2002年02月13日

佐竹秀雄氏コラムタイトル(Yeemar)


佐竹秀雄『サタケさんの日本語教室』角川文庫(角川文庫、2000.03.25初版)の末尾には、くわしい索引が付けられています。そのうち、項目のみ抜粋して一覧にしておきます。もとの角川文庫の索引ほぼそのままとも言えますが、この程度ならば、いわゆる編集著作権を犯すことにはならないと思います。

<あ行>
愛のムチ/あうん(の呼吸)/青/あおげば尊し/赤/アカの他人/商い/秋なすは嫁に食わすな/アサガオ/あさぎ色/アサツキ/アジサイ/あたらしい/あたり鉢/あたりめ/あっけらかん/暑さ寒さも彼岸まで/当て字/あて名/あなた/アブラムシ/アユ/ありの実/泡坂妻夫/あわや〜/いい薬になる/言いたい放題/生きざま/いざよい/○○イスト〔サユリスト・コマキスト〕/異体字/いちじく/一目置く/一六銀行/一斗二升五合/いととし/稲妻/犬も歩けば棒にあたる/今こそ別れめ/居待月/忌みことば/芋名月/色の白いは七難かくす/いろはにほへと/うかがってください/ウグイス/美しき水車小屋の娘/うのはな/海海海海海/梅/孟蘭盆/ウリのつるにはナスビはならぬ/エビでタイをつる/エレックする/お○○される/お○○してください〔お渡ししてください〕/お○○しますか〔おつぎしますか・お書きしますか〕/お○○になられる〔お書きになられる・おっしゃられる・なされる〕/おあいそ・愛想/おあし・あし/おおいり/大つごもり/オープン/オープンする・させる/大みそか/おかっぱ・かっぱ/おから/送り仮名の付け方/行う・行なう/おざなり/おしゃか/お食事/お疲れさま/おっしゃられる/おっしゃりたい放題/お電話を差し上げる/おとがい/鬼/おにぎり・にぎり/おはぎ/お話・お話し/お冷や・冷や/おひらき/汚名返上(汚名挽回)/お求めやすい/思惑/おもんぱかる/親の呼び方/おわかりになりますか/音位転倒
<か行>
回文/かいま見る/外来語の表記/カエルの子はカエル/カオル/蝸牛考/各位/仮設/カタツムリ/かちぐり/かつて・かって/火中のクリを拾う/カメラ目線/かもじ/かわいい/かわいい子には旅をさせよ/気が置けない/聞きなし/菊/キセル/来たれ・来れ/きびす/旧字体/玉砕/きらず/綺羅星のごとく/キリギリス/くさい/〜くださる・〜いただく/クダを巻く/栗名月/食わずぎらい/君子は豹変す/敬語過剰/敬称/ケータイ(携帯電話)/ゲキを飛ばす/下戸/月下老人/結果を出す/けっこう/ゲットする/けりをつける/ゲン(をかつぐ)/現代仮名遣い/見坊豪紀/○○粉〔小麦粉・片栗粉・せっけん粉・はみがき粉〕/小/ご○○される〔ご利用される〕/ご○○してください〔ご応募してください・ご案内していただく・ご用意してください〕/戀/合字/好文木/コオロギ/ゴキブリ/国字/ご苦労さま/こけら落とし/子子子子子子/ござる/故障中/午前・午後/ご存じ/ことわざの誤解/ごぼう抜き/こめかみ/混交(コンタミネーション)
<さ行>
○○歳・○○才/棹さす/さく/サクラ/桜月/酒/サザンカ/さじを投げる/〜させていただく〔休ませていただきます〕/薩摩守/様/さみだれ/サラダ油/さりげに(さりげなく)/サンピン/サンマ/じぐれ(煮)/四君子/時刻・時間/視線/字体/〜したいと思います/舌つづみ/七/七難/質屋/〜してあげる〔ゆでてあげます・いためてあげます〕/〜してやる/〜じゃないですか/○○中〔世界中・家中・一年中〕/十人並み/出世魚/春夏冬二升五合/省エネ(ルギー)/正月飾り/上戸/食指をそそる/食感/触感/白河夜船/師走/人間到る処に青山あり/新人/しんまい/新村出/スーパー/過ぎたるは及ばざるがごとし/鈴木棠三/鈴なり/すばる/すぼめる/澄むと濁るで大違い/住めば都/関の山/節分/先生/全然/総毛立つ/ソーラー族
<た行>
タイ/大根/たいしたもんだよカエルのションベン/ダイダイ/タイのタイ/タイプ/竹やぶ焼けた/他山の石/たち/立待月/卵・玉子/だめ/〜たり〜たりする/力(力量)不足/チコンキ(蓄音器)/茶がま/茶髪/中秋の名月/長音符号の有無/チンする/つ/使う・遣う/美人局/つぼめる/〜でございますか/手ざわり/〜ですヨオゥ/てっさ・てっちり/天地無用/デンデンムシ/てんぷら/同の字点/当を得る/十日の菊/とか弁/時うどん(時そば)/ドタキャン/土壇場/とつくに/ドッジボール/とどのつまり/殿/トビが鷹を生む/ども/トラ/寅さん/とりあえず/鳥肌が立つ
<な行>
なおざり/仲人(口)/情けは人のためならず/なされる/ナス(ビ)/なぞかけ/なぞなぞ/何げに(何げなく)/ナマズ/波の花/ナンパ/ニオウ/二重敬語/〜になります/入籍/ニューフェース/女房詞/濡れ手でアワ/ネギ/ネブカ(根深)/寝待月/年齢・年令/〜のほう
<は行>
パーセント/波羅留多/肌ざわり/岡目八目/発覚/バッグ/バッジ/花見鳥/歯に衣着せぬ/「〜ハル」敬語/春告げ鳥/ひかがみ/彼岸/ひたかくす/左うちわで暮らす/左馬/「ヒ」と「シ」/人のふり見てわがふり直せ/一文字/評価/ピンからキリまで/ファ(ー)ストフード/フグ/更待月/〜ぶり/ブルドッグ/フレッシャーズ/フレッシュマン/へそ/へそくり/ベッド/弁慶ぎなた式/ポイント/方言周圏論/ホゾ/ぼたもち/ほっこりする/盆
<ま行>
マイマイ/参られる/負けずぎらい/まつげ/的を射る(得る)/豆名月/ミーハー/みおつくし/道草を食べる/身の毛がよだつ/耳ざわり/身を粉にする/六日の菖蒲/昔の時間/むかつく/むさい/むしゃくしゃ/むずかしい・むつかしい/名月・明月/名誉挽回/目ざわり/目白押し/目線/面子/面目/申される/申し込む/もっけの幸い/もみじ/桃/桃尻/両刃の剣
<や・ら・わ行>
○○焼き〔お好み焼き・有田焼〕/役不足/柳田国男/弥生/夕焼け小焼け/夜ごはん/○○ラー〔キティラー・アムラー・シャネラー・ナオラー・トモラー・マツラー〕/来年のことを言うと鬼が笑う/ロクブテ/ワケギ
<その他>
ヶ/々



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2002年 2月 13日 水曜日 21:50:08)


「読売新聞関西発」に連載中の佐竹秀雄「ことばのこばこ」のうち、1999.04.05〜2000.09.11掲載分のタイトル一覧を掲げておきます。


ショピってハゲる?野分と台風「鬼かわ」はかわいいか?マッパとスッパとパフリマ「欲しい」と「ほしい」キャミにミュール土用鰻ッスよジュビリー2000「3ばん」の強み価と値歌謡曲はナツメロ?選ぶ神の国3階はサンガイ他人事いずれアヤメか…テクハラ「口」の読み間違い「そばずし」の孤独たなぼたイースター先生、ご苦労さまでしたDMとMOFてんぷら「さんずい」の国?風邪を「ひく」大地震は「オオジシン」ネギの本名けりをつけるナツメロは夏メロ?アレフはアルファミーハー明日から禁煙、終日禁煙ハレルヤコーラス「の」を意味する「つ」役不足Xmasメサイアはキリスト「使う」と「遣う」気が置けないミレニアム「かちぐり火中のクリ」「タメ口」の語源色の白いは七難かくすカリスマは神の賜物/しぐれゴスペルは吉報両刃の剣デパートの客ナスとナスビ仁久と有久の語源夕焼け小焼け続デパート店員の食事時刻と時間デパートの店員の食事お食事ごはん酒続デパートのトイレサンピンピンキリデパートのトイレビールをおつぎしますかマルアイ魚を「さく」で買うマルボウアカの他人「金へん」「糸へん」メカイチチョンチョンジュウオープンさせるトロゲンチンするヒコページがいいおしゃかになる



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2002年 2月 18日 月曜日 13:50:21)


佐竹氏と米川明彦氏と交代での執筆ですね。米川氏のお名前を漏らし失礼しました。



道浦俊彦 さんからのコメント

( Date: 2002年 2月 18日 月曜日 17:47:28)


あ、そうです。毎週連載でお二人交代で執筆です。つまり佐竹先生は2週間に1回ということですね。上のタイトルの半分は、米川先生の書いたものですね。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 31日 水曜日 19:00:31)

移転してますね。

古いものは、無料会員登録をして、記事検索で読む、ということです。

ことばのこばこ


posted by 岡島昭浩 at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年02月08日

よい「文章読本」/悪い「文章読本」(リョウ)

文章の書き方の本が多数出ていますが、参考になった書籍(「これはトンデモ本だった」も含めて)があったら書名を教えてください。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 10日 日曜日 0:28:12)

「『いい文章を書くためには、副詞を使わないで書け』と、井上ひさしさんが新潮文庫の新刊で言っていますよ」
「えっ、そうなんですか。井上氏にしては、ずいぶん妙なことを言うなあ。副詞を使うことをきっぱりやめてしまっては、文章がいっこうにくわしくならないんじゃありませんか?」
「その、『ずいぶん』とか『きっぱり』とか『いっこうに』ということばを、うるさいと感じる人が多いんでしょう」

知人にそう解説され、不得要領のまま、井上ひさしほか・文学の蔵編『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』(新潮文庫)を読んでみました。

事実は逆でした。むしろ、「日本語は擬音語、擬態語が豊富」(すなわち、情態副詞が豊富)なので「みなさんにうまく使っていただきたい」(p.116)、「文章が複雑になって長くなるときは、必ず先触れの副詞〔呼応の副詞〕を使うこと」(p.121)とあり、副詞を使うことが奨励されています。

反対に、接続詞ならびに接続助詞の使用はいましめられています。「文章に接着剤を使い過ぎるな」という表現が用いられています。なんとなれば、「事情の説明抜き」に「『理屈をこねる』のに使われてしまう」、それゆえ、読んだ人がまごつく、よって、接続詞は使わない方がいいということらしいです(p.142、また、p.25も)。

知人は、肝心かなめのところを逆に理解していたようです。

ところが、接続詞について、井上氏は今年の元日の新聞に、次のような一文を寄せています。

最近のわたしたちは、考えるための最良の武器である、この接続詞をあまり使わなくなった。超高層ビルが二棟も自爆テロで崩れ落ちるという世の中だからムリもない。あんなおぞましい光景を目のあたりにすれば、感動詞を絶叫しながら呆然{ぼうぜん}としているしかないではないか。〔略。目下山積する課題について〕せめて小学生なみに接続詞を駆使して、一つの大きな文脈にまとめることが、今年の優先順位第一の仕事である。
(「朝日新聞」2002.01.01 p.31)
『作文教室』での接続詞の説明とはくいちがっているようですが、井上氏が、けっして「接続詞は悪いことばだ」と思っているわけでないことは、これで確認されました。

さて、『作文教室』を読んで思ったことをまとめます。

 一、「日本語とはどういう言語か」について、音韻・アクセント・語彙・文法などの観点から、多くの紙幅(時間)を割いて説明がなされています。しかし、後半の添削実例から判断するに、これらの知識は作文を書く上で喫緊必須の知識ではないようです。

 一、それらとは別に、喫緊必須の正鵠を射たアドバイスも示されています。「適切な題名をつけよ」「達意を心がけよ」「考えのひとまとまりをひとつの段落とせよ」「いきなり核心から入れ」等々。しかし、後半の作文実例をみると、かならずしもそれらのアドバイスが生かされていないものも多い。

 たしかに、「達意」はむずかしい。また、文章の論理に沿って「段落」をまとめるのも容易ならぬ作業だろう。でも、本格的な作文教室ならば、それらの欠点を逐一指摘して、改善案を示すべきところ。

 本書の作文の書き手は、多くが人生の試練を経た年輩者で、その文章は技術の巧拙を超えた輝きのあるものばかり。したがって、井上氏の朱筆がかなり手加減されたものとなっているのはやむをえない。結果として、本書の読者にとって参考となる添削例の数が少なくなっているのではないか。

――といったところです。

(新刊)日本語本レビュー


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 14日 木曜日 7:01:06)

「(新刊)日本語本レビュー」みたいですが、斎藤美奈子「文章読本さん江」(筑摩書房・2002、2、5)で、各「文章読本」をナナメ読みしています。まだ全部読んでは、いないのですが。


posted by 岡島昭浩 at 18:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年02月04日

なぜ?(A.T)


ふと考えていて、疑問に感じたことがあります。なぜ日本語は、言葉がまわりくどいのか? なぜ論理的に言葉を解釈しようとするのか?ということです。答えがわかりません・・・。



岡島 昭浩 さんからのコメント

( Date: 2002年 2月 04日 月曜日 18:38:32)


 もう少し、具体的な形で書いて頂けませんか。

 日本語が回りくどいと感じるのはどのような時なのでしょうか。

 また「論理的に言葉を解釈しようとする」とはどのようなことでしょうか。日本語の問題でしょうか、あるいは言葉に対する日本人の態度でしょうか。


posted by 岡島昭浩 at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2002年02月02日

故障中(さち)

こんにちわ。
あの、教えてほしいんですが。
「故障中」って、間違っていると聞いたのですが・・・
なんでですか?
瞬間動詞なので、こうゆうふうには使えないとのことなんですが・・・ちょっと理解できてないので・・・教えてください。
お願いします。


畠中敏彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 02日 土曜日 17:51:36)

私も違和感がありましたが、やはり「間違っている」と指摘する方がいたんですね。

・・・中は、人間がある行動を行っている状態をいうのではないでしょうか?
たとえば、作業中、食事中のように。

時計が止まっている、あるいは自販機が壊れているのは、単なるモノの事実状態であり「故障」と表示す(言う)べきと思いますがいかがでしょう。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 02日 土曜日 21:31:30)

「故障中」はへんだという説もどこかで伺ったような記憶もありますが、私自身はそれほどへんだとは感じないのです。

金田一春彦氏の動詞四分類(参考:こちらのスレッド)のうちでいうと、「故障する」は「継続動詞」か「瞬間動詞」かという問題だと思います。

継続動詞は「ある時間内続いて行われる種類」の動作・作用を表すもので、「〜ている(ところだ)」「〜ている最中だ」「〜中」などをつけると進行態になる動詞です。

たとえば、「読む」「書く」「笑う」「考える」などは継続動詞です。「読んでいるところだ」「書いている最中だ」「考え中」などということができます。もちろん、「作業する」「食事する」も「作業中」「食事中」ということができ、継続動詞だと思います。

いっぽう、瞬間動詞は「瞬間的に終ってしまう動作・作用」を表すもので、「〜ている」をつけるとその動作・作用が終ってその結果が残存していることを表す動詞です。

たとえば「死ぬ」「結婚する」「卒業する」などは瞬間動詞ですが、「死んでいる」というと「もう死んでしまった」という意味になり、「死に中」「結婚中」「卒業中」とは言えません。

故障する」は微妙なところで、「故障している」と言うとき、「もう故障してしまった」という意味になるとすれば、瞬間動詞です。ちょうど、「壊れる」という動詞を使って「置物が壊れている」と言うとき、破壊された結果がそこにあるという意味になるのと同様に考えることもできます。

しかしまた、「故障する」は、「眠る」と同じように、やがては終わる動作・作用とみなすこともできます。もしそうだとすれば、継続動詞です。故障しているテレビは、何かの拍子にまた映るようになるかもしれません。「×置物が故障している」といえないのは、復帰する見込みがないからであり、そこに「壊れる」と「故障する」との違いがあるかもしれません。(「壊れる」は「故障する」を含み、より広い意味領域をもつのでしょう。)

「『故障する』は瞬間動詞だから、『故障中』はまちがい」というのではなく、「『故障中』といえるから、『故障する』は瞬間動詞だけでなく継続動詞の性格ももつ」と考えてはどうでしょうか。

やや話がそれますが、福島方言では「壊れる」を意味することばのうち、「ぼっこれる」は修復可能、「ぼじょこれる」は修復不可能なのだそうです。つまり「ぼっこれ中」とは言えても「ぼじょこれ中」は無理……かどうかは、福島方言話者ではないので、たしかなことは申せませんが。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 02日 土曜日 21:46:05)

「故障中」と同じように、へんだと言われそうな例として「落選中(の元候補者)」はどうでしょう。「落選」は瞬間的に決まるので、「落選する」は瞬間動詞ではないかとも思われます。しかし、「落選中」ということばはたしかにあるのです。


畠中敏彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 03日 日曜日 17:37:14)

前回↑と多少重複しますが、「・・・中」は、

1.あることが進行している状態 Ex.食事中、勉強中
2.ある事実が継続している状態 Ex.故障中、落選中

に大別されるようですね。
くり返しになりますが、1.はともかく、2.については感覚的に抵抗を感じます。
では、2.をどう表現するのか妥当なことばがみつかりませんが。

いずれにしても、「故障中」のはり紙を見ますと人為的にそのモノを故障させてしまった、という印象をもつのは僕だけでしょうか。


森川知史 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 03日 日曜日 21:43:35)

故障中が間違っている、とする説の論拠によく取り上げられるのが、故郷前、故障後という言い方があるか、という説明です。睡眠前、睡眠中、睡眠後(食事、就学、作業、勉強…)は自然だが故障では不自然だというのです。自販機などには、故障と書いた張り紙で充分という訳です。


森川知史 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 03日 日曜日 21:45:20)

すみません。故障前と書くべきところを故郷前としてしまいました。訂正お願いします。


畠中敏彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 04日 月曜日 8:46:21)

「修理中」、「調整中」の表示を見たことがありますが、これならすなおに受け入れられますが、、、。


天野 修治 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 04日 月曜日 9:43:37)

私は一年に一度しか日本に帰らないので、仕事上(バルセロナで日本語教育)、店の看板や貼り紙につい目が行ってしまうのですが、前回帰日した際、シャッターを下ろした店に「休日中」という貼り紙を見つけて、思わず釘付けになって考え込んでしまいました。
これは、ありでしょうか?
「故障中」の話題とずれてしまいましたが。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 04日 月曜日 12:31:29)

私自身は「故障中」に特に違和感を感じません。
妻に聞いてみたところ、面白いことを言っていました。
 「故障中」というと修理しようとしている意志を感じる。
 しかし単に「故障」と書いてあると、そのままほっておくつもりなのかと思ってしまう。
これは私も同感なのですが、皆さんはいかがですか?
「故障中」という張り紙をする人も、「すぐ直すからちょっと待って欲しい」という思いを込めたくて
無意識に故障「中」と書いているような気がします。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 04日 月曜日 16:35:26)

私は「故障中」に違和感なしです。

「中」は人間の動作の継続にのみつくのですか?知らなかった。「開催中」は?主語が人間ですか。そうか。

「故障」が瞬間動詞だとして、壊れた瞬間のみを故障と呼ぶのなら
、実際にこの「故障中」の状態をこれ以外の言葉ではなんと呼べば良いのでしょうか?「故障状態継続中」?「修理待機中」?それとも「故障」のみ?ちょっと寂しい感じ。ケアされていないと言うか、見捨てられたと言うか。「故障」とわかっているなら、はよ、修理せい!!と言いたくなるのが客の立場。「故障中」は、UEJさんの奥さんもおっしゃるように、「修理する意思は、ある」事を示しているような気がしますが。

「故障中」と同じような例では「発売中」がありますが、たしかに「発売」は瞬間に近いから、初日はいいけど、そのあとは「販売中」にせよ、というのでしょうが、商業的には「販売中」では「引き」がないですよねえ。

森川さん、「故障前」「故障後」ということばは、直ったあとから考えればあるのではないですか?例えば
「故障前は、調子が良かったのに、故障後は、どうもトラブルが続く」のように。
元の状態への復帰を前提とすれば「故障中」「落選中」もOKでは?

天野さん、「休日中」はなんかへんですね。でも「休暇中」ならOKでは?「休業中」だと別の意味になりますね。
そうか、「営業中」はOKでも「閉店中」はなんかへんですね。「開店中」もおかしいかな。でも「今、店内改装で”閉店中”なんですよ。」はOKかも。
「中」の使い方というよりは、「故障」という言葉の持つ意味をどう捉えるか、が問題のようですね。
わかったようなわからないような。


森川知史 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 04日 月曜日 22:36:29)

発言者のさちさんは、「故障中って、間違っていると聞いたのですが…」と書き始められたのでしたね。「間違っている」という表現は、この場合、適当ではないように思います。違和感を感じる人がどれだけいるか、ということでしょう。そして、どうやら、違和感派は少数なのではないでしょうか?
私はだから「故障中が間違っている、とする説の論拠によく取り上げられるのが、…」と注意深く書いたつもりなのです。
「ならば、お前はどうなんだ?」と詰問されそうですね。私は「違和感あり」の方かな?「中」に「修理しようとしている意志を感じる」との発言も尤もだと思いますが、私なら「故障。修理中ですのでお待ち下さい」とでも書きましょうか。


畠中敏彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 05日 火曜日 8:32:14)

ほとんどの方が「故障中」に違和感をもっておられる思っておりましたが、皆様の発言を拝見しますと、そうでもないのは意外でした。

ただ、UEJさんの奥様や森川さんが、「中」に意志を感じるとされるのは、共通項があるようですね。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 05日 火曜日 10:36:00)

「故障中」が修理の意志を感じさせるのは、いつか「故障後」が来ることを感じさせるからなのでしょうか。


業界用語ですが、コンピュータなどの機器の信頼性を測る指標として
MTBF(Mean Time Between Failure)という用語があります。
日本語には「平均故障間隔」と訳されていますが、
ある機器が前回故障して修理された後、次に故障するまでの平均時間を指しますので、
この場合の「故障(failure)」は故障した瞬間から修理されるまでの「期間」を表しています。
専門用語かつ訳語なので、普段使われている単語とはニュアンスが違うと思いますが、
幅をもった「故障」の一つの例です。

# 但し、機器が故障してから修復するまでの時間は「平均故障時間」とはいわず
# 「MTTR(Mean Time to Repair)」、訳語では「平均回復時間」「平均修復時間」などといいます。


「故障中」に違和感を感じられる方は「故障時間」「故障期間」などにも違和感を感じられるのでしょうか?


oyanagi さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 06日 水曜日 2:57:24)

日本語教師向けの参考書などでは、「〜中」について、動作動詞について進行を表すのが一般的としながらも、瞬間動詞に「〜中」が付くものの例として、『故障中』『閉鎖中』『妊娠中』などが例外として挙げられていることが多いと思います。
(その書き方からすると間違いではないという扱いなのでしょう)

UEJさんが

>いつか「故障後」が来ることを感じさせるから

と書かれていますが、基本的にはそのように<一時的な状態>と認められる場合には瞬間動詞でも、それが表す事態が成立したあとの状態が<継続中>という意識で使えるんじゃないでしょうか。

ちなみに、私は「故障時間」「故障期間」という業界用語もそう違和感を感じません。強いて言えば、「故障時間」は故障した時刻という解釈のほうが優勢に感じますが。
きっと、故障という言葉が表す事態を単に成立した時点だけでなく、EUJさんがご指摘のように「故障後」の「修理されるまで」のことも含めてイメージできるからだと思います。

「来日中」「来客中」「停車中(の〜)」なんかも「故障中」と同じ原理だと思います。あと、私が採集したユニークなものでは、
『本日発令中だった光化学スモッグは解除されました』なんてのがありました。(区が設置した緊急情報放送用のスピーカーから流れてきました)



畠中敏彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 06日 水曜日 8:31:55)

UEJさんの「故障時間」「故障期間」↑については、違和感は感じません。

なぜなら、「・・中」と違い、意志が伴わない(進行中でない)事実の表象だからです。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 06日 水曜日 10:19:04)

昨日、近くの書店で、「売り切れ中」という文字を見つけました。
やはり「中」に「その状態を早く解消したい」という「意思」を感じました。「売り切れ」だけだと、「お手上げ」で対応をしていないような感じも、なくはないですね。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 06日 水曜日 18:19:57)

「〜中(ちゅう)」の関連で、質問なのですが・・・、
なぜ「午前中とは言っても、午後中(ごごちゅう)とは言わない」のでしょうか?


UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 07日 木曜日 5:04:38)

> なぜなら、「・・中」と違い、意志が伴わない(進行中でない)事実の表象だからです。

なるほど、「故障」が幅を持った時間を表すかどうかよりは「進行中」かどうかの問題なのですね。
出直してきます。


> なぜ「午前中とは言っても、午後中(ごごちゅう)とは言わない」のでしょうか?

期限を表すのであれば「午後中」というよりは「今日中」と言うからかなぁ、
などと考えながらWebを検索してみると…、なんと「午後中」がありました。

http://wwwsoc.nii.ac.jp/saaaj/contents07_15.html
| 午後中(13:00 〜17:00 本学会員・非会員の方も参加できます)

http://www.hoops.ne.jp/~tennispia-jouez/sub7.htm
| 午前中 1500円     3000円
| 午後中 3000円     4000円
| 1日中 3500円     5000円
|
| 午前中 営業開始〜12:00まで
| 午後中 12:00〜17:00まで

http://www.gpd.co.jp/otodokesaki_sisutemu_dogai.html
| 配達時間につきましては、細かなお時間のご指定は出来ませんが、
| 「午前中」「午後中」「夕方以降」のいずれかの時間帯でのご指定は可能です。


但し1番上のページには「午後」と書いてある箇所もあるので打ち間違えの可能性あり。
これらのページによると「午後中」は夜の12時までというわけではなく、夕方5時くらいまでのようです。

広辞苑にも「午後」は
| 正午から夜の12時までの称。また、正午から日の暮れるまで。

と書いてあるからまぁこれは良いのかな。

でも私は「午後中」は使わないですね。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 07日 木曜日 7:40:33)

UEJさんありがとうございます。「午後中」、あったんですね。けどこれは「午前中」という文字に機械的に対応させただけで、生きた言葉ではないような感じがします。

大体、料金表示に「午前・午後」というのは見たことありますが、「午前中」を使うのも見たことがありません。文章だと「午前中は1500円、午後は3000円」とかは、あると思いますが。

「午後」には「午前・午後」と対応させるものと、「起きてから正午までの午前中」と「お昼過ぎ、昼下がりから、日暮れまでの午後」というのがあると思います。

「午前中」は「正午=12:00」というどの季節でも変わらないきっちりとした「締切り=ゴール」があるのに対して、「午前・午後」対応でない二つ目の意味の「午後」は、日暮れ時間が季節やその日の天気によって変わる(=日没時間)から、「締切り=ゴール」が一定していない。だから「午後中」という表現があまり使われないのではないか?と今、考えました。
どうでしょうか?


天野修治 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 07日 木曜日 7:50:43)

「午後中」の問題は私も考えたことがありますが、未だに解決を見ていないので皆さんのコメントが楽しみです。
UEJ さんご紹介のように「午後」には二通りの意味があり、そのことが「午後中」の表現を使いにくくしている要因の一つではないか、と私は推測しています。
「午前(am)−午後(pm)」「午前中ー午後(正午から日の暮れるまで)」の対応です。
他にも幾つかの要素が絡んでいるのでしょうが。


森川知史 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 07日 木曜日 13:43:56)

「午前中」という表現は、「午前中なら空いてますが、午後はだめです」のように使われますよね。「朝の間」とか「正午まで」というような意味合いで使われるので、午前「中」なのではないでしょうか?「午後になるまでの間」という響きが「中」に含まれているように思います。道浦さんのご指摘と同じことですかね?


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 13日 水曜日 21:35:15)

佐竹秀雄『サタケさんの日本語教室』(角川文庫、2000.03.25初版)p.144「故障中」に言及があります。

〔「会議中、工事中、準備中、休憩中」など〕「〜中」というのは、人間が主体となって「〜としている」ときに使える表現なのである。だから、「故障中」の張り紙の場合は、機会がまるで人間のように意志をもって「故障をしている」みたいで、不自然となる。単に「故障」とするほうが理屈に合っている。
畠中さんのお説と重なる部分がありますね。しかし、私は上に申しましたように、人間が主体か否かという以外の観点も導入するのがよいと思っています。


境田稔信 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 14日 木曜日 2:53:05)

たまたま『月刊ことば』1977年11月創刊号を見たら、「ことばのパトロール」という投稿欄に「故障中」の「中」に疑問を呈するものがありました。
これより前に疑問視されたことがあったかどうか、ちょっと気になりました。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 14日 木曜日 8:05:31)

「中(チュウ)」に関して、疑問に思っていることに「中外(チューガイ)」があります。今なら「内外(ないがい)」と言うであろうところを、昔(戦前でしょうか?)は「中外(チューガイ)」と言っていたようです。今はあまり耳にしませんね。会社の名前に「中外製薬」というのはありますが。「内外衣料」という会社も確かありました。話がそれましたが、要は、昔は「内(ない)」のことを普通に「中(チュー)」と言っていたのではないか、ということです。
「中(チュー)」=「内(うち)」。
そうすると、「午前中=午前のうちに=午後にならないうちに」となります。
「午前」の対立概念に「午後」があります。しかし仮に「午後中」という言葉を考えた場合に、同じ手順で考えますと、
「午後中=午後のうちに=Xにならないうちに」
となって、この「X」にあたるのは、意味上ではまあ、「夕方」か「夜」だと思いますが、「夕方」も「夜」も「午後」の対立概念ではない。どちらかと言えば「午後」に包括される時間の概念であるところから、「午後中」は成立しないのではないか?という考えは、いかがでしょうか?


POP3 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 14日 木曜日 16:18:29)

道浦さんの「午後中」についての上(↑)の説は説得力を感じますね.
ただ,私は「午後のうちに」と言う言い方なら,「夜にならないうちに」と
言う意味で使いそうな気がします.

話が少しそれますが,昔お世話になった方に名前を「中外」と仰る方がおいででした.
「中外」が教育勅語に使われていた事が命名の由来となったそうです.


畠中敏彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 14日 木曜日 20:38:25)

Yeemarさん、境田さん(↑)がお調べ下さったとおり「故障中」に疑問を呈する方がいらっしゃったんですね。
そのことばの正当性、妥当性はともかく、私と同様の考え方を持っている方がおられ、なにかホッとしました。

ただ、道浦さんが言われる「午前中」については何ら違和感を持ちませんので、「・・中」を画一的に人間主体の行動と決めつけるのは、問題があるかもしれませんね。



天野修治 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 17日 日曜日 11:51:10)

土曜の夜(スペインは日本より8時間遅い)なので、何とはなく夜更かしをしていて、夜中に「午後中」の問題を考えています。皆さんの考察はさすがに説得力がありますね。
私はちょっと発想を変えて、なぜ午後中と言わないのか、ではなく、「なぜ午前中と言うのか」と考えてみました。

『日本国語辞典』の「午前」「午後」に引かれている文例の中で「am」「pm」の意味で用いられているのは、1885年の『東京日日新聞』に「従来の計時法は、各国とも一昼夜を午前午後各十二時宛に分ち計へたりしを」と見える箇所が最初で、その前はすべて、「午前」が「昼前」あるいは「夜が明けてから正午までの間」、「午後」が「正午から日没までの時間」の意味で用いられているようです。そこで、「午前」「午後」が「am」「pm」として用いられたのは比較的新しい用法で、もともと「午前」は「ひるまえ」、「午後」は「ひるすぎ」の感覚で使われていたのではないか、と考えてみました。

『日葡辞書』(1603−04年)に「Gogo(ゴゴ)<訳>正午過ぎ。文章語」とあるところを見ても、「午後」は正午を少し過ぎた「昼下がり」「昼過ぎ」を指していたようです。
また「午前」については、『広益熟字典』(1874年)には「午前 ゴゼン ヒルマヘ」とあり、福沢諭吉の『文明論之概略』(1875年)に見える「又眠りを貪りて午前に起き」の「午前」の用例は「昼前」すなわち「昼近くまで」の意味にとれます。

そうすると、「am」の意味が登場する以前は、「午前」には「昼前」と「夜が明けてから正午までの間」の二つの意味があって、それらを表現で区別しようとしたことは想像に難くないです。こうして、「午前(ひるまえ)」は「昼前」となり、長い時間を示すほうの「夜が明けてから正午までの間」の意味に「午前<中>」と、<中>が使われるようになったのではないか、というのが私の推論です。
http://shibuya.cool.ne.jp/brn/


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 12日 火曜日 20:25:07)

「恥をかかない日本語の常識」(日本経済新聞社編・1998年1月23日)の31ページに「故障中」が取り上げられていました。それによると、普通「〜中」は人間が主体で「ちょうど〜している最中」と言う場合に使われるので、「故障」は機械が主体なので、本来「故障中」は適切な言い方ではない。「自動車が故障中」「テレビが故障中」などもなるべき避けたい表現です、と結んでいます。
特に目新しくはありませんが、書物で「”故障中”は好ましくない」としている例の一つとして。


狩野宏樹 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 14日 木曜日 19:30:07)

人間が主体でない「〜中」を避けるべきとするならば、「発生中」の
「本来の適切な言い方」はどうだったのか教えていただきたいですね。
逆に、人間が主体であればいいのなら「故障中で欠場の選手」はOK?
(個人的には人間主体にしかなりえない「負傷中」の方が違和感強し)


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 03月 15日 金曜日 07:27:29)

私は「故障中」は人間が主体でなくても使えると思いますが、違和感を持つ方を代表するような記述の具体例として、新聞社が出している言葉のマニュアル本のようなものをご紹介しました。
「発生中」「負傷中」(これはどうかと思いますが)などは、人間がその事物をどう見ているかという”見方”という視点をあるのでは?「自動販売機が故障中」などは「擬人法」的なのかも知れません。「気象警報が発令中」というのもありますから、「〜中」の主体が必ずしも直接「人間」である必要はないでしょうね。でもこれも本当は「(人間が)気象警報を発令中」という解釈もありかな?
「故障中で欠場の選手」は、逆に選手が「自動販売機」のようですね。でも使っている人もいるかも。実際にはわざわざ「中」をつけなくても、「中」を取って「故障で欠場の選手」の方がすわりがいいのでは?


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 24日 日曜日 21:09:13)

雑誌「言語生活」に載った「故障中」についての目撃情報を引用しておきます。1952年と1981年の例です。

いろいろあると言えば、駅や学校などの時計の止まったのにはる張り紙にも、「故障」「不良」「修理中」「使用停止」「調整中」「規正中」など。中には「故障中」なんてのもある。
(「言語生活」 1952.05掲載=佐竹秀雄編『言語生活の目』筑摩書房 1989.07.20 p.12)

赤電話などに「故障中{傍点}」というはり紙がしてあるのを時々見かける。――単に「故障」とある方が自然な感じだと思うのだが。
(「言語生活」1981.06掲載=同上書 p.484)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 24日 日曜日 21:18:08)

ちなみに、この「故障中」、『言語生活の目』の索引にはありません。こちらでも岡島さんが言及されていますが、この本は600ページ近くあるのに、索引が恐るべく簡略なのです。索引になくこちらの掲示板の話題に関連がありそうなものについて、随時報告したいと存じます。


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2002年01月30日

本州の旧名(益山 健)


「本州」の語は明治以前にさかのぼらないようですが, それ以前にこの島は何と呼ばれていたのでしょうか。
この前古地図展に行った時, 江戸時代のいくつかの地図で「九州・四国」と並んで本州に「大日本」と書いてあるのを見ました。大日本豊秋津洲という言葉もあることなので, 本州のことを大日本と呼んだのかな, と思ったのですが, どうもよくわかりません。


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「美男子」の読みかた(夢野麻衣)


「びだんし」でしょうか、「びなんし」でしょうか。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 30日 水曜日 14:07:51)


私はたしかなことを知りませんが、インターネットでひける国語辞典が参考になると思います。

→ 「大辞林 第二版

ちなみに、書店で売っているものとしては『三省堂国語辞典』が安くて初心者にもひきやすいと思いますから、この機会に買ってみられてはどうでしょう。



岡島 昭浩 さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 30日 水曜日 16:30:02)


 AかBか、という問いは非常に難しいものです。

 「現代に於いて、どちらが、より規範的な形であると思われやすいか」ととらえても、なかなか難しいものです。

ある人にとって規範的な形であると思うものが、別の人にとっては「通ぶって嫌な形」であるかもしれませんし。

ある人にとってちゃんとした言い方であると思うものが、他の人には古臭い言い方と感じるかもしれません。

「美男」はビナンが普通だと思われるのですが、これとて、なぜビダンではいけないのだ、という人もあるでしょう。「男」は漢音ダンが常用の音となっていて、しかも「美」をビと読むのも漢音なのに、なぜ、わざわざ「男」を呉音ナンで読むのだ、というような考えもありうるでしょう。
それはともかく、「ビナン」の仲間だから「ビナンシ」というのがまず一派。

一方、「男子」はダンシと読むのが普通だから、ビダンシと読む方が、合理的だ、生産的だ、というのが一派。

「美男」は「ビダン」だが「美男子」は「ビナンシ」だ、という人もいるかもしれません。「男子」をナンシと読むこともあるわけですし。

全く答えになっていませんが。



道浦俊彦 さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 31日 木曜日 10:21:00)


どちらも辞書に載っていますね。
でも、私個人の意見では、「美男子」は「びだんし」であり、「美男」は「びなん」です。

対する言葉(”つい”になる言葉)を考えた時に、「男子(だんし)と女子」は対(つい)ですが、「美」がついた場合の「美男子」に対して「美女子」は耳にしません。「男子」は「だんし」で一つの言葉、ですから「美・男子」と私は考えます。

「美男」は、「美男美女」(びなんびじょ)という言葉が印象的なので「びなん」。「老若男女」(ろうにゃくなんにょ)も「なん」ですね。
「ろうにゃくなんにょ」は、よく「ろうにゃくにゃんにょ」と、「男」を「なん」ではなく「にゃん」と読み間違ってしまいますが。



夢野麻衣 さんからのコメント

( Date: 2002年 2月 02日 土曜日 14:09:49)


ありがとうございました。言葉って生きてるんですね。正解がないような、あるようなって言うもの面白かったです。


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東京語は正式に標準語と決められた?(Yeemar)

由香さんのご質問に対するコメントです。

> 東京地域で話されている言葉が標準語として正式に発表あるいは法的に認めれれたという過去の事実がありますか?


由香さんの素朴な疑問、ということでお答えしてよろしいでしょうか?

法的に認められたことはありません。また、「正式に発表」というとき、どういう形が正式かという問題がありますが、内閣告示とか、文部省令、通達とかいったもので公に認められたことはありません。

1891(明治24)年の「小学校教則大綱」には

読書及作文ハ普通ノ言語……ヲ知ラシメ
とあります(「学制百年史 資料編」)。この「普通ノ言語」というのは「ひろく通じることば」という意味で、要するに標準語ですが、べつに東京ことばだとは断ってありません。どの地方のことばを基本にするということを明示せずに、近代国語教育は始まったようです。

実際、初期の国定教科書をみると、

もし、きみがをらなんだら、ぼくは、雷にうたれて、死んでしまふのだった。
(国定読本 1期1-2)
というふうに、「おらなんだ」(いなかった)ということばが使われていたりして、東京ことばらしくない部分もあります。

文部省の国語調査委員会が1916(大正5)年にまとめた口語文法についての本『口語法』の「例言」には、

本書ハ主トシテ今日東京ニ於テ専ラ教育アル人々ノ間ニ行ハルル口語ヲ標準トシテ案定シ……
とありますから、この本の編者が東京のことばを「標準」と考えていたことはうかがい知れます。

この『口語法』および『口語法別記』の東京語準拠論が、「それまでの標準語論に決着をつけ、大正から昭和にいたる標準語政策・標準語教育の方向を決めたといってよい」というのは真田信治氏の説(『標準語はいかに成立したか』創拓社、p.97)です。標準語は、なにかの法令などで決められたものではなかったのです。(妄言多謝、乞御訂正)


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 31日 木曜日 9:55:49)

少し新しいところで、昭和33年5月5日、「明解日本語アクセント辞典」初版(三省堂)の序(金田一春彦)に、
「理想的な標準日本語は必ず生まれなければならぬ。それは恐らく全国各地の方言から粋を集めた、豊かな、しかも洗練された言語体系であろう。そのような言語の基盤になるものは、やはり現実に日本全国に共通語として通用している、現在の東京語をおいてほかにはない。」
という記述があります。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 31日 木曜日 15:30:15)

「国語学」を推し進めた上田萬年が、明治二十年代に次のように言っていました。

願はくは予をして新に發達すべき日本の標準語につき、一言せしめたまへ。予は此點に就ては、現今の東京語が他日其名譽を享有すべき資格を供ふる者なりと確信す。

上田萬年「標準語に就きて」


前田年昭 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 02日 土曜日 16:00:42)

飛田良文は『東京語成立史の研究』1992、東京堂出版、のなかで東京語の歴史を成立期(国定読本の出来るまで)、定着期(標準語の成立)、展開期(共通語の時代)に時代区分を示しています。


模範語を示して話し言葉と書き言葉の、国語の統一を図ろうとする考え方は、定着期のはじめ、1904(明治37)年から使われた『尋常小学読本』の編纂趣意書に述べられています。

文章ハ口語ヲ多クシ、用語ハ主トシテ東京ノ中流社会ニ行ハルルモノヲ取リ、カクテ国語ノ標準ヲ知ラシメ、其統一ヲ図ルヲ務ムルト共ニ、出来得ル丈児童ノ日常使用スル言語ノ中ヨリ用語ヲ取リテ、談話及綴リ方ノ応用ニ適セシメタリ。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 02日 土曜日 22:16:44)

「をらなんだ」を使っていた国定教科書も、その趣意書では東京中流社会のことばが「国語ノ標準」とされていたということですね。飛田氏の著書に目を通していないことが露見してしまいました。文部省として東京語を標準とした教授書を作ったのは、『口語法』ではなく、第一期国定教科書までさかのぼるということで、私の発言には不適切な部分がありました。

上田萬年が自説を開陳したような例は、個人的な意見表明として無視してしまっていました。

金田一春彦氏の文章の「標準語」は、「標準アクセント」もしくは「共通アクセント」と読み替えるべきものと思います。同氏はここで「標準」「共通」の概念をことさら区別していないように読み取れます。つまり「現在、日本語の文法・語彙は東京語を基礎としたものが全国共通に用いられている、しかし、アクセントには標準がなく、全国で共通に用いられるアクセントというのはない、いずれ東京語のアクセントが標準となるべきである」ということだろうと思います。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 04日 月曜日 17:15:52)

金田一春彦さんの文章に関してはそうですね。「アクセント辞典」ですもんね。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 05日 火曜日 0:42:20)

真田信治「脱・標準語の時代」(小学館文庫)でも、標準語登場は1895年、上田万年「標準語に就きて」を「標準語登場期」としていました。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 07日 木曜日 7:42:38)

水原明人「江戸語・東京語・標準語」(講談社現代新書)も参考になるのでは・・・。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 07日 木曜日 13:39:35)

 杉本つとむ『東京語の歴史』(中公新書865 昭和63.1.25)が出て来ました。

 「終章 江戸語の伝統と東京語・標準語」で、上田万年の「標準語につきて」を引き、『口語法別記』を引いていますが、その間に別のものも引いていました。明治34年『尋常小学国語科実施方法要領』の「国語教授に用ふる言語は主として東京の中流以上に行はれ居る正しき発音及び語法に従ふものとす」(原文片仮名)というものです。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 12日 火曜日 14:32:37)

前田さんと同じことを指しているのだと思いますが、飛田良文さんが、文化庁発行の「ことばシリーズ23”言葉の変化”」(1988,3,31)の中に「近代・現代の言葉の変化」と題して書いています。その四「標準語の成立」によると、国定教科書の使用が始まった明治37年4月からが「東京語の定着期」「標準語の時代」と呼ぶことができる、とあります。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 15日 金曜日 9:46:35)

山口秋穂ほか「日本語の歴史」(東京大学出版会1997)の213ページに、「東京語を標準的なことばとして捉えたうえで編纂された教科書は、西邨貞「幼学読本」(明治20年1887年)が最初である。」とあります。この項は鈴木英夫さん(白百合女子大学教授となっています)が書いています。


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2002年01月29日

あいさつ 或いはオアシス運動(Yeemar)


東京の環七通りに面した板橋区立上板橋第一中学校の校門に「オアシス運動」の標語が張ってあります(2002.01.28確認、ただし記憶による)。
朝のあいさつ 「おはようございます」
心から感謝  「ありがとう」
だれにでも  「しんせつに」
すなおに   「すみません」
「オアシス運動」の沿革はよく知りません。しかし、1970年代後半、香川県の小学生だった私は「おはよう(ございます)/ありがとう/しつれいします/すみません」と覚えました(3行目が異なっています)。まもなく、これに「さようなら」が加わり、「オアシスサ運動」という名に変わりました(「オアシスサ」とは何の謂いぞや)。

上板橋一中の「しんせつに」はどうもあいさつらしくありません。「しつれいします」のほうがほかと調和するように思います。オリジナルはどちら?

ウェブを渉猟してみました。すると、熱海市では昭和40年代から親切運動を展開していて、
「おはようございます/ありがとうございます/親切な心で/すぐに実行」
という標語を用いているようです(熱海市ホームページ「親切運動」)。ただしこれが当初からのものかどうかはわかりません。

〈「オアシス運動」の発祥の地〉と自己紹介する山形県飽海郡平田町の南平田小学校のページもありました。そこでは「おはよう/ありがとう/親切/すみません」。ただし、同じ山形県でも南陽市の市報では「おはようございます/ありがとうございます/しつれいします/すみません」。

「google」で、「オアシス運動」と「しんせつ」とのand検索をすると4件、同様に「親切(-親切運動、-親切な、-親切で)」とのand検索で20件、「失礼します」とで42件、「しつれいします」とで29件ですが、「親切」派、「失礼」派のどちらが優勢ともにわかには断じがたい気がします。



岡島昭浩 さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 30日 水曜日 23:28:38)


1960-70年代の北九州でも「失礼します」だったような気がします。でも、子供心に「失礼します」をどのように使ったらよいのか分からず、首を傾げたように思います。「すみません」との使い分けが分からないと感じたのだと思います。いや、「失礼しました」だったかな。

そういえば入体質の時に「失礼します」と唱えるのを聞くのは落ち着かない、という人がいることを思い出しました。

それはともかく、後に「親切」をしり、これなら分かると思った記憶があります。

2番目が「あいさつ」となっているのをみたことがあるような気もします。「おはよう」は挨拶ではないのか、と思ったものでした。


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2002年01月25日

「なる」と「たる」(道浦俊彦)


(形容詞と言うか形容動詞と言うか、連体詞と言うか)
「親愛なる」「大いなる」「偉大なる」「なだらかなる」といった「なる」系統の語と、
「厳然たる」「厳粛たる」「憮然たる」「堂々たる」といった「たる」系統の語の違い、「なる」になるか、「たる」になるかの、基準・ルールはあるのでしょうか?

「たる」系統の語の方が、かなり少ないようです。
また「なる」が和語系統、「たる」が漢語系統かとも思いましたが、そうでもないようですが。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 25日 金曜日 14:51:28)


山田孝雄は次のように喝破しています。

「なり」と「たり」との意義上の差をいへば、「なり」は内面的にして主として断定をあらはし、「たり」は外貌的にして主として状態をあらはせり。
  これは子なり
  我れは子たり
(『日本文法論』1908年、p.356)

私のことばでいいますと、「これは子なり」は、血縁関係についていうのに対し、「我れは子たり」は、親に孝養を尽くし、子としての分をわきまえて……というふうに、人の目で観察できる状態であることをいうのだと思います。

また、

  峻険なる山
  峨峨たる山

というとき、「峻険なる」は山の性質(「峻険で登りにくい」というように)を、「峨峨(がが)たる」は山の見た目のようすを表すのでしょう。では

  些少なる金額
  些々たる金額

はどうか? このあたりになると、「なる」と「たる」との違いはあまり出ていないかも知れません。

「○○なる」と「○○たる」とを比較対照した研究は、最近あるのかどうか、不勉強で存じません。



UEJ さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 25日 金曜日 23:19:34)


広辞苑の「形容動詞」の項より引用です:
| 文語では、名詞にニアリの結合した「静かなり」(ナリ活用)、
| 名詞にトアリの結合した「泰然たり」(タリ活用)がある。
| 形容詞の語尾クに動詞アリの結合した「多かり」(カリ活用)を加える説もある。

「なり」の方は「な」に変わって現在でも形容動詞ですね。

「たる」の方の名詞は必ずしも現在の形容動詞にならない。
「厳粛な(式典)」とは言うけれども「憮然な(表情)」とは言わないですね。

「たる」の方は「とした」でも置きかえられます。
「厳然とした」「厳粛とした」…のように。
一方、「親愛とした」「大いとした」とは言えない。

思いついたままに書いたので、あまりまとまってません (^^ゞ



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 26日 土曜日 23:23:52)


「厳粛」は、私の語彙では文語では「厳粛なる(式典)」で、口語では「厳粛な(式典)」となります。ですから、

  ○○なる→○○な
  ○○たる→○○とした

というふうに、ほぼ例外なく文語から口語にスムーズに移行していると思います。

もっとも、「ほぼ例外なく」というときのそのわずかな「例外」はどういうものか、思い浮かびません。「厳粛」はひとまずおくとしまして、それ以外に思い浮かびません。

文語で「○○なり」であった語が、何かの拍子に口語では「○○と」の形で用いられるようになった例、または、「○○たり」であった語が「○○な」の形で用いられるようになった例があってもよさそうです。

例外がないとすれば、「○○なり」(○○な)と、「○○たり」(○○と)とは、すこぶる厳密に使い分けられていることになります。



UEJ さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 27日 日曜日 0:21:40)


「*然」は「たる」系が多いですが、「自然」は例外的に「なる」系ですね。
「自然と」という副詞的用法は「たる」系の「*然と」の形に引っ張られた?というのは考えすぎでしょうか?

その他、広辞苑で「然な」「然に」を全文検索して見つけた「なる」系の「*然」たち:
・当然
・不自然
・突然
・同然
でも「*然と」のようには使えないですね。

「たる」系と「なる」系(「と」系と「に」系と言ってもよいのかもしれません)が
Yeemarさんの引用されている「内面的」「外貌的」説のように
意義の上からはっきり区別できると面白いのですが、私には法則が良くわかりません。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 27日 日曜日 1:03:23)


ああ、「自然に」「自然と」は両形ありますね。思い浮かびませんでした。「自然に」のほうが比較的古いのでしょうね。

もっとも、「自然として」「自然とした」というような言い方はないので、ト系としての使われ方は限定的のようです。

似た例として、「意外に」「意外と」というのを思いつきました。「意外と」とうのは辞書には「俗」とあります。

山田孝雄の「内面的」「外貌的」という分け方は、勘所を突いていると思いますし、「子なり」「子たり」の違いをそう説明されるとよくわかるのですが、では「主(おも)な」は内面的で、「主(しゅ)たる」は外貌的なのかといわれれば、はて、となってしまうことは否めませんね。ことばを意義で分類するにあたっての指標となるものではありませんね。



道浦俊彦 さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 28日 月曜日 11:31:33)


「なり」と「たり」の両方で使えるケースですね。
それについては私も考えたのですが、なかなか思いつきませんでした。
で、今↑の皆さんのご意見を拝見して、ふと思いついたのですが

「母なる(大地)」
「母たる(もの)」

はどうでしょうか?「子ナリ」「子タリ」と似てますが。
形容動詞系統ではなく、完全に、名詞」プラス「なる」と「たる」の形ですが。山田孝雄の「内面的」「外面的」がわかる気がします。
「なる」が「にある」、「たる」が「とある」から来ていることを考え合わせると、「なるほどなあ」と思いました。

「意外に」と「意外と」、「自然に」と「自然と」の使い分けも、Yeemarさんと同じく「意外と」「自然と」の方が、俗語っぽいと私も感じていたのですが、それよりも、「外から見た感じ」で自分のことを言うのが、ちょっとヘンな感じなので「俗語っぽく」感じたのでしょうね。

なぜならば、本来自分のことは自分で分かるはずなのに、

「私って、意外と、お料理が好きな人なんです。」

というふうに、第三者の目で自分を見るような感じで「意外と」は用いられるようになってますよね。これまで(いつまでかわかりませんが)は、

「私、意外にお料理が好きだったんです。」

と、自分の内面に気づいた自分は、あくまで「自分」だったのでしょうから。

「主(おも)な」と「主(しゅ)たる」は、「おもな」を和語系(”おも”が訓読み)、「しゅたる」を漢語系(”しゅ”が音読み)と思われますが、「内面的」「外貌的」という基準だけではなく、また違った基準が存在するのではないでしょうか?


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誤解を避ける方法(Yeemar)

メールで/直接会話で誤解を招きそうな言い方を集め、その改善案を示すというのはいかがでしょうか。

 ◇  ◇  ◇

学生が教えてくれたエピソードで印象に残った話です。

ひさしぶりに友人に携帯メールを送るとき、「元気?」というつもりで「生きてる?」と書いてしまい、後悔したのだそうです。たしかに、直接笑いながらそう声を掛けられる場合ならばともかく、メールの文字でそう言われると必ずしもいい感じはしないかもしれません。メールで相手をからかうのはよほど慎重にしなければ、いや、事実上不可能ではないかと思います。

 ◇  ◇  ◇

私の例。メールではすぐに

  ○○なのかな、と思います。

と書いてしまいますが、推敲時にきまってひっかかります。たとえば「これが唯一の解決策なのかな、と思います」と書いた場合、唯一だと思っているのか、唯一ではないと思っているのか、あいまいです。そこで改善案としては、こういうときの「かな」はすべて削除する、ということになります。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 25日 金曜日 14:59:05)

「ファイルをメールに添付すると、少々重くなることもあり、郵便でお送りします」

という「こと」は、「重くなる場合もあり」ともとれるし、「重くなるためもあり」ともとれてあいまいです。私は「ため」の意味でつい「こと」を使ってしまうので、推敲のときに発見すれば、訂正することにしています。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 30日 水曜日 1:25:26)

これも誤解を与えるかな?

○○さんへのメールで――

「○○さんは、××についての知識がないとお嘆きとのこと。私もつねづねそのことを痛感しており、いっそう勉強しなければならないと思っています」

「そのことを痛感」の「そのこと」が問題だ。つまり「私自身も、××についての知識がないと痛感しています」というつもりなんですが、「私も○○さんが××について知識がないことを痛感している」ととられる可能性、なきにしもあらず。後段を読めば、誤解の余地は少ないと思うのですが、ことば足らずであったかもしれません。指示語(こ・そ・あ・ど)や主語には、要注意です。

※一連の例は、実例そのままではなく、本質を外れない範囲で文章を変え、フィクションにしてあります。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 3月 11日 月曜日 1:13:00)

村上龍『eメールの達人になる』(集英社新書、2001.11)を読みました。

本書は基本的に「業務連絡のためのメール」について書いたものと考えられます。著者としては、「子供を産むの産まないの」などといったなまなましい話題はメールではしないもの、というポリシーをもっているようですから、これは当然の帰結です。

しかし、業務連絡というものはルーティンな部分が多く、メールの中では最も書きやすいもののひとつではないでしょうか。私としては、もう少し多様な場面で、どう書けばコミュニケーションが円滑化するかといったことを知りたいと思います。

こう書けば誤解を生む、こう書けば相手が怒るといった禁じ手ももう少し詳しく考えてみたいものと思います(このスレッドをたてたのもそういう理由からですが)。

本書はあくまで「村上流メールの書き方」であって、一般性に欠ける部分もあります。村上氏が書けば親しみをもって受け取られる表現であっても、若輩者がそのまねをするわけにはゆかないこともあるでしょう。

以下、注意が引かれたところを摘記します(原文通りではありません。《 》は私の感想)。


定型となっている敬語はメールにはマイナス(p.21、211)
《潤滑油ともなるのではないか》

あいさつの疑問文はきらい
 「いかがお過ごしですか」と聞かれると、答えなければいけないのかなというプレッシャーが生じる(p.39)

こんばんは・おはようは無意味
 受信者が読むのは半日後かも知れないから(p.42)

メールはシリアスな話題に向かない、議論にも向かない
 「産むべきかどうか」など(p.43)

結びのことば
 「それでは」「またメールします」「じゃあね」(p.44)
 《「それでは」や「では」で終わるのは突き放した感じがするので私は使いません》

「お返事、お待ちしています」は厚かましい(p.45)

「〜いただけると助かります」
 「○○日までに返信いただけると助かります」という表現をよく使う(p.47、67)

「幸甚です」
 わざとカビが生えたような表現を使うことがある(p.50)

メールアドレス変更の通知
 「お手数ですが、登録の変更をお願いします」との要求は傲慢(p.62)

言いわけ・謝罪
 必死で考えたユーモアを含んだエクスキューズは、相手の心を和ませるものだ(p.65)
 《村上氏ならともかく、私がまねてはたいへんだ》

依頼するときには相手のプレッシャーを軽減
 「無理だったら無視してください」「依頼を断っても、坂本はそれを根に持つような人ではありません」(p.80-81)

依頼を断るのはすぐに
 長引けば長引くほど、さらに言いにくくなる。検討の場合は「いつまでに返事をします」と期限を示す(p.84)〔cf.「○○日までに返信いただけると助かります」(p.47、67)〕

理由を箇条書きして依頼を断る
 のは悪い例。箇条書きは無機的・事務的な印象がある(p.93)

使うと便利な英語
 「no problemです」「○日がavailableです」「better」「best」「and」「or」(p.116-119)

「ちょっと違和感を感じました」
 メーリングリストでの意見交換を平和裡に成立させるには、言葉に細心の注意。「賛成できません→ちょっと違和感を感じました」(p.122)

「悪いです・ないです」(形容詞+です)
 純朴というか、ちょっと舌たらずの感じがするが、そのせいで「好感度」が上がる(p.126)
《そうだろうか?》

「忘れるかも知れないので、結果を催促してください」
 40代後半になって、急激に物忘れするようになったので、常套句になってしまった(p.189)
《「源氏物語」にも「さるべきをりをりは、うち忘れたらむこともおどろかしたまへかし」(初音)というような常套句があったっけ》

「よろしくお願いいたします」
 送信者の形式主義が暴露されてしまう。ただ、相手によっては定型が無難だと思われることがある(p.211)
《私の頻用語で愛用語のひとつなんですが……》


◆おまけ ことばのくずかご

「○○させていただきます」
「○○させていただきます」が、これだけひんぱんに使われ出し、ほとんど主流になったのはたぶんここ20年のことだろう。パーティや授賞式などの司会者は、高度成長の終わりごろまでは、「司会を担当します村上です」と言っていた。ところがいまは必ず「司会を担当させていただきます村上です」と言う。(p.18-19)

「あ・うんの呼吸」(p.96。表記注目。「あうんの呼吸」「阿吽の呼吸」でない)

だいじょうぶ
「原稿は再来週の掲載になりますが、よろしいでしょうか」
「だいじょうぶです」
 意味は通じるが、「だいじょうぶ」という日本語には横綱が土俵にどーんと構えていて「盤石」というようなイメージがあって、承諾に含まれる負担が表されることがない。何となく、「わたしはからだが丈夫なので何でもだいじょうぶです」と言っているような印象がある。だから、だいじょうぶです、という表現がわたしは嫌いなのだ。(p.117。最近、「けっこうです」「わかりました」などの代わりに「だいじょうぶです」と言う人が増えたような気がします)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 04月 26日 金曜日 01:08:28)

これも実例に基づいた架空の例文です。

「私の関与する例の件は、大変さの点ではそちらとは比べものになりませんが、何とかやりとげました」

もちろん、「そちらの大変さに比べれば、(私の件の大変さは)大したことはありませんが」という意味です。しかし、「そちらとは比べものにならないほど、こちらの大変さの程度は大きい」と誤解されないともかぎりません。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 04月 29日 月曜日 10:25:33)

二つ上の村上春樹さんの本の最後、「だいじょうぶ」に関して。
たとえば、一緒に歩いていた人がつまずいてこけた時にどう声をかけるか?私は「だいじょうぶ?」
と言いますが、関東の人は
「平気?」
と聞くような気がします。この「平気?」は、関西人は、まず使いません。
「こけとんねんから、平気なわけないやろ!」
とつっこむと思います。
大丈夫かどうかは、外から見た状態について、平気かどうかは内面の気持ちをさすのではないでしょうか?
「こけて、擦り傷ができたけれど、気持ちは平気」
とか、逆に
「こけて、擦り傷程度のケガだけど、こんな所で転んでしまった自分に対してショックが大きくて平気じゃない」
こともあるでしょう。
「こけて、どうやら骨が折れたようだけど、よく骨折はするので、気分としては平気」
ということもあるかもしれません。

表題の”メールの「誤解を避ける方法」”とはちょっと話がそれてしまいました。
すみません。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 07月 15日 月曜日 21:47:12)

メールでの表現2つ。

例文1

   △あなたの腕前には驚きました。

「腕前」を尊敬表現にする必要があります。かといって「お腕前」はだめ。語を置き換え、「あなたのお手並みには驚きました」ならOKでしょう。

例文2

   △その記事があなたの注意を引いたのでしょうか。

「注意」を尊敬表現にして「その記事があなたのご注意を引いたのでしょうか」とするのもなんだか変。「注意を引く」という連語として熟しているためでしょう。この場合、「(あなたの)お目に止まったのでしょうか」とすればOK。

「腕前」→「お手並み」
「注意をひく」→「お目に止まる」

は、敬語法に語彙の問題がからむ例と申せましょう。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 09月 28日 土曜日 18:57:46)

お詫びのときに「(笑)」マークをつけてはならない。

「こういう言い方をすると相手の怒りを買うだろう」という判断は、人間性の問題でもあり、かつ、言語能力の問題であるでしょう。言語能力を高めることは人間性の錬磨につながると信じます。

ことばの話841「単純ミスです(笑)」 〔道浦さん〕


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 17日 木曜日 21:29:24)

メールで「混乱を与えたとすればすみません」と書こうとして、「なんだ、『与えたとすれば』って。仮定法で詫びるんじゃない!」と自己批判し、「混乱を与えてすみません」と書き直しました。

ついでに、役人や政治家が「誤解を与えたとすれば申し訳ない」などというのもこの際批判しておきます。

上に出てきた「だいじょうぶですか」について。2003.07.14、銀座の某アジアンレストランで食事をしていたら、店員が「お箸をお下げしても大丈夫ですか?」と。思わず「はい、特に危険はございません」と答えそうになり、絶句しました。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 11日 土曜日 13:59:26)

多くの生徒さんを担当していて、お忙しい中返信ありがとうございますm(__)m
返信のさらに返信の仕方がよくわからないので、自分なりに返信したいと思います。
という書き出しのメールが届き、はて、だれであろうと不審でした。この書きぶりからは、私と同等か目上の人が、私の教える学生(「生徒さん」)に敬意を払っているようです。

署名を見ると、何のことはない、授業を取っている当の学生。要するに、学生の質問に対して私が回答をしたメールに、さらに返信をくれたもの。

それならば、自分で「生徒さん」などと言ってはいけない(学生全体を、彼の身内扱いとすべきなので)。反対に、私に対しては敬語がほとんど使われていないのはどういうこと?

原文を尊重しつつ添削すれば「多くの学生を担当されていて、お忙しい中ご返信ありがとうございます。ご返信にさらにご返信する仕方がよくわからないので、自分なりにご返信したいと思います」ぐらいになろうか。

しかしいくら敬語を補っても違和感が抜けないのは、教師が多数の学生を担当するのはそもそも当たり前であって、言わでものことをくどくど書いているから。こういう場合は単に「ご返信ありがとうございます」でよいのです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 11日 土曜日 14:25:38)

「Yomiuri Weekly」2003.08.10 p.106の「上司必読! 「とか弁社員」を特訓する 正しい日本語講座」は、「気になる若者言葉」「間違いやすい慣用句・諺」などを列挙して解説、おじさん族の感情に訴えかける書き方でおおむね感心しません。ただ、「できれば避けたいフレーズ」の中に、コミュニケーションの上での敬意について考えさせられるものもありました。

いい質問ですね〜
「日時は承知しましたが、雨天の場合はどうしましょうか?」「いい質問ですね〜」。「そう聞かれると思っておりました」といわんばかり。こういわれると、なんだかバカにされた気がするという声は多い。「いいところにお気付きになられましたね〜」も同様

電話があったことだけ、お伝えいただけますか
「あえて連絡してくれと頼むほどの用件じゃないんだけど、折り返し電話をくれればうれしい」といった微妙なニュアンスが含まれるが、伝言されたほうは、「伝えるだけでいいなら、かけ直せばいいじゃん」と口をそろえる(p.109)

このスレッドは、「メールで/直接会話で誤解を招きそうな言い方を集め、その改善案を示す」というつもりで始めたのですが、「失礼なことば遣い(見た目は文法にかなっているものを含めて)」を集めているようでもあります。


益山 健 さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 22日 水曜日 11:18:41)

「いい質問」は英語の「good question」の直訳でしょうが, すくなくとも英語ではバカにしたようにひびくことはないとおもいます。「質問された相手がひるむような鋭い質問」という意味でつかわれているようです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 12日 水曜日 14:02:09)

「ご苦労」は目上から目下に使うものである、と言われます。ただし、この考え方を受け入れるには留保が必要だ、職業、地方によっても差がありそうだ、ということはこちらに少し述べました。

だからといって、目上の方に堂々と「ご苦労さまでした」と言うことはできない。ある言い方について、ある語感をもつ人が多い以上、その語感に敢えて挑戦することは穏当ではないから。しかし、目上の人がたいへん苦労したことを知っているとき、それをことばに言い表すのはどうすればいいのか。「さぞご苦労をなさったことと思います」ではいけないのか。

無用の誤解を避けるために、「ご苦労」が言いたくなったら、単にひっくり返して、「ご労苦」にしてしまう。姑息策なれど、これで無事解決。「ご労苦いかばかりかと拝察いたします」「ご労苦がしのばれます」。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 25日 木曜日 15:31:09)

授業で行った討論(ディベートふう)について、肯定側・否定側のいずれが優勢であるかに関し、陪審役の学生が書いた判決文が以下のごとくでした(一部修正)。

どちらとも言えないが、敢えて言うなら否定側です。しかし五十歩百歩といったところが正直なところです。
すると、両方とも大したことがなかったのか? しかしそのあとを読んでみるとずいぶん褒めてある。思うに「実力伯仲」「甲乙つけがたし」といったような意味で「五十歩百歩」を使ったようです。

「いやあ、今日の討論はどちらも白熱して、どんぐりの背比べでした」

などと褒めたつもりでいう感想もあり得るかもしれません。

「どっこいどっこい」も、私にとっては「どんぐりの背比べ」に近い語感があるのですが(「ど」が同じだし)、これはとくにマイナスのイメージはないのでしょう。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 26日 金曜日 11:28:29)

ことばにも多少関係する職業の方が電話をくださって、「(書類をお届けしますので)拝見していただいて……」。この方、この前も「拝見していただいて」を使っていらした。「ご覧いただいて」などとあってほしいところ。

Google検索では「"拝見していただいて"」83、「"拝見していただき"」116、「"拝見していただく"」57件でそれほど多くはありません。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 26日 金曜日 11:31:39)

「"拝見してください"」ならば、より多く約564件。「"拝見して下さい"」は約245件。


新会議室に続く

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2002年01月14日

巨峰の意味(境田稔信)


『三省堂国語辞典』には第二版(昭和49年)から「ひじょうに高くて、けわしい山」という意味が載っています。
いくつかの小型辞典でも同様の意味を載せているのに、なぜか大型辞典ではブドウの品種としか書いてありません。
泰斗をたとえて巨峰ということもあると思うのですが、たんなる用例不足でしょうか。



岡島昭浩 さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 14日 月曜日 21:51:15)



『日本国語大辞典』の初版に次のようにあります。

アルプス(英Alps)(1)ヨーロッパ南西部にある大山脈。フランス、スイス、イタリア、オーストリアにまたがる。最高峰のモンブラン(四八一〇メートル)を始めとしてマッターホルン、ユングフラウなどの巨峰がそびえる。雪原、氷河があり、風光明媚(めいび)の地として世界的に有名。

第2版も「(四八〇七メートル)」となっているほかは同じです。説明文中で使った語を説明しないのは、見落としということになるでしょうね。

用例としては、比喩的なものが多いようですが、その中から一つ。山田忠雄『近代国語辞書の歩み』636頁で、落合直文『ことばの泉』を評した部分。

この本の辞書史上に遺した最大の功績は、語彙量の豊富に在る。(中略)又第二に、中辞典の巨峰として、克く後来の大型辞書、例えば大日本国語辞典の踏み台(乃至は叩き台)となった点に在る。これらの功は永久に没すべからざるものが有ると言ってよい。


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2002年01月08日

出っ尻(し→ち)(道浦俊彦)


お尻が出っ張っていること、あるいはそういう人をを「出っ尻(ちり)」と言いますよね。もちろんこれは「出」プラス「尻」なのでしょうが、なぜ「でっしり」ではなく「でっちり」と「し→ち」へ変化するのでしょうか?他にもこういった変化のある語はあるのでしょうか?(あると思うのですが、すぐには思い付きません。)s→tへの変化は、変化しやすいように思いますが。

ちなみになぜこのようなことを考えたかというと、先日「けんか祭り」で有名な、大阪府岸和田市で、お祭りで担ぐ「だんじり」を「だんぢり」と表記しているのを目にしたことから、「これは”あり”だろうか?」と思ったのがきっかけです。「だんぢり」は、たんなる「じ」と「ぢ」の書き間違いかもしれませんが。



岡島昭浩 さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 08日 火曜日 22:07:15)


 「s→t」というくくり方ではなく、「s→ts」ですね。促音のあとのサ行音がツァ行音になるのはよくあります。
 「法師」が「ぼっち」とか。
 江戸弁なら「まっつぐ」「おとっつぁん」とか。

促音のあとのハ行音がパ行音になるのと似てはいますが、ちょと違う。

また以前の「春雨」と似たような部分がなくもない。と書くと誤解を招くかな?



道浦俊彦 さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 08日 火曜日 23:00:24)


「s→ts」ということは、「出尻」は「でっちり」ではなく「でっつぃり」ですか?つまり「ち」ではなく「つぃ」ということでしょうか?
イタリア語っぽくなってきましたね。



老婆 さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 08日 火曜日 23:14:52)


>「s→ts」ということは、「出尻」は「でっちり」ではなく「でっつぃり」
>ですか?つまり「ち」ではなく「つぃ」ということでしょうか?

日本語に「つぃ」って音はないでしょ。
「s→ts」というのは「s→t」と書いてしまうと、例えば「し」が「てぃ」に
なってしまうと思われる・・・(というか・・・笑)

だから「でってぃり」じゃなくて「でっちり」ってことですよ。
「つぃ」ってなぁ心配はいりません。



岡島昭浩 さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 08日 火曜日 23:16:08)


いや、そういうご理解をなされるとは意想外でした。
サスィスセソではなくサシスセソであるように、ツァツィツツェツォではなくツァチツツェツォです。



道浦俊彦 さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 09日 水曜日 0:48:27)


いや、少し安心しました。

「タチツテト」
ta/ti/tu/te/to

のうち「ツ」が、ヘボン式と訓令式(でしたっけ?)で表記が異なり、(あ。「チ」も「ti」と「chi」で違いますね。)

tsu/tu

の両用可なので、つい、つられて促音の「ツ」ということで「ツィ」「ツォ」というふうに連想して

「ツァ、ツィ、ツゥ、ツェ、ツォ」
tsa/tsi/tsu/tse/tso

があるのかと。その語変化したのかも?と思ってしまいました。
それに「おとうさん」→「おとっつあん」にもつられました。
そう言えば、「ごちそうさん」→「ごっつおうさん」→「ごっつあん」もありますね。




岡島昭浩 さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 09日 水曜日 10:54:05)


 「ごっつぉう」は一度書いて消しました。「ちそう」の「ち」が残って「つぉう」になったとも言えるからです。「ますぐ」とはその辺が違うので。でも「とっつぁん」は「ととさん」からですから「ごっつぉう」と同じですね。よく考えれば。

この話、ややこしいのですよ。サ行音の歴史が絡んできますので。昔、サ行音はtsa行音(t∫a行音)だったという。

私のコメントは、老婆さんのコメントを読む前に書いたものでしたので、「そういう」はもちろん、道浦さんのをさしています。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 10日 木曜日 19:02:29)


「出っ尻」の類例としては、

 ・ナマ+シロイ→ナマッチロイ
 ・クッ(?)+シャベル→クッチャベル(「クッ」がかりに「口」などと関係あるとすれば、適当でない例か?)
 ・ド+シラケ→ドッチラケ(萩本欽一)

などが思い浮かびます。

・チイサイ→チッチャイ
 「浮世風呂」の「小{ちつさ゜}くなつて」とか、「素人狂言」の「形{なり}が小{ちつ}せ゜へが」(湯沢幸吉郎『増訂 江戸言葉の研究』所引)とかいう例は、湯沢説などによれば、「チッツァク」「チッツェー」ではなく「チッチャク」「チッチェー」なのでしょう。

・オブサル→オブッツァル(?)
 これも「素人狂言」(同上書所引)から。「コウ寒さん、塩梅{あんべゑ}しておぶっさ゜んねへ」

 「チッチャイ」から「ドッチラケ」のようなものまで語例を網羅した参考文献はあるのでしょうか。


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2002年01月07日

研究会のご案内(前田年昭)


■句読点研究会第7回例会のご案内

「なぜ日本語の書記の歴史なのか―小松英雄と藤枝晃とを手がかりに」
  なぜ日本語の書記の歴史を問うのか。この問いは大きすぎていささか手に
  負いかねる。そこで小松英雄の『徒然草』第百三十六段をめぐる考察と、
  藤枝晃の「日本語を楷書では書かなかった」というエッセイとを手がかり
  にして、日本語の書記の歴史を考察する端緒としたい。……

 報告:池田証寿さん(北海道大学大学院文学研究科助教授)

 日時:2002年2月17日(日)午後1時から
 会場:東京・小石川後楽園「涵徳亭」(最寄駅はJR地下鉄とも飯田橋駅)
 会費:ひとり2000円
(なお、整理の都合上、常連の方も必ずお名前とメールアドレス・ファクシミリ番号を、
初めての方はあわせてご職業、所属を書き添えて、メールでお申し込みください)

 主催:句読点研究会 URL:http://www.linelabo.com/kutouten.htm
   案内文詳細は、近日中に上記ウェブページで発表予定。
   問い合わせ・参加申込先:連絡係・前田まで tmaeda@linelabo.com



前田年昭 さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 09日 水曜日 15:36:19)


研究会のおしらせ文、および、池田証寿先生の報告要旨
「なぜ日本語の書記の歴史なのか―小松英雄と藤枝晃とを手がかりに」
をウェブページに載せました。

http://www.linelabo.com/punctuation/punc202a.htm

句読点研究会第7回例会ご案内


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2001年12月27日

ボンベ(道浦俊彦)


「酸素ボンベ」「ガスボンベ」でおなじみの「ボンベ」は、国語辞典を引くと「ドイツ語から来た」とありますが、ドイツ語の辞書を見ても、「高圧の気体の容器」という意味は載っていません。それどころか、語源は「BOMB」=爆弾とあるではありませんか。果たして、容器が先なのか、爆弾が先なのか、お知恵を拝借しとうございます。



POP3 さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 28日 金曜日 19:25:18)


岩波独和辞典増補版(第27刷,1978年発行)には Bombe の意味として

(1) 爆弾
(2) ボンベ(爆弾状のもの); a) 球状のガラス瓶; 円筒形鋼鉄製のガス溜器
(以下略)

とあります(道浦さん,勝手に自宅謹慎解除しました.お許しを).



UEJ さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 03日 木曜日 10:06:04)


bombはもともとボンという音を表す擬音語です。
すなわち「爆弾」の意味が先ですね。



UEJ さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 04日 金曜日 4:23:50)


…と書き込んだ後で道浦さんが既に書かれているのに気付きました(下リンク)。
というわけでもう少し詳しく書くと、

私の参考文献はランダムハウス英語辞典です。引用すると、
bomb
[1588.<スペイン語 bomba (de fuego)(火の)球(bombo「太鼓」と同根
<ラテン語 bombus ドーンと鳴る音<ギリシャ語 bo'mbos);
ドイツ語 Bombe「爆弾」に由来する日本語「ボンベ」は同語源]

また、bombe'の項には
[1904.<フランス語:字義は rounded like a bomb(bombe BOMBより)]
と書かれています。


酸素ボンベ


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2001年12月23日

振る舞う(道浦俊彦)


12月初旬、京都の千本釈迦堂で中風封じの「大根だき」という行事が毎年行われるのですが、この時に「参拝者に大根が振る舞われました」とよくニュースで言うのです。しかし、この大根、実は
一人1000円という料金を取った上で「振る舞われる」のですが、「振る舞う」は本来、「無料」の行為に対して使うものではないのでしょうか?

辞書には「ごちそう」とか「もてなし」ということばを用いて「振る舞う」を説明してありますが、有料かどうかに関して、明確な記述が見当たりません。皆さんはどう思われますか?

ちなみに、ホテルなどの広告で「心をつくしたおもてなし」などとありますね。あれは当然、「有料」ですが、「もてなし」と「ふるまい」 は違うような気がしますが。どうでしょうか?


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エレックする(道浦俊彦)


電子レンジで「チンする」ことを「エレックする」というふうに、ごく一部で言われる(言われていた)ようですが、これには地域差があるのでしょうか?

ちなみに、「エレックさん」という電子レンジは、大阪に本社があるナショナル(松下電器)ですので、もしかしたら、関西特有かともおもったのですが。「エレックする」をGoogleで検索したら、95件ありました。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 23日 日曜日 7:10:33)


「エレックする」、なつかしいですね。

香川県の小学生だった1970年代の後半ごろ、松下電器の販売促進のための展示会を何度かのぞきに行きました。近所の電気屋さんが、ジュースのただ券みたいなのをくれて誘うのです。

「エレックさん」はそのころ発売された人気商品で、説明の人が「エレックする」を使っていましたっけ。ほかには、当時商品化されたばかりのホームビデオの「マックロード」(松下電器社史)も人気で、新しもの好きの父がまもなく購入しました。

ウェブで1977年のご自分の日記を公開されている方がいらして、6月18日に「今日〔森昌子の〕新しいエレックさんのCMを2度も見てしまった」とあります。

「チンする」については、佐竹秀雄氏がこちらで述べられていますね。



POP3 さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 23日 日曜日 9:49:37)


私は1977頃には名古屋周辺で暮らしておりましたが,「エレックする」を聞いた記憶はありません.CMで ♪エレックしてみませんか♪ と歌われていたような気はします.

道浦様> 別の所で私が書いた「Z旗」の件はまったくの思い違いでした.
ご本人が正確な追記をされているのにも気づかず,大変な失礼をして申し訳ありません.史実的にも,真珠湾は「DG旗」でありました.
他の方にもご迷惑をかけたので,しばらく自宅謹慎しております.


posted by 岡島昭浩 at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2001年12月20日

校長先生はok?(新参者1号です)


宛名書きで下記のうちどれが正しいのか教えてください。


1○○校長
2○○校長 様
3○○校長先生
4○○校長先生様

4はおかしいのはわかるのですが、
学生時代におそわったのは、1ですが
最近は2が多くて(私が目にする文書、(注)教員してます)
いろいろ調べたのですが、いまいち自信がもてません。

3もおかしいと思うのですが、小生の周りの日常会話では、校長先生・教頭先生とみんなよびます。文書の宛名書きでも3が多いです。
私も呼んでいます。

電話での応答では、「ただいま、校長は、留守です。」くらいは言ってますが・・・。

ちなみに、会場などで、紹介するときは、「○○校長」でいいのでしょうか。
最近は、「○○学校校長△△様」と、とてもていねいにあつかっておられる「会」もあるようです。
(それほどのものか?と思ってしまうのは私だけでしょうか)

ご教授よろしくお願いします。



岡島 昭浩 さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 21日 金曜日 15:17:48)


 申し訳ありませんが、この会議室では、「どれが正しいのか教える」というようなことはやっていないのです。

 「どれがよく使われるか」とか、「これを使うと不快に感じる人はどれぐらいいるだろうか、またその不快さはどのようなことか」などという問題であれば、話題として取り上げることもできるのですが。

 一般的な敬語のマニュアル本がどのような記述をしているか、それは著者によって、また発行年代によって違うのか、というようなことも興味を持ちますが、その結果によって、どの本はよくどの本は悪い、という判断を下さないのが、私の立場です。(単にマニュアルとしてでなく、分析をしようとしていると、そこによい悪いの違いが出ては来るのですが。

 そのようなことで、ご期待に添えるような書き込みは、私には出来ません。



通行人 さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 22日 土曜日 8:02:38)


一般論(もっとも私の主観かも知れませんが)として、宛名がきは、

1.は、つっけんどんな感じ。
2.は、先生様と同じで丁寧過ぎ。
4.は、過剰で論外。
結局、「校長先生」が最も違和感がありませんが、いかが?

また、他者への紹介や、電話での応答は新参者1号さんのとおり「校長は...」で異論はないと思います。



POP3 さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 22日 土曜日 9:27:46)


正しいかどうかはわかりませんが,私なら

△△学校校長(改行)
○○先生

とします.先日大学生に聞かれたときもそう答えたのですが,確信はありません.
「校長」の下につける言葉としては,「先生」も「様」もぴったりしないと感じます.
「机下」なんて使ったことの無い言葉も思い浮かびますが,もっと自信がありません.
私の感覚で申し上げたので新参者1号さんのご参考にはならないでしょうが.


話言葉ではいろいろ使い分けることになるでしょうね.三重県(北部)では,
その学校の職員が校外の人に応対する場合は「学校長」ということが多いようです.

話をずらしますが,昔,陸軍では二等兵は「連隊長殿」のように「殿」をつけて呼びかけていたのに対し,海軍では三等水兵でも「長官」のように呼んでいたそうです. さらに話をずらして,敬礼の仕方も陸海で違うと言うのは「いとし・こいし」の漫才ネタです.
と,また芸能方面に脱線したところで失礼します.



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 22日 土曜日 10:45:31)


新参者1号さんは、ご勤務先の校長先生にお出しになる年賀状の宛名書きに迷われているのでしょうか。

公的か私的か、自校の校長か他校の校長か、といったシチュエーションによっても変わってきそうです。

自校の校長に手紙を書いた例として、たとえば夏目漱石が松山中学校長(横地石太郎)に出した手紙はどうなっていたろうかと思い全集をみたところ、残念ながら表書きは敬称までは忠実に活字化されていないようです。本文では「横地様」とあります。

ちなみに、漱石が署名と宛名の書き方について野間真綱に説教している手紙があります(『漱石全集』第22巻 p.348。本文は縦書きですがそのまま横に。付表にはもともと罫線がありますが省略)

 人のところへ手紙をよこすに名宛人の名前丈をかいて自分は姓丈かくなんてえのは失敬だよ。自分の事は大抵の場合には(真綱)とばかりかいて姓もかゝないのが礼義である。先方を尊敬し様とする場合には向ふの姓丈かいて名を略す或は其人の号をかく。自分の号を書くのは矢張失礼になる

  第一号
  尊敬の場合
    一月四日
              真綱
  夏目様

  第二号
  同等の場合
    一月四日
              野間真綱
  夏目金之助様

  極懇意の場合又は目下へやる場合
    一月四日
              真綱
  金之助様

 是が昔しの礼義であります

先方の名はもちろん、差出人の名だけ書くのは、今の感覚には合わないようです。私ならば「夏目金之助様 野間真綱」か「夏目様 野間真綱」かのどちらか。

また私の場合、電子メールの冒頭で目上・目下を問わず
 1. 夏目様/野間真綱です。
 2. 夏目様/野間です。
 3. 夏目金之助様/野間真綱です。
 4. 夏目金之助様/野間です。
の4様に書いているようです(/は改行)。4の、名宛人の姓名をかいて、「自分は姓丈かく」のは漱石方式によればやや疑問かもしれません。これからは1〜3にしようかなと思っています。



豊島正之 さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 22日 土曜日 12:55:32)


>陸軍では二等兵は「連隊長殿」のように「殿」をつけて呼びかけていたのに対し

私も話をどんどんずらしますが、以前調べた処では、これには規定があります。

-----------------------------
軍隊内務令(軍令陸第16号、昭和18年8月11日、陸軍大臣東條英機名)
第三章「敬稱及稱呼」
第十三 下タル者上タル者ニ對シテハ直接ト間接トヲ問ハズ左ノ敬稱ヲ用フベシ

天皇 太皇太后 皇太后 皇后ニハ陛下
皇太子 皇太子妃 [中略] 王世子 王世子妃 公及公妃ニハ殿下
將官ニハ閣下
佐官以下ニハ殿

但シ己ノ隷下若クハ指揮下ニ屬セラレタル皇族王族及公族ニ對シテハ
勤務上ニ限リ又上級先任者ニ對シ其ノ人ヨリ下級新任者ヲ稱呼スルトキ
並ニ勤務上ニ於テ間接ニ上級先任者ヲ稱呼スルトキハ敬稱ヲ省クコトヲ得
---------------------------------

この規定は敬称を省く事を許しているだけですが、用言敬語も省く解釈も
あったようです。尚、「但シ」以下は、「軍隊内務令」初版(明治21(1888)
陸達第百九十七号、陸軍大臣伯爵大山巖名)にはありません。



道浦俊彦 さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 22日 土曜日 16:53:07)


年賀状であるならば「様」か「先生」でいいのではないでしょうか?

例えば勤務先の上司に年賀状を出す時に宛名に「○○部長」とか「○○専務」「○○社長」と書いて出すことはないでしょう?

個人的には、基本的には、恩師には「先生」、そのほかは「様」で出していますね。

仕事で書くときには、肩書きを右上にして(縦書きの場合)、やはり「○○様」が多いです。
「校長」は敬称ではなく「役職」「肩書き」では?

個人的には、「先生」のほうが「様」より敬意が高いと思っています。
参考になりましたでしょうか?



新参者1号 さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 29日 土曜日 0:38:08)


いろいろとありがとうございます。
宛名に関しては、私なりに納得しました。
校長は、役職という考え方が説得力を持って私の胸に飛び込んできました。
司会の席上
○○中学校(校)長
△△先生
という紹介がいいように思えました。

実は、ある大会の司会をしたとき△△校長と紹介したわけです。が、
頭では、これが教わった(昔)正しいやり方で、
今は、「△△校長先生」と
なんかおかしいのがまかり通っているのだ。と頭で思って、
心では、みんな言っているんだからこれでもいいのでは?
ということが自分の中にあり 
すっきりしなかったのです。

他のHPで、敬語に関しては、決まりはない50%以上の人が使用するようになればそれはそれで正しい。などというものに出くわしたりして、自分なりにすっきりすればいいということを教えていただいたように思います。
ありがとうございました。


posted by 岡島昭浩 at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2001年12月11日

幼児語について(荻野)


はじめまして、今度ゼミの研究で幼児語について調べる事になったのですがそれを
専門的にとり扱った本やホームページがなかなか見つからず困っています。
もしそのような本やホームページに心当たりがある方がおられるなら教えてもらいたいです。また、幼児語に関して、なんでもいいのでなにか情報を持っておられる方はぜひ教えてください。幼児語を聞いていて思った事や、幼児語の方言など何でもいいです。よろしくお願いします。



岡島 昭浩 さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 11日 火曜日 12:28:53)


 専門的に扱った書籍ならたくさんありますよ。教育学や心理学の面からのものも含めるともう大変です。

 あなたのゼミはどんなゼミなのでしょうか。

 まずは、以下のページで、「キーワード」に「児童語」と入れて検索してみてください(「幼児語」より「児童語」の方がたくさんひっかり、「幼児語」の内容も含まれているから)。

nacsis webcat



荻野 さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 12日 水曜日 14:56:26)


私が所属しているゼミは「ことば」の研究をしています。
早速「児童語」で検索してみたいと思います。
ありがとうございました。


posted by 岡島昭浩 at 09:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2001年12月09日

「ひらべったい」の「べっ」(天野修治)


皆さん、こんにちは。
「重たい」「眠たい」の「たい」は、名詞・動詞連用形などに付けて形容詞をつくる接尾語で、「いたし」(痛し・甚し)から来ているようです。
それでは、「ひらべったい」の「べっ」、「厚ぼったい」「腫れぼったい」の「ぼっ」はどこから来ているのだろうか(あるいは「べったい」「ぼったい」で捉えるべきか)、という疑問が涌いてきました。皆さんのお知恵を拝借できれば有り難いです。
(バルセロナから)



天野 さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 09日 日曜日 10:25:25)


自分で提起した疑問ですが、考えが浮かんだので書き込んでおきます。

「ひらべったい」については、文語では「ひらぶ」(四段)「ひらむ」(四段、下二段)という動詞があるので、例えば、下二段活用の「ひらむ」の連用形「ひらめ」+「いたし」から変形して「ひらめったい」→「ひらべったい」になった、と考えることもできます。

しかし「あつぼったい」や「はれぼったい」では、「ひらべったい」の「ひらむ」に相当する動詞が存在したのか確認できていません(「集む」なら存在するが)。

すると、「ひらべったい」は「動詞+たい」で「あつぼったい」「はれぼったい」は「名詞+ぼったい」と考えた方がいいのかもしれません。この推論でも「ぼったい」の正体が不明です。

上記の推論の是非も含めて、やはり、皆さんのご意見を窺いたいと思います。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 09日 日曜日 18:40:11)


『日本国語大辞典』にはほかに「薄べったい」「暗ぼったい」「安ぼったい」などがあります。「べったい」は載っていず、「ぼったい」を引くと、「いかにもそういう状態である、そういう感じである」ということで、静岡県では接尾語として「暗ぼったい」「荒ぼったい」「湿りぼったい」「濡れぼったい」などと使われるようです。

「薄っぺらい」「甘っちょろい」といった造語法とも関係があるでしょうか。「ぼったい」「ぺらい」「ちょろい」は「ぼたぼた」「ぺらぺら」「ちょろちょろ」を連想しますが、「べったい」は「べたべた」と関係があるか、どうか。



岡島 昭浩 さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 11日 火曜日 12:15:59)


「ったい」というと、他に「くすぐったい」「くちはばったい」「やぼったい」「じれったい」。最近のものでは「うざったい」

 「っこい」「っぽい」ほどの力はなさそうですね。

 さて、「ひらたい」というのがありますが、「ひらったい」ということもあるのでしょうね。江戸っ子の場合。おや日本国語大辞典初版は「ひらたい」の訛に「ヒラバッタェ・ヒラベクタイ・ヒラペタイ」などを載せてますね。

 「べたべた」よりも「べた」を思い出します。
べた・扁平足(広島)
べたこい・扁平である(大阪・西宮)
「ベた焼き」などの「べた」から派生したものかと思いますから、「べたべた」とも関係するのですが。

島田泰子さんなどが研究していそうな気もします。下のページには「たらしい」の論文は載っていませんが。

#以上の書き込みはベータ版ということで。

島田泰子さん



天野修治 さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 12日 水曜日 8:59:35)


Yeemar さん、岡島さん、貴重な情報を有り難うございます。
ご指摘のように「べったい」は「べた」「べたべた」の音の響きに何か関係があるかもしれないですね。
もう一つ私の思い付きなのですが、「平平(ひらべい)たい」→「ひらべったい」
「厚重(あつおも)たい」「腫れ重(はれおも)たい」→「あつぼったい」「はれぼったい」
というのは奇策に過ぎるでしょうか?



岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 08日 土曜日 22:12:12)

 松尾捨治郎「近世口語一斑」(国学院雑誌S2-10)に、「六あみだ詣上」の「へらへいとう」を引いて、

「へら」は平で「へいとう」は平等であらう。「ひらびったい」「ひらべったい」といふ語も同語源かと思はれる。としているのを見つけました。


 また『語文』69(大阪大学1997)に館谷笑子「接尾語タシの成立過程―タシ型形容詞の考察から」という論文があるのに気付きましたが、まだ見ていません。


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2001年11月27日

招かれざる客・招かざる客(道浦俊彦)


和歌山県の宇久井漁港で、「コモンフグ」という猛毒で食用にならないフグが豊漁で、困っているというニュースがありました。
この原稿の中で、「漁師さんは、”招かれざる客”に頭を痛めています。」という文章があったのですが、この場合、漁師さんを主語に立てたのなら「招かれざる客」ではなく「招かざる客」ではないのでしょうか?
YAHOOで検索したところ、「招かれざる客」は4690件、「招かざる客」は1550件ありました。元の形は「招かれざる客」だと思いますが、この場合、「れ」は「受け身」ですよね?そうすると、「漁師が主人」で「フグが客」とすると、「れ」を使った言葉を「言える」のは客の「フグ」か、若しくは第三者ということにはならないのでしょうか?
いかがでしょうか?



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2001年 11月 27日 火曜日 23:57:40)


「A先生は、授業中に指名されない生徒が退屈しないように、まんべんなく質問を発する」

という文を作ってみましたが、いかがでしょう。「指名しない生徒が……」も、両方とも成立します。

「招かれざる客に頭を痛める」は、「自分(漁師)によって招かれざるところの客」と解され、また、「招かざる客に頭を痛める」は、「自分(漁師)が招かざるところの客」というふうに解されます。


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