2002年07月30日

朝鮮語か韓国語か(UEJ)

アメちゃん」にコメントしていて気になったので。

言語学の世界ではどの呼称が主流なのでしょうか?コリア語?

科目名は「朝鮮語」?「韓国語」?


UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 07月 30日 火曜日 04:04:27)

英語では、
 北朝鮮:Democratic People's Republic of Korea
 韓国:Republic of Korea
なんですね。
漢字名と英語名で全然違う単語が使われているのはちょっと不思議。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 07月 30日 火曜日 12:30:54)

 私はずっと朝鮮語というようにしています。韓語というのなら、南北の両方を含んだ言い方として可能ですが、北のことばを韓国語とは呼べないし。

 韓国の、その名も朝鮮大学校という大学と福井大学の間に締結された文書(韓国語版)には、チョソンマルではなくハングンマルと書いてあったので、韓国では朝鮮語という言い方はしないのだろうな、と思ったことでした。(「北韓」という言い方は今でもしているのでしょうかね)


ヒカル さんからのコメント
( Date: 2002年 07月 30日 火曜日 20:29:41)

「韓国語」を勉強していたわたしは、韓国人の話す言葉を韓国語、北朝鮮で話されている言葉を「朝鮮語」と呼んでいます。
分断後50年(?)くらいだと思いますが、二国の言葉は用法や発音など
微妙に違うそうです。方言のようなかんじでしょうか。

韓国に限っていうと、なぜかはわかりませんが、「朝鮮」はとても失礼な言葉なのだそうです。だから韓国側からすると「韓国語」と呼びたいのでは
ないでしょうか?

NHK「ハングル語講座」のような使われ方をされている「ハングル」ですが、「ハングル」は言葉ではなく、文字を指す言葉なので、ハングル語という言い方はおかしいと思います。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 01日 木曜日 07:36:09)

NHKは「ハングル語講座」ではなく「ハングル講座」ではありませんか。ご確認ください。1988年のソウル五輪を控えて新設された語学番組で、その際に番組名を「韓国語講座にするのか朝鮮語講座にするのか」ということでもめて、結局「ハングル講座」に落ち着いたと聞いています。「ハングル」は文字なので「ハングル語」はおかしい、要注意!と日本テレビ系列ではワールドカップを前に通知が来ました。「ハングル文字」も重複しておかしいのですが、「ハングル」だけでは「文字」だということがわかりにくいので、「ハングル文字」と重複するケースも許容されることがあります。


かねこっち さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 02日 金曜日 09:38:13)

韓国と北朝鮮との発音の差異の代表的なもので「李」さんは、韓国では「イ」さん、北
朝鮮では「リ」さんというのは有名かとおもいます。
そんなこともあって、

(道浦さん)
>「韓国語講座にするのか朝鮮語講座にするのか」ということでもめて、結局「ハングル
>講座」に落ち着いた

という事情のもとに始まった「ハングル講座」に「李」さんが登場しないのは、この姓の
読み方を紹介すれば、この「講座」が「朝鮮語」なのか「韓国語」なのかが判明してしまう
からである、ということが囁かれておりました。
(その後、講座へは「李」さんが出演し、「イ」さんと紹介されていました)

いわゆるニューカマーと呼ばれる日本に定住、あるいは長期滞在する韓国人たちが経営する
居酒屋によくいくのですが、母語が韓国語である人が「ハングル語」という言葉を使うのを
いくたびか耳にしております。
「ハングル語」はいかにもヘンですが、韓国人がこれを使用する場合にもなんらかの「配慮」
がはたらいていると考えるべきでしょうか。

韓国ソウル市内の大きな書店で辞書を買い求めたことがありますが、その書店の売り場では
「日朝辞典」「朝日辞典」は1冊も目にすることはありませんでした。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 03日 土曜日 16:50:11)

「日朝」「朝日」が使われないのはやはり、戦前の「朝鮮」に対する日本の仕打ちが、いまだに尾を引いているのは間違いないところでしょう。でも「朝日」は「ちょうにち」と読む人より、「あさひ」と読む人の方が圧倒的に多いでしょうから、ややこしいので避けているのかも。
しかし、「日朝外相会談」は新聞でも使っています。それなら、「朝鮮民主主義人民共和国」の略称は「朝鮮」でいいのではないか、とも思いますが「それは許せない」という人たちがいるのでしょうね。

「北朝鮮人」という表現は、原則しません。「○○人」という場合に「○○」に入るのは、@民族名A国名あるいは国名の略称ですが、「北朝鮮」はそのどちらでもないというのです。「略称」ではなく「通称」だと。それはそうなのですが、その一方で「台湾人」は平気で使っていますから、「原則」などというものは、ないといっていいのではないでしょうか。


ヒカル さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 05日 月曜日 21:35:35)

「ハングル講座」でした、すみません。m(U_U)m
道浦さん、ご指摘ありがとうございました。

それでもやはり日本語講座をひらがな講座、英語講座をアルファベット講座と言わないように、「ハングル講座」はおかしいと思いますが・・・。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 06日 火曜日 00:35:03)

それはそうですね。
だから、「苦肉の策」なのでしょう。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 22日 木曜日 19:35:49)

 コリア半島ではなく日本列島が分断されて、北はソ連の影響の強い社会主義国家に、南はアメリカ合衆国の影響の強い国になる可能性もあったわけです。

 南の大和民国(ダイワミンコク)は東京を首都とし、北の日本民主主義人民共和国は札幌(か仙台)あたりを首都とする。

 列島全体ですでに東京の言葉が共通語になっていたため、北の日本民主主義人民共和国でも、東京の言葉を基本とした言葉が共通語になっている。北海道は東京の言葉に近く(と住民は思っている)、札幌の言葉が北日本の共通語であるとしている。
 南の大和民国では、国語を「和国語」と呼ぶように決めている。しかし日本大学は日本大学のままだ。日本放送協会はどうでしょう(「朝鮮日報」にあたるものとして挙例)。

 ジャパン列島の場合、どこかに植民地支配されていた、ということがないので、その分、話が違ってきますが、ジャパン列島の言語のことを、なんと呼びましょう。日本語・大和語・かな語・ジャパン語。

 北の首都が東京・南の首都が大阪である場合は状況が変わりそうです(東と西か)。分離後すぐに、京阪の言葉を大和民国の標準語にすべきであるとの建議が出されます。大阪の放送局は全国に向かって、大阪風の言い回しで放送を始めますし、京阪在住の物書きたちは新言文一致運動を起こし、「北和共産集団」の言葉とは違う、「伝統にのっとった美しい言葉」と称して、京阪語を文章語の域に持っていこうとするでしょう。

ちょっとした妄想でした。


面独斎 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 21日 金曜日 01:51:05)

大学で言語学を学びました。学術的には「朝鮮語」と呼ぶのだと教わりましたデス、ハイ。


posted by 岡島昭浩 at 03:56| Comment(1) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年07月17日

2ちゃんねる(2ちゃんねらー)

おぞましい世界だが、見るだけならよかろう。
古文漢文板から、スレ違いだが面白い。
辞典の用例の話になっておる。
古文、漢文は理系受験には要らないだろう!! 


2ちゃんねらー さんからのコメント
( Date: 2002年 07月 17日 水曜日 13:25:27)

基本。

言語学@2ch


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 07月 18日 木曜日 10:35:07)

 古文・漢文・漢字板、たしかに面白いですね。

 しかし、匿名掲示板のおそろしさも感じます。この会議室がそうならないよう、ここはマターリと(^o^;、ゆきましょう。


posted by 岡島昭浩 at 12:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年06月15日

「〜たことある?」と「〜たときある?」(Yeemar)

経験を尋ねるときの言い方で、たとえば、

  「犬にかみつかれたことありますか?」……(1)
  「電車の中に傘を忘れることはありますか?」……(2)

という代わりに、

  「犬にかみつかれたときありますか?」……(1')
  「電車の中に傘を忘れるときはありますか?」……(2')

というように「とき」を使われる方はいられますでしょうか。

ちなみに、私はこういう場合には「こと」を使い、「とき」は使いません。しかし、香川県の中学の友人が「とき」を使っていました。また、山形県の方が、自分は使わないが周りに「とき」を使う人がいたと証言してくださいました。こういうことは『方言文法地図』に載っていそうな気もしましたが、既刊の分には載っていないようです。方言差によるものかどうかもよく分かりません。
この話題には既視感もあります。どなたか触れていらっしゃいましたでしょうか。

  「紅茶に蜂蜜を入れて飲むことある?」……(3)
  「紅茶に蜂蜜を入れて飲むときある?」……(3')

の(3')は、(1')(2')に比べて違和感が少ないようです(皆無ではない)。

  「紅茶に蜂蜜を入れて飲むときもある?」……(3'')

ならば、違和感はゼロです。「飲むときは」も可のようです。なぜでしょうか。

皆様はこのような場合にどのように表現されますでしょうか。


名無し象 さんからのコメント
( Date: 2002年 06月 17日 月曜日 17:58:56)

 この話題、どっかで見たときある、と思われ。


鼻がウナギだ さんからのコメント
( Date: 2002年 06月 27日 木曜日 00:09:32)

ここ見れ

2ch


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 06月 27日 木曜日 09:33:24)

ご教示ありがとうございます。小心者の小生には「2ちゃんねる」はどうも近寄りがたく、見ておりませんでした。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 07月 05日 金曜日 00:31:04)

 手元のファイルを検索してみて、「見つかった」と思ったのですが、「……た時である」の誤認識のようでした。


http://kotobakai.seesaa.net/article/8258290.html

posted by 岡島昭浩 at 12:49| Comment(0) | TrackBack(1) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年06月05日

英語と日本語にないお嬢さんに親しみをこめた呼びかけ(三条院)

はじめして。

フランス語ではマドモアゼル、スペイン語ではセニョリータ、ロシア語のジェーブシュカ、中国語のシアオジェ などのように私の知っている言葉ではたいてい若いお嬢さんに親しみを込めて言う言葉があります。ウェートレス等を呼ぶときに大変重宝ですが、日本語と英語ではどうもしっくりきません。

英語でヘイ!ガールと呼ぶのも品がないし、ましてやチックとかベイブじゃお話になりません。逆にミスと呼んでいるのも聞いたことがありません。日本では昭和30年代くらいまで お嬢さん と呼びかけておかしくありませんでしが、最近は聞きません。姉さんというのも飲み屋で中年のご婦人にしか使われませんね。島国の人間はどちらもシャイなのでしょうか??

うまい日本語はできないものでしょうか?



posted by 岡島昭浩 at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年05月25日

(歌謡曲における)終止形の連体用法

サザンオールスターズの「生まれく せりふとは」とか、時々ありますね。

適当にやっているのでしょうが、なにか傾向があるのでしょうか。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 05月 25日 土曜日 16:41:58)

 リズムの要因があるのでしょう。

 例えば、大滝詠一「サイダー……73?」でしたか、「ナイアガラムーン」所収の「サイダー73,74,75」のうちの一曲。
 メインボーカルは「あなたがジンと来る時は」と歌っていますが、バックコーラスでは、「あなたが、じんとく、ときは」と歌っています。

旧終止形の連体用法というよりも「る」の脱落と見た方がよいのかもしれません。でも古典の終止形と同形であるから、許されているのだと思います。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 05月 25日 土曜日 16:42:40)

 リズムの要因があるのでしょう。

 例えば、大滝詠一「サイダー……73?」でしたか、「ナイアガラムーン」所収の「サイダー73,74,75」のうちの一曲。
 メインボーカルは「あなたがジンと来る時は」と歌っていますが、バックコーラスでは、「あなたが、じんとく、ときは」と歌っています。

旧終止形の連体用法というよりも「る」の脱落と見た方がよいのかもしれません。でも古典の終止形と同形であるから、許されているのだと思います。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 05月 26日 日曜日 00:03:08)

 どの様なときに二重書き込みになってしまうのでしょうか。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 05月 26日 日曜日 07:17:25)

「たのし都 恋の都」(東京ラプソディー)のようなものは、判断の揺れるところ。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 06月 27日 木曜日 01:42:00)

「とめど流る清か水」はなかなか面白いです。サザンオールスターズのなんという曲でしたっけ。

「とめど流るる涙」というのはアリスの「今はもうだれも」にあります(佐竹俊郎作詩作曲)。この歌によって歌謡界に持ち込まれたものでしょう

「止めど」というのは「止めても」という意味で使っていると思われ、本来ならば「止むれど」とあるべきところでしょう。
ところが、「止めどなく」という言葉があり(止めるところがない)、これと混線したために「止めど流るる」という言葉が使われたのでしょう。

「とめど流る清か水」で、この表題にかなう部分は「流る」の部分ですが、「とめど」も面白いのでした。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 06月 27日 木曜日 09:51:09)

「楽し都」は上代の「うまし国そ」などと同じでしょうか。類例は「いとし殿御のこころの中〔うち〕は 雲におききと言うのかえ」(「花笠道中」詞曲・米山正夫、歌・美空ひばり)

以下の例は「赤き灯燃ゆ東京」というふうに、「燃ゆ」を連体用法にしているのでしょうか。メロディを聴くとそんな感じです。

銀座の街 きょうも暮れて
赤き灯燃ゆ 恋し東京
恋し東京
(「なつかしの歌声」詞・西条八十、曲・古賀政男、歌・藤山一郎/二葉あき子)
2001.06.19のNHK「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」では、「父と息子 執念燃ゆ 大辞典」というのを放送しましたが、「執念燃ゆ」のあとに空白が開いていたものの、何か落ち着かない感じでした。「執念燃ゆる大辞典」ではだめだったのでしょうか。

# なかなか接続できないときに、2重3重の書き込みになってしまうようですね。


新会議室へ

posted by 岡島昭浩 at 01:14| Comment(1) | TrackBack(1) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年05月12日

…氏病(UEJ)

「ハンセン病」は以前は「ハンセン病」と呼ばれていたかと思います。
(参考:http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/8952/hansen/meisyo.html
他にも「〜氏病」と呼ばれる病気は多いですが(例:バセドー氏病、パーキンソン氏病)、これに関して、

・なぜわざわざ「氏」が入るのでしょうか?
 英語では例えば「Hansen's disease」のように言うけれども、「Mr. Hansen's disease」とは言いません。
 関連して摂氏や華氏の「氏」もありますね。ということは中国語の影響?
 googleで「氏病」で検索すると中国語のページが多く引っかかってきます。

・最近は「氏」をトル傾向にあるのでしょうか?ナゼ?

情報ご存知の方教えて下さい。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 05月 16日 木曜日 19:23:01)

ワッセルマン氏反応とかいうのもありますね。医学用語に多いのでしょうか。

他の分野では、たとえばロールシャッハ氏テスト、デリンジャー氏現象などとは、あまり言わないように思います。かつてはどうだったでしょうか。Googleで「ユークリッド氏空間」というのが1例だけ出てきましたが、これは根拠があるのでしょうか。

『NHKことばのハンドブック』には、「バセドー病」のところで「バセドー氏病は使わない」ということのみが書いてありました(今、手元になく正確な字句がわかりません)。


堀正人 さんからのコメント
( Date: 2002年 05月 26日 日曜日 23:09:28)

共同通信のやつには同じことが書かれてます。

『記者ハンドブック 新聞用字用語集』第9版(共同通信社・2001年3月)P443の2段目

人名に由来する病名の場合、「氏」は使わない。
バセドー氏病→バセドー病


ちょっと古い『新訂増補 朝日新聞用語の手引き』(朝日新聞社・1989年11月)でも外来語の表記例(P401〜)に「「アルツハイマー(病)」「バセドー(病)」「ワッツ病」などが載っていて、やはり「氏はつけない」方針のようですが、ルール記述は見当たらないですね。

他の「氏病」には当てはまらないケースですが、「川崎病」に関してはこんな主張があったとか(↓)。ホントでしょうか。「川崎氏病」はGoogleで10件しかヒットせず、とても定着はしていないようですが。


堀正人 さんからのコメント
( Date: 2002年 05月 26日 日曜日 23:11:55)

すみません、上のコメント、参考ページURLが入りませんでした。
http://sklab-www.pi.titech.ac.jp/~ishimura/ruru/kantou/kanagawa.html


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 06月 28日 金曜日 23:28:48)

 川崎病をやめよ、という川崎在住者の主張は聞いた気がしますが、「川崎氏病」とせよ、という主張だった記憶はありませんでした。


posted by 岡島昭浩 at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年04月30日

日本語の音韻は欧文字で書けるか(Yeemar)

恥ずかしい標題かもしれません。音韻に関する私の知識不足による疑問のような気もします。

日本語古来の音韻をアルファベットで表すのは、それほど造作がないことと思います。たとえば、佐藤喜代治氏編『新版国語学要説』(朝倉書店、1973)を見ると、ほぼ訓令式ローマ字のとおり、ただし拗音は/y/ではなく/j/、撥音は/N/、促音は/Q/、長音はなし、となっており、とてもかんたんなのです。

服部四郎氏の論文「日本語の音韻」(『言語学の方法』岩波書店、1960 p.360)では、/チ/、/ツ/だけは/ci/、/cu/となっていますが、これは服部氏の発明だったのでしょうか。かんたんなことには変わりありません。

ところが、外来語音を含めて考えると、話がややこしくなるようです。/ファ/を金田一春彦氏は/hwa/とし、城生佰太郎氏もこれを踏襲しています(『岩波講座日本語5 音韻』)。

松崎寛氏は、これでは「フュージョン」などの/フュ/が表せないと指摘しました。/hwju/と書けば、「合拗音の拗音」という「音節構造から逸脱した型を認めることになってしまう」(「外来語音と現代日本語音韻体系」『日本語と日本文学』18、1993)からです。松崎氏は、ファ行に新音素/f/を立てて直音とみなし、/fi/、/fe/、/fa/、/fo/、/fju/を認めました。

松崎氏の主張には見るべきもの多く、/si/(/スィ/)、/zi/(/ズィ/)、/sje/(/シェ/)、/zje/(/ジェ/)、/ci/(/ツィ/)、/ce/(/ツェ/)、/ca/(/ツァ/)、/co/(/ツォ/)、/cje/(/チェ/)、/je/(/イェ/)、/hje/(/ヒェ/)、/nje/(/ニェ/)、/du/(/ドゥ/)、/tu/(/トゥ/)、/dju/(/デュ/)、/tju/(/テュ/)、/wi/(/ウィ/)、/we/(/ウェ/)、/wo/(/ウォ/)などの外来語音もきれいに説明されています。

ところが、割を食った(?)のは古来の日本語音韻で、松崎氏によれば、/シ/は/sji/、/ジ/は/zji/、/チ/は/cji/と、拗音扱いになってしまうのです。

/シ/が拗音であれば、音声学的に口蓋化している/ニ/も/nji/になるべきではないかと思いますが、これは/ni/のままです。

そもそも、拗音という概念が抽象的なもので、乱暴にいえば、日本語話者が「ひねっている」と感じれば、それが拗音なのでしょう。拗音か直音か合拗音かが、客観的に決定できないことは、/ファ/が立場によって合拗音とみなされたり直音とみなされたりすることでも分かります。

「音韻体系」を、単に、相互に弁別される音の総体と考えるならば、/ファ/を/hwa/と表記しようが/fa/と表記しようが、/フュ/を/hwju/と表記しようが/fju/と表記しようが、はたまた、/シ/を/si/と表記しようが/sji/と表記しようが、区別さえできれば運用上は問題がないであろうと思われます。

しかし、「直音」とか「拗音」とか「撥音」とか「促音」とかいう、音声学的に観察が不可能で、日本語話者の頭の中にしかない概念を音韻体系上に表現しようとするならば、/シ/は直音として表現すべきではないでしょうか。どう考えても、これが「ひねっている音」だとは思えません。

/シ/、/ジ/、/タ/、/チ/、/ツ/、/テ/、/ト/、/ハ/、/ヒ/、/フ/、/ヘ/、/ホ/をいずれも直音と解し、/si/、/zi/、/ta/、/ti/、/tu/、/te/、/to/、/ha/、/hi/、/hu/、/he/、/ho/と表すのがすっきりしていると思います(佐藤喜代治氏の方法にしたがうわけです)。その場合
  1./スィ/
  2./ズィ/
  3./ティ/、/トゥ/
  4./ツァ/、/ツィ/、/ツェ/、/ツォ/
  5./ファ/、/フィ/、/フェ/、/フォ/
の表し方が問題になります。4については/ca/、/ci/、/ce/、/co/とすることが可能で、5については/fa/、/fi/、/fe/、/fo/とすることが可能なので、実際には問題は1〜3です。もはやアルファベットの子音字では間に合いませんし、何か添え字をするのも実際上の感覚とずれますから、結局、このあたりの機微をアルファベットで表すことはできないということにならないでしょうか。

論理に瑕疵が多いかと存じます。ご指摘いただければさいわいです。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 04月 30日 火曜日 14:43:45)

 いろいろな問題が絡んで来そうですね(というのは逃げ口上でしょうか)。

 「アルファベットで」というのは、「アルファベットの子音字では間に合いません」から見ると、〈1音素は1文字で表す〉が条件なのでしょうか。
サスセソの子音と、シャシシュシェショの子音を別物とみた場合、どちらも1文字で表したい、と。(例えばキリシタンのようにsとxで)

とりあえず、関連スレッド

ローマ字


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 04月 30日 火曜日 17:30:35)

「1音素は1文字で表す」は、従来とられてきた音素表記の方式からすれば、やはり条件になるのではないかと思います。

】/チ/、/ツ/、/ティ/、/トゥ/、/ツィ/をいずれも直音と解するとき、たとえば、/ツィ/の子音字として2文字を使い、
  (1) /ci/、/cu/、/ti/、/tu/、/tsi/
などという方法があるような気もします。しかし、これでは/ツィ/が二重子音ということになり、音声学的にはともかく、日本語話者の内省としてそう意識されてはいないでしょうから、適切でないと思います。/txi/などの新しい表記を採用する方法もあるでしょうが、やはり二重子音とまぎらわしいと思います。

  (2) /ci/、/cu/、/ti/、/tu/、/qi/
  (3) /qi/、/qu/、/ti/、/tu/、/ci/
のように、中国語のピンインにもある/q/を用いれば、促音の/Q/とまぎらわしいようにも思いますが、弥縫策にはなるでしょうか。

】「サ行」の直音・拗音と、「スィ」とを、/s/と/x/とによって
  (4) /sa xi su se so sja sju sje sjo/、/si/
と書き分けることはできるかもしれません。これでは/s/が複数行にまたがって異様なので、
  (5) /sa si su se so/(/サスィスセソ/)、/xa xi xu xe xo/(シャシシュシェショ)
としてみると、こんどは「シャシュシェショ」が直音扱いになってしまい、日本語話者の感覚と大きな齟齬をきたします。
  (6) /sa si su se so/(/サスィスセソ/)、/xi xja xju xje xjo/(シシャシュシェショ)
とすればいいのかもしれませんが、/xja xju xje xjo/が「シャ行の拗音」というおかしな扱いになってしまうところに問題を残します。

】ここまでで、アルファベットのうち「aiueo」と「bcdfghjkmNpqQrRstwxz」とは使ってしまっています。これらを引けば、残るは
 「lvy」
ですから、「1音素は1文字で表す」ことを守るかぎり、/ジ/、/ズィ/の音韻を直音として表記することはできません。/ジ/を/zi/、/ズィ/を/li/とする、というような強引な約束事は実際的ではありませんし。

というわけで、悩みは深いのです。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 05月 01日 水曜日 11:24:35)

 日本語に内在する体系性(日本語話者の感覚も含めて)と、アルファベット26字で現わそうとする設定(1音素1文字ということも含めて)は、両立させるのが難しい、といいますか、なぜ、苦労してまでそうするのか、と思ってしまいます。


 頭の体操としてならば……

服部四郎・新日本式を基本に(ティトゥは解決)、
合拗音のWを立て、スィズィツィにも使う(チはci、ツィはcWi)、とか。


もっと、日本語の感覚をとりいれれば、直拗だけでなく清濁もちゃんと表記したい。ogawaのgawaとkawaが同じものであることを表したい、と。

「かが」は「ka,ga」ではなく「ka,Ka」とでも(見にくいなら「ga,Ga」?)。1字1音素にとらわれなければ、「ka,k~a」あるいは「k_a,k~a」でもよいのですが、ハ行音が困りますねぇ。

などと考えていると、新日本文字制作の方へ話が行きそうになるのでした。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 05月 01日 水曜日 23:45:13)

おっしゃるように、ここから先は「頭の体操」の領域という気もいたします。

かような迷路に入り込んだきっかけは、外来語音をふくめた日本語の音韻体系をアルファベットで人に説明しようと考えたことにありました。上述の松崎氏論文では、それがきわめてきれいに体系づけられているのですが、/チ/を表すにあたって/cji/とし、その理由として

直音のチにあてている/ci/をツィの方に譲る必要がでてくるので、チの方は拗音系列の一部とみなして/cji/とでも表記することになる。つまり、直音チの「直音」として現れたツィが、音韻体系の組み替えを要求したという解釈が成り立つわけである。
と述べています。

すると、松崎氏の/cji/という表記は単に便宜上のものではなく、これを「拗音」とみて表に反映させていることになります。

/シ/、/ジ/、/チ/を拗音として人に説明していいのかな?というのが迷いの出発点でした。

いっぽう、城生佰太郎氏は『岩波講座日本語6 音韻』で、「/hw/は[φ]または[f]を示す」とし、/hw/を必ずしも合拗音というわけではなく便宜的にそう表記しているもののように読みとれます。だとすれば、/フュ/を/hwju/としても「合拗音の拗音」を表しているのではないことになります。

/チ/を/cji/とするとしても、「これは便宜的なもので、拗音というわけではない」という保留が付けば、私も違和感はないのです。

音韻体系を記すにあたり、「拗音」「合拗音」などの概念を体系に反映させるかさせないか、立場の違いがありそうです。どちらでもいいのか、黒白をつけるべきなのか、というのも迷いのひとつでした。この点は、依然として迷っています。

いちばん厳格な方法をとるなら、「直拗だけでなく清濁」も書き表すところまで行くかもしれず、その先には、たしかに「新日本文字」がちらちらし始めます。反対に、音韻体系をアルファベットで示すのは便宜のためであると考えれば、/フィ/は/hwi/でさしつかえなく、もしくは、/スィ/、/ズィ/、/ツィ/とあわせて/hWi/、/sWi/、/zWi/、/tWi/と記すのが明快な解決法のひとつですね。この場合は「合拗音のW」を立てたことにはならないものと思います。


posted by 岡島昭浩 at 01:04| Comment(1) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年04月15日

〜的には(武市祥司)

最近,「私的には〜」という言葉をよく耳にします。

「してき」でなく「わたしてき」と発音するのですが,
「私の考えでは〜」「私としては〜」という用い方がされているようです。
この他,自分の名前を頭につけて「○○的にぃはぁ〜」などという
使い方もあるようです。

数年前には,若い人たちどうしの間のみで通じる隠語のようなもんかいな
と思っていましたが,ここ最近は,そういう意識も薄れてきたようで,
(半)公的な場でも,このような使い方をするひとがかなりの数いるようです。

本来の「的」の意味からすると,必ずしも誤用とは言えないのではないかと
考えていますが,一体なぜこのような使い方が広まったのでしょうか・


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 04月 15日 月曜日 22:06:24)

この手の言い方、驚くべし、すくなくとも100年前からあります。

言うて善い事なら言ひます、人に対して言ふべき事でない、況や誨ふべき事ではない、止だ僕一箇の了簡として肚の中に思うたまでの事、究竟荒尾的空想に過ぎんのぢやから、空想を誨へて人を誤つてはどうもならんから、僕は何も言はんので、言はんぢやない、実際言得んのじや、
(尾崎紅葉「続金色夜叉」〔1902.04発表〕新潮文庫『金色夜叉』p.302)
これは荒尾という人が語っているせりふです。さすがに「荒尾的にはァ〜」ではありませんが。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 04月 15日 月曜日 22:12:57)

……という話は、以前にいたしておりました。ネタの使い回しになってしまいました。

せんせい


武市祥司 さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 01日 木曜日 09:21:58)

Yeemarさん,どうもありがとうございました。

バックナンバーにもあたってみたつもりだったのですが,どうも見落としていたようです。
大変失礼いたしました。

中国語の「の」に相当する「的」からの転用から広まったのかもしれないとも
私は思っていたのですが,どうやらそういうわけでもなさそうですね。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 03日 木曜日 18:12:36)

NHK放送文化研究所「ことば ウラ・オモテ」42(2001.12)「○○的はことばの敵」では、柴田実氏が「NHK的にはどうだろうか」「ページ的に入るか?」という格好の例を出されています。ただし、

>  「○○的」「○○系」に共通するのは、「○○」の部分をぼかしたいという表れのようです。

という「ぼかしことば」というとらえ方は正当か、いささか疑っています。平成11〔1999〕年度の文化庁「国語に関する世論調査」でも、「〜的には」は「〜ほう」「〜とか」と併せて「ぼかしことば」ととらえられているところですが(「国語に関して」参照)。

なるほど「わたし的にはそう思います」は「私はそう思います」の「ぼかしことば」かもしれないとしても、「NHK的には問題のある映像だ」は「NHKは問題のある映像だ」とは言い換えられず、「ページ的に入るか?」も即座に言い換えられる表現はありません。「〜的には」は「ぼかしことば」でしょうか。

「ぼかしことば」という言い方自体も、成立年代が知りたいものです。平成11年度調査に発するものでしょうか。

「ことば ウラ・オモテ」42


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 04日 金曜日 13:26:11)

「NHK的」の場合、この「的」は二つの意味がある可能性があると思います。一つは「〜としては」。そしてもう一つは「〜らしさを守る立場からいうと」という意味。二つ目は「きわめてNHK的」の時に使われる「的」です。「ページ的に入るか?」の「的」は、最初の「〜としては」の意味でしょう。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 05日 土曜日 00:49:58)

「〜的には」は、おっしゃるように「〜としては」「〜らしさを守る立場から言うと」のように言い換えられます。そこで、単なる「ぼかしことば」ではないというのが私の趣旨です。

「わたし的には」は、「わたしとしては」とほぼ等価です。そう考えると、大人が使う「私としましては……」が、新しく若者ことばとして「わたし的には……」に外見上リニューアルされただけで、意味はちっともぼけていないと思うのです。少なくとも「私としましては……」に比べてぼけているとは思えません。

「ページ的に入るか?」は、「ページとしては入るか?」に言い換えられますが、そう言い換えても何かがより明確になったわけではないので、ここでもまた「ページ的に入るか?」は「ぼかしことば」とは言いがたいと思います。

「時間的に入るか?」「栄養的に問題はないか?」などと、漢語に「的」をつける言い方は認められているところで、それが漢語でない言い方に拡張されたのが「ページ的に入るか?」です。使われる語彙が拡張されただけで、意味はぼけていないと思います。むしろある種の意味が明確になって、便利なことばだと思います。

かといって、私自身はふだん使いません。よほどふざけた時に、「わたし的にはオッケーなんですが」と言って笑わせようとすることはあります(だれも笑いませんが)。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 05日 土曜日 19:55:32)

「わたし的には」と「わたしとしては」は等価としても、この場合「わたしは」で充分じゃないでしょうか。「わたしとしては」も(「わたし的には」と同じく)「ぼかし言葉」ということは考えられませんか?


畠中敏彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 05日 土曜日 21:40:12)

私も双方ともぼかし言葉と考えます。
ストレートだと多少ごう慢な印象を与えることから、「的」を使うことにより、これを和らげているのでしょうか。
わたしは極力、「的」は使わないようにしています。
だって、道浦さんが言われるとおり「わたしは」で充分なのですから。


曖昧Me さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 05日 土曜日 23:31:57)

「わたしは」の方が「わたしとしては」より曖昧じゃない?


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 06日 日曜日 00:01:41)

え!!そうお感じになりますか。感覚は個人によって違いますが、それは意外。
(以後、「わたし=私」と書きます)

「私はやります」
「私としてはやります」

「私は反対です」
「私としては反対です」

こう並べてみると、「私は〜」というのは文字どおりの「一人称の本人」の意見表明ですが、「私としては〜」は「自分の中の、『一人称の自分』を客観的・冷静に眺める、もう一人の自分」の意見表明のように思えます。
ダイレクトでない分(つまり間接的。ワン・クッション置いているということで)、「あいまい」になっていると思うのですが。いかがでしょうか?


曖昧Me さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 06日 日曜日 11:04:04)

「あいまい」の意味を曖昧にして使うから議論がかみ合わないのでは。

「は」を単独で使うと曖昧になりやすいんじゃないかと、文法的に思ったわけ。

>『一人称の自分』を客観的・冷静に眺める
自分の立場の曖昧さを消そうとしている、とも言えない?


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 06日 日曜日 13:49:13)

「わたし的には」と「わたしとしては」の「ぼけ程度」に差はないということでは、道浦さんと畠中さんとに賛成していただけていると思います。そこで、「わたしとしては」はよくて「わたし的には」はダメ、と思う人がいるとすれば、その人は、ぼかしことばという以外の理由(新しい語形だから、etc)で「わたし的には」に違和感をもっているのだと思うのです。

「わたしは」と「わたしとしては」のどちらが「ぼけているか」は、曖昧Meさんの言われるように、何を以て「ぼけている」とするかによりそうです。 「わたしとしては」のほうが「として」という立場を表す語を加えている分だけ意味が精密になっている(ぼけ度が減少)ともいえますし、「ではどういう立場で言っているのか」については何も言及していないため、この「として」は不必要な情報である(ぼけ度が増加)ともいえます。

「○○政策に一貫して反対しているわが党としては、この法案には賛成できない」ならば、「○○政策に反対の立場の党」という立場で言っているので、この「として」は「ぼかしことば」にはならないと思います。

議論の交通整理をしてみたつもりです。


前田年昭 さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 07日 月曜日 09:48:01)

Yeemarさんの「交通整理」の試みに敬意を表します。

しかし【「わたしとしては」のほうが「として」という立場を表す語を加えている分だけ意味が精密になっている】というご指摘は文脈から離れた解釈に陥る危険性があるとおもいます。「わたしは」と「わたしとしては」を五分五分に「交通整理」なさりたいのでしょうか?

たとえば、3月18日の小泉首相の発言
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/nybomb/iraq/attack/web/koizumi/index_18.html
「米が英や各国とやむを得ず武力行使に踏み切った場合、日本政府としては支持する。」

など、政治家の発言では、立場を表す語を加えて精密に、という「として」よりもむしろ、立場の使い分け(逃げ)の「として」のほうがしばしばみられるところです。そして、この、逃げの「〜としては」から「〜的には」が生成したのだと、私は判断しています。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 07日 月曜日 11:17:04)

「曖昧なのは日本語ではなく、日本人の言語表現である」と思っておりますが、これもそうではないでしょうか。曖昧Meさんのいう、「曖昧の意味が曖昧」というのも、そのあたりのことのような気がします。

「立場の使い分け」というのは、自分(の発言)の立場を分ける/分析することによって成り立つ、と、上記曖昧Meさんの立場に立てばなりそうです。

自分の立場を分けておいて、逃げを作る、という意味では、曖昧にしておく、ということなのでしょう。

それから、
敬語表現の一つとして、「先生には何如お過ごしでしょうか」の「には・におかれましては」がありますが、その解釈とも関わってきそうに思います。これも、〈ぼかすことによって敬意を示す〉のようにも言われますね。貴人の居る場所をさして言ったので、その人そのものとは違うものをさしている訳ですが、人ではなく場所でその人のことを言う、という表現方法は、曖昧さを求めていることになりましょうか。
「としては」の場合、自身の限界の表明を感じさせる表現である気がしますが、これはどこから来ているものなのでしょう。
「私としては頑張ったつもりですが……」
ただこれを「私的には頑張ったつもりですが……」と言われると違和感を覚えますが、これはやはり新しい言い方だから、ということなのでしょうかね。

交通を乱してしまったようですみません。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 07日 月曜日 22:26:52)

「私的」という表記は「してき」と読んでしまいそうですね。
「公的にはともかく私的には頑張ったつもりですが……」なんて言わないけれど。
すみません、変なシテキで。


posted by 岡島昭浩 at 15:19| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年03月29日

「から」のアクセント(道浦俊彦)

アクセントの問題です。
「学校から帰る」といったような「から」を含んだ文章の場合の「から」のアクセントは、高低はどうなっているんでしょうか?
「LHHHHHHLL」
「がっこうからかえる」だとは思うのですが、
「LHHHHLHLL]
という「から」を頭高にして強調するようなアクセントは、共通語でもあるのでしょうか?それとも関西弁アクセントでしょうか?
このほか、最近「〜した時に」の「ときに」のアクセントも「LHL」のはずが「HLL」というのが、普通に使われている気がするのですが、これも本来、関西弁アクセントではないのでしょうか?


posted by 岡島昭浩 at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

至れり尽くせり(道浦俊彦)

すみません、もしかしたら初歩的な文法の問題かもしれませんが、「至れり尽くせり」の「至れり」の「り」、「尽くせり」の「り」は、何なんでしょうか?お教えください。


益山 健 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 29日 金曜日 22:26:06)

「至矣尽矣」の「矣」を直訳しただけでしょうから, あとは中国語の問題になってしまうような......


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 30日 土曜日 01:03:21)

『日本国語大辞典』の説明では「動詞「いたる(至)」「つくす(尽)」の命令形に、それぞれ完了の助動詞「り」の付いたもの」とあります。「我奇襲ニ成功セリ」「我カク戦ヘリ」とかいう「り」であります。

完了の形を2つ続けて並立の意味を表すのは奇妙なようですが、

「願ったりかなったり」「似たり寄ったり」「踏んだり蹴ったり」「なだめたりすかしたり」とか、「あえだり揉(もん)だりして玩弄する」(二葉亭四迷「浮雲」)

とかいう言い方も完了の助動詞「たり」の一用法に由来するものですし、また、「手術は成功した、患者は死んだ、ではすまない」というような完了を表す「た」の用法にもつながると思います。

「〜たり、〜たり」「〜た、〜た」はふつうに言うとして、では、「至れり尽くせり」のような「〜り、〜り」の言い方はほかにあるか? ちょっと見つかりません。「至矣尽矣」という成語を訓読した特殊な言い回しであるせいでしょうか?


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 30日 土曜日 01:08:00)

すみません、

「手術は成功した、患者は死んだ、ではすまない」

これは並立ではないですね。つまり、AとBとが同時並行的に起っているということを表してはいません。

「斬った張ったの大騒動」

のほうがいいかもしれません。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 30日 土曜日 01:29:42)

ついでに、

「行きつ戻りつ」「ためつすがめつ」「組んずほぐれつ」「伸(の)つ反(そ)つ」

のような「〜つ、〜つ」も、完了の助動詞「つ」の並立用法ですし、「平家物語」には

  いろいろの鎧の浮きぬ沈みぬゆられけるは

のように、完了の助動詞「ぬ」が「〜ぬ、〜ぬ」という形で並立を表す例があります。

してみれば、「つ」「ぬ」「たり」「り」そして現代語の「た」を含め、完了を表す助動詞は、一方では並立を表すことができるわけです。

もっとも、「斬った張ったの大騒動」のような「〜た、〜た」の例が、ほかに思いつきません。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 31日 日曜日 21:22:19)

> もっとも、「斬った張ったの大騒動」のような「〜た、〜た」の例が、ほかに思いつきません。


 「惚れた腫れた」
 「すったもんだ」

もそうですね。


posted by 岡島昭浩 at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年03月28日

NHKと商標(Yeemar)

2002.03.27、NHK「私の青空 スペシャル(3)」という朝ドラの総集編(本放送は2000.04〜09)を見ていましたら、

  さいわいカットバン1枚ですむけが……

というようなせりふが聞えてきました。はて「カットバン」というのは祐徳薬品の商標ではないかな、と不審に思いました。試みに「私の青空、カットバン」というキーワードでWebを検索してみたところ、このドラマでは

  「千代子さん、カットバンを」

  「カットバンだらけなんだ、化粧気なしで長靴履いて」

などというせりふが何度も使われているもよう。昔のNHKドラマではこういうことはありませんでした。

やはりNHKで、土曜深夜の「爆笑オンエアバトル」という番組では、漫才のねたの中で商標が続々出てきて、それがノーカットで流されています。漫才、コントという時代性を命とする芸をあつかう番組として、これは妥当な方針でしょう。

教育テレビの「ふるさと日本のことば」を見ていたら、ゲストが「ヤクルト」(2000.05)とか「東京ディズニーランド」(2001.01)とか言っていたので、おやおやと思ったこともありましたっけ。ところが、同時期に総合テレビの「クイズ日本人の質問」ではディズニーランドのことは「某テーマパーク」と言っていました(2001.01)。

これらのことに漠然と気づきはじめたのは、ほぼ2000年のことですが、そのころからNHKが方針転換をしたのかと思います。

2000.09、歌手aikoの「ボーイフレンド」という歌の中に「テトラポット」という語が出てくるので、「すわ放送禁止か」と物議をかもしました。当時の「sanspo.com」の記事(現在はNot Found)によれば、
同局広報局も「NHK全体で判断するのではなく、番組ごとに対応することになります」と柔軟姿勢も見え始めている。今後のNHKの方針を左右する可能性もあり、放送されるのか、禁止曲になるのか、注目を集めそうだ。
ということです。この歌は結局、2000年末の「紅白歌合戦」で歌われました。

要するに、NHKでは、2000年ごろから、商標を放送することは必ずしも妨げないことになり、「ボーイフレンド」の一件でなおさらその方針が明らかになったということでしょうか。『NHK番組基準ハンドブック』なるものもあるそうですが、非売品であり、見られないようです。

NHKでニュース以外で商標が出てくるのは、古き良き時代が遠くなるようでさびしいものです。しかし、そのニュースでは「ギネスブック」を使わず、「世界の記録を集めた本」とか何とか言っておりますね。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 28日 木曜日 04:20:47)

> 当時の「sanspo.com」の記事(現在はNot Found)
↓に引っ越してます。

放送禁止?…aikoの新曲NHKで物議


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 28日 木曜日 23:23:32)

UEJさん、ありがとうございます。

同記事中、山口百恵「プレイバックPartII」について、

「「真っ赤なポルシェ…」。ポルシェがドイツの自動車会社名のため、紅白に出場した際には「真っ赤な車…」と歌った
とあるのはよく知られたエピソードですが、当時(1978年)のビデオで確認してみますと、間違いなく「まっかなポルシェ」(阿木燿子の詞の表記では「真紅なポルシェ」)と歌われています。「真っ赤な車」と歌われたといううわさは、何かの間違いか、別の番組でのことだったのではないでしょうか(それは、よく知りません)。

余談ですが、歌が放送禁止の烙印を押される――事実は、制作者側の自粛にすぎない――までの過程を追ったルポルタージュとして、森達也『放送禁止歌』(解放出版社)が出色です。

この本の中で代表的な「放送禁止歌」とされている「イムジン河」(ザ・フォーク・クルセダーズ)は、NHKでは1994.08.20「日本フォークソング大全集」で、また、「竹田の子守唄」(赤い鳥)は1997.08.25「ふたりのビッグショー」で歌われています。こういったところには、NHKの主体性を感じます。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 29日 金曜日 04:05:55)

「真っ赤なポルシェ」の件、先日、NHK放送文化研究所の方に確認しました。「真っ赤な車」と歌ったのは、紅白ではなく、その前の何か別のNHKの歌番組だったということです。

「放送禁止歌」は、本が出るより前に、フジテレビのドキュメンタリー枠で放送されています。3年ぐらい前だと思います。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 04月 02日 火曜日 21:49:16)

「古きよき時代」の証言として、小林信彦『パパは神様じゃない』第七章「年年歳歳」(ちくま文庫で101頁)より。

 たとえば、ショウ番組に、赤塚不二夫が出てくると、司会者が「文春の漫画賞、おめでとう」などと言う。
 これはNHK国内番組基準の第十一項〈広告〉の、〈特定の団体名または個人名〉という禁止項目に該当する。これは、正しくは、
「某出版社の漫画賞、おめでとうございます」
 と言わなければいけないのである。
 私は、いやみを言っているのではない。NHKでは〈セロ・テープ〉と言ってもいけないのである。(注意されたのは、十年前の私で、セロ・テープが商品名であることも知らなかったのだ。それじゃ、なんと言えばいいのですか、と私が訊くと、先方も、さて……と考え込んだ。)

「ミステリマガジン」一九七二年八月号から七三年一二月号にかけて連載され、1973.12.5、晶文社より刊行。ちくま文庫1991.12.4による。

セロテープはセロハンテープということでしたね、たしか。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 04月 02日 火曜日 22:36:34)

これを見ればいいのでしたか。

第12項 広告
1 営業広告または売名的宣伝を目的とする放送は、いっさい行わない。
2 放送中に、特定の団体名または個人名あるいは職業、商号および商品名が含まれる場合は、それが、その放送の本質的要素であるかどうか、または演出上やむをえないものかどうかを公正に判断して、その取り扱いを決定する。
制定が昭和34年7月21日、改正が平成7年9月26日・平成10年5月26日ですから、改正までにずいぶん時間がかかっています。

「広告」に関しては、文言が変わっているのかどうかよく分かりませんが、平成7年(1995年)の改正ではサブリミナル禁止や方言使用の緩和などが、また、平成10年(1998年)ではアニメーションの映像手法についての定めが加わったようです。
国内番組基準(NHK)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 07月 09日 火曜日 19:11:06)

2002.07.09 NHKの「首都圏ネットワーク」の中で、「丈の高い七夕飾り」を作った人々のニュースを伝えた滝島雅子アナウンサーが、

〈世界の記録を集めたあの本への登録を申請することも考えているそうです〉

というような(細部不明)、まとめの文章を読みました。

「あの本」とはまた淫靡な響きではありませんか。ニュースらしからぬ、思わせぶりで隔靴掻痒の表現です。「ギネスブック」がまずいのであれば、NHKで適当な言い換え語を作ってはいかが。

「世界の記録を集めた本」が一語性に欠けるのであれば、「世界の記録本」はいかがでしょうか。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 07月 10日 水曜日 10:42:07)

あ、あの本って・・・・アノ本ですよね。エヘヘ。
「ギネスブック」が使えないのなら、この文章(ギネスへ申請するという情報)そのものをカットすべきではないでしょうか。
「コンピューターで本物のように動く犬のロボットや、歩きながらヘッドホンで音楽などを聴ける器具を開発した、あの会社」
(=SONY)
「フランスからやってきて、見事会社の建て直しを図った、お寺の鐘の音にも似た名前の、あの社長」(=日産・カルロス・ゴーン社長)
とか、クイズとしては面白いので、NHKさんも、そのニュース原稿の後に、
「ところで、”あの本”というのは、一体なんでしょうか?次の3つの中からお選びください」ぐらいやるのなら、いいかな。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 07月 10日 水曜日 11:53:01)

「NHKニュース11」(1994-2000)のキャスターをしていたころの松平定知アナウンサーだったと思いますが、あるときヘッドホンステレオの開発秘話か何かの特集を放送するにあたって、

「このヘッドホンステレオ、……と申し上げても多くの方はお分かりにならないでしょう。小さな声で商品名を申し上げますと、……要するにウォークマンなのですけれども」

というような説明をしました(詳細は失念)。ソニーの商品をクイズで紹介することは思いつかなかったようです。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 06日 火曜日 21:10:34)

夕方にNHK教育テレビでやっている海外ドラマで、次のようなシーンがありました。

風邪をひきそうになり警戒していると思われる人物が、リンゴを摂取して風邪をひくまいとしている。リンゴと思って口にしたのがリンゴ型の蝋燭であったり、リンゴジュースをがぶ飲みしたり。さらにノートパソコンにかけより、「ああパソコン!」といいながら、体にパソコンをすりよせる。

そのパソコンには、大きくアップルのマークが見えました。おそらく、あちらでは「おお、アップル!」と言っていたのではないでしょうか。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 13日 火曜日 21:47:37)

2002.08.11 「課外授業ようこそ先輩」

〔ナレーションで〕エレクトーンの平田君

エレクトーンはヤマハの商標。昔は科学番組「ウルトラアイ」で「語り・小林恭治 電子オルガン・柏木玲子」というクレジットが毎週出ていたのを思い出します。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 22日 木曜日 20:37:16)

 先日のたしかサンデースポーツで、堀尾アナが山下大輔解説者に、「山下さんは横浜ベイスターズが優勝したときのコーチでしたが、横浜にマジックが出たときに、マジックインキを持っていたそうですね」というようなことを話していました。
 「はい。マジックインキは消えませんから、マジックナンバーも消えないように願ってですね」

 宣伝までしているようでした。

本会議室・30年前の日記


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 09月 22日 日曜日 22:04:49)

平成ことば事情812 


skid さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 27日 金曜日 12:11:41)

『毎日新聞用語集』とか、共同通信社・時事通信社のハンドブック(市販)には特定商品の言い換えがいくつか載っています。
そのひとつにジッパーがあるのですが、『リーダーズ・プラス』によると一般名詞化したため裁判になったものの、商標の保護は「ジッパー・ブーツ」に限られることになったそうです。
ちなみに、日本ではチャックも特定商品名なんですね。

また、「ウェブスター」も一般名詞化して「ディクショナリー」と言うかわりに「ウェブスター貸して」で通じるとか。
こちらも裁判で、ウェブスターと関係ない出版社が「ウェブスター」を書名につけて販売しても認められることになっているそうです。
日本では『大漢和辞典』をモロハシと呼ぶことがあっても、他の漢和辞典では使えません。
なお、昭和37年頃に言海社から『言海国語辞典』が出版されていますが、大槻文彦の『言海』とは無関係です。


新会議室へ

posted by 岡島昭浩 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年03月27日

ウン万円(田島)


初めて寄らせていただきます。田島と申します。
今回は質問があってこちらへ伺いました。

お訊きしたいのは、ものごとをぼかして言う「うん」はいったいいつごろから使われ始めたのかということです。たとえば、「うん十歳」とか「うん万円」とか言いますよね。その「うん」です。

『三省堂国語辞典(第五版)』で「うん」をひくと、〔かなもじ「ん」「ン」の呼び名から〕という註釈を附しています。『日本国語大辞典(第二版)』には「うん」にその用法を示しておらず、「ん」の項に「ん万円」「三十ん歳」とあるだけです。語誌欄もないので、これがどれくらい古いことばなのかはわからずじまいです。

この「うん」あるいは「ん」は現在よく聞きますが、やはり新しい俗な用法なのでしょうか。新しいとすると、いったいつごろから使われるようになったものなのでしょうか。どうかご教示ください。



益山 健 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 29日 金曜日 22:30:41)

「大学かぞえ唄」という歌に「ン大生」という歌詞があって, 子供のころ意味がわかりませんでした。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 04月 01日 月曜日 11:05:45)

「ん万円」の「ん」は伏字に当たるものですね。ただ普通の伏せ字は、「訳あって表に出せないので伏せている」のですが、この場合は「数字」に限られて、しかもそれが「不確かにしか把握していない」ので「ん万円」とななっているのでしょう。「チョメ万円」でも別にかまわないのではないかと。
「ん」が表すのは意味は「数万円」の「数」に当たると思います。「ん」がつく数字としては「3(サン)」「4(ヨン)」が考えられますが、「ん」=「3or4」とは限らないでしょうね。



田島照生 さんからのコメント
( Date: 2002年 09月 01日 日曜日 20:51:11)

返事が遅れて済みません。益山さん、道浦さん、どうも有難うございます。それから、道浦さんのホームページもたいへん興味ふかく拝見しました。昨今はなぜか日本語がブームですが、ブームに止まるだけでは見えてこない日本語の姿が見えてきて面白うございました。


ここで唐突に話は変わるのですが、辞書に載っている最後の言葉は「んとす」とか「んば」とかかなと思っていたら、実は「んん」という項もあるのですね。『日国大』はこれで終わっています。ところが、『三国』には「んんん」があって(第三版になって採録されたそうです)、さすが見坊さんの辞書だなと感心していました。ところが、この間『文學界』(2002年三月号)を読んでいたら、武藤康史さんの文章に「映画『麦秋』の終わり近く、(略)原節子ははっきり『んんん』と言っている。『んんん、あのときは好きでも嫌いでもなかったわ』と言うのである。」とあって、また、「よく聴くと『ん(低)・ん(高)・ん(低)・ん(高)』のようでもある」とあります。音声言語としての「んんんん」が辞書に採録されることはあるのでしょうか?



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 09月 01日 日曜日 21:13:04)

「んんん」が「んんんん」になるのは、「はい」が「はいい」に、「こら」が「こらあ」になるようなもので、〈知的意味に関わらない〉違いではないかと思います。だからは辞書には載せないのではないでしょうか。


 4拍目の「ん」の「(高)」は、イントネーションでしょう。3拍目までの「低高低」はアクセントと考えてよいかと思いますが、普通のアクセントとは性質が違いそうにも思います。



田島照生 さんからのコメント
( Date: 2002年 09月 01日 日曜日 22:10:51)

岡島さん、早速の御返事ありがとうございます。


なるほど。「んんんん」は「きみい」とか「こらあ」とかと同列に論じるべきだということですね。ということは、「んんん」が「否定の意」の場合ではなくて、「言葉につまったときに発する音」だとしたら、「んん」と「んんん」とを敢えて弁別する必要はないとも言えるかもしれませんね。『三省堂国語辞典』では「んんん」を「ひどく言葉につまったとき」に発する音だとして、「んん」(これは「ことばがすぐに出ないとき」の音だと説明しています)と区別していますが、この場合、三拍めの「ん」はイントネーションと見てもよいでしょうね。



岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 08日 土曜日 22:28:54)

 道浦さんが書きました。

平成ことば事情「んんん」



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 08日 土曜日 23:18:03)

岡島さん、ありがとうございました。このスレッドの存在はトント失念しておりました・・・。



田島照生 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 09日 日曜日 01:34:30)

昨年の十一月頃、小津安二郎の『麦秋』(1951)をレンタルして観てみました。私には、原節子のセリフは「んんん」と聞こえました。

話題からは大きく逸れるのですが、ラストシーンの麦畑をダーッと駆け抜けるショットは、D・リチーさんが絶賛していただけあって、さすがに素晴らしい映像でした。

それと、もうひとつ。小津映画では、恋人とか婚約者とかがいることを、「いる」ではなくて「ある」と表現している(例:「好きな人はあるのかね?」)場合が多いのですが、こういう表現はかつて一般的だったのでしょうか。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 09日 日曜日 12:25:05)

金水敏「存在表現の構造と意味」(近代語学会(編)『近代語研究』第11輯、

武蔵野書院 2002年12月)に、

 筆者の直感では、有生(animate)の主語を取った場合、厳密に「いる」しか用いられない種類の存在文と、有生の主語を取っていても「ある」が許容される種類の存在文とがある。ただし、この直感を共有しない日本語話者が、特に若い人に増えてきているように見える。このような話者においては、有生の主語であれば必ず「いる」を、そうでなければ「ある」を用いることになる。以下の記述では、基本的に有生・無生の区別とは独立に「いる」「ある」の使い分けに関わる要因が存在するとする筆者自身の直感に基づいて、議論を進めていく。
とあり、

論文末尾には、
5 筆者の直感では、「いるs」は有生の対象のみ、「あるQ」は無生の対象のみ項として選択する。また「いるQ」は有生の対象のみ選択するが、「あるQ」は有生・無生両方の対象を選択する。ただし近年は、「あるQ」が無生の対象しか選択しないという直感を持つ話者が増えていると思われる。
としていますが、QやSは、
1 主要な存在表現は、大きく空間的存在文(SE)と限量的存在文(QE)に分類できる。前者は、存在の対象物が物理的な空間を占める表現であり、後者はある集合の要素の有無多少について述べる表現である。
というようなことです。詳しくはお当たり下されば幸いです。



skid さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 09日 日曜日 23:23:50)

『明解国語辞典』初版は「ん」のあとに19項目もありますが、見たらがっかりするかもしれません。



田島照生 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 12日 水曜日 01:52:27)

岡島さん、どうも有難うございます。私はまだ大学生(学部生)なので、「若い人」ということになりましょう。有生物に「あります」を用いると、やはりすこし違和感があります。「みんなもう、お子さんがおありで、活躍しておられるんだからなあ。」(『父ありき』1942)などという表現には、違和感がありません。


posted by 岡島昭浩 at 15:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年03月26日

<関東「は」東京>の「は」(天野修治)


係助詞「は」の多彩な用法の中でも、次の用法は他の用法と比べても際立って異色な印象を受けます。

<手前、生国と発しまするは関東でござんす。関東、関東と申しましてもいささか広うござんす。
関東「は」東京で産湯を使い、…>

問題は<関東「は」東京>の「は」の使い方です。
普通の文であれば、<関東「は」>は<産湯を使い>へ係っていく構文ですが、それでは何のことか分からない。
辞書等の説明では、この「は」は地名と地名の間に使われ「の中の」の意味に解釈することになっています。

しかし、この用法の「は」は、
なぜ「地名と地名の間」にしか使われないのか?
なぜ「渡世人の仁義の口上」に多く使われているのか?
そもそも文法上の説明がつく用法なのか?
など、???が次々と出てきます。
皆さんのお知恵を拝借したいと思っています。
http://shibuya.cool.ne.jp/brn/



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 26日 火曜日 20:57:06)

『日本国語大辞典』では、「地名に関して、それを含むさらに広い地域を先に提示する特殊な用法もある」(「は」語誌(3))というふうに、「特殊」とされているんですね。「肥前の国は唐津の住人……」という例が出ています。

「特殊」といわれると、「一般」の用法からはどれだけの距離があるのか、それとも、そもそも一般用法との連絡は切れているのか、といったところが知りたくなります。

「よく使われる」と思われる度合いの強い文から順にならべてみると、やはりつながっているように思われます。

1「東京は、いつ行きますか」
 「東京は、あさって行きます」

2「東京は、どこに行きますか」
 「東京は、葛飾に行きます」

3「東京は、どこにいましたか」
 「東京は、葛飾にいました」

4「東京は、どこで生まれましたか」
 「東京は、葛飾で生まれました」

5「東京は、どこのお生まれですか?」
 「東京は、葛飾の生まれです」

これら1〜5の「〜は〜」という構文は、それぞれ別種の構文ではなく、基本的に同じものとして扱うのがよいと思います。

3など、へんな文と思われるかもしれませんが、森重敏『日本文法―主語と述語―』p.247に「京都は、どこに いましたか。」という例文が載っています。

森重氏ならば、1の「は」は「東京に」の「に」を特示したもの、2以下は曲流文(いわばねじれ文)ということになるのでしょうか。たとえば、2のようなのは「東京は、どこだ」と「(あなたは)どこに行きますか」との組み合わさった曲流文ととらえられるようです。

三上章氏ならば、1の「は」は「に」の代行、2以下は「の」の代行ということになるのでしょう。もっとも、3は「の」ではなく場所を表す「で」の代行とも考えられ、「代行」という考え方ではすっきりしないようです。

でも、そういうふうに異なるものと考えなくても、1〜5は連続的であると考えて問題ないのではないでしょうか。

ちなみに下記の例では、「〈場所〉は〈場所〉」の形をとっていません。

福岡県ペンネーム大津波さんからのお便り。
(日本テレビ「ダウンタウンDX」1999.09.02 22:00)


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 28日 木曜日 07:34:13)

「東京は葛飾」の形は、
「どちらにお住まいですか?」
「東京です。」
「東京はどちらですか?」
「(東京は)葛飾です。」
という会話の中で出てくると思いますが、
「東京はどちらですか?」「東京は葛飾です」は、

「東京(というの)は、(東京の)どちら(のこと)ですか?」
「東京(というの)は、(東京の)葛飾(というところ)です。」

ということの省略形ではないでしょうか?


天野修治 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 30日 土曜日 10:06:55)

Yeemar さん、道浦さん、貴重なコメント有り難うございます。

さっそく、Yeemar さんご提示の文を観てみます。
1「東京は、いつ行きますか」
 「東京は、あさって行きます」
これは、
「東京(へ)は、いつ行きますか」
「東京(へ)は、あさって行きます」
と考えられます。つまり、「へは」の「へ」が省略された文と見ることが出来ます。
そこで、私の提示した文を比較してみます。
<手前、生国と発しまするは関東でござんす。関東、関東と申しましてもいささか広うござんす。
関東「は」東京で産湯を使い、…>
この<関東「は」東京で産湯を使い>の「は」は、他の助詞が省略された形とはどうも考えにくいように思われます。
かりに、<関東(で)は東京で産湯を使い>の(で)の省略形と考えると、ここでの「は」は<関東(で)は東京で…>と対照を示す<関西(で)は大阪で…>などの文が前提となる「対照」の「は」となって、提示した口上文の用法とはつながりにくくなります。

次に、
2「東京は、どこに行きますか」
 「東京は、葛飾に行きます」
を観てみますと、
これはすでに「(場所)は(場所)」の「は」の(特殊)用法を前提にした使い方ではないのだろうか、と私には思えます。
つまり、「(東京に行くそうですが、その)東京「は」(について言えば)、(そこの中の)どこに行きますか」「東京「は」(について言えば)、(そこの中の)葛飾に行きます」
(これは道浦さんもご指摘の省略文という解釈です)
となり、「は」が単なる<提題の「は」>に収まり切らず、どうしても(その場所の中の)という(特殊)用法の「は」が前提になってくるのです。
この点は、他に挙げられた(3、4、5)の応答文についても同様なことが言えるので、<関東「は」東京で産湯を使い>の「は」の用法についての私の疑問は依然として残ります。

私ももう少し考えてみますが、私の解釈についての感想を頂けると有り難いです。 


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 31日 日曜日 20:52:45)

天野さんのご主旨は、

1の「東京は、いつ行きますか」の「は」は、「へは」(つまり、位格なり場所格なりを表す)と解することができるが、2の「東京は、どこに行きますか」以下、さらには「関東は東京で産湯を使い」の「は」はそのように格を表すものとは考えられず、「の中の」とでも言うしかない。1と2以下の用法はつながらないのではないか。
ということと拝見しました。

格助詞に置き換えられるかどうかで「は」の用法を区別する考え方はありうると思います。しかしまた、1「東京は、いつ行きますか」と2「東京は、どこに行きますか」とを比べると、文の構成としては「いつ」「どこに」という連用修飾語が入れ替わっただけであり、両者はきわめて近い(または同じ)文型と考える

こともできます。

「東京は」で始まる文のあとには、いろいろな語句を続けることができます。「東京は、もう行きましたか」「東京は、もう見物しましたか」「東京は、寒かったですか」「東京は、おもしろかったですか」「東京は、もうこりごりですか」……などの「は」がどのような格に言い換えられるか(またはいかなる格にも言い換えられないか)は、後続句いかんによって消極的に決まるものであって、違いは「は」自体に内在するものではないと思います。これらの「は」は、いずれも話題を提示する役割(提題の役割)を果たす点で共通しています。

「東京は、葛飾の生まれです」「関東は、東京で産湯を使い」などの言い方も、提題の役割の延長線上にあるという考えを、前回のコメントで申したのです。

もっとも、こう申しただけでは、「関東は東京で産湯を使い」の「は」について他の「は」との基本的な共通点を指摘したにすぎず、この用法が、いろいろな「は」の用法の中でどのあたりに位置づけられるかについては、何ら述べたことにはなりませんね。

そこで、地名と地名の間に使われる「は」に似た用法が他にないか探してみます。たとえば、
アンゴラのスポーツ、もっぱらサッカーに関心が集まっています。
(「アトランタオリンピック開会式」NHK 1996.07.20 AM.11:00)
というのがあります。この例は、「アンゴラのスポーツについていえば、(そのスポーツの中の)サッカーに関心が集まっています」と(あえて)パラフレーズすることができます。これは、「関東は東京で産湯を使い」が「関東の中の東京で産湯を使い」とパラフレーズできるのと性格が似ていないでしょうか。

そうであるならば、「関東は東京で産湯……」の「は」は、「地名と地名の間」にしか使われない特殊用法とまではいえず、あえてパラフレーズすれば「(上位概念)は(下位概念)」の形で使われる「は」の一用法というふうに位置づけられそうです。もとより、「は」の基本的職能である「提題」の役割を果たすものに違いはないと思われます。


天野修治 さんからのコメント
( Date: 2002年 04月 07日 日曜日 08:15:07)

ようやく時間が出来たので、考えてみました。

>「東京は、葛飾の生まれです」「関東は、東京で産湯を使い」などの言い方も、提題の役割の延長線上にあるという考えを、前回のコメントで申したのです。>(Yeemar さん)

この点については了解しているつもりです。その先をもう少し考えてみたいのです。

>そこで、地名と地名の間に使われる「は」に似た用法が他にないか探してみます。たとえば、
アンゴラのスポーツは、もっぱらサッカーに関心が集まっています。>

「アンゴラのスポーツは、もっぱらサッカーに関心が集まっています」は「もっぱらサッカーに関心が集まっているのは、アンゴラのスポーツ(においてである)」とできるが、
「東京は、葛飾の生まれです」「関東は、東京で産湯を使い」は「葛飾の生まれは、東京(においてである)」「東京で産湯を使うのは、関東(においてである)」とは言えません。
因みに、Yeemar さんの示された他の文例、「東京は、もう行きましたか」「東京は、もう見物しましたか」「東京は、寒かったですか」「東京は、おもしろかったですか」「東京は、もうこりごりですか」も、「もう見物したのは、東京」…「もうこりごりなのは、東京」とできます。
こんなところからも、「東京は、葛飾の生まれです」「関東は、東京で産湯を使い」の「は」に特異性を感じます。この特異性の由来は何なのだろうか、という最初の疑問が残ります。

>そうであるならば、「関東は東京で産湯……」の「は」は、「地名と地名の間」にしか使われない特殊用法とまではいえず、あえてパラフレーズすれば「(上位概念)は(下位概念)」の形で使われる「は」の一用法というふうに位置づけられそうです。>

私も初めは、「関東は、東京で産湯を使い」の文構造を、古典に見える「春は曙」(春と言えば何と言っても曙が一番だ)、あるいは、かなり前のコマーシャルコピー「(山が富士なら)酒は白雪」を思い起こしました。これはYeemar さんの言われる「(上位概念)は(下位概念)」の働きを示す「は」ではないでしょうか。
仮に「関東は東京」を(関東と言えば何と言っても東京が一番だ)という意味合いが込められていると解釈できるとしても、「関東は東京」の「は」の用法を「春は曙」の「は」の用法に重ねるのには疑問が残ります。
よく観ると、「春は曙」や「酒は白雪」の場合は、「A+は(について言えば)+B」で意味上の一文を完結しているのですが、「関東<は>東京で産湯を使い」は「関東の中の東京、その東京で産湯を使い」となり、「は」は「関東<の中の>東京」とまとめるだけでなく「その場所で」と意味上の連繋をも果たす役割を担っているのです。

さて、先が見えてきたでしょうか?皆さんとの遣り取りの中で疑問を解くヒントを得たいと思っています。



POP3 さんからのコメント
( Date: 2002年 04月 07日 日曜日 11:51:49)

蝦蟇の油売りの口上に

 一枚の紙が、二枚となる。二枚が四枚、四枚が八枚、八枚が
十六枚、三十二枚、六十四枚、百と二十八枚。……

「春は三月、落花の形」

と言うのがでてきます.この「春は三月」の「は」は「春は曙」より「関東は東京」の方に通じるものがあるような気がしますが,どんなものでしょう.


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 04月 14日 日曜日 19:57:13)

益岡隆志・野田尚史・沼田善子編『日本語の主題と取り立て』(くろしお出版)に、菊地康人氏が「「は」構文の概観」を執筆しています。種々の「は」構文をきれいに系統立てていて、とても興味をそそる論文ですが、その中に、「関東は東京で産湯を使い……」「東京は、葛飾の生まれです」の類は載っていません。載っていてもよいはずです。

「関東は東京で……」は、あえて当てはめれば、菊地氏の分類のうち、さしずめどのあたりに位置するだろうかと考えることは許されるでしょう。

菊地氏は「一般の「は」構文」を、
  1.〈基

本型〉の「は」構文
  2.〈包含型〉の「は」構文
  3.〈変種型〉の「は」構文
  4.〈特定類型〉の(〈超格的/破格的〉な)「は」構文
に分けています。

1は、「その本は、Aさんが書いた」のように格を主題化したものなど。
2は、私が上に述べた「(上位概念)は(下位概念)」型など。
3は、1の変種で、「車は、太郎が白くて、花子が赤い」など。
4は、いわば〈その他類〉です。「このにおいは、ガスが漏れてるにちがいない」など、「こんなことまで「は」構文で言えてしまうのか」と感心するような、特殊なものが集まっています。

1は、「Aさんが書いたのは、その本だ」のように、主題部・述部を交換することができそうですが、2の〈包含型〉はできなさそうです。たとえば、2には
  ・ピッチャーは、桑田が投げている。
  ・魚は、鯛が釣れた/鯛を食べた。
  ・おやつは、枝豆が出ました。
などの型が属しますが、「×桑田が投げているのは、ピッチャーだ」「×鯛が釣れたのは、魚だ」「×枝豆が出たのは、おやつです」など、主題部・述部を交換すると不自然になります。

私の挙げた「アンゴラのスポーツは、もっぱらサッカーに関心が集まっています」も、ここに属するように思われます。天野さんのいわれるように、「もっぱら……アンゴラのスポーツだ」と、主題部・述部を交換することができそうにも思われますが、不自然さも残るのではないでしょうか。

「アンゴラのスポーツ……」はひとまず置くとしても、「関東は東京で産湯を使い」は、「魚は鯛を食べた」など〈包含型〉にきわめて近いものを感じます。いかがでしょうか。

POP3さんの言われる「春は三月……」は存じませんでした。「関東は東京で産湯を使い」ときわめて近い型という感じをもちます。井上ひさしの戯曲『珍約聖書』の中に、
  春は弥生の桃のお節句、……
で始まる挿入歌があったように記憶しますが、今、その本は手元にありません。


天野修治 さんからのコメント
( Date: 2002年 04月 28日 日曜日 06:48:04)

Yeemar さんご紹介の『日本語の主題と取り立て』の菊地康人氏の論文「「は」構文の概観」は手許に無いので、解釈に勘違いがあるかもしれません。ご訂正下さい。

2〈包含型〉について。
「酒は白雪(が一番だ。に限る)」を逆にした「白雪は酒」は「白雪は酒である」と意味が変わり「(下位概念)は(上位概念)」になりますが、これも2〈包含型〉に含まれるのだろうか?という疑問が浮かんだので、記しておきます。

>「関東は東京で産湯を使い」は、「魚は鯛を食べた」など〈包含型〉にきわめて近いものを感じます。いかがでしょうか。>(Yeemar さん)

「魚は鯛を食べた」と「関東は東京で産湯を使い」
は、同じ構造に見えますが、「魚は鯛を食べた」の「は」は、例えば「肉は牛を食べた」のような対照を暗示しているのに対して、「関東は東京で産湯を使い」の「は」は、例えば「関西は大坂で育った」のような対照は暗示されていない、と思われます。対照を暗示せずにこの種の「は」を用いているところに特異性を感じます。

POP3さんの示された「春は三月……」は、場所でなく「時」ですが、確かに「関東は東京で産湯を使い」のように「春は(の中の)三月(に…)」の構造の文が可能なような気がします。

かなり前の流行り歌ですが、この「春は三月……」の表現から、あがた森魚の「赤色エレジー」の歌詞(昭和余年は春も宵、桜吹雪けば情も舞う)を思い出しました。
「昭和余年は春も宵」は構造上、三段構えになっています。つまり、「昭和余年>春>宵」で「(上位概念)は(下位概念)も(そのまた下位概念)」となっています。「春も宵」の「も」は、「暮れ<も>押し詰まった或る日、…」などの<も>と同じだと思いますが、これを「暮れ<は>押し詰まった或る日、…」とすると何故か間が抜けますね。
(余談ですが、確認のためにネット索引で調べたら「情も舞う」のところが「蝶も舞う」(なるほど!)と紹介されているのが幾つかありました。)
http://shibuya.cool.ne.jp/brn/


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 04月 28日 日曜日 13:42:11)



「酒は白雪」の類は、上記「一般の「は」構文」(菊地氏はこれをIとしています)には含まれず、「「XはYだ」文」(これをIIとしています)に含まれています。論文のうち、言及の割合はIが大部分で、末尾にIIが添えられたという感じです。

IIの文として、菊地氏は
  1.コピュラ文
    (「Aさんは学生だ」)
  2.〈Y=場所/時間/数量〉の「XはYだ」文
    (「郵便局は駅前です」)
  3.〈選び出し〉の「XはYだ」文
    (「魚は鯛だ」「男は度胸だ」)
  4.いわゆる‘ウナギ文’
    (「僕は鰻だ」)
  5.分裂文
    (「Aさんが書いたのは、この本だ」)
を挙げています。

3の〈選び出し〉については、「何らかの意でXがYを含み(あとの例でも「度胸」は「男」のいわば構成要素の一つ),Xの中からYを選び出すもので,〈包含型〉の「XはYがいい/大事だ」などとパラフレーズできる。ただし,パラフレーズするまでもなく,「XはYだ」という構文自体に,意味的/語用論的に〈選び出し〉の用法があると見たい。」と説明されています。

>「関東は東京で産湯を使い」の「は」は、例えば「関西は大坂で育った」のような対照は暗示されていない、と思われます。

との天野さんのご発言についてですが、菊地氏は分類方法について「〈「は」の用法〉がいわゆる‘主題’か‘対比’かといった観点からの関心ではなく,〈構文としてのタイプ〉という観点からの整理である。」と述べています。

この方針の理由は、思うに、「主題」と「対比」(対照)とは両立するからではないでしょうか。「魚は鯛を食べた」は、「昼に魚を食べたんだってね、何を食べたの?」という質問の答えとしては対照が暗示されていませんし、また、「手前生国は日本、日本といっても広うござんす、関西ではござんせん、関東は東京で産湯を使い……」という意味であれば、対照が暗示されているともいえます。菊地氏の意図は分かりませんが、「主題」「対照」を度外視しても

、構文上の分類が行えるということだと思います。

「関東は東京で産湯を……」は、もちろんありふれた用法ではなく、むしろその逆ですが、時を表す「春は三月、落花の形」「昭和余年は春も宵」などと同じ範疇に入る用法であって、かつまた、「魚は鯛を食べた」などの用法とも根本的にはつながる用法だ、という説明ではどうでしょうか。「関東は東京で」「春は三月」は場所格、時格であるためあまりなじみがなく、「ピッチャーは桑田が」「魚は鯛を」は主格、対格であるためなじみがあるという、「なじみ度」の差でもあるのではないでしょうか。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 04月 28日 日曜日 15:52:07)

……とはいえ、「魚は鯛を食べた」は、

×腹がへったので、料理屋に入り、魚は鯛を食べました
という言い方はしないのですね(どういう意味に解しても不自然です)。一方、「関東は東京で」は、
資金のめどが付いたので、故郷を去り、関東は東京で会社を起こした
のように言えるのですね。

これはなぜでしょうか。「ピッチャーは桑田が投げている」「魚は鯛を食べた」などでは、「〜は」の部分は下の説明部分全体に係っており(「桑田が投げている」「鯛を食べた」が説明部分)、一方、「関東は東京で産湯を使った」「春は三月、落花の形」などでは、「〜は」の部分は連体修飾節に収まってしまい(「関東は東京」「春は三月」でひとまとまりとなる)、下の説明部分全体には係っていないから、という解釈がなりたちそうです。

とすれば、「関東東京で産湯を使った。」は、「関東東京で産湯を使った。」とほとんど変わらないことになり、私が前に述べました「「は」の基本的職能である「提題」の役割を果たすものに違いはないと思われます」という意見は根底からくつがえることになります。

天野さんがはじめに示された辞書の説明、つまり、この「は」は「の中の」と解すべしという辞書の説明に戻ることになります。もしそうなら、とてもショッキングです。「は」は連体修飾を表さないはずというのが私の論の出発点でしたし、今もそう思いますので。

北原保雄氏は、「日本語の構文においては、やはり連用か連体かということがきわめて重要である。連体の「の」が連用の「は」によって代行されるということは、重大なことである」(『日本語の世界6』中央公論社 p.249)と述べていて、「は」は「の」を代行しないという立場をとっています。当然「は」が「の中の」を表すはずもないと思われるのです。
どうも、自分でいい加減なことを述べては自分でツッコミを入れているような気がいたします。よろしくお導きください。


天野修治 さんからのコメント
( Date: 2002年 05月 08日 水曜日 00:05:49)

>「関東は東京で産湯を使った」「春は三月、落花の形」などでは、「〜は」の部分は連体修飾節に収まってしまい(「関東は東京」「春は三月」でひとまとまりとなる)、下の説明部分全体には係っていないから、という解釈がなりたちそうです。>(Yeemarさん)

「関東<は>東京で産湯を使い」は「関東の中の東京、その東京で産湯を使い」となり、「は」は「関東<の中にある>東京」とまとめるだけでなく「その場所で」と、次の節への意味上の連繋をも果たす役割を担っているように、私には思えます。つまり、この「は」は「関東<の中の>東京」と「<その>東京で産湯を使い」の二つの節を、「東京」を一つ省略して、全体として一文を表すウルトラCをやってのけているように感じられるのです。

>天野さんがはじめに示された辞書の説明、つまり、この「は」は「の中の」と解すべしという辞書の説明に戻ることになります。もしそうなら、とてもショッキングです。「は」は連体修飾を表さないはずというのが私の論の出発点でしたし、今もそう思いますので。>

この辞書は『改定 新潮国語辞典−現代語・古語―』(久松潜一 監修。山田俊雄・築島裕・小林芳規 編集。昭和51年4月10日 改定第3刷発行)で、その「は」の項の(二)係助詞の説明の中で
(6)(地名と地名との間において)「の中では」の意を表わす。「江戸−神田の生まれでござんす」

と例を引いています。しかし、「の中<では>」という解釈では、私が上に述べたような、<この「は」の特異性>を示唆しているようには感じられないのです。

「場所と場所」の間だけでなく「時と時」の間にも、似たような「は」の用法が見られることなど、少しずつ見えてきたものもありますね。また、お気付きの点がありましたら、ご教示下さい。




Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 06月 27日 木曜日 09:30:58)

「春は三月」と同じような例として、樋口一葉「たけくらべ」一に

秋は九月仁和賀の頃の大路を見給へ、
とありました。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 06月 27日 木曜日 09:31:41)

「春は三月」と同じような例として、樋口一葉「たけくらべ」一に

秋は九月仁和賀の頃の大路を見給へ、
とありました。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 06月 27日 木曜日 09:32:23)

「春は三月」と同じような例として、樋口一葉「たけくらべ」一に

秋は九月仁和賀の頃の大路を見給へ、
とありました。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 04日 水曜日 15:02:19)

『猿蓑』(1691年刊)に

糸桜腹いつぱひに咲にけり 来

春は三月曙のそら 水
とあります〔「水」は岡田野水〕。


それにしても「〈時〉は〈時〉」「〈場所〉は〈場所〉」の古い例があまり見つかりません。「肥前の国は唐津の住人」は『吾輩は猫である』の例ですから明治になってからです。このような「は」の用法がイレギュラーでなければ、もっと早くからあってもよさそうなものです。


posted by 岡島昭浩 at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年03月25日

重傷と軽傷(道浦俊彦)

(報道に携わっている私が、こんなことを聞くのは恥ずかしいのですが、)皆様は、「重傷」「軽傷」の境目は、どのあたりに感じてらっしゃいますか?
つまり、「全治○日以上・以下」というふうな分け方で言うと、境目は何日でしょうか?たとえば、「全治2週間」の怪我が、重傷でしょうか?軽傷でしょうか?
また、「重傷」と「軽傷」の中間ぐらいの怪我は、なんと呼べばいいのでしょうか?


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 25日 月曜日 22:43:07)

公共放送の基準で恐縮ですが、『NHKことばのハンドブック』(1992年3月第1刷)によりますと、
 重傷……30日以上の治療を要する場合
 軽傷……30日未満の治療を要する場合
とありますね。(p.83)

中間ぐらいのけがは、中傷……というのはだれでも思いつくしゃれかもしれませんが、上記の基準によれば、中間ぐらいというのはないことになる理屈です。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 25日 月曜日 22:58:32)

私自身は、「山から転落したが、軽傷ですんだ」というときは、かすり傷程度、つまり自宅で十分な治療できる程度をまずは思い浮かべますので、NHK基準よりは軽いことになります。骨折していると、「こいつは重傷だね」ということになりそうです。

しからば、「重症」と「重態」とはどう違うのか、という議論は以前にありました。

病状表現の細分化?


posted by 岡島昭浩 at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年03月11日

単車(道浦俊彦)


素朴な疑問です。単車は車輪が二つあって「二輪」なのに、なぜ「単」車なのでしょうか?



UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 11日 月曜日 22:47:45)

↓はいかがでしょう。

バイクは二輪なのに単車?


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 12日 火曜日 00:27:15)

UEJさん、ありがとうございます。同じような疑問を持っている方はいらっしゃるのですね。けど、そうすると「サイドカー付きのオートバイ」は、漢字でどう書いてどう呼んでいたのでしょうかね?自動二輪?ではないですね。サイドカー付きは「自動三輪」????


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 12日 火曜日 00:36:04)

ネットで検索してみますと、「単車」の対語は「側車付き」で、軍隊時代の言葉とも出ていました。が、ほかにも「昔は単気筒が多かったから」「排気音がタンタンというから」とか書いてあるものもありましたが。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 12日 火曜日 03:53:21)

先ほど書こうと思って忘れていましたが…
新明解の「単車」の項には
「側車付きに対して」
と括弧つきで書かれていました。
今手元に持っていないので、少し表現は違うかもしれません。

↓のページにはクイズがあり、「単気筒説」、「排気音説」が選択肢にあるにも関わらず
答えは「側車無し説」としています。

だいちゃんの目からウロコ!? 


UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 12日 火曜日 03:58:56)

道路交通法では、以下のようになっています。

(自動車の種類)第3条
自動車は、内閣府令で定める車体の大きさ及び構造並びに原動機の大きさを基準として、
大型自動車、普通自動車、大型特殊自動車、大型自動二輪車(側車付きのものを含む。以下同じ。)、
普通自動二輪車(側車付きのものを含む。以下同じ。)及び小型特殊自動車に区分する。

道路交通法


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 12日 火曜日 12:06:35)

UEJさん、『新明解』の第五版2000年12月20日の21刷では、
「(サイドカーと違って)一人乗りのオートバイやスクーターの称」
となっていました。『新潮現代国語』は二つ意味が載っていて、@一台だけの車両Aエンジン付きの二輪車。オートバイ。
『岩波国語』は「エンジン付きの二輪車。オートバイやスクーターなど。」
『三省堂国語』はオートバイ。二輪車」
『日本国後大辞典』には3つ意味が載っていて、@ただ一台の車A鉄道でボギー台車を用いない車両、特に二軸車をいうB(四輪の自動車に対して)エンジン付きの二輪車。オートバイ。
この3番目の意味で用例は「作戦要務令」(1939)が「近距離においては単車を使用することあり」が載っていました。ほかに1967年の小川国夫の例も。

やはりサイドカーなしを「単車」というようですね。


posted by 岡島昭浩 at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年03月04日

『失敗しない話しことば』目次(Yeemar)

NHKアナウンス室編『失敗しない話しことば NHK『ことばてれび』講座――1』(KAWADE夢新書、1997.07.01)の目次です。

国立国語研の図書室で見つけたのですが、なかなかおもしろい内容でして、本屋で買い求めました。

●1章 その言い方では失敗です
うっかり表現で失礼になる会話

「コーヒーのほうでよろしいですか」
この「ほう」は不要なのでは?

「一万円からお預かりします」
「から」の使い方は間違っていない?

「ありがとうございました」
過去形で言うのは何かヘンでは?

「おあいそお願いします」
お客が言うのはおかしいのでは?

「これで結構ですか?」
店員さんが言うのは間違ってる?

「ご苦労さま」
目上の人に言うのは失礼なのか?

「おられますか?」
相手のことを尋ねるのは不適当では?

「見られる」と「見れる」
“ら抜き言葉”はどこまで許される?

「いないかどうか」と「いるかどうか」
二つの言い方はどう違う?

「子供に小遣いをあげる」
「小遣いをやる」が正しいのでは?

「愛する人とめぐり逢いたい」
「愛する人に」が正しいのでは?

「風上にも置けぬ人」
「風下にも置けぬ人」が正しいのでは?

「窓口にて……」
「窓口で……」のほうが適切では?

「お電話番号」「お泊まりですか?」
ことばに「お」をつけすぎるのでは?


●2章 なぜ言い間違えてしまう?
気づかず口にして笑われないために

「とりつくヒマがない」
「とりつくシマがない」の誤りでは?

「気がおけない人」と「気がおける人」
気楽につき合える人は一体どちら?

「汚名挽回」
これでは何のことやらわからない

「私には役不足です」
謙遜したつもりが傲慢と思われた

「雨が降らない前に」
さて、雨は降っているのか、いないのか

「舌が肥える」と「口が肥える」
肥えるのは「舌」それとも「口」?

「早急」の読み方
「そうきゅう」「さっきゅう」どちらだろう?

「感激して鳥肌が立つ」
「鳥肌」は怖い時やゾッとした時に立つのでは?

「危ないですから」
何か違和感を感じませんか?

「情けは人のためならず」
人に情けをかけるのは、その人のためにならない?

「つなげる」「つなぐ」
二つの言い方はまったく同じ意味なの?

「実現化」「削減化」
重複表現になるから「化」は不要では?

自動支払機で「処理しています」
大切なお客に言うのは失礼ではない?

「続柄」の読み方は?
「ぞくがら」と訓む人が多いが……


●3章 ルーツを探ればなるほど納得
日本語が持つ独特の言い方にご用心

「どっこいしょ」
何かする時、つい口に出るのはなぜ?

「虫の知らせ」「虫が好かない」
いったい、この虫とはどんな虫?

「捕らぬタヌキの皮算用」
なぜキツネではなくタヌキなの?

「だまされたと思って〜」
なぜ、こんな嫌な言い方をする?

「錠前」「男前」「江戸前」
この「前」とはいったい何のこと?

「きちょうめん」
この言葉は「生」+「帳面」なの?

「満を持す」
いったいどこから生まれた言葉?

「生きざま」
耳ざわりだから「生き方」と言いかえるべき?

「耳ざわりがよい」
こんな言い方はありえないのでは?

「せわしない」
「せわしい」のになぜ「せわしない」と言う?

「山の神」
奥さんのことをこう言うのはなぜ?

「お前百まで、わしゃ九十九まで」
これは夫から妻へ?妻から夫へ?

「一生懸命」と「一所懸命」
いったいどちらが正しいのか?


●4章 人によってとらえ方は大違い
使っていながら知らないその言葉の本来の意味

「課長は二〇日まで会社にまいりません」
課長は二〇日に出社するのか、しないのか

「バールのようなもの」とはどんなモノ?
「夜分」というのは何時のこと?

「サービス」
無料のことだと思ったら大間違い

「赤恥」「緑の黒髪」「黄色い歓声」
なぜ黒髪が緑色?なぜ声が黄色なの?

「下手の横好き」「横車を押す」
悪いイメージの言葉になぜ「横」がつく?

「二つ返事で引き受ける」
「はいはい」と重ねて答えることなのか

「人一倍、努力する」
これを言うなら「人二倍」が適切では?

「舌づつみを打つ」
「舌鼓」だから「舌つづみ」が正しいのでは?

「数人」「数日」「数年」
この「数」とはいったいいくつのこと?

「々」「ゝ」「〃」
この記号の読み方と使い方は?


●5章 言葉は常に時代を映しだす
日本語の常識・非常識はこんなに変わった

「水菓子」「筋金入り」
消えゆく美しい日本語にはどんなものがある?

ドラマのセリフに出てくる「〜したまえ」
この言い方は実際に使われている?

話の途中で語尾を上げる「半クエスチョン」
若者が好んで使うのには意味がある?

「スゴイ」
すごくもないのに「スゴイ」を連発するわけは?

「核家族」「裏口入学」
昔の流行語で今は普通に使われているものは?

「あくしゃうつ」「たいな」
なぜ今“新しい方言”が流行しているの?

「えばる」「落っこちる」「ぶるさがる」
意外にたくさんある東京の方言

「老人たち」「主婦ら」
十把一絡げの見下げた言い方では?

「ぼく」
男性が自分のことをこう呼ぶのは何歳まで食え

面白ことばてれび講座(1)
カレンダーは日曜から始まるのになぜ日曜を「週末」というの?

面白ことばてれび講座(2)
「十二月二十五日」と「一二月二五日」どちらの表記が読みやすい?


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 04日 月曜日 23:50:51)

訂正

上記のうち「二つ返事で引き受ける」は、次のように2節に分かれています。前半の見出しが抜けていました。


「二つ返事で引き受ける」
いったいどんな返事のこと?

「二つ返事で引き受ける」
「はいはい」と重ねて答えることなのか


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 05日 火曜日 00:15:03)

タグは今のところ使えない設定になっています。<b>ぐらいは使えるようにしたいと思います


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 05日 火曜日 00:15:26)

タグは今のところ使えない設定になっています。<b>ぐらいは使えるようにしたいと思います


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 05日 火曜日 00:16:25)

タグは今のところ使えない設定になっています。<b>ぐらいは使えるようにしたいと思います


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 05日 火曜日 00:26:22)

太字が使えるようになったでしょうか


posted by 岡島昭浩 at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年03月01日

「今月の流行語予報」索引(Yeemar)

東京出版サービスセンター「今月の流行語予報」に投稿された「流行語」の索引を掲げます。です。5年以上にわたって続いたようですが、最近更新が止まっているようなので、このまま終わってしまうのかもしまれません。価値のある試みだと思うのですが、もったいないことです。

あ〜ほとぼった、ほとぼった(00)
アイム ソウリー 森 総理(I'm sorry, Mori sorry.)(01)
アウチフォーカス(00)
アウテリア(99)
アウト・オブ・眼中(98)
頭いんでる(00)
あったりまえの助動詞(98)
アナチャリ(00)
アノソノ会(99)
アパマン(98)
甘メモ(01)
アリアリ(98)
アリになる(99)
アルカイザーっぽい(98)
アルちゃん(99)
如何なものか、と思う(99)
いかちー(00)
いかつく(00)
いきおい(01)
イケスギ(00)
♪1年生は石投げて、2年生はにげて、(98)
一輪挿し(99)
イボチントリオ(99)
意味プー(97)
いやゲー(99)
いらぞー(00)
ヴァラちゃん(97)
ウー(98)
Ooga-Chaka(ウガ・チャカ)(98)
ウゴウゴする(99)
牛しばく(97)
うまい米食わせろ(99)
産む(産まれる)(99)
営 業ホモ(98)
エイプ(98)
AP(98)
ええまあそんなところです(97)
エクステる(00)
えだる(98)
エバクラ(97)
エルファー(97)
オール(99)
おかちゃん(98)
置きっぱ(00)
オグリバンビ(98)
オケしばく(98)
オケる(97)
オダ!オダ!(99)
おっけーおっけー(97)
オトシゴちゃん(00)
おなちゅう(98)
オニ(すごく、とっても)(98)
おにぎり星人(97)
「おばあちゃんには、コレぇ〜」(98)
おはっす ! !(00)
オムライス(99)
おもいっきりハゲ(99)
重メール(99)
おやすむ〜(97)
おやすんで(98)
おやだまツアー(98)
女しゃべり(98)
オンリージョバー(99)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 3月 01日 金曜日 16:40:18)

過去にすがるなよ(00)
家事テツ(家事手伝いの略)(97)
take a gaspipe(ガス管くわえろ)(97)
かたぱん(00)
がちょーん(98)
カツオ(98)
カッコ笑いカッコ閉じ(98)
ガッペむかつくー(97)
かてきょう(99)
カナリヤ(00)
カニ食っていこう(97)
ガビガビMAX(00)
カブル(98)
我メール(99)
■かゆいっち(99)
柄人(99)
ガリバー(98)
カルチャン(01)
ガングロ(98)
キーちゃん(99)
ギガる(00)
きしょい(00)
きっくごろごろ(00)
ギッてる(うそをついてる)(98)
ギプス(ギブス)(00)
♪君はくえるかな、(98)
キムタク(99)
逆ギレ(97)
逆ゲット(女から男に声をかけるの意。同「逆ナン」)(97)
ギャフン(98)
キャラメリアン(98)
牛しばく(97)
キラキラ星人(99)
切り刻む(99)
Kill you(97)
具合悪い(99)
Cool三段活用(意地悪で、冷たい、頭のキレる人)(98)
ぐっちゃり語(98)
くぼる(98)
クラッチくん(00)
くるくるタイマー(98)
〔目黒〕(99)
黒タイ(97)
携帯行列(99)
けいど・かんど (98)
ゲキみじ(98)
ゲット指令(99)
ゲテ(97)
ゲテ好き(97)
ケミかる○○(98)
圏外(00)
現状復帰(00)
ケンタのフラチン(98)
こうけつ(00)
子機化(98)
コクる(97)
ゴゴティー(98)
ごさごさ(97)
小銭大王(99)
古代話(98)
ごっぱい(99)
こてこてのジャパ(97)
COPAる(97)
ゴブる(97)
ゴリ(98)
ゴリップク(99)
こわデジ(99)
コンチャリ(00)
こんぬつは(99)
ごんばる(99)
コンミス(00)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 3月 01日 金曜日 16:40:41)


サイコ(98)
サイバリー(98)
さくしゅする(98)
桜ダンサー(99)
ささる(98)
サス!!(98)
鯖ギャル(99)
砂漠にCCレモン(98)
サバッ(00)
サバる(98)
サバンナ時代(99)
サブエルッ(99)
サプらう(99)
SAMこん(98)
さる状態(99)
ざわざわ(01)
3カ月(97)
3秒ルール(98)
GHO
G.T.×(99)
司会する(98)
シカッティング(99)
自己主張強い(98)
しったか(99)
しどい(99)
シネタレ(98)
自分(99)
死亡遊戯(98)
搾る(98)
しまタイム(97)
しめる(97)
ジモティ(98)
シャクラー(99)
ジャケ買い(97)
シャリパン(98)
じゃろ(ジャロ)(98)
ジャンケニオ
○○集合(99)
ジュースる(98)
〜出身(97)
省電力モード(97)
しょーがねーな○○してやるか。(99)
初期化しな(97)
ショクジー(99)
しょっパソ(00)
しらんプリン、メロンパン(97)
〔目白〕(99)
真剣入ってる(はいってる)(98)
人生リセット(リブートともいう)(98)
親切設計(99)
心拍数0・・・(00)
すいかの塩(00)
スイッチ式(98)
すいのみ(98)
ズームインハゲ(99)
スクってる(99)
スタバってる(01)
すてきライフ(97)
ステキング(00)
ストパ(ストレートパーマ)(97)
頭脳わからない(誰が好きだかわからない)(98)
スパる(98)
世界の……(98)
セッター(01)
Z戦士(ぜっとせんし)(98)
せつなー(98)
セブン(98)
ゼロ・ジェネ(00)
せんきょさん(選挙さん)(98)
ぜんくり(全クリ)(98)
戦争状態(97)
そーかー(99)
ソージキ(98)
ソースとしょうゆ(00)
そっかそっか(99)
ソッコー隊(98)
ソリティア残業(99)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 3月 01日 金曜日 16:41:06)


ダイエッター(97)
態度LL(たいどエル・エル)(00)
○○大魔王(99)
高杉しんさく(99)
たかぶー(00)
だが平和を望もう(97)
タクる(97)
ダッシュ(99)
だっちゅーの(98)
ダブチ(01)
ダボ(99)
駄メール(99)
たらちゃんの悲劇(99)
Dancing Baby(98)
だんなはいらないから自分専用の奥さんがほしい!(97)
地域限定(99)
チキチキ(99)
血の色が緑(99)
茶ぁどつく(98)
チャッ友(00)
チャラ男(99)
チャリバイ(00)
中央線(98)
★ちゅーねん(99)
超ー地下鉄ー!!(98)
チョギャジ(超ギャジ)(97)
チョゲル
チョゲロまずい(97)
ちょっ速(チョッパヤ。超速いの略)(97)
ちょぼこった(00)
チョボル(98)
ちょん(98)
チル(01)
【珍走】ちんそう
○○ックス(98)
ツボる(98)
つぼる(98)
ツモる(01)
つんプロ(99)
○○T(ティー)(99)
TCB
でかちょう(98)
デジチャリ(00)
デジハゲ(99)
てせっとくん(98)
デニヤ(98)
デニる(97)
……でふ。(00)
てもちぶたさん(99)
テリチキ
テレクロ(99)
テンソ(98)
〔怒〕(99)
どあつかましい(00)
トイ扱い(00)
どうかとおもうよ(98)
トーヒル(98)
ドコモン(99)
特急券ゲット(98)
突コン(98)
とってもピース(99)
ドットコム(00)
どっぱや(99)
トドる(97)
飛び立つ(98)
ドメヤケ(98)
ども変態7段活用(98)
ドラえもそ(99)
とらっきー系(99)
とらまえる(00)
トリセツ(98)


Yeemar さんからのコメント
(Date: 2002年 3月 01日 金曜日 16:41:45)

○○ナイズ(99)
ナイフ買ってくる(98)
なお美様(98)
なぞい(00)
何かに吸い込まれる(98)
なにやっとんばしょ(とんばしょ弁)(97)
ナンナン(00)
にっちゃばんじ(99)
二度びっくり(後ろ姿はイケているが、正面はNG、の意)(97)
2Bポッセ(00)
にゃふ〜ん ! !(00)
ぬるむ(00)
ネイル(97)
寝ちぎる(01)
ネット残業(99)
ネッ友(00)
残りの人生走り抜きます。(99)
ノストらる(99)
のわ〜〜〜〜〜〜〜(00)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 3月 01日 金曜日 16:42:22)

バークレー(99)
ハーコー(01)
ぱーできっ!(00)
はい! おいし〜い よう稼ぐ! ハイ! ハイ!(00)
××入ってる(××を意識しているっぽいの意)(97)
バイニュー(98)
ハウッ(98)
ばく言(ばくげん)(00)
爆生(人生を爆走している人)(98)
パクられる(00)
パじゃない(98)
ぱしる(97)
はずい(99)
パソ婚(99)
バタくさい(99)
バチこく(だました)(98)
ハチドキ(00)
バックシャン(98)
バッチ処理(00)
ハッテンBOX(01)
○発パンチ(98)
バトル(喧嘩する)(97)
はな〜(99)
バナナネット(99)
はなまる主婦(98)
ババスト(97)
ババピン(98)
バビる(ビビる=驚く)(98)
ハプニングする(98)
歯紅(97)
バモラー(98)
早くお風呂にはいりなさい。(98)
ハラタツノリ(98)
ばり3(バリサン)(97)
バル(99)
般教(97)
バンシボ(98)
パンピー(98)
半ボラさん(98)
**ピー(98)
ピーチネット(99)
ヒ〜ル !(99)
ヒカリもの(アクセサリー類、の意)(97)
ひきこ(01)
ヒゲボウズ(97)
ビジュアルショッカー(98)
微中年(99)
ピック(97)
びっくり・くり・くり(98)
雛祭りの替え歌(00)
ビバノン(はぁ〜ビバ!ノンノン!)(99)
ひばり〜(00)
微妙(01)
ひゃっきん(99)
ひよる(98)
ひろし(98)
ピンポンダッシュ(98)
ファッキン(98)
ファッキン(99)
プーたろう !(99)
フェイドイン(99)
フォーリンラブラブ・アイラビューン(98)
ぶくろ〔池袋〕(99)
ぶさい(99)
不思議(99)
武装(99)
双子(99)
プチ○○(97)
ぷっくりんちょ(97)
それってけっこういい物件じゃない?(97)
ぶりばり(99)
プリンちゃん(99)
ブルー入(はい)る(気分がブルーになる、落ち込む、の意)(97)
プログレ(00)
プロントする(97)
へーきへーき(97)
へこむ(99)
へたくそ棒(98)
べた子(00)
へびなわをしょう(背負う)(97)
ベリチン(99)
ベリビ(99)
ベルサ(00)
ポカる(00)
「ポケモン、復活だぜっ!」(98)
ボコる(99)
補佐(99)
ポチ(01)
ポットポットる(00)
ボテクル(98)
ポテチ(97)
ぽむぽむ(97)
ボラさん(98)
ポン!(98)
ポン酒(97)
凡ちゃん(97)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 3月 01日 金曜日 16:43:05)

マー坊(97)
まえからうしろから(97)
まかせろ(99)
巻き髪(97)
マジ怒り(マジで怒る、の意)(97)
マジギレ(マジでキレる、の意)(97)
マジギレ5(98)
まじょりーん!?(00)
マタニティ(98)
マックユーザ(98)
まったり(99)
マッハ(99)
マッハ打ち(99)
マッピ(00)
「松? 吉?」(まつ? よし?)(98)
ママ・チェック(母親の偵察の意)(97)
まめール(99)
豆知識(00)
★まるきゅー(99)
マルメ(01)
回す(01)
〜でマンモス
みーやん(00)
見失ってきた……(98)
身重(99)
ミクロ系(98)
ミシェる(98)
ミスト(98)
ミリマ(98)
みれにあむ(00)
ムシッ(99)
ムシッティング(99)
無免カリスマ○○(99)
▲メアド(99)
メール残業(99)
めさめさ(97)
メジャデ(00)
メターゼ(98)
めっちゃ M M(98)
メラ○○(98)
メンソレ(97)
もぁーん(98)
××モード入る(××の状態、の意)(97)
モームス(99)
モクい(98)
モジャ子(00)
もち子(00)
もっこりパンツ(98)
もどきちっく(99)
もとチョコ(98)
桃水(モモスイ)(98)
桃天(98)
燃す(99)
もんでりんこ(98)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 3月 01日 金曜日 16:43:26)

野猿【やえん】(98)
やっほー!(98)
やどかる(99)
ヤバイ(00)
ヤバネット(99)
やべっち岡村!(00)
山登り(00)
やりっぱ(01)
ユーアイジェーケー(UIJK)(98)
ユニクロージャー(00)
酔いしれタイム(98)
よしだてるみ(98)
夜お茶(97)
ライドオン(99)
ライブ(00)
ライン(97)
ラジャる(99)
ラリ男化(ラリオカ)(98)
リーマン(98)
リキんばる(98)
リバース・モード(98)
リモ(97)
流血プレイ(99)
リュウマチ(流街)くん(99)
Relactive(リラクティブ)(00)
リンク(97)
ルートで計算(01)
ロイミ(00)
ローソ(98)
ロスる(97)
路面店(97)
わけワカメ(わけ、わかんない)(97)
▲わし(99)
わらわら(97)
わりとーだよね(97)
ワン切り(99)


posted by 岡島昭浩 at 16:39| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年02月24日

名「前」の「前」は何?(天野修治)

日本語学習者から<名「前」の「前」は何?>と訊かれて、いろいろ調べていますが、なかなか合点のいく説明が見つかりません。皆さんのお知恵を拝借したいと思っています。

スペイン人の彼らの最初の推測としては<名字の前にあるから名「前」>なんだろう、ということですが、<日本語では名字(苗字)が名前の「前」>だと気付けば、その由来を知りたくなるのも分かります。

かつて「前」が尊敬語であったこととか、貴女の名に添える敬称であったことなどが関係しているのでしょうか?


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 25日 月曜日 21:14:08)

「名前」はごくふつうに耳にすることばですが、その由来を調べようとするとむずかしいですね。

主だった国語辞典で「前」を引いても、納得のゆく説明が見当たりません。

『逆引き広辞苑』で「〜前」ということばを引いてみますと、「錠前」とか「男前」とか「腕前」とか、「名前」と同じく「なぜ『前』がつくのだろう?」と思うことばがいくつか出てきます。

意味の分からない「〜前」のつくことばのリストが増えたおかげで、かえって考察しやすくなったように思います。

ここでNHKアナウンス編『失敗しない話ことば』(KAWADE夢新書、1997)を開いてみますと、「「錠前」「男前」「江戸前」この「前」とはいったい何のこと?」というページがありまして(p.113)、「〜前」についての考察があります。杉戸清樹氏のお知恵を拝借している部分が大きいようです。

「板前」「江戸前」などは、「板の前にいる人」「江戸の前に広がる東京湾」〔江戸湾〕などのことだそうで、これはわれわれの理解している「前」の意味をそのまま用いているのでしょう。

「割り前」「分け前」「一人前」などの「〜前」は〈割り当てられたもの〉ということでしょう。

さらに、

「前」ということばは、人の前面からにじみ出てくるというところから、人間の能力や姿、形なども意味するようになった。こうして生まれたのが「男前」や「腕前」というわけである。〔略。「錠前」も〕鍵や錠をつくる職人さんの技術がことばに込められているということから「前」がついたと考えることもでき、そう考えれば「男前」「腕前」の「前」と共通することになる。
とあります。

私はちょっと説明を変えて、「男前」「腕前」「錠前」の「〜前」は、〈一定の形をなしているものを表す接尾辞〉と捉えてみました。

「名前」も、同じように説明できないでしょうか。〈ある一定の形をとっている名〉のことを「名前」というのでしょう。

そんな迂遠な言い方をしなくても「名」でいいのに、なぜ「〜前」をくっつけるのか? それは、こういうことでしょう。「え(枝)」と言えばすむところをわざわざ「えだ」と言ったり、「お(尾)」と言えばいいところをことさらに「おっぽ」と言ったり、「こ(子)」で十分なのにあえて「子ども」と言ったり、「せ(背)」で問題ないのにご丁寧にも「背中」と言ったりするのと共通の心理があるのでしょう。

1拍名詞は印象が弱く聞き取りにくくもあるので、「名」の下に、意味はほとんどなきに等しい「〜前」という接尾辞をつけたのが「名前」だ、というのが真相に近かろうと思います。

ちなみに、18世紀あたりから用例があるようです(日本国語大辞典)。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 25日 月曜日 21:16:55)

正誤訂正

 ×失敗しない話ことば ○失敗しない話しことば


天野修治 さんからのコメント
( Date: 2002年 3月 05日 火曜日 0:30:34)

(やっと会議室にアクセスできました。サーバが不調だったんですね)

Yeemar さん、興味深い情報をありがとうございます。
外国人に日本語を教えていると、思いも掛けない疑問が出されて、なかなか楽しいものです。
Yeemar さんの示された情報の中では、
<「割り前」「分け前」「一人前」などの「〜前」は〈割り当てられたもの〉>
という箇所が、最初の投稿以降、「名前」の「前」と関係あるかもしれないと、私が何となく考えていたことと一致します。
つまり、「各々に割り当てられた分の」名という意味での「名前」ではないか、と思い始めています。
<1拍名詞は印象が弱く聞き取りにくくもあるので、「名」の下に、意味はほとんどなきに等しい「〜前」という接尾辞をつけたのが「名前」だ、というのが真相に近かろうと思います。>
そういう点も確かにあるのでしょうね。しかし一方で、「歯・手・胃・目・絵・木・毛…」などの「一拍名詞」が今日でもかなり頑固に生き長らえていることを考えると、「名」の後に加えられた「前」に、何らかの意味合いを探りたくなります。
また、何かありましたら、お知らせ願います。


posted by 岡島昭浩 at 11:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

政治家と日本語(Yeemar)

以前「森首相と日本語」というスレッドを立てたのですが、森氏はとうに退陣してしまったので、スレッドを改めてやや広い括りにしてみました。

先日の衆議院の参考人質疑でこういうやりとりがありました。

鈴木宗男参考人 私は日本も戦後食うや食わずの時代があった。しかし、今、日本もお陰さんでここまで来た。まだ日本は余裕がある。助かる命を、日本の力でできることがあるならば、やってやろうじゃないかという、私は純粋な気持ちで、アフリカの開発だとか、ODAやってるだけなんです。(発言する者あり)そのアフリカをやりますと、すぐ利権だとか、すぐですね、お金に関わる話、これを私は……(発言する者あり)
浅野勝人委員 (割り込んで発言)ODAと取り組んでいるという意味ですね。ODAをやっているというのは。
鈴木宗男参考人 はい、そういった意味で、私は、海外開発援助等に取り組んでいるということをですね、ぜひともお分かりをいただきたいと、こう思ってます。
(NHK「国会中継・衆議院予算委員会参考人質疑」2002.02.20)
国民の税金を集めているのはおれなんだ」(Yomiuri On-Line)と放言したと言われる鈴木氏のこととて、「ODAをやる」が「おれがODAを各国に配ってやっている」という意味に、聴衆に取られたためにヤジがとんだのでしょう。

もしくは、意図的な曲解でもありましょうか。

鈴木氏ならずとも、「○○をやる」という言い方は、気をつけなければ誤解を与えることがままありそうです。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 24日 日曜日 21:36:07)

1月28日のお昼のニュースで民主党の熊谷国会対策委員長
「国会での説明に信頼が担保されなければ、何ものも信じられない。」
という発言の「担保される」あるいは「担保する」。これは政界用語ですね。
他では耳にしたことがないのですが、誰が言い出したのでしょうね?


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 25日 月曜日 12:21:46)

>「担保される」あるいは「担保する」。これは政界用語ですね。

私は、政界用語というよりは、法令用語、官庁語という印象をもっています。
「電子政府の総合窓口」
http://www.e-gov.go.jp/
「法令データ提供システム」の「法令用語検索」(下の方)
http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxsearch.cgi
「地域発見」
http://www.nippon-net.ne.jp/search/isearch/nn_Hakken_j.html
あたりで大量の使用例を得ることができます。


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 25日 月曜日 15:33:58)

国会会議録検索システムからも大量の用例を得ることができます。(http://kokkai.ndl.go.jp/)
ここでの初例はおそらく:
001回-衆-本会議-60号 1947/11/18
○鍛冶良作君
 この法律は、…、経済統制事務その他重要な公共事務を行う経済團体の役職員に対しても右両罪の成立を認め、その職務執行の公正を担保することを目的として設けられたのでありますが、…

ということは、帝国議会時代にさかのぼりそうです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 11日 月曜日 08:37:39)

鈴木宗男氏の口癖としては、「あのですね、それはですね」という「〜ですね」が有名ですが、「同時に」ということばもよく使っています。

「はっきりしておきますが、私の方から呼んだという事実は一回もございません。同時に、四回のうち、大西さんが来られたのは二回であります。」

というふうに使います。「そして」「それに」「それでもって」というほどの意味であるようです。

議事録を見ると、先日の衆議院の参考人質疑では30回「同時に」を使っていました。鈴木氏以外の人で使っている人はいませんでした。11日の証人喚問では、「同時に」が何回使われるか注目……には値しませんね。


畠中敏彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 28日 木曜日 09:30:34)

【キチッと】

最近よく政治家が使います。
「きちんと」と同意語のようですが、より強調するためでしょうか。
私の記憶では、10数年前から(一般的に)使われるようになったようです。

福島瑞穂議員は、1分間程度のインタビユーの中で7〜8回使っていました。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 28日 木曜日 15:00:28)

ああ、「きちっと」について意識されていますか。私も、十何年か前ぐらいから、よく使われるようになったと感じています。政治改革が課題であった海部首相が愛用していたように記憶します。

手元にあるのは、それよりは新しいものですが、政治改革に関するコメントに使われたものです。

政治改革が、まあ、委員会の審議を終えたわけでございますが、過去の、審議に比べて、野党となりました自由民主党が、いかに、この、政治改革法案に対して、きちっとした対応をしたか、いうことは、皆さんには、よく御理解がいただけること、と存じます。〔河野洋平自民党総裁〕
(NHK「ニュース9」1993.11.16 20:00)


ただ先ほども言いましたように、あの、(合意案が)党内手続き上もですね、みんなが納得するものであれば、それはもう従わざるをえない。しかし、あのー、曖昧な形でですね、あのーまあ非常に猫だまし的な運用でいかれるならば、こりゃあちょっと、きちっと糺しておかないと、そういういい加減な運用をするリーダーが今後政党本位の政治をやられるとですね、政党同士のワカ、ワカ、水面下の談合政治が始まるだけですからね。〔自民党・山本拓議員〕
(フジテレビ「報道特別番組 政治改革合意成立」1994.01.28 23:00)
ここでいう「政治改革」は、今の目からは何のことやら分かりませんが、当時、選挙制度改革のことを「政治改革」と称していたのです。

「きちっとけじめをつける」というように、何か疑惑から国民の目をそらせたいとか、クリーンなイメージを与えたいときに効果を発揮する副詞だと思います。日常生活でも、「そういうことはきちっとすべきではないでしょうか」と言われると、何となく反論しにくい雰囲気が生まれます。たしかに「きちんと」よりも断固とした印象を与えます。一種の魔力を持っています。

「きちっと」が増えているかどうかを検証するためには、国会の会議録をチェックすればいいのでしょうね。他のいくつかの言い回しとあわせて頻度の増減を調べれば、「政局とことば」というようなテーマで大学の卒業論文にはなりそうです。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 28日 木曜日 20:58:47)

「きちっと」、全然気づきませんでした。「きっちりと」から、ということはないでしょうか?「きちんと」と「きっちりと」が混在したのかもしれませんね。関西弁では「きちっと」は普通に使われていると思いますが。「キチキチ」は「大阪ことば事典」(牧村史陽)によると、大阪弁です。
『三省堂国語辞典』では「きちっと」は空見出しで、→「きちんと」になってました。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 28日 木曜日 22:27:40)

「きちっと」自体は、宮澤賢治・大佛次郎・富岡多恵子らが使っています。しかし、どちらかといえば口頭語ですね。口頭語というのは、ふつうはくだけた印象を与えるものですが、なぜか「きちっと」を使う人からは厳正な印象を受けます。政治家のイメージ戦略には欠かせない副詞だと思います。


畠中敏彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 29日 金曜日 05:37:06)

Yeemarさんに同感ですね。

つまり、「きちっと」は口頭語でしょうが、厳正な印象を受けるとともに、一種の魔力を持ち合せているような気がいたします。

そのせいか「きちっと疑惑を解明し、きちっと国民に説明・・・」のように多くの政治家が使っていますね。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 29日 金曜日 07:24:45)

「キチット」はKとTの子音が強いので、きりりとした印象があるのではないでしょうか。また「きっちり」になると、「まったり」とか「ゆったり」のようにやや緩い印象があり、リズムも「タン・タ・タ」という感じで落ち着きます、「キチッと」のリズム「タ・タッ・タ」のほうが、テンポが良い感じがします。口頭語の親しみやすさとテンポのよさがポイントでしょうか。


小林繁雄さん(旧会議室からの岡島による転載) さんからのコメント
( Date: 2002年 04月 09日 火曜日 12:56:30)

小林繁雄 さんからのコメント
( Date: 2002年 3月 23日 土曜日 4:46:28)

割り込んで申し訳有りません。

最近の鈴木語録で気になるのは、

「……は、いかがなものかと、こう思うわけです」

の「いかがな」という言い回しです。

この人独得の言い方なのかもしれませんが、
一時はやった「遺憾」に続く、新しい流行語になるか、と思うのですが。

大阪弁で「あかん」と言えば、ちょっときつい感じがしますが、
この「いかがなものか」というのは、
なんとなく柔らかな語感を感じます。
が、言っている内容は、「あかん」よりもきつそうですが。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 04月 09日 火曜日 14:18:56)

ムネオ語録の「いかがなもんかと」と「・・・なことだけは、明確にしておきたい」は、すでに流行語になっているのではないでしょうか。坂田利夫さんもマネして使ってますし。私も使っています。
あんなに一生懸命に話しているのに、それをマネられて笑われるということは、いかにその言葉に「実(じつ)」がないかということを、みんなしっかりわかっているからでしょうね。
「明確にしておきたい」とコトバでは言っていても、その実、何も明らかになっていない。また、「いかがなものか」と言っている本人の行状こそが「いかがなものか」やろ!と「つっこみ」が入ります。
もっとも、そうやって「つっこみ」を入れていた人にも「つっこみ」が入って、議員を辞めさせられてしまいましたが・・・・。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 28日 木曜日 19:43:09)

小泉首相はメールマガジンの「らいおんはーと」をご自分で書いておられるのか。

2002.08.01の「通常国会を終えて」、および、1年後の2003.07.31の「通常国会終了」を読み比べてみると、ずいぶん印象が違います。1年前のはご本人の筆で、今年のは官僚の代筆ではあるまいかと思わせるものがあります。

1年前の「通常国会を終えて」は「だ」体、今年の「通常国会終了」は「ですます」体なので、それで大きく印象が変わっているにすぎないとも考えられます。しかし、前者で1回も使われていない「思います」が、後者では5回も使われて、腰の引けた印象が強くなったりしていて、文章のくせも変わっているようです。

「190日間の通常国会」「1月20日から始まったこの国会」など、無意味な数字が出てくるのも官僚好みだと読んで読めないことはありません。会期中に成立した法律についての過不足のない紹介も、官僚臭を感じさせます。何よりも、文章がちっともおもしろくなくなっているのが重要な点です(昔のはわりあいおもしろかった)。

ざっとみて、「だ」体から「ですます」体に転換している時期から、ゴーストライターが活躍しはじめたのではないでしょうか。こういうことは、統計推理研究所に聞けばわかるのかもしれません。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 31日 日曜日 21:28:31)

小泉メルマガ、文体をざっとチェックしましたところ、

*「です・ます体」=創刊準備号、創刊号、2、13、25、26、28〜34、37、38、40〜47、55、56、58〜107号
*「だ、である体」=9〜12、15〜24、27、35、39、49〜53、57号
*「だ、です体混在」=3〜8、14、36、48、54号

ということでした。
Yeemarさんがピックアップしたのは、57号(2002年8月1日)と105号(2003年7月31日)ですね。そのまさに57号を最後に、最新の107号まで、「だ、である体」は1回も出てきません。文体を変えたのかどうかということですが、もしかしたら、それまでは口述筆記だったとか、そういう事かも知れません。いずれにせよ、何らかの要因が働いているのでしょう。
また、重要な事柄に関して述べている回は、Yeemarさんご指摘のように、どうも小泉総理が書いていない感じがします。官僚の作文のような文体なのです。誰かが書いたものを、一応小泉さんが目を通して「OK」といっているのではないでしょうか。真相はいかに??


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 01日 月曜日 00:04:47)

グラフにするとこんなところでしょうか。

「らいおんはーと」の中で「だ・である」が使われている回(■印)

〜010 ■■■■■■■■
〜020 ■■■■■■■■■
〜030 ■■■■■
〜040 ■■■
〜050 ■■■
〜060 ■■■■■
〜070
〜080
〜090
〜100
〜110
(号)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 27日 土曜日 02:26:24)

小泉首相は「〜と。」で止めるのが口癖ではないかと思いますが、これをはっきり指摘した文章を知りません。最近の新聞記事から2つ。

 小泉首相は25日昼、麻生総務相が郵政3事業民営化を次の衆院選での自民党の公約にすることに反対する考えを示したことについて、「(総務相が)今朝、閣議前に来て『まったくそんなことはない、民営化に賛成だ』(言っていた)。麻生さんは積極的な賛成論者です」と述べた。(「朝日新聞」夕刊 2003.09.25 p.1)

「まず、日本は国際紛争{ふんそう}を解決する手段に武力行使はしないとはっきり言いなさい。それを言わないで常任理事国になりたい、なりたい、(政府は言ってきた)。順序が逆だ」〔小泉純一郎首相〕〔窓 論説委員室から・福田宏樹〕(「朝日新聞」夕刊 2003.09.26 p.2)

前から何となく注意が引かれましたが、立て続けに新聞記事で目にしたので記録しておきます。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 08日 水曜日 09:53:21)

クラッシュで消えた?かもしれない話題です。

2002.02.19、ブッシュ大統領が国会で行った演説の一節に

そこで彼〔福沢諭吉〕は、ある影響力の大きかった経済学の教科書を日本語に翻訳しようとしたのです。そこで、「コンペティション」という英語の言葉が出てきたのですが、それに相当する日本語はなかったのです。そこで、彼は「競争」という新しい言葉を作り出しました。それによって日本語は、より豊かなものとなりました。(在日米国大使館訳
というのがありました。『福翁自伝』で確かめたところ、こうありました。
私がチェーンバーの経済論を一冊持っていて、何か話のついでに御勘定方の有力な人、即ち今で申せば大蔵省中の重要の職にいる人に、その経済書のことを語ると、大層悦んで、ドウカ目録だけでも宜いから是非見たいと所望するから、早速翻訳する中に、コンペチションという原語に出遭い、色々考えた末、競争という訳字を造り出してこれに当てはめ、前後二十条ばかりの目録を翻訳してこれを見せたところが、その人がこれを見て頻りに感心していたようだが「イヤここに争という字がある、ドウもこれが穏やかでない、ドンナことであるか」「どんなことッて、これは何も珍しいことはない、日本の商人のしている通り、隣で物を安く売ると言えば此方の店ではソレよりも安くしよう、また甲の商人が品物を宜くすると言えば、乙はそれよりも一層宜くして客を呼ぼうとこういうので、またある金貸が利息を下げれば、隣の金貸も割合を安くして店の繁昌を謀るというようなことで、互いに競い争うて、ソレでもってちゃんと物価も決まれば金利も決まる、これを名づけて競争というのでござる」(岩波文庫 p.184-185)
そしていろいろあって、結局「競争」の文字を真っ黒に消して目録書を渡した、とあります。

前に調べたとき、岩波文庫の当該のページを折ってあったのですぐ分かりましたが、今となっては、「competition、福翁自伝」でネットを検索すると、この話は多くのホームページで取り上げられています。

ブッシュ大統領のブレインは『福翁自伝』まで読んでいたのかと驚くが、おそらく財界人の著書か何かに引用されていたのを目にしたのだろう、というようなことも書き添えたような気がします。

しかし、こういう話は慎重に受け取らなければなるまい、たとえば「演説」について「福沢諭吉は‘speech’の訳語を『演説』とし」(井上ひさし談)というようなことがよく言われるが、それ以前に蘭学者が用いたと杉本つとむ氏が(どこかに)書いている、『日本国語大辞典』にも載っている、というようなことも書いたかもしれません。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 28日 火曜日 18:12:25)

> 小泉首相は「〜と。」で止めるのが口癖

追加例です。音声そのものを記録できればいいのですが。

 だが、小泉首相は記者団に言った。「大変つらい会談だったが、最後は激励をいただいた(安倍晋三幹事長の報告を受けた)。私もホッとしている。肩書がなくても〔中曽根康弘氏は〕活躍いただける方だ」(「朝日新聞」2003.10.28 p.2)


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 29日 水曜日 12:41:57)

>音声そのものを記録できればいいのですが。

ビデオライブラリに見当たるでしょうか。国会の場だと、記者向けの発言とは違って、フォーマルな言い方になりがちでしょうから、難しいかもしれませんが。

衆議院TV


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 01日 土曜日 07:41:45)

「と止め」については、小泉首相に限らず、ある種の人に使われているように思っていますが、本日のニュースで一人確認。星野仙一前阪神監督です。引退会見で、非情に多くのト止めが聞かれました。最後の方では「思っている」か何かを言いましたが。

福井に行ってすぐの頃に福井方言の「って」について学生が卒業論文を書いたときに、共通語の強調の「って」との違いや、無意味に見える「〜〜と」との違いを知りたいと言いました。
 「あなたは福井の人なの?」
 「はい、そうなんですって」
などというのが、わかりやすい例だと思います。

探偵!ナイトスクープのパラダイス訪問などで桂小枝氏が、「〜〜だぞ、と」とか「〜〜たな、と」を連発したりします。

考えてみると、星野前監督も小枝師匠も、自分の思いを「と」で結んでいる(福井弁もそうか)のですが、小泉首相は違うわけですね。「と聞いた」の「〜〜と。」があるわけですね。ただ、これも質問の仕方によっては、共通するもののようにも思えます。

#「ト止め」と書きましたが「ト入れ」の方がよいでしょうか。

これもト抜け?


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 01日 土曜日 08:44:16)

小泉首相の「と止め」はなぜか「と聞いた」の例しか拾われていないのですが、「と思う」の例も今に出てくるかもしれません。(末尾の動詞を省略して「と」で止めているので「と止め」という言い方でもよいと思います)

無名の人で、最近ひとつ例を拾いました。一般ニュースで出てきた人ですが、この人は、やけにカタカナ語を多用する人で、字幕にはいちいち日本語訳が入っていました。

〔ブロードバンド携帯電話に関するKDDIの説明会で担当者〕定額っていうものを入れることによって、トラフィック〔通信量〕が非常にまた上がってくるだろうと。そうするとコンテンツプロバイダ〔業者〕さんへのアプローチ〔接続〕がすごくまた増えるだろうと。そうするとまた皆さんのほうも売り上げも上がって来たりするといいなと。そうすると我々もまたいいコンテンツ〔情報〕をご提供いただけるんじゃないだろうかな。(NHK「ニュース10」2003.10.22 22:00放送)


新会議室

posted by 岡島昭浩 at 06:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年02月19日

「籍」は、入れたり出したりできるのか?(ト゜ラ)


ワイドショーを見ると「タレントのAとBが入籍した」というような報道がなされます。ここで言う「入籍」とは「婚姻届を出した」という意味だと思うのですが、新しい戸籍法ができるまでは、婚姻は「夫の戸籍に妻が入る」ことであったために、そのなごりでしょうか、現在でも入籍ということばがあたりまえのように使われています。たいていは婚姻届を出した夫婦には新しく戸籍が編製されるのです。つまり、「入籍」というより「発籍」するのです。
ところが、「婚姻届」=「籍」と解釈したためか、「籍を入れる」とか「籍を抜く」という言い方まで聞くことが多くなりました。「籍」とは戸籍のことです。「籍」を入れたり出したりするのは、役所の引っ越しぐらいでしょう。
 大辞林第二版では「入籍」=「 ある者がある戸籍に記載されること。」とあります。
この会議室には 道浦俊彦さんのような放送関係者が投稿されておられるので、この際、ワイドショーで「入籍」ということばの使用について改められればと願うばかりです。

結婚すると「入籍」とはなぜ?



道浦俊彦 さんからのコメント

( Date: 2002年 2月 19日 火曜日 16:17:41)


どうも。ご指名に預かりました、道浦です。この「入籍」に関しては、去年、日本新聞協会の新聞用語懇談会の席でも、話題にのぼりました。
その中で、主に一般紙の用語委員の方は、「入籍は旧民法下のもので、現在の婚姻の形態について使うのは、おかしい」という意見が大半で、特に共同通信の委員は「おかしい」と強く主張されていました。実際、一般誌では「入籍」という言葉はほとんど使われずに「結婚した」とか「婚姻届を出した」という表現になっているようです。
しかし、スポーツ紙の委員などからは「でも使っちゃってるしねえ。」「特におかしいとは思わない」「二人で新しい戸籍を作って、それを日本の戸籍の中に入れるという、新しい意味合いの”入籍”と考えて、使ってよいのではないか」(=大辞林的な考え方ですね)というふうに、おおむね「入籍肯定派」でした。
テレビはどうか?というと、「ワイドショー」は、いわばテレビの中の「スポーツ紙」「雑誌」にあたるのではないか、と現状からは判断していますが、なんのためらいもなくワイドショーでは「入籍」を使っていますね。さすがにニュースではあまり出てこないと思いますが、しかしニュース番組もワイドショー化が進んでいるので、絶対でて来ないとは言えません。
ワイドショーで使っている「入籍」は、「婚姻届を出す」という意味です。だから、「同棲」のような「実質婚」、夫婦別姓のための「事実婚」のように、役所に婚姻届を出していない場合には、使われないと思います。「結婚」の概念は、それらをも含む(「同棲」だけの場合はふくまれないでしょうが)ので、結婚の中の狭い概念が「入籍」ではないでしょうか。
「結婚すると”入籍”はなぜ?」に書かれていることは正論で、共同通信の委員の方の主張と同じです。
ただ「人権」を持ち出されると、「どうなのかな?」と思う部分もあります。
芸能人などは、会見でみずから「入籍しました」と言っているケースもあります。
「それはその芸能人も人権意識が低いからだ」といわれると実もフタもないのですが。
いろんな意見があるでしょうから、今後、おりにつけ、引き続き検討していく必要があるでしょう。




Yeemar さんからのコメント

( Date: 2002年 2月 19日 火曜日 17:09:07)


佐竹秀雄『サタケさんの日本語教室』(角川文庫、2000.03.25初版)p.25「入籍」にも同様の言及があります(ここのところ、佐竹氏の所論のご紹介ばかりで恐縮。他意はございません)。

 〔……〕これは明らかに間違った使い方である。第一、普通は、結婚した二人は新しい戸籍を作るのだから。それに、もしその新しい戸籍へ移ることを入籍と言うのであれば、男性に対しても「入籍」と使うべきである。
 〔略〕
 単に「婚姻届を提出」と言えばよいものを、「入籍」と表現するテレビ界やスポーツ紙は、ずいぶん古めかしい。
なぜ「テレビ界やスポーツ紙」が「入籍」の語を好むのかには、興味があります。〈婚姻届を提出する〉の意味をもつ2文字のサ変動詞語幹(「○○する」と言えるような)が、他にないからでしょうか。



道浦俊彦 さんからのコメント

( Date: 2002年 2月 19日 火曜日 19:31:32)


単純に「字数が少なくてすむ」というのが最有力の理由だと思います。特に新聞は。テレビも「字幕スーパー」では新聞と同じ制約がありますし、その字幕を「そのまま読んでしまう」というのが、テレビでも「入籍」が使われる理由だと思います。



岡島 昭浩 さんからのコメント

( Date: 2002年 2月 21日 木曜日 11:57:56)


 サタケさんの本が手元に無いので、ちょっと読み違えているかもしれませんが、
>男性に対しても「入籍」と使うべきである
という批判はちょっと変な気がします。
最初にト゜ラさんがお書きのように、現在よく聞かれる「入籍する」の動作主体は「二人」であることが殆どです。

「発籍」という耳慣れない語ではなく、旧戸籍でよく聞かれた「入籍」という語の意味をずらして使うことが好まれた、ということだろうと思います。

「発籍」ということばであれば、単に親から子供が独立して一人で新たな戸籍を作る場合(親と別の本籍地を選んでそのようにする場合など)にも言えることばですよね。それに対して、「入籍」は「二人が一つの戸籍を作って、同じ戸籍の枠の中に入る」という考えを持つことが出来るのが、好んで使われる理由にもなるのではないかと思います。
一つの戸籍謄本に二人が入っているのを目にするわけですし。

#そういえば、職場(の共済組合?)から結婚祝い金を貰う時に、婚姻届けを出した役場で「戸籍謄本の発行には数日かかる」と言われ、異動が近かったので、代わりに「婚姻届提出証明書」みたいなのを貰ったのですが、これでは結婚祝い金は申請出来ず、面倒だったのですが、後日戸籍謄本を取り寄せ、婚姻届提出日に在籍していた職場に送付し、ようやく貰えた、ということがあったのを思い出しました。



ト゜ラ さんからのコメント

( Date: 2002年 2月 22日 金曜日 11:51:47)


道浦俊彦 さん、Yeemarさん、 岡島 昭浩さん。
さっそくコメントいただき、ありがとうございます。
ことばの意味を決めるのは、国語学者でも、文部科学省でも、辞書編纂者でもなく、そのことばを使う人々であるという、絶対的な法則からすれば、日本語を使う多くの人々にとって、「婚姻届」=「入籍」と広く受け止められているということを認めざるをえません。現にそのように記述している辞典もあります。いまさら、訂正する手間を考えれば、現状を追認したほうが楽です。
しかし、実際には法律的な意味での「入籍」という言葉の意味が侵略されてしまいます。養子や国際結婚などで、「入籍届」という制度があるわけですから、それとの混同を生じます。
「入籍」について言及したホームページの多くが市町村の戸籍事務に詳しい人のものであることを考えると、戸籍係の現場では、法律上の「入籍」と、人々が認識している「入籍」を便宜的に分離して業務にあたっておられるのでしょう。
 在京民放各社のワイドショーにも問い合わせたのですが、伝えておくといわれただけで、何もかわっていません。梨本勝さんの事務所にも電話して留守番電話で伝えたのですが、相変わらず彼は「入籍」を使い続けています。但し、NHKに問い合わせたところ、「NHKは『婚姻届=入籍』という使い方はしていない」とのことでした。もっとも芸能人情報の番組がないですからね。
 むしろ、私がこのスレッドのタイトルにした「籍を入れる」「籍を抜く」ということばが発生してしまったことのほうが重大です。もともと「入籍」=「籍に入る」だったものが「籍を入れる」に転化したのです。なぜなら、「入籍」という言葉の誤用によって、多くの人々に「籍」=「婚姻届」という認識が生じてしまったからです。つまり、「婚姻届」=「入籍」という誤用を許すと次の誤用を生じてしまうのですね。
 でも、解決策はあります。放送禁止用語に対する厳しさで、民放連が「婚姻届」=「入籍」の誤用を一斉にただすのです。キングズ・イングリッシュではありませんが、公共放送は日本語の手本でなければなりません。なんとかしてください。


posted by 岡島昭浩 at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。