろうとおもいます。英語でも「the city of Oklahoma City」のようによびます。「メキシコシティ」は英語での名称に由来し, 同じようにとりあつかうのがよろしいかとおもいます。メキシコの人が国名と区別する際には「Mexico DF (=distrito fideral)」とよぶのがふつうであるようです。

THE CITY OF OKLAHOMA CITY


NISHIO さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 23日 日曜日 03:12:18)

DF = distrito federal (連邦区) ですね。
国名の正式英語表記は「United Mexican States」(メキシコ合衆国)

以下は日本版。
5〜6年前のデータなので、合併等で変更・廃止されているかもしれません。

「○○市市」
09207 栃木県 今市市  (イマイチシ)
24202 三重県 四日市市 (ヨッカイチシ)
25205 滋賀県 八日市市 (ヨウカイチシ)
34213 広島県 廿日市市 (ハツカイチシ)

「○○市町」
01408 北海道 余市町 (ヨイチチョウ)
03502 岩手県 種市町 (タネイチマチ)
16322 富山県 上市町 (カミイチマチ)
17344 石川県 野々市町 (ノノイチマチ)
29443 奈良県 下市町 (シモイチチョウ)
32504 島根県 六日市町 (ムイカイチマチ)
34524 広島県 新市町 (シンイチチョウ)
39324 高知県 野市町 (ノイチチョウ)

「○○町市」
07206 福島県 原町市 (ハラマチシ)
15210 新潟県 十日町市 (トオカマチシ)
20212 長野県 大町市 (オオマチシ)
41423 佐賀県 大町町 (オオマチチョウ)
42389 長崎県 鹿町町 (シカマチチョウ)

「○○村市」
13227 東京都 羽村市 (ハムラシ)
39207 高知県 中村市 (ナカムラシ)
42205 長崎県 大村市 (オオムラシ)

「○○村町」
10464 群馬県 玉村町 (タマムラマチ)
21567 岐阜県 岩村町 (イワムラチョウ)
38463 愛媛県 野村町 (ノムラチョウ)


hiroy さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 25日 火曜日 05:12:26)

メキシコシティは"Mexico City, DF"と呼ばれているのですね。
しかし日本では"Washington, DC"を「ワシントンDC」と呼びますが、
「メキシコシティDF」は聞きませんね。。

「メキシコ共和国」は(Republic of Mexico)は「メキシコ合衆国」
(United Mexican States)成立前の名前です。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 05日 月曜日 17:13:52)

2004.01.05 17:00「NHKニュース」で、長野県田中知事が県名を「信州」に変更したい(または変更する)と述べたことが報じられました。すると「信州県」か? 単に「信州」か? 「信州」ならば昔からの名称だからいいとしても、「信州県」はあたかも「メキシコシティ市」(上参照)の趣があり、やめていただきたい。ここは文学者田中康夫氏の言語感覚に期待します。

「信州県」ができるならば、バランスを取るためには、上州県、紀州県、遠州県……と、すべての県が「○州県」になってしまいそうです。ただ「○州」の形で親しまれているかどうかには、地域によって差がありそうです。なぜ差が出るのか、複雑な歴史的経緯からとは思いますが、興味深いところです。

総務省は「県名は明治時代に制定され、国民が慣れ親しんでいる、慎重な議論必要」と述べたとのことです。


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2002年11月07日

私立探偵(道浦俊彦)


「私立探偵」という言葉、翻訳語ではないかと思いますが、「公立」や「国立」の探偵がいないのであれば、わざわざ「私立」と付けなくてもよさそうなものですが。どうなんでしょうか。インターネットで検索すると、「明治時代は刑事のことを探偵と呼んだ」という記述があり、その「探偵(刑事=公立?)」に対する概念として日本で「私立探偵」という言葉が出来たのでしょうか?「国立探偵」というマンガもあるようです。



田島照生 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 07日 木曜日 15:12:32)

『日本国語大辞典』(第二版)にも一部が引かれているのですが、谷崎潤一郎の『途上』では、


「『私立探偵』――日本には珍しいこの職業が、東京にも五、六軒できたことは知っていたけれど、実際に会うのは今日が始めてである。それにしても日本の私立探偵は西洋のよりも風采が立派なようだ、と、彼は思った」

(『谷崎潤一郎 犯罪小説集』集英社文庫,1991.8.25を参照)


と、あたかも西洋にも「私立探偵(という呼称のもの)」が存在するかのような表現で登場します。


ものの本によると、一八三二年にパリで開業したフランソワ・ビドッグという男(泥棒稼業から足を洗ったのだとか)が、現実における私立探偵の元祖だったようです。では小説のなかではどうだったかというと、オーギュスト・デュパンが最初の「名探偵」でしたが、デュパンは天才的なアマチュア探偵で、「依頼を受けて礼金をとる」という「私立探偵」ではなかったようです。


小林司・東山あかね『シャーロック・ホームズの推理博物館』(河出書房新社,2001.8.20)によると、「彼(ホームズ―引用者註)は、史上初の私立諮問(コンサルタント)探偵」としてヴィクトリア朝後期のイギリス、それも主にロンドンで活躍し、六〇の事件記録を残した。」「(ホームズは―引用者)一八七七年に世界で最初のコンサルト探偵をロンドンで開業、その後二十三年にわたってこの仕事に従事した。」などとあり、またBaring−Gould,W.S.の"Sherlock Holmes of Baker Street. A Life of the World's First Consulting Detective"(Clarkson N.Potter) という参考文献が挙げられているために、「私立探偵」という表現はなく、"Consulting Detective"(諮問探偵)という表現しかないのかなと思っておりました。しかし、http://www.geocities.com/~sherlockian/holmesian/dim_yop.htmlなどにHolmesは"private detective"である、というような表現が散見するので、やはり「私立探偵」のもとになったのはprivate detectiveなのかなとは思うのですが、ではpublicな探偵(あるいは探偵組織)は存在するのでしょうか。これはちょっとわからないのですが、下に引いておいた「ボウ・ストリート・ランナーズ」があるいは公的=publicな探偵組織なのかもしれません。ちょっと長くなりますが引用しておきます。


 一七九七年、ロンドンに警察組織の前身となったボウ・ストリート・ランナーズという小さな探偵組織が設けられた。それまでのロンドンには警察組織らしきものはなかったのだ。産業革命以来、農村から都会へ出てくる者があらわれ、ロンドンの人口集中が急激に進んだ。都市生活は失業を生み、スラムを作る。町には街灯がなく、横丁は暗い。また、アルコール度が強く安いことからジンが流行し、スラムの住人は飲んだくれていた。そんな状況下で多発する犯罪をなんとかしようというのがこの組織の目的であった。

 しかし、ボウ・ストリート・ランナーズができると、それによって自分たちの自由が制限されるのではないか、また、組織を維持するために税金が高くなる、と言って、ロンドンの住人は警察を作ることに猛烈な反対運動を起こした。この動きは、市民たちが、一二八五年に作られたマンチェスター法から延々と五百年もの間、自分の地域、自分の社会は自分で守れ、という意識で自らを支えてきたためであった。病人など自分で警備につけないものは、その代わりに金で人を雇うことになっていたのだが、そこで雇われる者の多くは失業者であった。だから、当時の人たちは、その手の人間によって作られる探偵組織など信用する気にはなれなかったのであろう。

(小林司・東山あかね『シャーロッキアンは眠れない』飛鳥新社,1994.8.17,p186−187)



田島照生 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 07日 木曜日 15:44:18)

参考までに。


http://www.angelfire.com/mi/cj243/goal1objD.htmlに、Bow Street Runners は、"first detective unit" として紹介されています。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 07日 木曜日 16:27:29)

田島様、丁寧に調べていただいて、ありがとうございます!いたみいります。

もしかして田島様はシャーロッキアンでしょうか?シャーロッキアンの方には、この問題は「常識」だったのでしょうか?



田島照生 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 09日 土曜日 15:02:30)

一時期、ホームズの研究会(日本にあります)に入ろうと思っていましたがやめました。

ホームズも好きですが、清張や乱歩はさらに好きです。

ですからシャーロッキアンというほどではないです。


いわゆるシャーロッキアンの方にとっては「常識」なのでしょうか?

そのあたりはちょっと存じませんが、とにかく少しでもお役に立てたようなのでなによりです。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 29日 日曜日 01:21:50)

リンクだけ。

ことばの話978「私立探偵」 



田島照生 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 30日 月曜日 11:57:15)

道浦さん、岡島さん、どうも有難うございます。


ところで、detectiveには、もともと「刑事」「警察」の意があるそうですね。英語圏では単に「探偵」(日本語でいう)のニュアンスで用いられているのかと思っていたのですが、どうもその時点から考えを誤っていたようです。寡聞にして存じませんでした。

例えば、http://www2.justnet.ne.jp/~azono/ma.zatugaku2.htmlでは、ワシントン市警の階級区分において、「刑事」=detectiveであることや、「刑事課」=detective divisionであることが記されています。まあ日本では、「刑事」は一種の俗称で、階級名ではありませんから、ワシントン市警にはそう翻訳されている階級があるということなのでしょうか(これは単純な誤訳かもしれず、私にはちょっとわかりかねます)。

また、http://www.hcn.zaq.ne.jp/caapa406/Crime/C_inspect.htmによりますと、英米共通で「巡査」をdetectiveと呼ぶそうです。


以下のページも参考になります。

wad’sさんの読書メモ


posted by 岡島昭浩 at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

しばらく(道浦俊彦)


「しばらく」という言葉を辞書で引くと、「少しの間」という意味と「長い間」という意味の、まったく正反対の意味が記されています。もともとは「少しの間」だったと思うのですが、なぜ「永井愛仇」に使われるのか、また、ほかにそのような言葉はあるのでしょうか?

「時間」というものは、その長さが「相対的」であり、「絶対的でない」ところに理由がありそうですが。



天野修治 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 13日 水曜日 09:37:43)

「しばらくお待ち下さい」の場合は待たせる側の尺度で「少しの間」の意となり、「しばらく待たせられた」は待つ側の尺度で「長い間」ということなのでしょうか。

時間の主観的な尺度については「さっきのこと」と「さきのこと」の「先」についても言えますね。この場合は「さっき」「さき」と今日では使い分けていますが、「先の大戦」のように言うと過去を指し、「それは先の話だ」のように言うと未来を指しています。「先」については以前この会議室でお尋ねしたことがありますが。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 14日 木曜日 07:35:15)

二つ上で、「永井愛仇」は「長い間」です。すみません。。。



天野修治 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 14日 木曜日 09:35:46)

「永井愛仇」は道浦さんの「凝った言葉遊び」かと思いました。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 14日 木曜日 10:47:58)

いえ、単なる変換ミスでした・・・。面目ない。


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2002年10月30日

君が代三唱(skid)


ある本の引用文に「君ヶ代ヲ三唱シテ散会ス」というものがあって、国歌の君が代を三回も繰り返して歌うことがあったのだろうか、と知人が不思議がっていました。

慶応大学の柳田先生のページには『アンデス時報』創刊号(大正12年)の引用があって、「列席者五十名宴酣にして君が代を三唱に領事の発声に和し」となっています。

はたして「三唱」とは三回歌うことでしょうか。

また、「発声」も歌うことを表すのでしょうか。

「君が代三唱」とは「万歳三唱」のことにも思えるのですが、ご教示いただけるとありがたく存じます。



岡島 さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 30日 水曜日 12:34:46)

和田信二郎『君が代と万歳』という本があり、その二つの課題の組み合わせ方を不思議に思っていましたが、お書き込みを見て繋がってきそうな気がしました。

その本をぱらぱら見た記憶によると、二つの関連を説くのではなく、別々に論じているように思ったのですが、関連がありそうですね。


君が代の三唱は、歌ったと言うよりも朗詠したのではないかという気もしますが、どうでしょう。

webcatplus



skid さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 30日 水曜日 13:46:50)

私も最初は、国歌の「君が代」ではなく、和歌の「君が代」ではないかと知人に答えましたが、何も根拠がないので一笑に付されてしまいました。

「君が代」といったら国歌だという先入観がある人を納得させるのは、ちょっと難しいかもしれません。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 30日 水曜日 22:03:26)

その『君が代と万歳』(1932年光風館書店。1991年の大空社の復刻版)をたまたま私も見たのですが、それによれば、「君が代」を合唱する回数について書いてあります。

「君が代」を吹奏し、合唱する回数はどうであるかと申しますと、一回と二回と三回と連続との四つの場合があります。

〔略〕

一般の儀式・音楽会等に於ては一回奏するのが普通であります。

〔略〕

学校の儀式の際には二回歌ふ事に定められてあります。

 二回歌ふといふ理由はよくわかりませんが、「君が代」は歌詞が短いので約五十秒位しかかゝりません。式場に於ける一般の気分を落着かせるのには、一回では少し時間が短過ぎるので二回→約一分四十秒位←が適当であるといふのであらうといはれて居ります。

観兵式の際、天皇陛下が団体の最右翼に到らせられた時に、軍楽隊は「君が代」三回を奏する事になつて居ります。
となっていて、吹奏する場合は何度か繰り返すこともあり、また学校では2回繰り返すことがあったことまではわかりました。学校については「師範学校中学校作法教授要項」(文部省調査、明治四十四年八月)に「「君カ代」ノ歌 合唱二回」とあるのが根拠でしょう。


しかしどうしてもこれが宴席などでの「君ヶ代ヲ三唱シテ散会ス」と結びつくとは思われません。


ところで「天皇陛下万歳」というのがありますね。上記『君が代と万歳』にもありますが、学校などでは「天皇陛下万歳、万歳、万歳。○○学校万歳、万歳、万歳」などとやったらしいです。べつに天皇おんみずからがその○○学校の会に列していなくても。


思いますに「君が代三唱」とは、天皇の万歳を寿いで3回唱和することではないでしょうか。つまり「天皇陛下万歳」を三唱したのではないでしょうか。「天皇陛下万歳」のことを「君が代」と言った例を知らないのが難点です。


「ある本の引用文」の前後に手がかりになる記述はないのでしょうか?



skid さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 31日 木曜日 16:56:56)

「君が代」を繰り返し2回歌うこと、3回演奏することは普通にあったのですか。

もし「三唱」が3回歌うことだったら、国語辞典の語釈にありそうなもの

です。

また、天皇の長久を祝して「万歳」を三唱することであったら、これもまた載せていないのは不思議です。

公の場で行われたものでしょうから、珍しいことではなかったはずです。


「ある本の引用文」の前後がどうなっているのか、原本は何か、問い合わせていますので、しばらくお待ちください。

なお、『アンデス時報』の「領事の発声に和し」というのは「乾杯」の発声と読み違えていたようです。



田島照生 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 11日 月曜日 22:01:07)

これはまったくの余談なのですが、若槻禮次郎の著作から引用しておきます。


ところで、以前から日本には、陛下が出御されるときに、これを歓呼する言葉がなく、ただ最敬礼といって、丁寧にお辞儀するばかりであった。フランス語でいう「ヴィヴ・ラ・フランス」とか「ブラボー」とか、英語なら「セーヴ・ザ・キング」とか「ロング・ライフ」とかいう、唱和する言葉があるとよいのだが、日本にはそれがない。腹の中に盛りあがる尊敬と親愛の感情を表現したいのだが、ただお辞儀をするだけでは物足りない。/それで大学の先生たちの間に、当日二重橋前で、陛下に対して歓呼の声を挙げ、それを将来日本の歓呼の形式にしようという議が持ちあがった。しからばどういう言葉がよいかといろいろ評議したが、経済学の和田垣博士(謙三)がこういうことは得意でもあり、上手でもあった。この和田垣博士が「万歳、万歳、万々歳」ということを提議し、これを唱えることに決まった。高等中学は大学の予備校ということで、縁故が深いばかりでなく、先生も共通な人が多く、なにかというと相談してやっていたので、高等中学も大学といっしょに「ばんざい」をやることになった。/学校の方はこれで決まったが、先生が一斉に大きな声を出して歓呼するため、御馬車の馬を驚かしてはいかんというので、前もって宮内省へその事を申し込んでおいた。それで宮内省では、あらかじめ用意して馬を馴らしていたと思う。/さて第一公式のりっぱな御馬車が二重橋を出て来た。高らかに「ばんざい」の声があがった。これが我国で万歳を唱えた第一声であった。ところが、豈図らんや、この突然の歓呼の声に怯えて御馬車の馬が驚いて棒立ちになり、足をばたばたやり出した。定めし陛下も驚きになったことであろう。自然に一同は遠慮する気持ちになって、第二声の「ばんざい」は小さな声になり、第三声の「万々歳」は唱えず、それきりになってしまった。だから、聞いていた人は、ことに和田垣案の「万歳、万歳、万々歳」ということを承知していない人は、初めから「万歳」を再唱したものと思ったに違いない。それでというわけでもないが、その後陛下の出御の時ばかりでなく、一般に何かめでたい時には、国民的の歓呼として「ばんざい」を唱えるようになったのだが、三声目の「万々歳」はあの時以来、闇から闇へ葬られた次第である。これは私が旗手として参列した時の出来事であったから、記憶に深いのである。

(若槻禮次郎「『ばんざい』の由来」―『明治・大正・昭和政界秘史』講談社学術文庫,1983.10.10所収←単行本1975年)



田島照生 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 11日 月曜日 22:06:20)

そういえば、書くのを忘れておりましたが、上のエピソードは「明治二十二年の憲法発布の日(2月11日)の朝」のことだそうです。



skid さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 22日 日曜日 11:28:29)

たいへん遅くなりました。

君が代三唱の出典を問い合わせたところ、第一高等学校「寄宿寮日誌」の明治27年6月23日の記述だそうです。

その引用は単に「君ガ代ヲ三唱シテ散会ス」だけなのですが、28年3月1日のほうには、以下のように書かれているとか。


  次ニ各寮ノ寮歌アリ或ハ職員ノ余興アリ終リニ幻燈アリテ君ガ代ヲ三唱

  シ 天皇陛下ノ万歳ヲ三呼シ寄宿寮万歳ヲ三呼シテ散会セシハ十一時ナ

  リキ


「君が代三唱」と「万歳三呼」がありますので、やはり3回歌ったということになるようですね。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 22日 日曜日 16:13:15)

> 「君が代三唱」とは、天皇の万歳を寿いで3回唱和することではないでしょうか。

という私の発言は珍説であったことが証明されてしまいました。


「3回も歌うということは、昔は今よりもっと速く歌ったのではあるまいか」などという別の珍説も思いついたのですが、『君が代と万歳』では2回歌って「約一分四十秒位」とありますから、べつに早口で歌ったのでもなさそうです。


しかし、2回で1分40秒くらいであれば、3回で2分半ですから、当時の流行歌が3分として、それよりは短いわけですね。


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2002年10月18日

犬の人形(道浦俊彦)

「人形」というのは本来、「人」をかたどったものですが、これを、たとえば「犬」のように「人ではないもの」をかたどったものを「人形」と呼んでいいのでしょうか?


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 20日 日曜日 08:29:23)

「赤い白墨」も同じたぐいでしょうね。時枝誠記『国語学原論』(岩波書店)p.228に

「白墨」は現今の主体的意識に於いては、「白い」「墨」といふ二個の概念単位に還元されるのではなくして、「チョーク」といふ一概念単位を表すに過ぎない。従つて「赤い白墨」「青い白墨」といふことが可能なのであつて、若し主体的意識に於いて「白墨」が二の概念に分析されるとしたら、「赤い白墨」といふが如きは全く非論理的表現といはなければならない。
今は「白墨」ということばを若い人は知りませんので、学生に説明するときは「犬の人形」という例を出すのがいいな、と道浦さんのお話を伺って思いました。時枝誠記ふうにいえば、「人」「形どったもの」という二概念が合して「人や動物を表象する置物」という新しい概念単位を表すようになったために「犬の人形」という言い方が存在する(ニュース原稿か何かでしょうか)のでしょう。

この手の言い方をほかに思い浮かべてみるのですが、よくあるようで、なかなか思いつきません。「古いニュース」というのはどうでしょうか。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 20日 日曜日 12:56:30)

 ちょっとそれるのもありますが、「ビニール製の吊革」「古い新書」「絵のない絵本」「懐かしいモダニズム」「収録作品を厳選した全集」「要語総索引」


かねこっち さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 20日 日曜日 15:14:43)

ピアノに白鍵と黒鍵というのがありますが、チェンバロ(だったか)などであの色が
反対のものがありますね。
そういう楽器では「黒鍵のエチュード」を(主に)「白い鍵」で弾くことになるわけです。
ドとレ、レとミの間の鍵を色の区別以外の呼び方でいうことってあるのでしょうか。
こちらも話題と少々ずれますが、常々疑問に思っておりましたので書き込みました。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 22日 火曜日 10:36:16)

みなさん、ありがとうございます。「黄色いワイシャツ」もありましたね。改めて検証すると、おもしろいかもしれません。それにしても辞書の記述では、人の形をしていないもの(動物)で「ぬいぐるみ以外のもの」に関して「人形」書いてないように思いますので、そのあたりも補足して欲しいなと思います。本当は「犬のフィギュア」という言葉を当てようとしたのですが、わかりにくいので「犬の置物」にしました。ちょっとイメージがずれるのですが。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 22日 火曜日 15:05:16)

道浦さんのお話では、もう問題解決のようですが、「コンクリートの枕木」というのを思いつきました。


管理人岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 15日 土曜日 14:49:47)

 関連すると言えば関連する話題。

犯人は狸


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 16日 日曜日 02:00:25)

野崎昭弘『詭弁論理学』(中公新書) p.35では、中世の魔女狩りが単純な二分法(魔女か/魔女でないか)の論理で行われたことを述べた上で、

 このへんの経過については、次の本が参考になる。
 森島恒雄『魔女狩り』岩波新書
 〔略〕
 前者は(「男の魔女」という言葉が出てくるのが気になったが)手に入れやすいし、非常におもしろい本なので、一読をおすすめしたい。〔後略〕
と紹介しています。魔女狩りに遭った人の中には女だけでなく男もいたということのようです。森島氏の本はまだ読んでおりません。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 19日 水曜日 15:43:13)

そういえば小学校の頃、「悪魔の人形」という怪談(?)が流行っていました。
「あっ、クマの人形」というのがオチです。

Webで検索すると、「悪魔のぬいぐるみ」派も居るようですが、
これだとオチが暗示されてしまうので、本来は「悪魔の人形」だと思われます。


posted by 岡島昭浩 at 14:25| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

眼が堅い(道浦俊彦)


「なかなか眠くならない」ことを「眼が堅い」と言います。これは標準語でしょうか?それとも方言でしょうか?方言なら、どの地域で使われているのでしょうか?

大阪では言うと思うのですが。「日本国語大辞典」では、「目が堅い」が項目として出ていて意味も載っていますが、「方言」とも書かれているのです。どうなんでしょうか??



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 20日 日曜日 12:53:46)

 私にとっては関西に出てきて聞いた言葉(「めーがかたい」)」で、九州時代には知りませんでした。しかしそれは、九州時代には独身で子供がいなかったせいかもしれません。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 09日 月曜日 18:51:30)

 道浦さん。リンクをしていただければありがたいのですが。

ことばの話951「めぇかたい」



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 10日 火曜日 13:28:27)

すみません。今後努力します。。。


posted by 岡島昭浩 at 14:07| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年10月17日

「ふしだら」と「だらしない」(道浦俊彦)


これは同じ語源でしょうか?「不しだら」、「しだらない」→「だらしない」。

「しだら」に関しては、『日本国語大辞典』によると、サンスクリットの「スートラ」からという説や、手拍子の「しだら」からという説などいろいろあるようですが、「枝垂れる」からという説はないのでしょうか?

また「しだらない」は「せつない」=「せつな・い」と同じように「しだらな・い」なのでしょうか?それとも「しだら・ない」なのでしょうか???


posted by 岡島昭浩 at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年10月16日

炊飯器の数え方(ひかり)


ご無沙汰しています。

さて,ある方から「炊飯器を数えるとき助数詞は何でしょうか」と聞かれ返答に困ってしまいました。感覚的には「台」だと思いますがご存知な方教えてください。



skid さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 16日 水曜日 13:09:27)

『新明解国語辞典』には「かぞえかた」欄があって「一台」ですね。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 16日 水曜日 16:23:37)

「1台」でいいのではないでしょうか。

ひかりさんに質問をされた方は「炊飯器」で「器」がつくから「1器」「2器」と数えるように思っていたのでしょうかね?

「消火器」は「1器、2器」、「冷蔵庫」は「1庫、2庫」、「自動車」は「1車、2車」とは数えないのと同じですね。

でも「飛行機」は「1機、2機」ですな。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 23日 火曜日 01:49:14)

飯田朝子『数え方の辞典』小学館(2004/03)が出ていますね。

『数え方の辞典』(アマゾン)


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2002年10月12日

アメリカンドッグとフレンチドッグ(道浦俊彦)


大阪にやってきた知り合いから「大阪では、アメリカンドッグ(あるいはドック)のことをフレンチドッグと言うようだが、大阪特有の呼び名か?」と聞かれました。アメリカンドッグもフレンチドッグも両方耳にしたことがある私は、どちらもそれほど不思議に思わなかったのですが、東京では「フレンチドッグ」とは言わないそうです。この名称はどこから生まれたもので、どこで使われているのでしょうか?



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 13日 日曜日 23:59:21)

フレンチドッグとアメリカンドッグとの違いについては、魚肉を使ったものがフレンチ、豚肉を使ったものがアメリカンであると、いくつかのウェブサイトで説かれていますね。説の出所がはっきりしないのが残念です。日本ハムソー協会か日本屋台組合(?)あたりで定義していないものでしょうか。


種類の違いによるのであって、方言差でないとするならば、東京にもアメリカンドッグ・フレンチドッグの両方があってよさそうです。


私自身(高松市→東京都中野区)、そのたぐいのものをあまり食べないせいか、ホットドッグとの違いも最初はよくわかりませんでした。アメリカンドッグというのは、耳にしたことがあるようなないようなという程度です。フレンチドッグというのはほぼ初耳ではないでしょうか。


そこで、「フレンチドッグ」の語をチャット・掲示板等以外で使用しているウェブサイトの管理者がどの地方の人であるかについて、Googleでの「フレンチドッグ」検索結果上位から順番に10何件ほどを調べたところ、


日記III(71日目〜)(千代田区在住。ただし北海道での見聞)

てけてけごうごう(岐阜市在住)〔参考  2(北海道情報)

TALK(北海道東部出身)

おわら風の……(不明。ただし富山県八尾町での見聞)

新着情報(北海道生田原町商工会)

HOTEL INFO(渋谷区の会社)

Diary No6(道北在住)

株式会社サンフレッシュ_最新情報(下関市の会社)

a point of view(北海道出身、在住)

古いにっき(不明。釧路市在住?)

模擬店の華 アメリカンドッグについて考える―(愛知県在住?)

平成12年度の活動実績(鈴鹿市の高専)

日記? 雑記?(名古屋市在住?)


のごとくであり、北海道・中部のひとが多いように見受けられます。


発生は分かりませんが、現状についての一端は推測できるように思われます。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 14日 月曜日 00:09:51)

> 種類の違いによるのであって、方言差でないとするならば、東京にもアメリカンドッグ・フレンチドッグの両方があってよさそうです。


ここは不十分です。地方によってモノそのものがあったりなかったりしますね。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 14日 月曜日 01:09:14)

 私が子供の頃、小倉球場か平和台球場で食べていたのは、「フレンチドック」だったと思います。中身が魚肉であったか豚肉であったかは分かりませんが、形状は、棒にさしたウインナー(ソーセージ)のまわりに、あまくした小麦粉を溶いたものを付けて揚げたやつですよね。で、それにケチャップやからしをかけて食べる。


 ホットドックのことをアメリカンドックと言っているのを聞いたことがある気がするので念のために。これはパンを開いて中にウインナーなどを挟み、軽く焼いて食べる、と。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 17日 木曜日 07:44:08)

最初にこの疑問をぶつけてきた知人が自分で調べて、「アメリカでは”コーンドッグ”と呼ばれている」事を突き止めました。依然としてなぜ「アメリカン「やフレンチ」なのかは謎のままです。


posted by 岡島昭浩 at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年10月02日

『しほ』といふ文字は?(kodae)

「徒然草」第136段、「先づ、『しほ』といふ文字は、いづれの偏にか侍らん」と問はれたりけるに、「土偏に候ふ」と申したりければ、……」について、「新訂徒然草」(岩波文庫)には、「『しほ』の漢字には、「鹽」と「塩」とがあって……」と記されているが、今ひとつ分かりにくいので、お教えください。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 03日 木曜日 00:48:18)

これは講談社文庫、川瀬一馬氏の解釈では、医師篤成が正字の「鹽」を知らず、略字の「塩」しか知らなかったため、「『しお』は何へんですか」という質問を受けて、部首が「土へん」に属する「塩」の字のほうを思い浮かべ、そのように答えたのがおかしいということになっています。

でも、漢和辞典を見ますと、「鹽」も「塩」も「鹵」の部首に属します。ということは、仮に彼が「塩」という字を思い浮かべたとしても、「土へん」と言ってはだめで、「部首は『鹵』に属します」と答えなければならなかったのです。これが岩波文庫の解釈(を私が押し進めたもの)です。

そういえば、私の知る西洋人で、日本人である私に「○○という漢字の部首は何か知っていますか?」と、引っかけ問題を出しては悦に入っている人がいました。彼が徒然草を知っていたら、私に対して「才のほど、既に顕れにたり」と言ったかもしまれません。そのようなクイズを出して喜ぶタイプの人はたしかにいます。

ところが、ここでまた逆転がありまして、小松英雄氏は『徒然草抜書』(講談社学術文庫)で、上のような解釈はちっとも徒然草が読めていない人の言うことだ、と批判します。「いづれのへんにか侍らん」というのは、「どの文献(篇)に出ていますか」という意味だというのです(今、小松氏の説を乱暴に要約しています)。長慶天皇の「仙源抄」という書物にも「いづれのへんにつきてか」ということばは出てきて、「どのような典拠によって」という意味で使われています。

つまり、この医師篤成は、「塩についての説明は、どういう文献(篇)に出てきますか」と質問されたのに、どの文献かを知らなかったため、「えーと、あのー、土へんです」と、苦しいとんちで答えた、そこが面白いと小松氏はみているわけです。私もこの解釈が最も話として分かりやすいと思います。

いかがでしょうか。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 03日 木曜日 08:23:59)

(すみません、あまりわかっていないのに、書き込みをして・・・)
あのお、「篇」と「偏」ではアクセントが違うので、間違わないのではないでしょうか?「篇」は頭高、「偏」は平板アクセントでは?それでも取り違えた、ということなのでしょうか?


skid さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 03日 木曜日 11:28:54)

アクセントの違いがあるからこそ、間違えたのではなく、苦し紛れにトンチで答えたという解釈がさらに説得力を持つことになりそうですね。
もちろん、登場人物の出身地によるとは思いますが。
『日本国語辞典』第二版を見ると、『名語記』や『太平記』では「偏」を「篇」と表記しています。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 03日 木曜日 11:39:54)

ああ、そうですね、間違えたのではないと。苦し紛れで答えるからこそおもしろいのでしたね。早とちりでした。
ところで「篇」と「偏」が同じ表記もあると言うことですが、「篇」と「編」は同じですか?


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 08日 火曜日 05:58:51)

今ならばさしずめ、「源氏物語の作者はだれですか」と聞かれて、わからなかった人が

「えーとあのー、源氏鶏太(源氏書えた)」

と言った、というたとえはどうでしょう。(全然違いますね)


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 08日 火曜日 20:20:28)

 これには、山田健三さんの論文がありまして、詳しいことは今度書きます。

 「〈しお〉という漢字は、説文解字による漢字の分類では〈何に従う〉ことになっていますか。」
 「えー、長沢規矩也の『明解漢和辞典』なら土の部に出ています」

というところでしょうか。

ちょっと強引すぎる纏め方ですが。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 04日 水曜日 04:26:13)

山田建三氏のご論文は不勉強で存じませんでした。また、池田証寿氏の「徒然草第百三十六段の一解釈――漢字使用の実態と漢字字体規範とのずれ――」 (『国語と国文学』76-5 1999)がご本人のホームページで読めるのですね(こちら〔PDF版〕)。別スレッド「研究会のご案内」に書かれているご発表はこれに先行するものでしょうか。

池田氏のご論文によれば、小松英雄氏の説は、その後の研究(伊東玉美氏他)であまり肯定的にとらえられていないようで、ものたりなく感じます。

私には、小松英雄氏が長慶天皇「仙源抄」の定家仮名遣いに関する記述――「音にもあらず義にもあらず、いづれの篇につきて定めたるにか、おぼつかなし」を引いて、「徒然草」のこの部分を解釈されたのは、まことにあざやかで、ほとんど文句のつけようがない解釈だと思われました。「そうそう、『仙源抄』、そんなことが書いてあったっけ」と思って本文を確かめてみると、その「いづれの篇」は、どう見ても「徒然草」のこの部分と同じ用法としか思われないのです。

笑話の設定としても、無理がなく、これは簡単にはくつがえせない説だと思われました。ところが、池田氏によれば「近時の諸注釈がこれをほとんど無視するのは、解釈としての分かりにくさに弱点があるからであろう」ということでした。

「塩についての説明は、どういう文献(篇)に出てきますか」「えっ、あの、塩。塩というと、えーと、何だっけなあ。あのー、どういう篇かというとね、あなたね、それは土へんです」「君とはやってられんわ」

現代のギャグとしても、通用すると思うのですが。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 04日 水曜日 21:12:08)

 詳しいことを書くと言いながら、そのままになっておりました。一度コピーが出てきたのですが、また行方不明になりました。

山田健三「しほといふ文字は何れのへんにか侍らん―辞書生活史から」
国語国文68-12(1999)

です。当時の漢字辞典(玉篇)は、後の字彙・康煕字典などと違って親切ではありません。もちろん現在の漢和辞典のような音訓索引なんてありませんし、「塩」をひくと「鹽を見よ。何ページ」などとは書いてありません。それに漢字が何の部首にあるのか、というのは、単なる字形や物知りの問題ではなく、漢字の思想、ひいてはその漢字の表す物事の思想と深く関わるものだと考えられていました。説文や玉篇の部首は、画数順ではなく、思想的に関連する連想式配列になっています。
 という背景を考えないと行けないよ、というのが、山田さんの論(の一部)であったかと記憶します。

 池田証寿氏の説は、青山学院大学で開かれた訓点語学会で発表されたものかと思います。1998年でしたか。句読点学会でのお話は、山田健三氏のものよりもあとですね。
 


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 06日 金曜日 18:41:13)

その後、伊東玉美氏、山田健三氏の論を含め、小松氏より新しい論文を拝見しました。教えられるところが非常に多くありました。

しかしながら、小松説は、なお魅力を失っていないように思われます。もともと「小松ファン」である私の先入観のせいばかりではないでしょう。

〈小松氏は、「へん」を「本草書の部立て」のことと考えている〉と受け取られているふしがあり、また、そのような前提で批判されたりもしているのですが、小松氏は著書の追記で「書籍の下位分類」(部立て)のみならず、「書名」の可能性もあると、事実上訂正しています。

とすれば、長慶天皇「仙源抄」の用例とうまくつながるのです。「いづれの篇につきて定めたるにか、おぼつかなし」(どの本によってそう決めたのか、不明だ)と、「徒然草」のこの部分とそっくりの用例があることをどう説明するのか、この点についての言及が、どの論にもまったくないことを不満に思います。私は、「仙源抄」のことば遣いとの似寄りが非常に気になります。

もう一点、「徒然草」の逸話は、多くは学者以外の人がよんですっと分かる話となっており、この段のおちも、一般受けする(と言って悪ければ、学者以外の人の微笑をさそう)ものでなければならないはずなのに、それにしては、多くの説では、いわば専門家受けするおちになっていて、話として弱いのではないかという疑問があります。小松説は、そこをクリアしていると思うのです。


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2002年10月01日

「近年」とは過去何年程度を指すのでしょうか(コガ)


「近年」という言葉を、かなり適当にあいまいに使っていたところ、「言葉は正確に使うように。辞書では『近年』とは最近の数年を指す」と注意を受けて驚きました。

確かに、インターネット大辞林と広辞林では「最近の数年。近頃」とあります。

文脈次第だと考えていたのですが、どうなのでしょうか。・・・すいません。「数年」とは「10年未満」と思って辞書を読んでいたのですが、10年以上を指すこともあるのでしょうか。

教えてください。

よろしくお願いします。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 02日 水曜日 01:03:09)

『新明解国語辞典』では「近年」=「(それほど昔ではなく)この数年」、「数」=「三、四の。五、六の。文脈により多い意にも少ない意にもなる」ということですから、「近年」は10年未満、「ここ5,6年」ということになるのでしょうね。この辞書によると。

今は「ドッグイヤー」で、スピード化の時代なので、もっと短い周期を指すのかもしれません。

以前から「10年ひと昔」というので、10年以上前を「近年」と呼ぶのは、現代においては無理ではないでしょうか?

最近は「昔やりましたね」というのが「数ヶ月前」の話だったりします。

よほど今の時代の流れの速さを拒否して、悠々と過ごしてらっしゃる方は、「近年」を10年以上で使えるかもしれません。ちょっと、うらやましい・・・・。

もしくは、昔の文章の中に出てくる場合は「10年以上も可」かもしれませんね。

いかがでしょうか?



skid さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 02日 水曜日 08:21:00)

10年以上ならば「十数年」とか「数十年」になるので、やはり「数年」は一桁でなければならないと思います。

しかし、「近年」というと、人によって「近い」の感覚は違っているのではないでしょうか。

私は「数年」より曖昧に感じるので、十年以上前かどうかよく分からない場合は「近年」でごまかしていました。

ちょっと反省。




Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 03日 木曜日 01:05:58)

Googleでことばの意味を調べるとき、「○○とは」「○○というのは」というキーワードを使ってみることがあります。自分では「裏技」と思っております。


この際「近年というのは」で検索してみると、

近年というのは一般的には江戸時代以降を指しているようだが、僕の頭の中では戦後ということだ。
という例もありまして、戦後は「近年」に含まれると考えている人もあることが分かります(この場合は江戸期を指す近世との混同があるでしょうか)。


また、「近年というのはどの位さかのぼる」のかを、ある県の当局が答弁している例もあります。

私見ではありますが、治水事業ですから20年から30年ということだと思いますが、ここはちょっと近年というのは訂正させてもらいます。
と、20〜30年を「近年」とした後、すぐ訂正しています。


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2002年09月10日

せざるおえない(田島照生)


最近、「〜せざるを得ない」を「〜せざる、をえない」と切って言っている人をしばしば見かけます。テレヴィジョンでも、著名なタレントやアナウンサーまでもが、「せざる、をえない」と言っています。

これはあるいは「異分析」と呼ばれる現象ではないでしょうか? もしかすると「『習い性』となる」とか「『綺羅星』の如く」とかのように、「せざる負えない」と分析して発言しているのではないかと考えておるのですが、私の考え方は正しいでしょうか? それとも、また別のアイディーアがあるでしょうか。御知恵をお借りしたく存じます。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 09月 10日 火曜日 11:56:16)

私も、テレビの音声を聞いていてご同様に「はてな」と思うことがあります。しかし、アクセントが変わるわけではなく、力の入れ方が微妙に違うだけなので、音声の例として確証を得られる例にまだ行き当たっていません。


「ざる終えない」などと考えている場合も多そうです。Googleで検索してみますと


 ざるを得ない 約223,000(75.9%)

 ざるをえない 約62,400(21.2%)

−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ざるおえない 約4,280(1.5%)

 ざる終えない 約1,760(0.6%)

 ざる負えない 約1,230(0.4%)

 ざろう得ない 約462件(0.2%)

 ざろうえない 約310(0.1%)

 ざる追えない 約206(0.1%)

  他 ざる生えない・ざる逐えない若干


となっていて、上記であらゆる語形・表記を網羅していると仮定すれば、97%は正用、残りの3%ほどが誤解していることになります。


「ざろうえない」とは何だと思いますが、あるのですね。私の大学時代の友人(日本文学科)が、レポートに「ざろうえない」と書いていたのを見て仰天したことがあります。それを指摘すると、「ああそう」と言って、服のごみでも払うように無造作に「ざるをえない」に直しました。どっちでも大差ないと思われたようです。


岡島さんには「やもうえず」と書かれた出版物をご教示いただいたことがあります。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 09月 10日 火曜日 12:26:52)

> しかし、アクセントが変わるわけではなく、


「せざる・負えない」ならば「LHL・LHHH」、「せざる・終えない」ならば「LHL・LHHL」となるはずなので、その場合は当然アクセントは変わるわけです。正確には道浦さんにお伺いしたいところです。


しかし、私の聞いた例では、「せざる・おえない」と切っているらしい場合でも、アクセントは「LHL・LHLL」(Lは低く、Hは高い)となっていて、ふつうの切り方「せざるを・えない」(LHLL・HLL)と結果的に同じになっているようだったという意味です。もっとも、その「私の聞いた例」が、実際どうだったかあやふやなのです。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 17日 木曜日 08:14:19)

2002.01.17 「NHKニュースおはよう日本」のロシアと中国の国境問題に関するニュースで、記者リポートではっきり「向き合わざる・おえなくなっいます。」と切って発音していました。アクセントは「LHL・LHLL」でした。


もっとも、「向き合わざる、を得なくなっています」(「向き合わない、そういうことを得なくなっています」)のつもりである可能性もありますが、現代では「ざるを得ない」でひとつの連語なので、やはり切るのはへんでしょう。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 17日 木曜日 08:16:29)

> アクセントは「LHL・LHLL」でした。


意味不明のことを書いてしまいました。「ざる・おえなく」の部分のアクセントは「HL・LHLL」でした。



田島照生 さんからのコメント
( Date: 2002年 10月 20日 日曜日 01:13:23)

>Yeemarさん


懇切丁寧に教えて下さり、有り難うございます。

「ざろうえない」が存在することは存じませんでした。

そういえば、民放のアナウンサーが、「ざるを得ない」を「LHL・LHHL」と発音しているのは何度か聞いたことがあります。


ところで余談なのですが、私は幼いころから青年期に至るまで、『ゴンドラの唄』の「命短し恋せよ乙女」の部分を、どういうわけか「命短し恋せよお留」とばかり思い込んでおり、大正期は「お留」という人名が一般的であったのかなどと考えて納得しておりました。聞き違えとは恐ろしいものです。



岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 17日 月曜日 13:22:51)

「と思いきゃ」というのは、文字の大きさの間違いかと思いきや、「と思いきゃあ」「と思いきゃー」というのがあるんですね。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 17日 月曜日 23:11:29)

「と思いきゃあ」の語源意識としては、「〜〜と思ったが、キャー、驚いたことに」なのでしょうか。しかしgoogleでは「思いキャー」で引っかかるのは、「思い」と「キャー」の間に切れ目があるものだけのようです。


「思いきゃあ」と「思いきや」の両方でかかるページが一つありますが、この言い方に触れたわけではなく、単なるミスタイプなのでしょうか。omoikiya omoikyaa? でも「思いきぃあ」omoikyiaじゃないし。ローマ字のカスタマイズによるものでしょうか。


posted by 岡島昭浩 at 01:41| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年09月08日

当時、その語はなかった


真偽はともかく、誰かがそういっているもの。


森鴎外『最後の一句』

固より「マルチリウム」といふ洋語も知らず、又当時の辞書には献身という訳語もなかったので


森鴎外『ヰタ・セクスアリス』

情熱と云う語はまだ無かったが、有ったら情熱が無いとも云ったのだろう。衒学なんと云う語もまだ流行らなかったが、流行っていたらこの場合に使われたのだろう。その外、自己弁護だなんぞと云う罪名もまだ無かった。


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2002年08月28日

「東京(都)の人は気が短い」(Yeemar)


岡島さんの「目についたことば」1996.08.14「オーサカサカイシ」に関連しますが、都道府県名をいうとき「〜都」「〜道」「〜府」「〜県」(これらを一括して何と称すればよいのでしょうか)をつけることができるかどうかは、それが「〜都」「〜府」か「〜県」かによって繊細な違いがありそうだということを、最近感じております。


・北海道の「〜道」は常につける。これはいうまでもない。


・「〜都」「〜府」は、生活語としては略した方が自然な場合がありそうです。対して、「〜県」はつけても違和感がない場合が多いようです。


  例1)? 東京都の人は気が短い。

     ○ 東京の人は気が短い。

     ○ 香川県の人はのんびりしている。

     ○ 香川の人はのんびりしている。


  例2)? 大阪府に旅行に行きませんか。

     ○ 大阪に旅行に行きませんか。

     ○ 徳島県に旅行に行きませんか。

     ○ 徳島に旅行に行きませんか。


  例3)?〜○ わたしの出身地は、東京都の目黒です。

     ○ わたしの出身地は、東京の目黒です。

     ○ わたしの出身地は、香川県の高松です。

     ? わたしの出身地は、香川の高松です。


例3のような場合、香川県出身の私はまずおそらく「香川県の高松です」と言うはずです。特に相手が香川県になじみがうすいと思われる場合はなおさらです。単に「香川です」と言うと、「それ、どこ?」と言われそうだからです。相手が四国の人であったり、同県人であったりする場合は、県名を略して単に「高松です」と言うので、「香川です」という言い方はどっちにしろ使わないと思います。


東京の場合、「府→市→都」と変遷してきたので、「〜都」は生活語として定着度が弱いということがあるでしょうか。また、ただ単に「東京」と言った場合、それは23区であって、市部は含まれないというようなことがあるのでしょうか。しかし


  例4)? 東京都の小平市に叔母がおりまして。

     ○ 東京の小平市に叔母がおりまして。


という文を比べると、下の方が自然であるように思われます。


ニュースの「オーサカサカイシ」は、こうした生活語に基づいた言い方であるのかとも思います。


私だけの語感でしょうか。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 30日 金曜日 17:21:14)

 なるほど、そういうことはありそうですね。


 ただ「府」でも京都の場合は、いささか事情が変わってきそうに思います。

 非京都市部を「京都」と呼ぶことに臆病になる(京都市への遠慮といいますか、怒られるのが怖いといいますか)という事情があるからです。

 「京都府の福知山」は言えても、「京都の福知山」は言いづらい気がします。


 県名と県庁所在地名が違う場合と同じ場合とでも違うような気もいたします。ちょっと逸れますが、「秋田県秋田市」は冗長と感じても「宮城県仙台市」はさほど冗長とも思わない、とか。でも「兵庫県神戸市」や「愛知県名古屋市」は情調と感じ(NHKで聴取者からのお便りはそのように言っているように思います)、「神戸市○○区」と言った方が情報量が増えて良いのではと感じたりします。


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2002年08月08日

「キャップ」のアクセント(道浦俊彦)


「ペットボトルのキャップ」と言う時の「キャップ」、皆さんはどう発音するでしょうか?

「キャップ(HLL)」(Hは高く、Lは低く)と「キャッ」を高く、「プ」を低く言う「頭高アクセント」ですか?それとも「キャップ(LHH)」と「キャ」を低く、「ップ」を高く言う「平板アクセント」でしょうか?

関西の人は「キャップ(LLH)」と最後の「プ」だけを高く言う「平板アクセント」が多いのではないかと思いますが。

どうでしょうか?

また、アクセントの違いで、意味の使い分けはしますか?

お教えください。



UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 08日 木曜日 09:41:18)

福岡出身ですが平板アクセントです。

頭高アクセントだとウルトラマンに出てくる科学特捜隊のムラマツ隊長を思い浮かべます。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 08日 木曜日 10:05:31)

平板アクセントはやめようと思っている私ですが、「LHH」もたまには出てくるかもしれません。好みとしては「HLL」であります。


「captain」の意味ではつねに「HLL」であろうと思います。


ややこしい問題を回避するため「ふた」と言えばすむかもしれませんが、「ボールペンのふた」とは言えないようです。


私は原語のアクセントがあるところを高くしておけば何でも間違いないと思っているため、「ピアノ」は「LHL」と発音しますが、これはさすがにおかしいと人に言われます。


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2002年08月01日

ディスクジョッキーが使う「世界観」(森川知史)


 最近、ラジオのディスクジョッキー番組を聴いていて、気になり出したのが、「世界観」ということばです。

「この楽曲の世界観がとても気に入ってます」とか「このシンガーの歌う世界観がいいですね」などと、当然のように使われているのです。

 言うまでもないことですが、世界観とは、 「世界を全体として意味づける見方。人生観よりも包括的。単なる知的把握にとどまらず、より直接的な情意的評価を含む。広辞苑第5版」と説明されるように、その人が「世界」「外界」「世の中」をどう見るか、という意味のはずです。

 でも、ジョッキーたちが使っているのは、敢えて当て字をすれば世界<感>とでも書くのが適当そうな意味なのだろうと思えます。「その曲の世界」「その歌手の世界」の「感じ」がいいとか好きとか言っているようです。

 皆さんはどうお考えですか?


posted by 岡島昭浩 at 21:49| Comment(1) | TrackBack(1) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする