2005年10月18日

なまり亭

最近、日本語関連番組がたいへん多く、とても追跡しきれません。「朝日新聞」2005.10.13 p.11に、「テレビでも「日本語ブーム」 今月から5番組 コントや方言で独自色 特番から続々昇格」(葉山梢記者)という記事が出ているとおりです。

この記事にもある「マシューズベストヒットTVプラス」のメーンコーナー「なまり亭」(火曜日19:00放送)も、もとは特別番組だった模様。この6月に放送された番組のメモを摘記しておきます。

呼び物は「なまり禁止タイム」のゲームです。「方言が出たら罰金」という決まりは、「方言札」の思想を連想させ、好きになれません。だいいち、罰金を取られないようにしようとすれば、共通語で話すことになってしまいます。そうではなく、「方言名人こそが高額賞金を獲得する」というほうが、おもしろいと思うのですが、いかがでしょう。もっとも、結果として、視聴者は方言を楽しんでいるのだとすると、へんな気分です。

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2005.06.30 テレビ朝日
●「マシューズベストヒットTV・日本全国 なまり頂上決戦! 芸能人が方言丸出しだべさSP」

〔出演〕
福岡・陣内孝則/富山・柴田理恵/山口・芳本美代子/広島・アンガールズ/岐阜・熊田曜子/鹿児島・はしのえみ/なまり判定員・金田一秀穂

〔オープニング字幕スーパーより〕
・なまり亭とは
地方出身芸能人がお国言葉でくつろぎ郷土料理を食べられる憩いの場
しかし なまり亭には なまり禁止ゲームが設けられている
なまり禁止ゲーム中になまりを出してしまうと罰金を取られる
今回は団体戦で戦い 最終的になまり数の多いチームが高額な罰金を支払う事になる

〔「なまり禁止タイム」のゲーム〕
*共通語に直しそこない「なまり」が出ると、金田一氏がベルを鳴らし減点

(1)同時翻訳 共通語に直しなさい!
(広島弁)「道を歩きょーったら、溝に500円落としてしもーて とろう思うて手ぇ伸ばしたら、たわんかったけえ、どがんしょーかぁ思うとったら 友達が来たけえ、「手伝うてくれーや」言うたら 「たいぎいのう。わしもういぬらにゃあいけんのんじゃ」と言うて帰るけぇ ほんまぶちはがえかったわぁ」
(山口弁)「「あんたねー、部屋をそねーよごしちょったら、部屋の中のもん、かたっぱしから、さですてるよ!」って言われたけ〜、片付けしよったそ。へたら、うちの足元で、ぶちおっきぃあぶらむしが ゴソゴソいごいちょったけ〜、ぶちたまげてしもーて、こけた拍子にイスをめいでしもうたそ。」

(2)連呼翻訳 3回目はダメよ!
・方言を2回くり返し 3回目は共通語に翻訳!
(鹿児島弁)「ひったまがったぁ〔びっくりした〕/まっこてげんね〔本当にかわいそう〕/ちょっしもたぁ!〔しまった!〕/てげてげでよかが〔適当で良いよ〕/やっせんがぁ〜?〔ダメだねぇ〕/よかにせだね〔カッコイイなあ〕」
(富山弁)「けなるいねぇ〔羨ましいですね〕/おっちんしられんか!〔正座しなさい〕/なにへぼつけとんがけ〔何 因縁をつけるのか〕/だらんないがけ〔バカじゃないの〕/こんとくない!〔生意気ですね〕」

(3)思いっきりなまり電話
・故郷の家族や知人と共通語でトーク!
〔以上〕

その他
・「県民の主張」で広島出身のアンガールズが、広島のもやしを持って「匂うてみいよ、もやしの匂いがすげえするし」

・室井滋(富山県出身)の応援メッセージが流暢でよかった。「テレビ見とられる全国の皆さん こんにちは 私ね 柴田理恵ちゃんと同じ出身の 富山県ながいちゃ けっこう富山の事を色々もっとね 注目して欲しいんやけど まぁなんか 私達の県て ちょっと地味なイメージなんやけども 私とアンタ〔柴田〕とで これからも頑張っていかんまいけね〔下略〕」――こうして書いてみると、語尾とアクセント以外は、共通語であることに気づきます。
posted by Yeemar at 18:07| Comment(1) | TrackBack(0) | 放送記録および予定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月17日

つい読んでしまっていた

【32】
つい読んでしまっていた
 岡島昭浩
 - 04/4/29(木) 12:18 -
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「つい読んでしまう」
を継承するものです。

学部生時代に大学院の受験勉強をしていた時には、「てにをは義慣鈔」を「てにをは義憤鈔」だと思っていました。なんだか義憤にかられて書いた書だと思ったわけです。
院生になり、序文を読んで、この「義慣」が古今集真名序の「語近人耳、義慣神明」によるものだと書いてあることにより、間違いに気付いたのでした。

外題学問ではいかん、ということですね。

真名序は、
http://www5a.biglobe.ne.jp/~pinewell/waka/kokin/k_manajo.html
ここにありましたが、他にもありそうに思います。
ただ、古今集の歌だけとかは多くても、真名序はあまりなさそう。
(国文学研究資料館にはありますが、自由なデータではないので)



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読み方が分からない漢字表記の語 #

【91】
読み方が分からない漢字表記の語 #
 Yeemar
 - 04/5/21(金) 6:31 -
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読み方が分からない漢字表記の語
の続きです。
鹿児島の芋焼酎の逸品アサヒ(日當山{ひなたやま}醸造)は朝日の如くさわやかに≠フ心でつくる。県産のさつまいも「黄金千貫」を霧島山系の湧水で仕込み、常圧蒸留。芋香ほのかな美味。(『週刊新潮』2004.05.06・13 p.129)
「いもか」だろうと思いますが、分かりません。「うこう」ではなさそうです。

「香」は造語成分になれば「芳香」「薫香」のように「コウ」の読みで使われますが、「か」はあり得るものでしょうか。たとえば、イチゴの香りは「いちごか」(苺香)と言って分かるか。こういう場合は一語化せずに「イチゴの香り」というはず。「いもの香り」は「いもの香り」というしかないと思いますが、ウェブ上ではまま使われています(100件程度)。

「臭」は「シュウ」の読みで「カルキ臭」「学者臭」などとさかんに語を作ります。しかしこれは悪いにおいのほう。「香」に同様の造語力はなさそう。



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若い人のことば #

【285】
若い人のことば #
 Yeemar
 - 04/8/8(日) 15:31 -
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若い人のことば
を継承するものです。

■なるほどですね
最近、たてつづけに耳にしました。職種の異なる男性と女性から。どちらも推定20代後半〜30代。うなずくときに「ああ、なるほどですねー」「なるほどですね、なるほどですね」と言う。

「ですね」は間投助詞的な語です。「だからですね、もう少しですね、はっきりとですね、回答をですね、しなければですね」と、文節のおわりなら何でもつきます。ところが、感動詞にはつかない。「はいですね、わかりました」「よしですね、やりましょう」などとは言わない。なぜなら、感動詞と間投助詞とは役目がほぼ同じだから、感動詞に屋上屋を架すようにして間投助詞をつける必要はない。

ところで、「なるほど」は感動詞です。感動詞に間投助詞的な語がついている。それで注意を引くのでしょう。似たような例として「あのですね」「ええとですね」があります。これもむかしはへんだったのでしょう。



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この人が作った ##

【82】
この人が作った ##
 Yeemar
 - 04/5/19(水) 16:54 -
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この人が作ったの続き。
わたしが作ったの姉妹編。
肩がこる」という表現を初めて使ったのはだれか。
答え、夏目漱石。
「門」に「指で圧して見ると、頸と肩の継目の少し脊中へ寄った局部が、石の様に凝っていた」。
ちなみに、この「肩がこる」という表現は昭和になって庶民に広まったと言われる。〔以上要約〕
(NHK「ためしてガッテン・指圧!3つのお願い」2004.05.18 深夜2:35放送=2004.05.12の再放送)
これはクイズで、「森鴎外・夏目漱石・樋口一葉・二葉亭四迷」の中から選ぶのでした。おそらく『日本国語大辞典』の用例にあるところから、このようなクイズができたのでしょうが、『日本国語大辞典』の使い方を間違っているというべきものです。



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近刊『日本語源大辞典』(小学館)

【641】
近刊『日本語源大辞典』(小学館)
 岡島昭浩
 - 05/1/6(木) 2:44 -
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2月25日ごろ刊行予定。定価6000円+税。A5判 1282ページ。ISBN 4-09-501181-5
「日本語の語源に関する古来の諸説を集大成した日本最大の語源辞典」で、「約6000語をおさめる」とのこと。



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みなれないヘビが横たわっている

【1067】
みなれないヘビが横たわっている
 みさお
 - 05/10/7(金) 6:50 -
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各地で大型のへびが発見されるニュースが続いています。「みなれないヘビが横たわっていると市民が通報」とめざましテレビ(フジテレビ、10月8日午前6:35ころ)のニュースで報じていました。
でも「みなれないヘビ」って変な気がしました。発見されたのはニシキヘビ。見慣れないというか「動物園でしかみたこともないようなヘビ」というのが実際のところだと思うのですが、「みなれない」ってどの程度の「みなれなさ」に使用したらよいのでしょうか?



【1068】
Re:みなれないヘビが横たわっている
 道浦俊彦
 - 05/10/7(金) 8:13 -
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たしかに・・・。
「見慣れない〜」は、その「もの」や「動物」自体は「見慣れているもの」(たとえば犬や猫、人間、自動車など)だが、こと、固有のその「もの」に限ると、特徴などから「見た覚えがない、見慣れない」というふうに使うのでしょう。
だから「見慣れない犬、ネコ人、クルマ」などはOKです。

ところが、「ヘビ」はふだんから身の回りでごく普通に眼にするものではない(都会ににおいては)だけに、「見慣れない」は使えないのではないでしょうか?

一方「見たこともない」は、これまでの人生において視覚的に経験したことがない、ということで、「見たこともない犬、ネコ、クルマ」は、それまでに見たことがある犬やネコやクルマの概念を越えているということでしょう。
この場合の「ヘビ」も、動物園では見たことがあっても、街中での概念は超えているということであれば「見たこともないヘビ」と使えるのではないでしょうか。



【1069】
10月7日の間違いでした
 みさお
 - 05/10/7(金) 17:42 -
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10月8日と書きましたが7日(金)の誤りです。
訂正いたします。


ひとり旅

【1056】
ひとり旅
 道浦俊彦
 - 05/9/29(木) 22:06 -
----
マラソンでトップ独走することや、転じてプロ野球などリーグ戦で他チームを圧倒的に引き離してトップをゆくこと、逆に引き離されて最下位をゆくことを、

「ひとり旅」

という表現を耳にしますが、なぜ「旅」なのでしょうか?
マラソンは「道行き」なので「旅」、野球の場合はペナントレースがリーグ戦で長いので、「旅」のように感じられるから?などとも考えられますが。

いつごろからこのような言い方をするようになったのでしょうか?



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「しか…ない」

【1058】
「しか…ない」
 MM
 - 05/10/1(土) 15:35 -
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はじめまして。検索で漂着しましてから興味深く読ませていただいております。

いきなりの質問で恐縮ですが、以下の二つの文章の違いが気になっています。

「わかる人にしかわからない」
「わからない人にはわからない」

両者の意味するところは同じだと言ってよいと思うのですが、
それぞれの述語の「わからない」は文法的にも同じなのでしょうか?
また、前者の「主語」は何だと考えればよいのでしょうか?



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幼貝

【1062】
幼貝
 道浦俊彦
 - 05/10/3(月) 18:41 -
----
9月23日朝日新聞のサイトで、
「北海道厚岸町の特産かき”カキえもん”の『幼貝』が暑さにやられた」
という記事が載っていました。「稚貝」は「チガイ」で種苗にあたるそうですが、この「幼貝」はなんと読むのでしょうか?「ようがい」?それとも「ようばい」でしょうか?


こがわ(小川)

【1054】
こがわ(小川)
 Yeemar
 - 05/9/28(水) 20:44 -
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金田一春彦・安西愛子編『日本の唱歌 中』(講談社文庫)p.50所収、「故郷を離るる歌」(吉丸一昌訳詞、大正2年)の2番に「小鮒{こぶな}釣りし小川{こがわ}よ、柳の土手よ。」という歌詞があり、解説に
第二節の第二行「小川」に「こがは」と仮名が振ってあるのは不審。「をがは」の間違いではないか。一般には「をがは」と読まれていた。
とあります。こういう箇所は金田一氏が書いたのではないでしょうか。

ところで、『国定読本』巻三(第1期2年上、1904〈明治37〉年から使用)には「コガハ」という唱歌が載っており、
イヘ ノ マヘ ヲバ
ナガレル コガハ。
とあります。「こがは」は間違いではなさそうです。

そう思って『日本国語大辞典』を見ると、当然というか、「こがわ」は載っていました。日葡辞書や、この読本のこの歌の直前の文章などが出ています。唱歌の解説文の「間違いではないか」というのは、軽い気持ちで書いたのでしょうか。



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ぽち #

【1053】
ぽち #
 Yeemar
 - 05/9/28(水) 20:18 -
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ぽち
の続きです。

故團伊玖磨氏が健在のころ、テレビ(1997年)で「かめかめ、来い来い、まま食わしょ」という歌があることを口頭で紹介していました。それはいったい何の歌なのか、分かりませんでした。

『小学唱歌』(明治25年3月12日印行、3月14日出板)には、「ゑのころ」という歌が載っており、
ゑのころ
こいこい
ままくは
せう
とあります(『日本教科書大系 近代編5 唱歌』)。

作曲は伊沢修二で、「童謡 同人改作」とあります。伊沢修二が詞をいじっているのかどうか、わかりません。「かめかめ」が「ゑのころ」になったのか、その逆か、「かめかめ・ゑのころ」に共通祖先があるのか。


真逆

【1050】
真逆
 道浦俊彦
 - 05/9/27(火) 23:00 -
----
「真逆」という言葉は、まだ辞書には載っていないのではないかと思いますが、いつごろ、どういうところから発生したのでしょうか?
議論や会議で相手の発言を封じつつ、注目を集めて発言機会を得るための言葉のように思うのですが。単に「逆」と言うよりも強調しているわけですよね。評論家の宮崎哲弥さんあたりが使っているような気がしますが。どうでしょうか?



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ぜんぜん大丈夫? #

【1049】
ぜんぜん大丈夫? #
 Yeemar
 - 05/9/20(火) 2:00 -
----
ぜんぜん大丈夫?
の続きです。

「全然」のあとには、むかしから、肯定も否定も来ることが出来た、というのは今や定説であろうと思います。放送などでも耳にします。最近では、「全然可愛い」は、単なる肯定ではないということも指摘されています。つまり、「あなたは自分では可愛くないと思うかもしれないが、そんなことは全然ない、可愛いのである」という語感、いわば、広義の否定表現に変わりないというわけです。

研究上、なぞとされているのは、昔から肯定・否定形の両方があるにもかかわらず、なぜ「全然〜肯定」の形が批判の対象になったのか、ということ、また、批判されるようになったのはいつごろからか、ということであろうと思います。これについては、いくつか説が出されているものの、まだ霧がはれたとは行かないようです。

それに関連して――石坂洋次郎『青い山脈』〔1947年発表〕に、こういう部分があります(手元の新潮文庫 昭和43年1月47刷改版 昭和62年10月87刷では p.292)。
全然同意ですな」
 沼田は変な軍隊用語で、ポカンと気が抜けたように答えた。
石坂洋次郎は、「全然同意」というこの言い方に、1947年当時、「変な」という語感、かつまた、「軍隊用語」だという認識を持っていたことが分かります。おもしろい例だと思います。


「ぬ」と「ない」

【1021】
「ぬ」と「ない」
 Yeemar
 - 05/9/5(月) 12:04 -
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本棚の筒井康隆『旅のラゴス』(新潮文庫)を久し振りに手にとってみると、1箇所、ページに折り目がついていました。何のつもりで折ったのだっけと思ってよく読むと、
城壁はほんの二間余の高さしかなく上部の幅も三、四尺であり石火箭が設置されると通行不能になるという不便な代物{しろもの}で、半日の守備さえおぼつかぬように見えた。(p.77)
とありました。

「おぼつかぬ」「やるせぬ」等、「ぬ」「ない」の混乱の例を集めたスレッドがあったような気がしましたが、ありませんでしたので、新設しました。

「かたじけぬ」の幽霊例はこちらに書きました。「かたじけぬ」は、ウェブでは若干の例が拾われますが、まだ放送や活字では出会いません。



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タモリのジャポニカロゴス 第3弾

【1047】
タモリのジャポニカロゴス 第3弾
 NISHIO
 - 05/9/17(土) 3:51 -
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1月・4月に続く、第3弾です。
タモリのジャポニカロゴス
 2005年9月21日(水) 19:00〜21:09 フジテレビ系
 →http://www.fujitv.co.jp/b_hp/japonica/
(続いて21:15〜22:24は「トリビアの泉スペシャル」、微妙に拡大版)

また、来月から深夜枠のレギュラー番組になるそうです。
2005年10月11日(火)スタート 毎週火曜23:00〜23:30
 →http://www.fujitv.co.jp/tokuhen/05aut_new/b_hp/logos.html
 →http://www.ktv.co.jp/autumn2005/va_tu2300.html

フジテレビ深夜黄金伝説」に新たな1ページが書き加わるか!?
仲谷昇教授の「カノッサの屈辱」、近藤サトアナウンサーの「音楽の正体」などが
印象に残っています。「たほいや」はほとんど見ず。


水菓子

【881】
水菓子
 道浦俊彦
 - 05/6/9(木) 12:35 -
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本来は「果物」のことを指す「水菓子」ですが、最近は「水羊羹」などのお菓子にも使われているので、 それは誤用・・・とされていますが、
先日行った京都の「京菓子資料館」にあった、江戸時代の『御蒸菓子図案帳』という本に、

「御水菓子」

という項目があるのを見つけました。そこには「定家餅」「水仙粽」といったお菓子がイラストとともに載っていました。
とすると、江戸時代から、水羊羹のような菓子のことを「水菓子」と呼んでいたのではないでしょうか?専門用語としてかもしれませんが。
少なくとも「果物」ではない和菓子のことを「水菓子」と呼ぶことはあった、ということですね。

こうなると、あながち「誤用」とは言えないのではないでしょうか?
いかがでしょうか??



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自転車を漕ぐ

【1030】
自転車を漕ぐ
 Yeemar
 - 05/9/11(日) 19:11 -
----
自転車を漕ぐという言い方がおかしいという子を詠んだ短歌。その子は「自転車」は「乗る」とか「運転する」とかいうわけでしょうか。
自転車を漕ぐといふ歌句{かく}を子らわらふ辞書を示せばこれをしも嗤{わら}ふ
〔『含紅集』の「昭和三十三年」の章、『日本詩人全集29』(新潮社)p.41による〕




【1033】
Re:自転車を漕ぐ
 NISHIO
 - 05/9/12(月) 6:27 -
----
▼Yeemarさん:
>「自転車」は「乗る」とか「運転する」とかいうわけでしょうか。


より厳密には、「自転車に乗ってペダルを漕ぐ」でしょうね。

自転車を舟と同じく「漕ぐ」というに至った経緯に興味があります。
ペダルを櫓に見立てたのか、乗ったまま人力(脚力)で推進する共通点からか。
そういえばブランコも「漕ぐ」といいます。

# 名古屋あたりでは「けったくる」。



【1034】
Re:自転車を漕ぐ
 岡島昭浩
 - 05/9/12(月) 14:03 -
----
名古屋で自転車を「ケッタ」というのが理解できない、というような質問から学生さんから出て、次のように答えた記録が、たまたま残っていました。

Q:名古屋の自転車:ケッタ。「蹴る」と自転車が結びつかない。
A:自転車を「こぐ」行為は、船を漕ぐのとは全く違う動きですが、自転車が出来るまではなかった動作を、〈乗り物を前に進める〉という共通点から、「こぐ」という動詞を使って表しているわけでしょう。それに対して「ける」は、〈足を使ってものを前に進める〉という共通点で、その動詞を採用したのでしょう。「自転車をふむ」と言っている地方もあったかと思います。(なお、日本に入ってきた自転車は、足で地面を蹴って進むもの(ドライジーネ)ではなく、ペダルが付いていたものだったと思われます。佐野裕二『自転車の文化史』中公文庫)


「自転車をふむ」は、今調べると次のページにありました。熊本日日新聞に載ったそうです。http://www1.ocn.ne.jp/~haibis/douwa.htm
五分ほど行くと、あのいやな上り坂にさしかかりました。自転車をふむのはつらいので、そこだけは歩いて進みます。




【1035】
Re:自転車を漕ぐ
 NISHIO
 - 05/9/13(火) 4:21 -
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▼岡島昭浩さん:
>自転車が出来るまではなかった動作を、〈乗り物を前に進める〉という共通点から、「こぐ」という動詞を使って表しているわけでしょう。


御教示ありがとうございます。なるほど納得できました。

日本に初めて入ってきた自転車の推進方式は、「自転車文化センター」のサイトの図版や説明には明記されていません。

>「自転車をふむ」は、今調べると次のページにありました。


「自転車をふむ」はまさか存在しないだろうと思っていました。意外です。
  ○櫓を漕ぐ ⇔ ○ペダルを漕ぐ ⇔ ○ペダルを踏む
  ○舟を漕ぐ ⇔ ○自転車を漕ぐ ⇔ △自転車を踏む

漢字表記の「自転車を踏む」は、84件ほど見つかりました。
中にこんなのもありました。札幌方言「こぐ」の標準語訳が「踏む」だそうで…。
http://sapporo.client.jp/kotoba/k.htm
リンク先が開けないので、キャッシュから拾って引用します。
こぐ
【意味】(1)踏み分ける (2)踏む
【用例】(1)雪をこいでこ。 (2)自転車をこぐ。
【標準語訳】(1)雪を踏み分けて行きましょう。 (2)自転車を踏む。
【解説】「こぐ」も「投げる」と同様に、言葉が広い意味で用いられるようになった例の一つである。本来、「こぐ」は「漕ぐ」で舟を漕ぐものであっただろう。その海をまっすぐに進む様子から「雪を漕ぐ」用例が生まれたものだろうか。「雪漕ぎ」といった名詞もある。同様の使い方は、青森、秋田、岩手、宮城、新潟などでもみられる。




【1038】
Re:自転車を漕ぐ
 岡島昭浩
 - 05/9/13(火) 10:19 -
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ブランコのことを考えると、〈体の動きで、乗り物を動かす〉と言ったことでしょうか。

「踏む」については、「ける」の意味で「ふむ」を使う方言もあり(柴田武『生きている日本語』など)、それとの関連も考えねばなりますまいが、「自転車をふむ」は、もっと広そうですね。

明治には、「自転車を駆る」という言い方もあったようです。これは「馬を駆る」からの転用でしょう。
もし自転車を駆り、または扁舟に棹さして、遠近の地方を探《さぐ》らば、さらにいっそう懐古《かいこ》の情を動かすに足るものあらん
『田園都市と日本人』講談社学術文庫p300

〔明治27年2月17日 東京日日〕
 第三回自転車郊遊 日本輪友会にては、明十八日を期して、亀井戸、本下川、向島等の各地へ自転車を駈り、会員の観梅野乗りを試むる由にて、当日午前十時までに神田区錦町の吉村方に待ち合わする予定なりと。
『明治ニュース事典5』毎日コミュニケーションズ



【1039】
自転車を……
 岡島昭浩
 - 05/9/13(火) 11:19 -
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これは、東京でしょう。ちょっとびっくり。
恋人どうしなのだろうか、楽しげに語らいながら自転車を踏む若い二人が、われわれの車を追い抜いていった。
(星新一「生活維持省」『ボッコちゃん』)
父親の星一は福島出身だったと思いますが。


 新たに気になったこと。

自転車に乗らずに、自転車と共に歩くことを、「自転車を押す」とも「自転車を引く」ともいう。体の横に置いて共に進行するわけですから、押すとも引くとも言えそうです。私の意識ではハンドル部分を押すように動かしているように思いますが、軽めの自転車であれば引くこともあるようにも思います。

牛馬は押すものではなく引くものですから、それとの連想もありそうです。



【1040】
Re:自転車を「ころがす」
 Yeemar
 - 05/9/13(火) 20:16 -
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冒頭発言の歌集『含紅集』はだれの作か、このスレッドに記すのを忘れました。吉野秀雄です。

▼岡島昭浩さん:
>自転車に乗らずに、自転車と共に歩くことを、「自転車を押す」とも「自転車を引く」ともいう。


私は「自転車をころがす」と言います。

ところが、周囲に聞いてみると、「ころがす」というのは「のる」ということであって、「単車をころがす」といえば「単車に乗る」ということだそうです。

私が日本語を習ったのは主に母からですから、母に電話して確認してみますと、「自転車をころがす」というのは、自転車と共に歩くことであると、自信を持って言明していました。父は、自転車に乗ることであろうと言いました。父は香川県出身、母は埼玉県出身であります。



【1042】
Re:自転車を漕ぐ
 UEJ
 - 05/9/13(火) 23:05 -
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> 本来、「こぐ」は「漕ぐ」で舟を漕ぐものであっただろう。
> その海をまっすぐに進む様子から「雪を漕ぐ」用例が生まれたものだろうか。
> 「雪漕ぎ」といった名詞もある。


山用語で「藪漕ぎ(やぶこぎ)」というのもあります(広辞苑にも載っていた!)。
これなどまさに「藪の海を進む」という感じが出ている言葉ですね。



【1043】
Re:自転車を「ころがす」
 岡島昭浩
 - 05/9/15(木) 0:42 -
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▼Yeemarさん:
>ところが、周囲に聞いてみると、「ころがす」というのは「のる」ということであって、「単車をころがす」といえば「単車に乗る」ということだそうです。


「チャリンコ転がして行った」と、さだまさしが「木根川橋」で歌っていましたね。
これは、乗って行くのだろうと理解していました。

自転車はそれしか知りませんが、車ならあります。

『現代日本語用例集』に「車を転がす」があるようなのですが、行方不明。

新潮のCD-rom関係では、井上ひさし『下駄の上の卵』「院長なぞ東京まで車をころがしてたっぷり別れを惜しむことができたのだからまだいい。」、曾野綾子『太郎物語』「お父さんは、これから、うちまで車を転がして帰るという大事業が残ってる」

他に、
高樹のぶ子『百年の預言』 第172回 解かれる謎(32)「真賀木は女の指示どおりに、車を転がして来たのだ。」

宮部みゆき『我らが隣人の犯罪』文春文庫
p168 車を転がして遠出する

といったところ。

新明解の五版で、
〔広義では、自動車を運転することや、物事を ひとまず先へ進めることをも指す。例、「車を転がして来る/一転がし転がしておいて」〕
とあるんですね。



【1045】
Re:自転車を漕ぐ
 道浦俊彦
 - 05/9/15(木) 10:02 -
----
関連ですが、以前「平成ことば事情1178」で、「自転車を押す・引く」と題して、こんなの書きました。
*************************************
新聞用語懇談会放送分科会でご一緒させていただいているS放送のIさんから質問のメールがきました。
「先日ローカルニュースで自転車の人がひき逃げされる事件がありました。その原稿で、『被害者は路側帯を、自転車を引いて歩いていたところ』という表現があったのですが、『自転車は「引く」ではなく「押す」ではないか?』という疑問が出ました。重さで判断して『オートバイは「押す」、自転車は「引く」』という人もいました。自転車の場合はどちらなんでしょうか?」
というものでした。ははあ、なるほど。私は個人的には「自転車を押す」ですね。「引く」とは言わないな。とりあえず、いつものようにインターネット検索のgoogleで調べました。
「自転車を押す」=759件
「自転車を引く」=  98件       (2003年5月13日調べ)
で、やはり私と同じ感覚の方の方が多いようです。7:1くらいで「押す」人の方が多いようです。
「自転車を引く」を使っている人を見てみると(全部ではないですが)、長野県、山梨県の人が使っているようです。もしかしたら方言かも?
NHK放送文化研究所の塩田さんにメールしたところ、
「個人的な感覚としては、上り坂でこげなくなった自転車には『押す』を使う気がする。『引く』は『押す』よりも、『力を込めて』というニュアンスがないように感じる。私としては『自転車を引く』は言わないと思う」
というメールが返ってきました。
他のもの、例えば、「大八車」は「引く」ですね。「手押し車」は、文字どおり「押す」です。そこから考えると、自転車のハンドルとその人の位置関係が問題になってくるのではないでしょうか。ハンドルより前にいれば「引く」、ハンドルより後ろにいれば「押す」。これでどうでしょうか?普通はハンドルより後ろにいるでしょうから、「押す」を使う人の方が多いのではないでしょうか。「引く」を使う人は、位置は関係なしに、「動力としての人」が、自分だけでは動かない自転車を「牽引」している、というふうに考えているのではないでしょうか。
皆さん、ご意見お待ちしていまーす!!
2003/5/18


我事におゐて

【1044】
我事におゐて
 Yeemar
 - 05/9/15(木) 2:52 -
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宮本武蔵が書き残した箇条書きの文章「独行道」の中に
「一 我事におゐて後悔をせす」
という一箇条があります(熊本県立美術館蔵、正保2年、こちらで画像検索可能)。

これは、岩波文庫『五輪書』の「独行道」(p.165)では「我{われ}事におゐて後悔をせず。」とルビが振られています。

私は「我{わが}事において」と読むべきものではないかと思います。つまり、「自分のことに関しては後悔しない(他人のことについては、ああもすればよかったろうに、と同情することはあるかもしれないが)」という意味になります。

もし「われ」と読むとすれば、これは主語ということになりますが、他の条には「我」という主語がないのに、この条だけにあるというのはへんです。それに、「ことにおいて」という言い方が不自然です。「われ、何ごとにおいても後悔せず」ならわかるのですが。「われ」と読むことには、何か理由があるのか、わかりません。

ネットでは、「我、事において」と書いている人(「われ」派)と、「我が事において」と書いている人(「わが」派)といます。


「放香」システム

【1023】
「放香」システム
 みさお
 - 05/9/8(木) 22:08 -
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http://www.asahi.com/culture/update/0903/002.html
映画館でチョコの匂いが出る機械とのこと。
放香という言葉がなにかあまりよいイメージを抱けないのは
なぜでしょうか?放というのが投げ出すとか放つという意味
があるからでしょうか、なにかこう、香りがただようという
イメージが表現されていないからでしょうか?



【1026】
Re:「放香」システム
 岡島昭浩
 - 05/9/10(土) 11:46 -
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▼みさおさん:
>放香という言葉がなにかあまりよいイメージを抱けないのは
>なぜでしょうか?


放尿・放屁はもとより、放言・放蕩・放漫・放埒など、悪いイメージの語が想起されるからではないでしょうか。放物線の「放物」のように、悪くない意味で、意図的に放るものもありますが、「放−」の多くは、意図せず出てしまう、という意味で使われているように思います。「放射」も元々は悪くないイメージだったのでしょうが、放射能などから、やはりこれも悪いイメージを持ってしまいそうです。



【1027】
Re:「放香」システム
 道浦俊彦
 - 05/9/10(土) 16:34 -
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「放課後」の「放課」には悪いイメージはありませんが、「放火」には悪いイメージがありますね。(イメージと言うか、そのものが、悪いのですが。)
祇園祭の「放下鉾」の「放下」には特に悪いイメージはありません。



【1028】
Re:「放香」システム
 Yeemar
 - 05/9/11(日) 11:42 -
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私は、「はなつ」ということばをいい匂いににも使えるのか、もしかすると、「悪臭をはなつ」のように悪い場合により多く使うのかもしれない、それで「放香」にみさおさんが違和感をお持ちになったのではないか、と問題設定しました。

しかし、そうでもないようです。手元のデータを見てみると、いい匂い・悪い匂いがほぼ半々でありました。

放送の「放」は悪い感じはしません。

私は「放香」ということばについてはっきりした好悪のイメージを持ちませんが、いかにも日本製漢語という気はします。中国語では、「芳香を放つ」は「散発芳香」だそうですが(小学館日中辞典)、それならば「散香システム」でもよいかもしれません。

注・元の記事:
この放香システムを扱う企画・販売会社は今後、映画のほか展示会やイベントでの有力な演出手法として売り込んでいくという。
〔映像に合わせチョコの香り 映画館に「放香」システム〕(「asahi.com」2005.09.03.08:01)




【1032】
Re:「放香」システム
 NISHIO
 - 05/9/12(月) 0:40 -
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▼Yeemarさん:

>私は「放香」ということばについてはっきりした好悪のイメージを持ちませんが、いかにも日本製漢語という気はします。中国語では、「芳香を放つ」は「散発芳香」だそうですが(小学館日中辞典)、それならば「散香システム」でもよいかもしれません。


Googleで "放香" を検索すると、日本語のページは件の「放香」システムと神戸の茶商「放香堂」が大半、その他が数件。
あとは中国語(簡体字・繁体字)のページばかりです。中国語で「放香」はどういう意味なのでしょう。「放香屁」というのもあります。『大漢和辞典』の「放」の項にも「放香」は見当たりません。気になります。

「芳香を放つ」ものといえばトイレなどの芳香剤が思い浮かびます。最近は消臭剤ばかりで芳香剤は数点しかありませんが、パッケージの説明は「発散させます」「漂わせます」「広がります」など。「放つ」という言葉はありませんでした。

「香りを放つ」「放香」に代えて、ほんのり漂わせるようすにふさわしい語はないでしょうか。
「散香(さんこう)」はキリスト教の儀式にあるようです。「散香(さんか)」は森博嗣の小説に登場する戦闘機の名前…。


余談ですが、こちらはインターネット経由で遠隔制御できる「調香器」。
http://www.ntt.com/release/2005NEWS/0005/0523.html
『OCNブロードバンドコンテンツに連動した「香り配信サービス」の実用化開始について』


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